第18夜 次郎吉
ーー「大丈夫か? 怪我をしている。」
葉霧は物の見事に吹き飛び 蜘蛛の死体すらもない教室で、楓の右肩を見ると腕を掴んだ。
楓は右肩の傷を見ながら
「大したことねぇよ。治る。勝手に。」
そう笑う。
心配している葉霧の顔を見上げる。
「葉霧の方が大丈夫か?」
「え?」
葉霧は目を丸くした。
楓は少し力なく笑う。
「ビビってんだろ? オレを。」
「!!」
(鋭い。)
葉霧は楓の力なく笑う顔と、それ以前にとても哀しそうな眼が焼き付いた。
(こんな哀しそうな眼をした楓は見た事が無い。いつも、照れ臭そうな恥しそうな、そんな眼ばかりだ。この眼は余り見たくないな。)
葉霧は楓の手首を掴むと右腕も斬りつけられている事を知った。
「こっちも怪我してるじゃないか。帰って手当てしよう」
「いいよ。治るから。」
楓は葉霧の手を振りほどくと刀を鞘にしまった。背中に背負った時だ。
外が騒がしくなった。
それは警察車両の音だった。
サイレンが鳴り響いたのだ。
(通報したのは俺だが……マズいな。)
蜘蛛の死体こそは無いが、教室には張り巡らされている蜘蛛の巣がある。
それに子供の死体だ。それも、骸骨になってしまった無残な姿だ。
「ここを上手く切り抜けられる自信は無いな。」
葉霧はぼそっとそう言った。
「ん? なにがだ?」
楓はきょとんとしている。
「警察です。」
そこに警察手帳を掲げて警察官が入ってきたのだ。制服を着た警察官だった。
「あ……」
(けいさつ? あー。コイツらか! 捕まると厄介なのは!)
楓は、かなり間違った認識を持っている。皆から、説明を受けたがよくわからずこう言った認識になった。
「その……格好はどうしたんだね?」
と、入ってきたのはグレーのスーツを着た初老の男性だ。長身で細身。だが、眼鏡の奥の眼はとても鋭い。何よりも細面なのだが、顔がとても厳格そうであった。
見るからに頑固一徹の雰囲気を醸し出している。白髪混じりのぼさっとした髪型。窪んだ眼。
(これは……逃げられないタイプだな。執拗な感じがする。)
葉霧は警察官が敬礼をしたその男性に、視線を向けた。入って来たその様子ですら、既に猜疑は始まっている。
「俺達は、蒼月寺の者です。」
「私が頼んだんだ。“来栖《くるす》警部”」
葉霧の声の後に、教室に入ってきたのは鎮音だった。
「ばーさんっ!?」
楓は素っ頓狂な声をあげた。
(鎮音さん。まさか来るとは……。)
葉霧も驚いていた。
「鎮音さん。幾ら貴女でも……この状態は」
来栖は教室の中を見回しながら深い溜息をつく。少し嗄れた声だ。
「様子を見て来い。と言ったのは私だ。近所の連中に頼まれてな。警察が直ぐに動かなかったそうじゃないか。子を持つ親が困っていると言うのに。」
鎮音は来栖の前に立つとはっきりと物申す。その態度は、とても堂々としている。叱咤も忘れない。
ごほん。
来栖は咳払いひとつ。
「いや。それは報告は、受けましたけど」
困惑した様な顔をしているのは、来栖の方であった。
「葉霧。楓。ここに来たらこうなっていたのか?」
鎮音の視線は、楓と葉霧に向けられる。
楓は葉霧の顔を見上げた。
(これは……オレは黙っとくべきだな。ばーさんの眼が、マジだ。)
葉霧は楓の顔を見ると軽く頷く。
鎮音に、視線を向ける。
「ええ。そうですよ。子供がいたのでここから一階まで連れ出しました。その後で、俺が通報したんです。」
葉霧はそう答えた。揺るがない眼を、鎮音と来栖に向けている。
「では……そこのお嬢ちゃんの格好は? その汚れは何かね? 壁に所々、付着しているものと同じ様な気もするがね。」
来栖は楓の真っ黒な姿を指摘した。床は蜘蛛の死体も血すらもない。斬り落とした脚さえも。全て……消滅した。
だが、壁に点々と付いてる蜘蛛の血は消えてはいない。勿論、楓の被ってしまった血もだ。
「あ。」
楓が口を開こうとすると葉霧が一歩前に出た。楓の前に立ったのだ。
「子供を逃がす時に、足を躓いて転んだんですよ。その時に、何かを入れてあったバケツを、ひっくり返したんです。それで被ったんですよ。」
葉霧は楓の左手を掴んでいた。
その手を握った。
(血とは言えない。それに犯人を見た事も。ここはしかない。俺達は何も知らない。それを押し通すしかない)
