第10夜 闇に浮かぶ
ーー【今夜……十二の刻、この商店街にお出で下さい、お迎えにあがります。】
楓はベッドの上に寝っ転がり漆黒の羽根を手にしていた。指で掴み眺める。
榊の声を思い出していた。
黒のスウェット姿だ。
(……十二時……)
ベッド脇のサイドボード。
そこに時計が置いてある。
商店街で葉霧が買って渡したものだ。
クマのキャラクターが針を指し、時刻を教えてくれる何とも可愛らしい時計である。
「……十一時……」
クマの顔と手は十一時を指していた。
コンコン……
ノックの音が響く。
「楓」
葉霧の声だった。
「ん? なに~?」
楓はベッドの上で起き上がりながらそう聴いた。
ドアが開くと、グレーのスウェット姿をした葉霧が入ってきた。
「明日から俺は、帰って来るのも遅い、わかってるとは思うけど、勝手な事はするな。」
葉霧はベッドに近寄りながらそう言った。楓は身体をきちんと起こし、ベッドの上で胡座かく。
セミダブルベッドは、羽毛布団と枕。色もピンク系で揃えてある。枕カバーは赤いハートを散りばめた柄だ。ドット柄のハートバージョン。
本日……揃えられたものだ。葉霧によって。
この部屋は至ってシンプルだ。本棚やクローゼット。セミダブルベッド。楓はそんなに使用しないが、デスクもある。ソファーセットまである。
そのクッションまでも、ピンクのハート型。
二つ並ぶ。
ベランダのある窓には、ピンクの遮光カーテン。柄は勿論。赤いハートのドット柄。今夜は、開けて纏めてある。レースのカーテンだけ閉めてある。
「わかってるよ、テキトーにやってます、テキトーに。」
「本当にわかってるか? 勝手に彷徨いて迷惑を掛けるな、特に……優梨さんに。」
葉霧は楓を見下ろしたが、ふと手に持っている漆黒の羽根に視線を向けた。
「どうしたんだ? その羽根。」
楓は羽根を持つ手をあげると
「ああ、拾った。」
と、揺らした。
葉霧は楓の手から羽根を取り上げると眺める。
「鴉の羽根か? 何でこんなものを……」
「なんとなく。」
葉霧はきょとん。としていたが楓に羽根を渡す。
「変な収集癖とか無いよな?」
「は?? なにそれ?」
楓は羽根を持ちながらきょとん。とした。
「早く寝ろ。」
葉霧はそう言うと部屋を出て行った。
(何しに来たんだ?)
楓は首を傾げた。
✣
電気の消えた室内。カーテンの開放された窓から射し込む月の灯り。
満ちた月……では無いが、神々しさは美しく光を放つ。月の灯りの中で。
満月に近い。
シュル……
楓は腰に蒼い布帯を巻く。
きゅっ。と、結ぶと刀を腰元にさげた。
黒い装束は昼間のうちに優梨が洗濯してくれた。
くんくん。
袖を嗅ぐ。
(いい匂いだ)
洗いたての柔軟剤の香りが仄かに漂う。
カラ……
ベランダの戸を開けた。
隣では葉霧がベッドに寝転び頭の上にライトを点け、本を読んでいた。
(ん? 今の音は……)
葉霧はベッドから起き上がるとベランダの窓に向かう。
ライトブルーの遮光カーテンを開けて外を眺めた。
ちょうど……ベランダの手摺りから楓が飛び降りた瞬間に出会した。
「楓?」
葉霧はベランダの窓を開けるとサンダルに足を通す。手摺りに身を乗り出し、見下ろした。
黒い装束姿の楓が、門に向かい駆けてゆくのが見えた。
(何なんだ、アイツは!)
