第2章 妖〜あやかし〜

第11夜  葉霧の眼

 ーーその異変は……直ぐに起きた。


 妖狐と榊の一件から二日経った頃だった。


 葉霧は商店街にいた。


 夕飯の買い物を優梨に頼まれて学校の帰り道に立ち寄ったのだ。


 螢火商店街は今日も賑やかだった。

 八百屋の【八百政】を出た時だ。


 葉霧にはその姿が、はっきりと


「は??」


 立ち止まったのと声を出したのは同時だった。


 ランタンを手にした男だった。

 右手にランタン。

 左手には首。

 それも口から血を流した蒼白い顔をした首だ。



 ぼんやりとしたランタンのオレンジの光。

 切れた首元には蝶ネクタイ。

 タキシード姿の小太りの男性の姿だ。


 口髭生やした首の口が動く。

 ぱくぱくと。


「お主……のか?」


 白髪の男性の首はそう語りかけたのだ。


「視える……?」


 葉霧は目をばちばちと瞬きさせた。


 はっきりと見えた。



「ついて来なされ。」


 そう語ると踵を返した。

 革靴を履いたその首無しの男性は歩き出したのだ。


(やれやれ……)


 動じない。のは、家には鬼が棲んでいる。

 この前は、狐の化け物に遭遇した。


 少し前になるが数年前に、大きな達磨にも遭遇した。


 葉霧は奇っ怪な事に余り動じない。


 幼い頃から鎮音には退魔師の話を聞かされてきたからだ。

 実際にその様な事にはならなかったが……

 元々……【些細な事には動じない】性質の持ち主でもある。



 悪く言えば無関心。

 良く言えば適応力が高い。


 商店街から出て通り沿いを歩くタキシード姿の男性。

 歩道にはたくさんの人が歩いている。


(他の人には視えてないのか。俺もそこまで強く視える方ではなかったと思うんだが……)



 何度も言うが遭遇したのはほんの数回だ。


 男性は通行人とぶつかっても素通りだった。

 すり抜けてしまう。


(実体が無いのか?ん?幽霊か?)



 葉霧はその様子を見ながらも付いていく。


 たーん。


 楓である。


 電柱から電柱に飛びながら歩道の通行人を見下ろす。


(あ!なんであんなとこに!)


 葉霧の姿を見つけると直様。

 歩道に降りる。


 ぎょっ。としたのは周りの通行人だ。


 楓が現れた事に驚いた様な顔をしていた。


 だが、当の本人は素知らぬ顔で通行人の間を縫い葉霧めがけて駆け出していた。


「葉霧!」


 楓がそう呼ぶと葉霧は振り向いた。

 と、同時に少し前を歩くタキシードの男性も振り返った。


「んあ?なんだ?葉霧。知り合いか?」


 立ち止まった事で、男性も立ち止まったのだ。

 楓は男性をじっ。と、見据えていた。


「楓。どうしてここに?」


 葉霧は楓を見るとそう聴いた。


「優梨さんに頼まれたんだ。ハンバーグの挽き肉が足んねぇんだと。だから買って来い。って。ついでに、葉霧を迎えに行け。って。」

「忠犬か?」



 葉霧は呆れた様にそう言った。


 ホッホッホッ・・・


 男性は笑う。

 左手の首だ。正確には。


「アイツ。なんだ?あやかしか?」

「さぁ?他の人には視えてないみたいだが。」


 楓は男性を見据えていた。


「ああ。妖は人間に様にする事が出来る奴と出来ねぇ奴がいるんだ。

 逆に言えば神出鬼没で姿を出したり隠したりする事も出来るんだ。オレみたいに隠せねぇのもいるけどな。」

「そうなのか?」


 葉霧がキョトンとすると楓は少し目を丸くした。



「葉霧・・なんだ?。」

「え?」


 楓は葉霧の眼を見て驚いたのだ。


 葉霧の眼はに煌めいていた。

 まるで翡翠の宝玉の様に。


 がしっ。


 楓は葉霧の頭を掴むと自分の顔に近づけた。


「楓??」


 急に接近させられた事に葉霧は驚いた。


「オレの眼を見ろ。葉霧。」


 楓はそう言ったのだ。

 葉霧は楓の眼を見つめた。


 反射的に自分の眼も楓の眼に映り込む。


「碧・・・か?」


 葉霧には見えたのだ。


「ああ。葉霧の眼は今・・碧だ。」



 楓はいつもの葉霧の瞳が茶系なのを知っている。眼が碧色に煌めいているのだ。


 楓は葉霧から手を離すとキョロキョロと辺りを見回した。


 歩道の真ん中で立ち止まっている楓と葉霧を

 少し訝しげに見る通行人はいる。


 避けて通る為に二人を見る通行人も。


(この碧の眼は他の人間には視えねぇのか。

 特殊なモンなのか?)


