第18話 ゲームオーバー

「いまの音はなんだ?」

「えー、祭壇の道具がなにか落ちたのでは?」

 長身の男とジェガは振り返った。

 キアラは、この機を逃さずシエラの手首をつかむと出口へ向かって走り出した。

 しかし、数メートルも進まないうちに、キアラの手からシエラの細い手首がするっと離れた。

「ダメじゃないか、キアラくん。クエストはまだ終わっていないよ」

 振り返ると、バムがシエラを背後から腕をからませ、拘束していた。

 バムはそのまま嫌がるシエラを引きずって、ふたりの男のほうへと後ずさる。

「シエラをはなせ!」

 アーミーナイフを差し向けるキアラを横目に、バムは言った。

「タオ、ジェガ。作戦は失敗だ。PPケプラーじゃないことは、さっきのやり取りでバレバレだからね。だからもう演技しなくていいよ」

「だよなー」PPケプラーを名乗っていた長身の男、タオが自嘲気味に引きつった笑みを浮かべた。

「失敗したのは、あのガキのせいだ! ワシらは被害者だ」と、ジェガは顔を赤くした。

「タオ、それよりも僕たちはあのペンダントをもらうとしよう。思うにあれは重要なアイテムなんじゃないか? もしかすると、キューブかもしれない」

「キューブだと! もし本当にそうなら、一生遊んで暮らせるどころの話じゃねえ。国を買えるほどのリアルマネーが手に入る。だよな?」

 興奮まじりのタオに向かってバムは首肯した。

「ああ。この世界というか、XRPG全般に言えるけど、装備品やアイテムの類は持ち帰ることはできないが、ゲーム内で手に入れた金はリアルマネーに交換できるんだ」

「そうなれば、もうリアルワールドで、ワシらバイトする必要もないな」

「というわけで、キアラくん。僕たちと取り引きをしようじゃないか」

「取り引き?」

「そう。彼女とペンダントを交換だ。簡単だろ?」

「なに勝手なこと言ってるんだ。だいたい、プレイヤーがこんな強盗まがいなことしていいのかよ!」

「なんだこのチビ。XRPGを知っているような口ぶりだが、もしかして俺たちと同じ世界の人間か?」

「そんなわけないだろ! いいからシエラをはなせ!」

「おっと、そこから動くなクソガキ。さもないと、この姉ちゃんの服を引き裂いちゃうぞ~」

 ジェガは短剣からナイフに持ち替え、シエラの横に立つとナイフをシエラのスカートに近づけた。

「くっ!」

 シエラはジェガに対して嫌悪の眼差しをむけた。しかし、ジェガは楽しそうに、ニタニタと見返した。

 腹底から込みあげてくる怒りを我慢し、

「わかった。ペンダントはお前たちにやる。だから、まず先にシエラを放せ」

 キアラはペンダントを首から外す。ペンダントはより強く輝きを放っていた。

「ダメよキアラ。そのペンダントは大事なものでしょ。この人たちに渡しちゃダメ!」

「でも――」

「えー、早く渡さないと~。こうするんだな!」

 ジェガはシエラのスカートの端を掴むと、馴れた手付きでナイフをあてた。

「ぶへぇ~」

 いつもやっているVRに出てくる美少女キャラと違って、シエラは叫び声を上げなかった。これからなにをされるのか、わかっていないようにも見える。

 その無垢な反応に、ジェガは興奮を抑えきれず、シエラの顔をちらちらと見ながら、スカートに切れ込みを入れた。

 まずは、ふくらはぎ。

 シエラは、軽蔑と怒りの眼差しを向けていた。

 ジェガは高揚し、膝まで切れ込みを入れると、ナイフを捨て、そこから先は力づくで引き裂いた。

 白くふくよかな太ももが、あらわになった。

 スカートをめくり、むき出しになった片脚を掴んで、鼻先が肌に触れるくらい顔を近づけた。太ももの静脈がうっすらと浮かびあがっている。

 ジェガは鼻の穴を全開にして大きく息を吸った。

「ひょー! やっぱこの獣人NPC、スベスベやわわな太ももしてるわー!」

 ジェガはシエラと目を合わせた。

 シエラはすぐに視線をそらして、バムの羽交い締めから逃れようと暴れだした。

 ジェガは持っていたシエラの片脚を手放し、少しだけ彼女から離れた。

 シエラの瞳には、恐怖と嫌悪と羞恥心が混ざっていた。

 それに片足を持ったときの重量感と指に残っているやわらかな肌の触感。

 VRではけっして味わえない匂い、触感、重み、抵抗感、弾力感、肌感。あらゆる感覚がXRPGでは味わえると聞いていたが、実際、その通りだった。

「ぶへへ。そうだ! うずめよう!」

 ジェガは食らいつかんばかりにシエラの太ももに顔を近づけ、唾液まみれの舌をレロレロとのばす。

 キアラは駆け出した。

 床に落ちていたシエラの杖を拾いあげた。素早くそれを両手にし、勢いよく踏み込み、腰を回転させ――バムの横っ面を膂力まかせに突いた。

「ぐわっ!」