苛立ちだった。
葉霧は、ベランダから部屋に入ると直ぐにハンガーに掛けてあるライトダウンジャケットを掴む。
それを羽織りながら部屋を出る。
ドアを開けるとそこには鎮音がいた。
しっかりと着物を着た鎮音が立っていたのだ。
「何処へ行く?」
腕組みしながら鎮音はそう聴いた。
「鎮音さん……」
葉霧はドアノブから手を離す。
鎮音の眼光は鋭く、葉霧を制止するかの様な威圧がある。
「放っておけ。」
「え?」
次の言葉に、葉霧は聞き返した。
鎮音は重そうに口を開く。
「洗礼だ、放っておけ。」
葉霧はそれを聞くと廊下に踏み出た。
ドアを閉める。
「葉霧! わかっておるとは思うが……あやかしにも妖なりの縄張りがある。」
鎮音の言葉を聞こうともせず葉霧は階段に向かっていた。
「新参者は、土地の風習に習わなければならない、人間の世界と同じだ。」
葉霧は階段の手前で振り返る。
鎮音を強く見据えた。
「俺は決めたんだ、楓をここに住ませるってこれは俺の義務だ。」
葉霧はそれだけ言うと階段を駆け下りた。
鎮音は溜息つく。
(言葉は飼い主の様だが、あの眼は……一変の曇りも無い強い眼、意志は堅いか。)
深夜の階段駆け下りはとても響く。
家中にその音は響いた。
葉霧が玄関でスニーカーを履いていると
どたどた。と、廊下を駆けてくる足音二つ。
鎮音は階段を降りていた。
「葉霧くん!? どうしたの?」
「何かあったのか?」
優梨と夏芽だ。玄関先にパジャマと寝間着姿で出てきたのだ。夏芽は余程慌てていたのか眼鏡を掛けた。
隣の優梨は、ピンクのパジャマに白いカーディガンを、肩から掛けていた。
慌てて出てきたのか、長いブラウンの髪は纏まっていない。
「騒がせてすまない。」
葉霧はそれだけ言うと玄関の戸の鍵を開けた。
「葉霧くん?」
優梨がそう言った時には葉霧は戸を開けて外に飛び出した。
「鎮音さん……。」
夏芽は階段を降りてきた鎮音に視線を向けた。
「仕方あるまい、本人の意志だ。」
夏芽と優梨は鎮音の強い眼差しに顔を見合わせていた。
(一体何処へ……)
葉霧は、門を潜り通りに出ていた。
辺りはひっそりと静まり返っている。
住宅地は、所々で電気の点いた家屋も並ぶ。そこに混じりライトアップされたマンションやアパート。
通りは然程、暗くはない。
街灯もきちんと点いている。
葉霧は足を止めた。
街灯の下に浮かび上がるその人影に。
「誰だ?」
目の前にゆらっと浮かび上がるのは黒い人影だった。
カツ……カツ……
革靴の渇いた足音が暗がりに響く。コンクリートの地面を歩いて近寄ってくる気配。
月明かりに浮かぶのは、黒いトレンチコートを着た男だった。
長身の細身の男。
白い手袋をつけた右手が胸元に掛かると深々と頭を下げたのだ。
「お初にお目に掛かります、私……
丁寧な口調。
低めのトーンが、物腰柔らかく響く。
頭を上げた男……榊は、葉霧の前に立つと口元を緩めたゆっくりと。
細目で何処か狡猾そうな眼をしている。
細面のその顔が、にたぁと口元をあげた。
(気味が悪いな)
葉霧は榊を見据えていた。
髪型もオールバックで、眉毛まで細い。全体的に、細い。更に、細い眼が紫色に煌めく。
「玖硫一族の末裔玖硫葉霧様と、お見受けします。」
目元は不気味に見えるが、その丁寧口調は変わらない。葉霧と一定の距離を取り佇むその姿勢もびしっとしていて気品すら漂わせる。
トレンチコートはしっかりと腰元でベルトを結び開けさせてもいない。
くるっ。と、右手を返すとハットが乗った。掌に。黒いハットだ。
(何処から出したんだ?)
