第27夜  闇に包まれたあと

 ーー「早いな。」


 葉霧は、保健室に戻ってきた楓に苦笑いした。


「ちゃんと出てっただろ?」


 楓は素知らぬ顔だ。

 葉霧は、くすっと微笑む。


「杉本は?」

「知んね。」


 葉霧はーーフッと笑う。


「良く出来ました。」

「そりゃどーも。」


 楓は不貞腐れていた。


 ✢


 葉霧と楓は杉本の様子を見に行く事にした。

 保健室から渡り廊下に向かう。


 渡り廊下の扉を開ける。


「そう言えば……次郎吉くんが言っていたけど……と、そうじゃない鬼がいるのか?楓は生粋の鬼だと言っていたな。」


 雨はいつの間にか霧雨になっていた。

 ここは外が見える。窓ガラスが囲む。

 円形ドーム状だ。


「ん?あー。オレは鬼から産まれたんだ。中には鬼と他のあやかしから、産まれる奴もいる。それに……鬼と人から産まれる奴も。」


 楓はそう言うと少しーー恥ずかしそうにした。


「え?そうなのか?」


 葉霧は目を丸くした。


「ああ。後は……鬼の魂が死んだ人間や動物に棲みついて鬼として産まれる奴もいるけどな。」


 楓は葉霧の開けたドアから渡り廊下を出る。

 別館に入ったのだ。


「鬼とーー人から産まれた子供は……鬼なのか?」


 葉霧はドアを閉めた。


「まーそうなるよな。鬼の方が、生命力が強いから。寿命も長いし。あ。でもどうだろな。角がねぇヤツもいたよな。オレは一回しか会ったことねぇけど。アイツは……鬼?だったのかな?」


 楓はう~んと、唸る。

 首を傾げながら。


「楓と俺の子供も……鬼なのかな?」

「えっ!?」

(な……ソコ聞いてくんのかよっ!?まじか………)


 楓は一気に顔が真っ赤になった。

 葉霧は楓の隣を歩きながら微笑む。


「どっちでも……きっと可愛いだろうな。」

「へ……?」


 楓は目をぱちくりさせる。

 葉霧はそんな楓の頬をツンとつつく。

 人差し指で。


「楓に似て可愛いよ。」


(もう……ヤダ……この人!ホントまじヤダっ!!なんでこーゆう事をさらっと涼し気に言えるんだよっ!おかしいって!オレの胸はいつか破裂するっ!!)


 楓はふらっと立ち眩み。

 よろけてしまう。


「大丈夫か?」

「ちょっと……放置してくれマスカ……」


 楓は顔が真っ赤だった。

 そしてとても苦しそうであった。

 葉霧はとても心配そうだ。


 ーー部屋に入るとベッドの上で杉本は身体を起こしていた。


 起きたばかりなのか不安そうな顔をしている。入ってきた二人を、不安そうに見つめていた。


「ここって………」


 顔色はとても良くなっていた。


「俺と楓の部屋だ。気分は?」


(え??ソコ……わざわざ言う所??俺の部屋。で良くね??それか俺達の。で良くね??)


 さっきの余波なのか……楓は顔が照れすぎてて緩みっぱなしだ


 葉霧はベッドの脇に歩み寄る。


「大丈夫。そう。玖硫君達の部屋なの。ごめんね。迷惑かけて」


 杉本ーー【杉本珈音すぎもとかのん】は三年生だ。演劇部のヒロイン役として君臨している。彼女に、憧れて入って来る部員も多い。


「いや。それより……何が起きたか覚えてるか?」


 葉霧はソファーの肘かけに腰掛けた。

 ベッドの上の杉本が、よく見える。


 楓はベッドの下方に立っていた。


「急に……目眩がして……そこからは何も。気づいたらここにいたわ。」


 杉本は頭を押さえた。


「痛むか?」


 倒れた時に頭を床にぶつけている。

 葉霧はその為、聞いたのだ。


「大丈夫よ。それより……何があったのか教えてくれる?あたし……何かしたの?」


 杉本はとても不安そうな表情で葉霧を見ていた。折角ーー顔色が回復したのに、今にもまた倒れてしまいそうな程、青褪めている。


「倒れたんだ。急に。」


 答えたのは楓だ。

 楓も心配そうな顔をしていた。


 杉本はハッとした様な表情をする。


「何も……なかった?誰か……怪我したり……」


 可細い声であった。


「大丈夫だ。何もないよ」


 葉霧は柔らかな笑みを浮かべた。

 杉本はその笑みにホッとしたのか、ベッドの上で手を結ぶ。


「最初は……何だろう?って思ってたの。よく稽古してると目眩がしてーー気づくと皆が変な顔をしてあたしを見てて……覚えてないし、ただの気の所為だと思ってた。」


 杉本はゆっくりと話始めた。

 楓と葉霧は耳を傾ける。


「でもーー何度かそうゆう事があって気がつくと、舞台の上が騒々しくて……その時は、部員の娘が壊れてるライトの前で血を流してた。腕を切ったみたいだった。皆……あたしを見てて……」


 ぎゅっ。


 杉本は左手を掴むと握った。


「恐ろしい物を見た様な顔をして、あたしを見てた。何がなんなのかわからないし……雰囲気的に、あたしが何かをした様な感じで……。」


 俯く杉本の声は少し震えている。


「そんな時……部員の娘たちが話をしているのを聞いて……あたしの様子がおかしい事を、知ったの。奇声をあげて泣き喚いたりしてる。って。でも……憶えてないの。全然。」


(乗っ取られていたからか……)