 バムは顔面に鉄拳をくらったようによろけ、思わず力が抜けてしまった。その瞬間を逃さずキアラは叫んだ。

「シエラ!」

 シエラはバムの両腕を振り払って拘束から逃れた。

 そこに舌をだらしなく伸ばしたジェガの顔がシエラの太ももに飛び込んできた。

 シエラは膝蹴りを放った。

「ぷぎゃっ!」

 みごとシエラの膝が、小太りの顔面に喰い込み、ジェガは肉団子のようにゴロゴロと転がった。

 キアラとシエラは男たちから離れると、キアラは杖をシエラに手渡し、自身はアーミーナイフを手にとった。

「いだっいだいっ! はふはふはふぅ。このキャラ、調教不足なんじゃねーの。あとで運営に文句言ってやる。なあ、タオ」

 返事がない。

「おいタオ! おぬし、なにを黙って――」

 ジェガは口をあんぐりと開け、固まってしまった。

 巨大なムカデ――とキアラは思った。

 が、よく見ると違う。

 たとえるなら、ムカデの形をした鋼殻のからくり人形。

 ギチギチと金属の軋む音。そいつに後ろから抱かれるようにして、タオは立ったまま絶命していた。一本一本が剣のようなムカデの脚が無数、革の装甲もむなしくタオの全身に突き刺さり、大量の血が漏れ出し、全身を赤黒く染めていた。

 ムカデとは別に、こんどは体長が一メートル。

 一見すると蜘蛛に似た、金属に覆われた昆虫型のからくり人形が、主祭壇の裏から、わらわらと現れ、バムの前に立ち塞がった。

「〈スチームインセクト〉……いったいどこから……」バムは言った。

 バム、ジェガ、タオの三人がXRPGをはじめたのはごく最近のことで、XRPGでの戦闘経験はまだない。

 視界にHUD《ヘッドアップディスプレイ》が表示されるわけでもなく、敵の強さや自分があとどれだけ戦えるのかはわからない。

 外殻を未知の金属で覆われた機械生物――スチームインセクトを前に、バムの顔は青ざめていた。

 シエラは、その場にへたり込んでしまった。

「このザコがあ! お前らモンスターは、ワシらプレイヤーに殺されるために存在しているんだろうが!」

 ジェガはスチームインセクト・スパイダーに斬りかかった――が、蜘蛛の動きに対して男の動きはあまりにも遅かった。スパイダーの鎌のような前脚によって、ジェガの右腕がスパッと切り落とされた。

 濁りきったジェガの絶叫が響きわたった。腕の切断面から吹き出す血が、床に落ちたショートソードをどす黒くコーティングしていく。一転して、ジェガは恐怖におののき、情けないほどに泣き叫んだ。

「や、やめてえ! 強制終了はあ――どこお!」

 感情を持たないスパイダーはジェガの足首を切断し、逃げることができないようにした。痛い、イタい、と何度も叫びながら、ジェガは残された腕を使って、巨大な蜘蛛の群れから這って逃れようとした。

 これもまた、従来のVRにはなかったほど、リアルだった。

「いやだ! 死にたくない! 助けてくれバムぅ!」

 ジェガが泣き叫んでいる間に、キアラはシエラの手を取り出口へと向かった。その動きを感知した一体のスパイダーが後を追った。


 ひとり、礼拝堂に残されたバムは後悔していた。苦悶に満ちたジェガの青白い顔が、床の上でバムを見ていた。彼の胴体は少し離れた場所に転がっていた。

「いったいなんなんだ、この世界は? ゲームじゃないのか?」

 スパイダーの前脚が大腿部に深く突き刺さった。死の恐怖が痛みを忘れさせ、バムは無我夢中でショートソードを振りおろした。しかし、スチームインセクトの鋼殻に対して、高い金を払って買った剣は刃こぼれするばかりだった。それでもバムは振るのを止めず、ついに折れた刃の一端がくるくると宙で弧を描いた。

「……そうか。だから、ここに来ていたほかのプレイヤーは鈍器を装備していたのか。……くそ……くそーっ! どうしてこんなことに――」

 そうこうしているうちに、背中から内蔵に冷たいモノが入り込んできた。見れば腹からスパイダーの前脚が二本突き出ていた。

 バムは胃酸まじりの鮮血をごぱっと吐瀉としゃした。

 バムにはひとつだけわかったことがあった。この世界はけっしてプレイヤーに都合のいいように作られているわけではないということだ。

 面をあげると、タオを殺したムカデ型のスチームインセクトが目の前に立っていた。脚に、タオの肉片がこびりついていた。

 頭から血の気が引いていく。

 寒い――。

 鼓動は弱くなり手足の感覚はもうない。

 ゲームオーバー。

「へへ……」

 血で染まった剣をバムは、放棄した。

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プトレマイオスの天球儀船 櫛名 剛 @amati_rose

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