葉霧が突っ込みたくなるのもわかる。
彼は持っていなかった。
白い手袋の右手に、何も。
ハットを頭の上に乗せて被ると榊は笑う。
「行きましょうか?お連れ様もお待ちですよ。」
葉霧は榊の言葉に頷いた。
(連れ……この場合、楓の事だと考えるべきだな。)
徒歩……。
榊が先導し、葉霧が後ろを歩く。
徒歩での移動であった。足早で、リーチの長い榊に葉霧は後ろから着いていく。
カツカツ……
警戒な革靴の足音をたててはいるが、風の様に歩く。姿勢も崩さない。
それは下り坂になっても、変わらなかった。
(こんなに静かだったか?)
降りてきた街は、ひっそりとしていた。
大通りを走る車すら一台も見掛けない。
当然、街を歩く人すらいない。
(おかしい……コンビニの電気が点いていない。)
24時間営業である。そのコンビニは。
真っ暗だったのだ。店内も店外の看板すらも。
コンビニだけでは無かった。
深夜遅くまで営業している飲食店。
24時間営業の薬局や店。
セルフのガソリンスタンドまでも真っ暗であった。
街灯すら点いてはいない。
(月の灯りだけが頼りか……。)
雲ひとつ無い夜空に月が浮かぶ。
月明かりが足元を照らす。
風景は同じだ。
いつも通る街中の景色だ。
雑居ビルに大手デパート。テナントビル。
そして高層ビル群。
駅前のシンボルである時計塔。
何もかもがいつも見慣れた風景だ。
ただ……暗い。どんよりとした暗さであり……不気味であった。
「!」
(霧? いや……靄か?)
榊が曲がったのは螢火商店街への入口であった。
商店街が霞がかっている。
通り全体を白く靄が掛かりぼやけていた。
街の大通りと同様。真っ暗であった。外灯には電気がついていない。
榊の後ろを歩きながら葉霧は辺りを見回した。
(視界は良くは無いが……歩き難い程ではない、演出か?)
不思議な事に、気にはならないぼやけであった。前が見えない程では無い。先を歩く榊の後ろ姿ですら、はっきりと見える。
通りをひたすら真っ直ぐと歩いて来た時だ。
正面にぼやっと灯りが点々と見えてきた。
揺れる様なその灯火は列を作り並んで真っ直ぐと灯していた。
祭りなどで点けられる提灯の様に一列に。
通りの先まで照らしていたのだ。
「着きましたよ、葉霧様。」
葉霧がそれが松明の灯りであったと、気がついたのは霧が晴れた時だった。
榊の声で霧が晴れ目の前に神社の鳥居が浮かび上がったのだ。
灯火は、鳥居から神社の社まで続く石造りの通りを照らす道標であった。
「こんな所に神社?」
葉霧は振り返ったが真っ白だった。
背後はそれこそ何も見えない白い世界だ。
霧で真っ白に覆われていた。
(何だここは? それに……酷く寒い。)
冷気に包まれているかの様な寒い空気が葉霧を包む。極寒とまでは行かないが、真冬の様な気温の寒さだ。ダウンジャケットを着てはいるがこれは春仕様。
暖を取る為のものではない。
榊に導かれる様に鳥居を潜り社に向かう。
目に入ってきたのは解放された社の扉。
そしてそこに松明を持った巫女が二人。
神に使える巫女が佇んでいた。
白い着物に紅い袴。黒髪を結った女性。二人とも同じ顔をしている。
年代で言うと……二十代ぐらいだろうか。綺麗な巫女なのだが、青白い顔をしていて覇気が感じられない。存在感なく社の入口脇に、門番の様に立っていたのだ。
(寒いな……。)
葉霧はジャケットのチャックを閉めた。
吐く息が仄かに白い。
「大丈夫です、最初だけですから」
榊はにんまりと笑う。
社には、木製の階段がある。巫女はその上で立っているのだが、榊は、その下にいる。
社をぐるっと囲む木製の柱のついた囲い。
榊の隣には石籠が立っていた。
ただ……灯火はない。
(楓はどこだ……。)
社の前には人の気配はない。
今、居るのは葉霧と榊。そして巫女二人だ。
開かれた社の中からぼんやりと蒼白い光が見える。
社の中は真っ暗だ。
その中に浮かびあがる蒼白い光。
炎の様にも見えた。揺らぎながらやがて社の戸程、大きくなる。
(……近付いてきてるのか?)
