第31話そして君と

 黄昏時がいつしか終わろうとしていた。

 

 一般開放を終えた校舎内は未だにざわついているものの、昼間のような喧騒はない。売れ残った商品、剥がれかけたビラ、疲れの色が出る生徒。この様子は祭りの後のような、もの寂しげな湿っぽい雰囲気によく似ている。


 今、廊下を歩いている瞬間でさえ、外は徐々に暗くなり、生徒たちはグラウンドへと各々足を運ぶ。


 僕はその波に逆らうように歩みを進める。


 目的の場所にたどり着き、ドアの前で立ち止まる。電気は付いていない。でも、ドアを開ければ、そこに彼女がいると確信がある。


 正直、どんな顔をして会えばいいのか分からない。彼女はどう思っただろうか。賢い彼女は劇での僕の行動を、ただの演技だとは思わないだろう。ちゃんと、伝わっているはず。


 意を決して、教室に入る。


 まず最初に目に飛び込んでくるのは、立ち並ぶ本棚。そして、ちょっと埃っぽい臭い。まるでドアを介して、異世界に潜り込んだかのような静けさ。


 桜坂琴音は図書室の中心に立って、天井を眺めている。


 暗くて、表情は見えない。


 彼女は今、どんな感情でそこに立っているのだろうか。


 かける言葉に迷っていると、窓の外がぼんやりと明るくなった。開けられた窓から、歓声が聞こえてくる。


 すぐに軽快な音楽が入り込んで、本棚をかいくぐって教室に響き渡る。


 キャンプファイヤーの灯りで、彼女の姿が露わになる。背中まで伸ばされた美しい艶髪、それに相反するような透明な肌、灯火が映り込むガラス玉のような双眸。


「綺麗だ……」


 自然と口をついて出た言葉は、すぐに溶けてしまう。


 彼女はクスリとでも言いたげな笑みを漏らし、僕を見る。その曇りなき瞳を向けられて、改めて理解する。


 僕は桜坂琴音のことが好きだ。


 彼女がフリップに文字を書こうとする。


「あっ……! ちょっと、待って……」


 彼女の手が止まる。そして、僕がこれから言わんとしていることを理解したのか、一度書いた文字を消して、新しくペンを走らせた。


 彼女が書き終え、ペンを置くのを待って、口を開く。


「えっと……僕と踊りませんか?」


 差し出した僕の手に彼女の手が重なる。


『はい、喜んで!』


 教室の中で、僕と彼女の影がぎこちなく動き回る。


 フォークダンスの踊りなんて、正直ほとんど覚えていない。でも、なぜか自然と身体が動き、彼女がそれに合わせてくれる。


 二人とも、口を閉ざしたまま。ずっと見つめあって。


 この曲は何という曲だったろうか? 確か、オクラホマ・ミクサーだったっけ? さっきの曲は……きっと彼女なら知っているのだろう。


 僕は賢い彼女が好きだ。優しい彼女が好きだ。吸い込まれてしまいそうなその瞳が好きだ。


 桜坂琴音の全てが好きだ。


 僕のそばにずっといてくれた人。


 僕の世界を壊してくれた人。


 僕にたくさんの声を届けてくれた人。


 僕に――恋を教えてくれた人。


 鳴り止むことを知らない音楽の中を、愛する人と踊り回る。この幸せをいつまでも噛み締めていたい。叶うことなら、これから先も、ずっと彼女の隣にいたい。


 ふいに彼女の頬を涙が伝った。でも、彼女は踊る足を止めない。僕の手を握りしめたまま、笑顔で涙をこぼす。

 その涙さえ、美しく、彼女をより一層引き立たせる。


 彼女が口を開き、声にならない思いを吐露する。


 そして、今までに見たことないくらい満面の笑みを僕にくれた。


「僕も、幸せだ」


 僕と彼女の影は、いつまでも図書室を駆け巡っていた。

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