「バケツ? そのバケツはどうしたのかね?」
「片付けましたよ。一階のトイレの清掃用具入れです」
来栖は、葉霧の眼から視線を逸らさない。じっと食い入る様に見据えている。
「もういいだろう。この子らは子供達を救った貢献者だ。元はと言えば、親が騒いだ時にさっさとお前達。警察が動いていれば、こんな大事にならなかったんだ。違うか?」
鎮音は深い溜息をつく。
はぁぁ。と。
「それは………否めないですが……。」
来栖は苦笑いを浮かべていた。
(このお婆だけは苦手だ。昔っから痛いとこばっかついてくる。勝手に動けない事を知ってて言ってくるんだ)
来栖の表情は、徐々に苦々しくなっていた。鎮音は、来栖を見据えた。
「今回は……目撃者も多数だ。子供達から話を聞けばわかる事もあるだろう。それでも……足りなければ聞くがよい。この子らも、協力はする。」
鎮音の穏やかであり的確な言葉に、来栖は息を吐く。
ふぅ………と。
楓と葉霧を見ると少しだけその表情は緩む。
「もういいぞ。また何かあれば話を聞く。帰りなさい。」
諦めた様子でもあり、何処か納得している様子でもある。だが、口調はけして優しくはない。
「楓。帰ろう。」
葉霧は楓の顔を見ると微笑む。
(手当をしてやりたい………。病院に連れて行く訳には行かないから……。)
右肩の傷を葉霧は見つめる。
自分を庇って負ったものだ。
「多くのお子さんを助けてくれた事は感謝する。ありがとうございます。」
来栖は……最後。頭を下げた。
警察官もまた同様に頭を下げたのだ。
「いえ。」
葉霧は柔らかく微笑む。
鎮音と共に葉霧と楓はビルを後にした。
一階は、子供達を迎えに来た親達で溢れていた。救急車もまた停まっていた。報道陣も。
ごった返すビルの前を早々に後にしたのだ。
✣
【蒼月寺】に帰ってくると、楓は手当てよりも先にお風呂に入る事を提案した。
葉霧は鎮音と和室にいた。
夏芽と、優梨も帰りを待っていたのか和室にいた。
「災難だったな………。」
鎮音は、優梨の煎れたお茶を啜る。
葉霧は湯呑に手を掛けていた。
「俺は………何も。怪我をしたのは楓だ。」
目を臥せていた。
葉霧は。
(俺を庇って傷ついた楓を………俺は一瞬でも……。人間と比べた。楓はいつも………俺を……。)
湯呑をぎゅっと、握り締める。
「葉霧くん。大丈夫? 疲れたんじゃない?」
優梨が酷く暗く沈んだ葉霧の顔を見つめる。心配そうに覗きこむ。
「いや。大丈夫だ。」
葉霧は顔を上げるとお茶を飲む。
【人を思う気持ちって関係ないんじゃない?
鬼とか………人間とか………】
優梨のその声が葉霧の頭の中に浮かぶ。
(楓は……鬼だから……人間だから。と、区別はしない。人間の子供を助けようとした。そして……俺の事も。俺は………楓を……見ていたい。どんな時も。)
『傍で………見ていたい………』
「お。早速。来てくれたんだな?」
その日の深夜である。
楓は寺を抜け出しこの前……出遭った狸の店に立ち寄った。狸の店は深夜なのに大繁盛だ。
だが、居るのは皆。あやかしだ。
「すげぇな~……。大入りじゃん。」
カウンターの席に案内されると、椅子に腰掛けながら楓はそう言った。
雑居ビルの三階。
どうやらこのビルの大半は飲み屋らしい。ここに来るまでにもお店の前やエレベーターの周りには、ちょっと派手めの人達が、多かった。
「それが………アンタの素ってわけだ。」
❨福来る狸の置物❩として信楽焼などで有名なその格好。だが、楓より大きい体格をしている。茶系色の毛並みに、あご紐ついた麦わら帽子。❨本家は笠だ❩
腰には【商売繁盛】の腹巻き。
その姿で、カウンター内でシェーカー振ってる。
楓は今日は久々に黒装束で着た。
腰にはちゃんと刀も挿してある。
「ちょっとまってなよ。これ出したら相手するからさ」
カウンターには他に女性がいる。
ペルシャ猫の女性だ。ブロンドの巻き髪にお色家ムンムンの姿で、カウンター席に座る狼男の相手をしている。
周りはみんな………人間ではない。
(……鬼はいねぇんだな……)
角があるのは自分だけの様だった。
だからか、入って来た時からテーブル席の男達に、楓はとても鋭い眼を向けられていた。