音は全く聞こえなかった。
ただ、解放された戸の向こうから大きくなって来るのは影でわかる。青白い光が戸に、近づきながら大きくなってゆくのだ。
やがてそれは姿を現した。
社の戸から顔だけを出す大きな狐に似た獣であった。胴体は見えないが頭だけを戸から出して葉霧を見据えた。
獰猛そうなその顔は、眉間にシワを寄せている。髭の無い、白い頭だけの狐。
ただ、閉じた口から牙が覗く。鋭い牙だ。
社の入口に、やっと納まっている様な頭を覗かせ、両耳をピンッと立ててそこにいた。
(デカいな。)
見た目印象がそれであった。
紅い獣の右眼の周りには、何やら呪の様な印ぎ描いてあった。黒い呪印だ。
紅く光る眼が葉霧に向けられている。
「稲荷大明神は、ご存知ですか?」
榊は葉霧に向かってそう言ったのだ。
「聴いた事はあるが、この街に稲荷大明神があるのは、聴いた事は無い。」
葉霧がそう言った時だ。
「ソイツは神なんかじゃねぇ!」
すたっ……。と、飛び降りたのは楓であった。葉霧の前に立つ。
榊と葉霧の間に、楓が立ちはだかったのだ。突然、現れたのだ。上から。
きらりと光る胸元の蒼い勾玉。
「あ! 楓! 何処にいたんだ?」
葉霧がそう言うと楓は、腰元から刀を抜いた。今夜は、黒い装束だ。腰元の蒼い帯には堂々と、夜叉丸が挿し込んである。
黒い細身の袴は、足首できゅっと結んであるので、少しだぼっとして見える。それでも俗に言われる狩衣よりは、全体的にスッキリとしたデザインになっている。
動きやすそうな軽装だ。
裾から覗くのは素足。
「この寒さは人間にはキツいみてぇだな。」
そう言ったのだ。
「質問してるんだが?」
そうは言う葉霧であったが、その身体は震えていた。自然と腕を組み吐く息も白い。
顔色も悪くなってきていた。
「その刀を向けているのが誰かわかってるのか? 小娘。」
地鳴りの様な声であった。
大きな狐の頭がそう語ったのだ。
喋ると大きな牙が見え隠れする。
楓は刀の刃を狐に向けていた。
「九尾の狐だったか? 妖狐とも言うよな? 何が稲荷大明神だ、ただのあやかしだ! お前は!」
楓は刀を向けながらそう言った。
(あ……爪が戻ってる。)
葉霧は何気なく楓の足元を見た。
裸足の楓の足は爪がきちんと伸びていた。
「なるほど、知っておるなら話は早い、その人間を寄越せ。」
妖狐は大口を開く。
紅く光る眼は葉霧を睨んでいた。
「寄越せ? 喰おうと思うならさっさと喰えば良かったじゃねぇか、コイツはずっとこの街にいたんだ。」
楓は妖狐を見据えながらそう言った。
妖狐の紅い眼と、楓の蒼い眼がぶつかる。
鋭さが交える。
(確かに。)
葉霧は頷く。
「わかってませんね、玖硫一族を喰らうと言うのはそれこそ大罪なんですよ、我らあやかしにしてみれば。」
答えたのは榊であった。低めの声ではあるが、丁寧な柔らかな口調なので、緊迫感が消える。
「はぁ?? 意味がわかんねぇな。」
楓は怪訝そうな顔をした。
すると、がたがたと震えながらも葉霧が口を開く。腕を擦る。
「大義名分が欲しい。」
そう言った。その口からは、白い息が強く吐かれていた。寒さは、増していたのだ。
だが、その明るめの茶の瞳は負けてない。
妖狐を強く見据えている。
カッカッカッ!