 忙しなく歩く人達は二人の周りを通り過ぎてゆく。


「どうかしたのか?楓。」


 葉霧は辺りを見回す楓に怪訝そうな顔をした。



「いや。それよりアイツだな。」



 タキシードの男性はずっとこちらを見ている。それもまるで待っているかの様に。


「楓。どうでもいいが……手ぶらで来たのか?」


 葉霧は楓がロングパーカーとデニム。

 それに黒のシャツにスニーカー。

 頭には、しっかりとフード被っている。


 その姿を見てそう言ったのだ。


 楓はロングパーカーの脇をちらっと捲る。

 葉霧は腰元に見える刀の柄を見ると


「背中に背負ってるのか。」


 そう言った。


「うん。見せるな。ってばーさんが。」


 鎮音から刀の携帯は許されたが見せるな。との命令が

 下ったのだ。


❨この前の妖狐の件で葉霧に危害が及ぶかもしれない。と鎮音は渋々と・・承諾したのだ。❩


「なるほど。」


 強く頷く葉霧。


 男性は歩き出した。

 通行人をすり抜けながら。


 楓と葉霧はついて行く。


(あやかしにしては変だ。気配が。)


 楓は男性を見据えた。


 暫く通りを歩くと男性が曲がった。


 裏通りに入ったのだ。

 路地裏の狭い通りに雑居ビルが建ち並ぶ。


 飲食店から立ち込める香りが漂う。



 怪しげなライトが照らす店の看板が並んでいた。

 ピンク系色や黄色、紫などのダークな雰囲気が漂う。


 まだ陽は落ちてないがライトは点灯していた。


 タキシードの男性はまるで風の様に歩いていた。

 路地裏の怪しい雰囲気にすら溶け込んでいる。


 雑居ビルの中に男性は入っていく。


 吸い込まれる様に。


 楓と葉霧はそのビルの前で立ち止まる。


 ビルの中から男性はこちらを見ている。

 少し先で待っていた。


(道案内か?それとも・・)


 楓は先にビルの中に入った。


(薄気味悪い所だな。湿気が凄い・・)


 葉霧はビルの中に入ると辺りを見回した。

 じめっとした空気が襲う。


 男性は通路を曲がりエレベーターの前を通ると階段。

 地下へ続く階段を降りていく。


 足音すら聞こえないが段差を降りていくその素振りだけはしっかりと見えた。


 楓は横目で葉霧を見ると


「気をつけろよ。暗いから。」


 そう言った。


 階段は照明はあるが薄暗い。

 足元が少し危うい。


「ご心配なく」


 葉霧は八百屋で買ったビニール袋と鞄を引っ提げてている

 さっきからかざかさとビニール袋が擦れて音をたてる。



(卵を買わなくて正解だった)


 八百政で一パック100円の安売りをしていた。

 それを買うか買わないかを迷ったのだ。


 男性が連れて来たのは地下のその扉だった。


 木製の扉だ。


 樽に似たその造り。

 引き戸なのか男性は扉を開けた。


(すり抜けないのか?謎だ・・)


 葉霧は目を丸くしていた。


 ピチョン・・・


 どこならともなく水滴の滴る音。


「うっ・・・」


 葉霧は腕で鼻と口を塞いだ。


(酷い・・臭いだ・・)


 楓は顔を顰めた。


「血と死肉の臭いだ・・」


 そう言ったのは床に散らばる骨と頭。

 それに血の痕だ。

 薄暗いその部屋の床に拡がるのはその光景だ。


「人骨か?」


 葉霧にもそれは見える。

 辺りにはまるで食い散らかした様に骨と人の頭がゴロゴロと、転がっていたのだ。


 骸骨になった頭蓋骨まである。

 血の拡がるどす黒い床の上にその光景はあった。


 グルルル・・


 不気味なその唸り声が聞こえた。

 響き渡る様なその唸り声。


 ドス・・ドス・・


 暗闇から足音がする。


(さっきの奴は・・?)


 楓は目を凝らしながら背中から刀を取る。

 紐を腰に巻きそこに鞘を突っ込み背負って来たのだ。


 鞘ごと引き抜いた。


 ランタンの灯りが目の前で揺れた。

 タキシード姿の男性がそこには立っていたのだ。


 その隣には鉄の首輪をつけた猛獣。

 大きな身体に大きな頭。

 天井にまで届きそうな体長だ。


 獅子に似た頭は片眼が傷つき開いていない。


「狐の次は獅子か?」


 葉霧である。


「まさかあの化け狐と鴉のペットじゃねぇよな?」


 楓は鞘を抜くと地面に投げ捨てた。

 刀を握り構えた。


(何で背中から鞘も拔いたんだ?)