テーブル席にいるのは和服姿の目の細い男と魚人だ。それに……犬の顔をした獣人。
じろじろと、視線を絡ませてくる。
「気にすんな。鬼は珍しいのさ。それもアンタみたいな生粋はね。」
「え?」
狸は目の前に戻ってくると酒瓶をテーブルに置いた。
「お前………イヤミか?」
楓は一升瓶の銘柄を見て溜息ついた。
「【鬼殺し】良い酒だぞ~」
とくとく………
グラスに注ぐ。
並々と。斗の上に置かれたグラスから溢れ、斗まで注がれる。
「イケるよな?」
「イケますよ。久々だけど。酒なんか。」
(飲みてぇとか言えねぇし。葉霧。キレそうだし)
楓はグラスに口をつける。
溢れているから、グラスは持てない。零れてしまう。なので、とにかく口をつけて飲む。
「お。ウマい。」
「だろ~? あ。アンタ名前は? 俺は次郎吉だ。」
「次郎吉?? ちょっとそれっぽくねぇな?」
「放っとけよ。アンタは?」
狸は自分のグラスにも酒を注いだ。
勿論、鬼殺しだ。
「楓だ。」
「へ??」
次郎吉は目をまん丸くさせた。
通常でも丸いが、更に丸くした。
「楓だ。」
「あ~そう。へぇ? 鬼っぽくないな。」
「よく言われるよ。」
楓はようやくグラスを持ち飲み始める。
「つまみは?」
「ハラ減ってねぇんだ。今日は呑みたいんだ。」
楓はグラスを持ち握る。
(葉霧のあの眼は………怯えていた。オレを………はじめて恐ろしい。と思ったんだ。)
次郎吉はとんっ。
テーブルの上にチーズとチョコ。それに、サラミを乗せた皿を置いた。
「ま。そうゆう日あるよな。アンタ。
次郎吉のその言葉に、楓は視線をあげた。その眼は、少しだけ鋭くなる。
だが、次郎吉は笑う。
屈託なく。
「よせよ。イヤだったら来い。とか言わねぇ。俺は、社交辞令が嫌いなんだ。狸だけど。」
真顔で、次郎吉はそう言った。
ぷっ。
楓は吹き出すと
あっはっは!
肩を揺らして笑った。
目の前の次郎吉も笑う。
「わかりずれーよ。」
「え? そうか??」
楓と次郎吉が出遭い酒を酌み交わしたのは今日が始めてだった。
✣
「また来るよ」
「ありがとなー。」
楓はそこで二時間程度……呑み帰路につこうと店を出た。
階段を降りるとそこには三人の妖がいた。
「ちょっと宜しいかな? 楓さん。」
目の細い男であった。
その脇には犬の顔をした獣人。
そして……魚人。
楓は三人を見るとにやっと笑う。
(酒呑んで暴れて………。昔みてぇだな。血が騒ぐ……)
生粋の鬼である。
三人と楓が訪れたのは、雑居ビルなどがある場所から少し離れた廃ビルだ。
取り壊し予定の看板もある廃ビルに訪れた。
ビルは完全に廃れている。ここは元……地下駐車場だったのかその名残はある。
そのお陰か物も無いし空間が広い。
車も勿論。一台も停まってはいない。
断末魔の雄叫びですら掻き消してくれそうだ。
「一つ。伺いたい事があります。」
そう言ったのは腰に刀を提げた細い目をした男だ。
「は? なんだ? ここまで来て喋りに来たのか?」
(丁度いい。気分転換が必要だ。コイツらブッ飛ばして、スッキリしてやる。)
楓は刀を握る。
その鞘を。
「そう。
細い目の男は腰に挿した刀の上に腕を置いた。まるで肘掛けだ。
「お前、人間といるんだよな? 何でだ?」
そう言ったのはハスキー犬によく似た顔をした獣人だ。不思議な事に、彼等……獣人や魚人。爬虫類系、両生類系人は、皆。
二足歩行であり、服装も様々だ。身体もそのままだ。魚人は鱗ついた胴体。ただ、二足歩行なので足がきちんとついている。
それに人語を話せる。
「なんで? は? そんなモン話す必要あんのかよ? で? 殺んの? 殺らねぇの?」
すっ。
楓は刀を抜いた。
酒が入って酔っている。
顔が赤い。
フン………
鼻で笑ったのは魚人だ。
蒼い鱗のついた背びれがヒラヒラしている。
「こんなのさっさと殺っちまえばいいんだ。どうせ。玖硫のイケメンに絆されたクチだろ?」
魚人の言葉は楓を………キレさせた。
手に取る様にわかる。
「あぁ?? なんだって? オレがあんなガキに、惚れるかよっ!!」
言うより速い。
楓は刀を握り三人に突っ込んだ。
それもキレは、尋常ではない。
まず、魚人。その右腕を斬り落とし、そのまま隣の獣人の右肩から腹まで切り裂く。
ガンッ!!!