大口開けて笑ったのは妖狐だ。
首を上げて笑う。高らかに。
「鋭いな、そうだ我らに歯向かえば、堂々とその身体を喰らう事が出来る、お前も鎮音も黙り決め込んで手も出しては来なかった。」
妖狐は葉霧と楓を見据える。
「だがどうだ? 鬼娘を手下にこの地を占める我らに歯向かうとなれば……話は違う、大義は立つ。」
葉霧は妖狐を見据え口を開く。
「統括してるのか? お前がこの街を。」
「如何にも、土地には統べる者がいる、私はこの街の統治者だ。」
妖狐はにやっと笑った。
(なるほど、これが洗礼か、新参者の楓が何方に着くかを見極める為の……)
葉霧は目の前にいる楓を見つめる。
だが、その目も少し霞んできていた。
(マズいな、さっきよりも寒くなってきている……。)
葉霧がそう感じたのは手と足の感覚が無くなってきていたからだ。風は然程、吹いてはいないがこの空気自体が寒い。
ずっと冷凍庫の冷気に当たっているかの様なのだ。
「さ、楓さん、その者を手渡し、ここは我らと共に仲良く共存しましょう、この世は助け合い精神で成り立ってます、ギブ&テイクですよ。」
榊はくすくすと笑いながらそう言った。
楓は刀を握り
「嫌だと、言ったら?」
そう聴いた。
「我等に歯向かうと言うのか!? あやかしが!」
妖狐の声は更に大きく響く。
堂間音の様であった。
楓は刀を鞘に納めた。
榊と妖狐はその様子に訝しげな眼を向けた。
「共存はアリだな、だが仲間になるつもりはねぇし、葉霧を渡すつもりも無い、さっさとここから出せ。」
楓は妖狐を睨むとそう言った。
がくっ……
楓は自分の肩に突然の重みを感じた。
「は……葉霧っ!!」
振り返れば、葉霧が右肩に倒れ掛かってきていた。その身体は異様に冷たい。
葉霧は顔も唇も真っ青だ。目も虚ろ。
息も上がり白く零す。
「楓……俺のことは……」
葉霧は楓に抱えられながらそう言った。
言いかけて、その目を閉じてしまった。
楓は葉霧の身体を支えながら地面にしゃがむ。そのまま地面に葉霧を寝かせた。
妖狐と榊を見据える。
鋭い眼差しであった。その表情も険しさが滲む。オチャラケて、ド天然娘の要素はゼロだ。
「このままここで葉霧が死んだら、オレは許さねぇぞ、コイツは変な人間だが、優しいヤツだ! オレを受け入れてくれた。」
そう言うとゆらっと立ち上がる。
楓の眼は蒼く煌めく。
「お前らと争うつもりもねぇが、仲良くするつもりもねぇ!」
楓の言葉に妖狐の眼はギロっと光る。
鋭さを増した。
「そんな話が通用すると思うか?」
「ああ、オレはあやかしとはつるまねぇ、人間とつるむつもりもねぇ、オレはオレだ。」
妖狐は楓を睨みつける。
榊はハットを抑えた。
(仕方ありませんね……。)
両者の緊迫した空気が漂う。
楓は腰元の刀を左手で掴むと鍔をあげた。
親指で。
そのまま右手で柄を掴み榊の方に踏み込んで飛び出した。
抜刀。
榊を楓は斬りつけたのだ。
その顔を。
「何故……わかったのです?」
榊の顔が切り離される。
上下に真っ二つ。鼻元から上が空に舞う。
ビシィッ……
その瞬間だった。
空間に亀裂が走ったのだ。
まるでこの風景が鏡の様に斜めに亀裂が入る。
「お前しかいねぇ、ここを創りあげるのは。」
楓は刀を納めると葉霧の元に飛んで戻る。
粉々に砕け散るこの風景。
亀裂の入った空間は崩壊していく。
「忘れるな、お前の事は見ておるぞ。」