 葉霧は泣き出してしまいそうな杉本の、横顔を見ていた。


「舞台のセットから足を踏み外して落ちて、怪我をした娘が居た時に……はじめて言われたの。」


『先輩!何かしたんじゃないんですか?』


「そう言われた時に……皆には、あたしがもう……異常だって思われてる事を知ったの。どうしていいのかわからなかった……」


 杉本は顔を手で覆った。

 泣き声も聴こえた。


 楓はベッドの脇に歩み寄ると、そんな杉本の背中を擦る


「大丈夫だ。だから心の中のモン……吐き出していいんだ。聴いてるから。嫌いにならないから。」


 杉本は手を離した。

 涙を流す瞳は大きく開く。


「う……うっ………」


 杉本は大粒の涙をぽろぽろと流した。

 それはまるでーー今まで心の中に溜めておいた気持ちが涙となって流れて行く様でもあった。


 楓はずっと杉本の背中を擦った。


 落ち着くまで。


 葉霧はそんな二人を見つめていた。

 一度も目を離さなかった。



 落ち着いた杉本はーー楓の顔を見上げた。

 ずっと背中を擦っていた楓の顔を。


「心の中が染まっていくの……。暗く……沈んでいくの。それはずっと感じてた。でも……それが何で……なのかはわからなかった。ヒロイン役に没頭してたし……いつも劇の事しか考えてなかったから。演じる事しか考えてなかったのに……いつからか……暗く沈んでいく……自分がいた。」


 杉本はーー思っていた事をただ言葉にしているだけ。呟く様にそう言った。


「頑張りすぎただけだ。杉本。」


 葉霧はそう声を掛けた。


 杉本は楓から視線を外すと、目を伏せた。


「そうかもしれない…………。期待に応えなきゃ。って思ってきたのは、確かだから。」

「好き……なんだな?舞台。」


 杉本は強く頷く。


「好き。これしかない。って思う。」


 少しだけーー笑みが溢れた。

 悲しそうなその顔から。


(どうやらーー依り代になった人間は、記憶も曖昧で尚且。乗っ取られる感覚も無い様だ。そうなると……何をしたかわからない状態で、殺人を犯す可能性もあるのか。楓の言っていた男の様に。)


 葉霧は険しい表情をしていた。




 ✢


        

【新宿 CAFEモン・ドール】


 店内には鑑識捜査員と話す【来栖 宗助くるすそうすけ】の、姿がある。


 中年男性は腕章つけた制服姿。

 来栖より、かなり背は低くその細身の腰に手を当てていた。


「遺体から見ても……ちょっとおかしいね。」


 中年男性は、苦笑している。

 浅く被った帽子からは白髪。

 年代は、来栖より少し若いぐらいか。


「【真鍋 俊文まなべとしふみ】三十か……」


 来栖の手には免許証。

 遺体となった男の者である。


「どう考えても……この首。頸椎イッてる。なのに動いたんだろ?刃物持って……。」

「ああ。店長の話だと、入って来た時から様子はおかしく……この出刃包丁を突然。スーツの胸元から取り出して暴れたらしいな。」


 来栖は免許証を透明の小袋にしまう。


「流行りのドラッグか?にしても……錯乱状態で神経麻痺させつつ凶行に及ぶ……言っちゃ悪いが……スーパーマンみたいなのは……聞いた事ないぞ?」

「その例え。は、どうかと思うが……。」


 来栖は失笑。

 口元を軽くあげただけ。


「に……しても。対応が早かったな?通報だと刃物持った男が暴れてる。だったんじゃ?」


 鑑識捜査員の眼は来栖に、少し猜疑的な視線を向けた。


「【日暮ひぐらし】……。刑事辞めて何年だ?」

「ん?おいおい。まだ警視庁勤務だ。人を定年扱いするな。」



 来栖はため息ついた。

 日暮ーーは、苦笑いする。


「隣のパチンコ屋の客が通報して来たんだ。それを聴いて……拳銃所持命令も発動された。強いて言えば……勘か?」


 来栖は少し得意気に笑った。

 日暮は、ため息つく。


「ああそう………。しかし……恐ろしいな。」


 日暮は既に運び出されている真鍋の遺体ーー。倒れていた床に視線を向けた。


「普通の会社員だったんだろ?聴き込みでは。」

「そう……聴いてる。同僚の話だと、来年の春先には結婚する予定だったとか。嬉しそうに酒を飲んでたのを覚えてる。そう言ってたな。」


 来栖もまた床に視線を落とした。


「仕事も至って順調。営業所での成績も悪くない。頗る良い方じゃないが……悪くもない。家庭環境も至って普通。何が……こうさせたのか……。」


 来栖の眼は……暗く淀んでいた。


「被害者も浮かばれんな。まだ二十一だ。」

「そうだな。高校からアルバイトしていたこの会社に晴れて正社員雇用されたばかりだったそうだ。何とも遺憾だ。」


 日暮は、来栖に視線を戻す。

 苦渋の表情を浮かべている顔を見ると


「大丈夫か?寝てないんだろ?」


 心配そうな目を向けた。


「いや。それより……解剖待ちだな。何かわかったら連絡してくれ。」

「ああ。了解。」


 日暮は頷く。


 来栖は免許証の入った袋を日暮に渡すと店の入口に向かった。


(わかるさ……。俺は……人外を知ってる。)


 来栖は開けっ放しのドアから外に足を向けた。


 雨は霧雨になっていた。











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