そして、細目の男だ。
刀を抜いた男と楓の刀はぶつかった。
「ま………待ってください!」
「先にケンカ売ったのはてめぇらだ!!」
楓は刀を競り合いながら、男の顎に頭突き。
ゴンッ!!
頭突きは男を倒れさせた。
楓は三人を見ると刀を振り下ろす。
「まだ、やんのかよ!?」
そう怒鳴りつけた。
魚人は右腕を抑えながら楓を見据える。
「お前………なんなんだ? そんなにキレんなら一緒にいなけりゃいいだろ?」
地面には魚人の右腕。
鱗のついた腕が落ちている。
ヒレではない。
人間の腕と変わらない腕だ。
血も……紅い。
楓は刀を鞘に納めた。
「うるせーよ。そのツラ二度と見せんな。気分悪りぃ。」
楓は三人から踵を返す。
「人間に憑いた所で、所詮はあやかし。増して貴女は……生粋の鬼だ。一緒にいられる訳がない。」
細目の男は身体を起こす。
顎を擦りながら。
「それよか………コッチなんじゃねぇの? アンタの居場所。」
ハスキー犬に似た顔をした獣人は、倒れたままだ。
右肩から腹までぱっくりと裂けている。血が溢れだしている。
息も荒く………それでも生きている。
(そんな事は………わかってんだよ)
楓はその場を立ち去った。
それを物陰に隠れて見ていたのは次郎吉だった。
✣
「お帰り」
ベランダからの帰宅を迎えたのは、葉霧であった。楓の部屋だ。
「え?? あ…………えっ!?」
二度見。三度見。
部屋の中で仁王立ち。
物凄く冷たい眼をしている葉霧がいた。
「手当てもさせないで何処に行ってたんだ?」
葉霧の眼は氷の様であった。
その声もとても冷たい。
低く響く。
「あ………ちょっと。」
楓がベッドに行こうとすると葉霧は腕を掴む。
「酒臭い。まさか飲んだのか? 未成年が。」
「オレはとっくに○百歳だよっ!!」
葉霧は溜息つく。
「同じだ。」
「は??」
楓は聞き返す。
「楓はあの桜にいたんだ。俺と同じ年月を生きてきた。だから同じだ。」
葉霧は楓の右腕を掴みそう言った。
その目はとても強い眼差しだ。
「な………なに言ってんだ。ビビったクセに!」
楓は顔を逸らす。
「それはビビるだろ! 当たり前だ。俺は普通の人間だったんだ。」
「……………。」
葉霧の怒鳴り声に楓が顔面蒼白だった。
驚くのを越えていた。
(…………キレた……………この人………)
楓は未だ。時が止まっていた。
「でも……楓に逢って、少しは慣れてきてるつもりだ。それでも戸惑う事は多い。正直。」
葉霧は楓の手を掴み握る。真摯な眼であった。楓はその手の温もりに尋常ではない程の鼓動を放っていた
己の心は。
(や………ヤバいんだって。だから………。その眼……)
心の中の鼓動の加速は音が葉霧にまで届きそうだった。
「楓……。全てを受け入れるのはお互いに時間が掛かる。当たり前だ。違う時を………違う環境を生きてきたんだ。それでも………俺は傍にいたいと思うよ。」
葉霧の何処か………熱の籠もる瞳に楓はその顔を真っ赤にしていた。強くて……優しいその眼差し。
この恥ずかしくて言えない様な事を平気で言ってしまうその葉霧に。
「葉霧…………。その………」
楓は葉霧の前で顔を俯かせた。
(これは……勘違いなんかじゃない。オレは……葉霧だってきっと………)
楓は顔をあげた。
真っ赤な顔を。
「葉霧。オレ………」
「楓。だからな。傷が治るのはわかるが……。手当てはさせてくれ。心配なんだ。」
葉霧は楓の手を握ったままそう言った。
とても真摯な眼差しで。
「え…………?」
「傷が治ってないのに、酒を呑むとかどうなんだ? それもやっぱり……鬼は平気なのか?」
「え………???」
葉霧の優しい眼差しに楓は頭を抑えた。
はじめて。
(コイツわ………ド天然でタラしか!? 魔性通り越して小悪魔かっ!? なんなんだよ~~~~~~っっっ!!!!)
楓の方が戸惑う。
とても。
告白しようとした楓と……
されようとしていた葉霧………。
まだまだ……肉食とThe小悪魔の戦いは続く。
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