妖狐は崩れおちてゆく社の中でそう言った。屋根が、壁が崩壊していくのに妖狐は、見動き一つしなかった。
楓は葉霧を肩に担ぐと崩れてゆくその場から飛び立った。
商店街の入口だった。
楓が飛び降りたのは。
(あれは結界だ、榊は、結界の中にオレと葉霧を連れ込んだんだ。)
商店街は街灯に照らされていた。
店は殆ど閉まっている。
23時でこの商店街は閉店だ。
シャッターの閉まった店が並ぶ。
大通りはテールランプが流れ車が行き交う。深夜の時間帯だが、タクシーやトラック。それに乗用車も台数多く走っている。
歩道にも人がちらほらと歩いていた。
外灯も点いていて、お店からも明るい蛍光色の照明が、外に漏れていた。
楓はその様子を眺めると、身長185センチ越えの、葉霧の身体を肩に担いだままそこから飛び立った。
ぴょんぴょん。と、テナントビルの屋上を跳ねながら渡りネオンの灯る繁華街を後にした。
これが妖狐と鴉の榊との出遭いであった。
バサッ……バサッ……
一羽の鴉が電線に止まる。
その体は、普通の鴉よりも一回り大きい。
クチバシも鋭い。
紫色の眼が、軽やかに跳ね跳びながらビルからビルへと移動する楓を、見ていた。
(鬼の娘楓……玖硫葉霧……)
鴉は飛び立った。
大きな羽をばたつかせながら。
月夜の空に向かって。
楓は葉霧を担いで住宅地の道路に飛び降りた。
ひっそりとしている。
静かな通りを歩く。
「ん……」
肩に担いだ葉霧の声が聞こえた。
「葉霧、大丈夫か?」
楓は声を掛ける。
「寒い。」
目は開けてないがその声ははっきりと聞こえた。楓はそれを聞くと
「ああわかってるよ、もうスグ着く。」
そう答えながらよいしょっと、肩から落とさない様に担ぎ直す。
片腕で葉霧を抱え、なんて事無く歩く楓。
蒼月寺に着くと玄関先には鎮音と優梨と夏芽がいた。
「どうしたんだ? 葉霧は。」
楓は葉霧を玄関に降ろした。
鎮音が驚いてしゃがみ込むと葉霧の頬を触れる。
「冷たいな……。」
「瘴気にやられたんだ、温めてやんねぇと。」
楓はそう言った。
「直ぐにお風呂を沸かすわ。」
優梨はそう言うと奥に向かって駆け出した。
深夜の帰宅を、皆。
寝ずに待っていたのだ。
「瘴気?」
鎮音は楓を見上げた。
「とにかくココじゃ冷える、布団に入れてあげないと。」
夏芽がそう言うと葉霧の身体を抱き起こそうとした。だが、抱えたのはいいが持ち上がらない。
「オレが運ぶから。」
楓は足を拭くとそう言った。
「ああ……すまんね。」
(細いんだが重いんだな、葉霧くん。)
夏芽の想像以上の体重であったのだろう。
お風呂を沸かした優梨が和室に布団を敷いた。
楓が、葉霧を運び布団に寝かせると夏芽は足元に電気行火を入れた。
「少しはマシだろう。」
夏芽はスイッチを入れる。
葉霧の足の裏にくっつけて置いた。
だが優梨が声をあげた。
「ちょ……楓ちゃん? 何をしてるの?」
楓は葉霧の隣に当然の様に寝っ転がったのだ。つまり、布団に一緒に入ったのだ。
「人肌で温めんのが一番いいんだ、ホントは裸がいいんだけどさ。」
楓は葉霧にぴたっとくっつき腕や肩を擦っている。布団の中で。
「それはわかるんだけど…………。」
(躊躇しないとこがスゴいわね、葉霧くんが起きてたらキレそうなんだけど………。)
優梨は半ば呆れていた。
鎮音はふぅ。と、息を吐くと
「そのままでいい、何があったか話してくれんか?」
と、布団の中にいる楓を見下ろした。