 葉霧の視線は投げ捨てられた鞘に行く。


 カツン・・


 コンクリートの地面に音をたてて転がったのだ。


「メリィちゃんです」


 白髪の首はそう言った。


「メリィちゃんっ!?」

「メリィちゃん・・・??」



 素っ頓狂な声をあげたのは楓だ。

 葉霧はちょっと驚いた様に声をあげた。


「最近・・食欲が旺盛でね。ここらで・・有名な退魔師の肉でも与えたら少しは治まるんじゃないかと思いましてね。」


 男性の首は表情が変わらない。

 ずっと苦痛を噛み締めているかの様な表情だ。血を流す口だけが動く。


「そりゃこんだけデカけりゃメシも半端ねぇだろーな。」

(太りすぎじゃねーか?)


 楓は獅子のまん丸としたお腹を見つめた。

 コロコロと転がりそうなほど膨れている。



「人の事を言えるか?」

「え?しょーがねぇじゃんっ!オレは元々ヒト喰いなんだ!」



 楓の食欲は凄まじい。

 留まる所を知らない。

 間違いなく三人前は軽く平らげる。


 ホッホッホッ・・


「大食漢なペットを持つと些か苦労しますな。餌を探して与えるのも骨が折れます。

 わかりますでしょう?退魔師殿。」


 男性の高らかな笑い声が響く。


「わからないな。楓はペットじゃないんで。」

(こんなペット居たらストレス死する)



 葉霧は男性を睨みつけていた。


(ペットじゃねぇのか。そりゃ良かった)


 ホッと息を吐く楓。


 グルルル・・・


 獅子の唸り声が響いた。


「おやおや。お腹が空いてる様です。

 少し・・お話がすぎましたな。」


 男性が獅子から離れると頭を低くして長い爪のある

 前足を引く。


「葉霧。離れてろよ。」


 楓はそう言うと刀を握り一気に踏み込んだ。


 獅子は大口開けると楓の身体めがけ向かってくる。

 まるでかぶりつくかの様に。


 楓はその口に刀の刃を突き刺し踏みつけると

 飛び上がった。


 刀を抜き払おうとする前足に楓の身体は直撃。吹っ飛ばされた。


 ガンッ!


 音をたてて壁に激突する楓。


「楓!」


 葉霧は前足で壁ごと楓を踏みつけようとする獅子にそう声をあげた。


 楓は咄嗟に壁から離れた。


 獅子の前足は壁に直撃した。


 めり込む程のパンチだ。


 一瞬。建物自体が揺れる。

 天井からコンクリートの破片が落ちてくるほどだ。


「少し加減なさい。壊れてしまう。」


 男性は笑いながらそう言った。


「!」


 キラッ・・


(なんだ?化け物の腹が光ってる・・)


 葉霧には横腹が光ってる様に見えた。


 チカチカと光り点滅する蒼い光。

 結晶の様に煌めいていた。


 楓と獅子はお互いに攻防を繰り広げていた。


 楓が足を斬りつければ、獅子が反対の足で払いのける


 踏み潰そうとしてくるのを楓は避け刀を握り獅子の足を斬りつける。


(くそ!肉厚過ぎて奥まで入らねぇ!足一本でも切り裂けちまえば何とかなんのに!)


 後ろ足で蹴りつけられたのはそんな時だ。


「!」


 楓は葉霧の所までフッとばされた。


 口から血が垂れる。


「楓!」


 葉霧は心配そうに楓を支え起こした。


 起き上がった獅子が楓を前足で踏み潰そうと

 足を振り上げる。


「楓!横腹だ!そこがだ。」

「急所?」


 葉霧の声に楓は刀を握り踏み込んだ。


 前足を振り下ろすのと楓が刀を握り獅子の横腹を突き刺すのは、紙一重であった。


 楓の突きが一歩。速かった。


 ドスッ!!


 獅子の横腹に刀は突き刺さった。

 葉霧には楓の刀の刃先が光を突き刺した様に見えた。



 葉霧に見えたあの結晶の光だ。



 それが砕け散った時、獅子の身体はまるで体内から爆発でもしたかの様に木っ端微塵に吹き飛んだのだ。


「な・・・何と言う事・・!!」


 爆風に煽られいつの間にか男性の身体も煤の様になっていた。


 爆風と爆発の光が消えた頃には辺りは静けさに包まれていた。


「な・・なんだったんだ?今の・・」


 部屋の中にあるのは転がった人骨や頭蓋骨。

 それに人間の頭だ。


 それらはまるでオブジェの様に様変わりする事も無くその場に佇む。


 楓は刀を握ったまま呆然としていた。


 葉霧もまた今の光景に目を丸くするばかりだ。


(あの化け物が死んだ・・のはわかるが・・。何の痕跡も無い。)



「消滅・・したのか?」

「わかんねぇ。こんなのはじめてだ。」


 葉霧と楓は顔を見合わせていた。



           


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