もぞもぞと動く掛け布団。
中では楓が葉霧の太腿を擦っている。
抱きつきながら。
(どうにも緊張感に欠けるな………。)
夏芽も苦笑いだった。
「最初に呼び出されたのはオレだ、十二時に螢火商店街に来る様に言われた。」
楓はそう話始めた。
「誰に?」
「鴉だ、榊って名のあやかしだ。」
鎮音は布団の側にしゃがむ。
座った。
「商店街に入ると直ぐに榊が待ってたんだ、オレはソイツに連れられて、白い霧の中に入り込んだ。」
楓の話に誰もが耳を傾ける。
疑う様な目を向ける者もいない。
「何も見えねぇ霧の中でとにかく歩いた、榊もいつの間にかいなくなってたし………気がついたら葉霧が見えた、しかも………【化け狐】も。」
楓は未だ……目を覚まさない葉霧の横顔を見つめていた。
「まさか葉霧が来るとは思ってなかった、巻き込んだのはオレのせいだ。」
優梨は楓の少し哀しそうな眼で葉霧を見つめるその様子を見つめていた。
「その化け狐は………?」
「妖狐だ、ソイツはこの街を支配してるらしいな、ここら辺のあやかしは、アイツの手下なんだろたぶん。」
鎮音の声に楓はそう答える。
夏芽は楓に視線を向けた。
「妖の世界にもそんな関係が成立するのか? まるで………薬剤の世界だな。」
「長い事………人間と共存してきた事で、そうゆう輩が出てきてもおかしくはない、だから新参者の楓が、縄張り争いに来たのか……人間に着く裏切り者なのかを、見極めたかった、その為に………呼び出したのだろうな。」
鎮音は険しい表情をしていた。
(新参者に単なる洗礼を与えるだけなら………葉霧が巻き込まれる事は無い筈だが………。)
「仲間にしたいって感じじゃねぇんだよな、良くわかんねぇけど、でもま。」
楓は葉霧のダウンジャケットのチャックを下ろす。布団の中で開けさせると胸元をスウェットの上から擦った。
「手は出してねぇから問題はねぇよ、アレで妖狐に手を出してたら、ちょっと面倒だったかもしんねぇな。」
楓はそう言った。
「え? 無事に帰してくれたの?」
優梨は怪訝そうな表情をしていた。
「ああ、榊の結界を壊したからな。」
楓がそう言いながら葉霧の胸元を擦りつけていると
「何をしてるんだ?」
そう低い声が聞こえた。
「あ、気がついた?」
葉霧の鋭い眼が楓を睨みつけていた。
心做しかその体は震えていた。
「まだ寒いのか? 脱ぐ? 直に温めてやろうか?」
楓はスウェットの裾を掴むと捲くろうとした。葉霧は起き上がる。
むくっ。
と。
「やめろ!」
楓の頭を布団の中にめり込ませた。
「起きたか。」
鎮音は呆れながらもそう言った。
「鎮音さん………。」
葉霧は楓の頭から手を離した。
楓は顔をあげた。
(乱暴だな、それにそんな恥ずかしがんなくても………葉霧って
楓は頭を擦る。
(この公開処刑の様な気持ちは何だ?)
葉霧は布団に入っている自分達を見つめる大人達の様子に困惑していた。
「良かった葉霧くん、お風呂沸かしてるから、そろそろ沸くと思うけど。」
優梨は安堵の笑みを浮かべていた。
「あ! 一緒に入ってやろーか? 身体動かねぇだろ?」
「大きなお世話だ!」
葉霧は楓を布団から蹴飛ばした。
文字通り追い出された。
(やっぱり緊張感が無いな、この二人……。)
夏芽は大きな溜息をついたのだ。
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