漂う闇【ジャンル・ホラーっぽい何か。怖くない】

 ん、隣?

 いいよ。座んなよ。


 全く嫌な世の中になったもんだよなあ。酒を飲むのも衝立挟んでさ。

 街の風景もすっかり変っちまって、何だか切ない時代だよ。


 ところで風景って言えばさ。

 あんた、自分の見ている景色が、他の人の見ている景色と違うかもしれないって思ったこと、ある?

 もちろん俺も子供の頃は全然疑ったことなんかなかったよ。


 でもある時、分かったんだ。俺が見てる景色は、普通の人が見てる景色と違うんだって。

 どんなふうに?

 うーん。ひとことで話すのは難しいな。

 それにきっと信じてくれないだろ。


 聞きたい?

 じゃあ酒のつまみ代わりに話すか。

 ちょっと長くなるが、笑わないで最後まで聞いてくれよ。


 ◆◆◆


 今も覚えてるいちばん古い記憶は三歳の頃なんだが、その時はもう見えてた。

 何と言ったら分かりやすいか……。

 闇。

 黒いんじゃなくて昏い?

 もわもわっとした影みたいな闇が見えるんだよ。

 爪の先くらいの小さいのは、よく見たら本当にあっちこっちにある。大きいのはバスケットボールくらい。それは珍しいかな。でもわりとよく見るよ。


 触ろうと思っても触れないし、小さい頃は気にも留めなかったから知らなかったんだが、小学生の頃に親に言ったら、そんなもの見えないって。何もないって言われたんだよ。

 自分の見えてる世界が他人の見てる世界と違うんだって完全に理解したのは、それから何年も経ってからだった。

 そういうのって、なかなか認められないもんさ。

 小学生の頃なんか特に、他の奴と何でも一緒じゃなきゃ嫌だろ?


 中学生のとき、ちょっと面白い女子がいたんだ。

「うっ、ボクの左目に封じられた闇がうずく」

 とか言うもんだから、てっきり同じものが見える仲間がいたのかって思ったよ。

 かわいい子だったし。

 ああ。確かにそれが初恋かもな。

 もちろん彼女の言ってることは妄想で、俺の見てる景色とは全然違った。


 その闇の正体が分かったのもちょうどその頃のことだ。

 飼ってたウサギが急に死んでさ。そのウサギの死体からフワフワと、闇が浮かび上がってきたんだ。野球のボールくらいだったかな。

 あー、こんなふうに出来るんだなあって思ったよ。


 ウサギが死んだ後にできた闇はしばらくリビングの中で漂っていたけど、いつの間にか消えてた。

 数日……三日くらいはそこにあったと思う。

 え?

 ああ、怖くはない。

 だって生まれた頃からずっと見慣れてるんだぞ。そりゃあウサギが死んだのは悲しかったけど、それだけさ。


 ◆◆◆


 高校くらいになると、闇のことを人に話したりは全くしなくなった。

 それまでは時々、本当に仲のいいやつとかには話してみたんだけど、やっぱ信じてもらえないのな。

 その代わりよく観察するようにしたよ。

 観察対象に困ることはなくて、闇はその辺にいくらでも転がってた。大きさは死んだモノの身体の大きさに比例してる。虫とかは小さすぎて目に見えないくらいだった。ちょっと大きな鳥とかネズミとかだと爪の先くらい。

 人はバスケットボールサイズくらいのことが多い。

 人より大きなものはあまり見る機会がなかったけど、ゾウなんかはすごく大きいんじゃないかな。


 闇はたいてい死んだ場所に漂ってるけど、動けないって訳じゃない。大きな闇はゆっくり動いてることが多かった。多分住処に帰ってるんだと思う。

 落ち着ける場所ってえの?

 そこで何日かゆらゆらして、だんだん地面に近付いて、地球に染み込むように消えちまう。


 ん-。

 意志とかはそんなに無さそうに見えるなあ。

 家に帰るってのも俺の想像だけど、きっと生前の慣習みたいなもんじゃないかな。


 人に憑く悪霊?

 そういうのは俺は見たことないねえ。

 闇はただの闇だし、何の悪さもしないよ。


 でもさ、すごく焦ったことがあるんだ。

 大学生の頃、一人暮らししてたんだけどね。正月に実家に帰ったら母親の腹のあたりが薄ーい闇に覆われてたんだ。

 その時はもういろいろと分かってたから、大慌てで説得したよ。すぐ病院に行ってくれって。めんどくさがる母親を、恥ずかしながら泣いて説得したね。

 ああ。

 病気だった。放っとくとヤバかったって。

 病気の奴の特徴なんだよ。

 闇が死にそうな奴の体を離れる準備をしてんのかな?

 しらんけど。


 うんうん。母親は今も元気だよ。

 ありがとな。心配してくれて。


 え?

 医者になればよかったって?

 俺そんなに頭よくねえしなあ。

 それに病院って苦手なんだよ。薄暗くって。そこら中に闇が転がってるし、建物全体が霧のようにぼんやりと闇に覆われてる感じ?

 なんか歩く奴がみんな濃淡違うけど闇をまとってるしさあ。

 それに診察するの無理と思うよ。だって患部が闇に覆われてるから、きっと見えねえもん。

 ま、医学部に行くには点数も足りなかったっつうの。

 うん。普通のサラリーマンよ。

 闇の事?言わねえ、言わねえ。

 会社にバレてヤバいやつって思われたら嫌じゃん。


 危ないことはないのかって?

 あー。

 一回だけある。すげえ危なかったこと。

 俺、免許持ってんだ。免許取りたての時に親に借りた車を運転したことがあるんだけど。

 車に乗ってても闇がそこらへんに漂ってるのは見えるんだよ。でも闇って触れねえじゃん?

 うん。触れないのよ。

 だから全然気にせずに運転してたんだけど。

 闇で真っ暗になってる交差点があってさ。


 そうそう。

 あそこって事故多いだろ?

 ちょうどその時も大きな事故があった直後でな。あー、運転しにくいなあって思いながら走ってたら、居たんだよ。

 幽霊?

 ちゃうちゃう。

 交差点を覆ってる闇の中を、歩いてる生きてる奴がいたの!

 普通に横断歩道渡っててな。

 闇に隠れて全く見えてなかったんだ。ホント、危なかった。

 ギリギリでブレーキ踏んで、どうにか止まれたけど。

 ああ。それ以来車は運転してない。

 闇の濃い場所は時々あるからね。

 免許はまあ、高けえ身分証だな。三十万もかかったのに。


 ◆◆◆


 そう。これが俺の見てる景色なのよ。

 証明しろって言われても困るけどね。

 ま、誰に迷惑かけるわけでもないし。俺もそんなに困ってるわけじゃないからいいんだ。


 久しぶりに人に話したなあ。

 信じちゃくれないだろうけど……。

 え?

 信じる?


 あんた、いい人だな。

 話して良かったよ。

 じゃあさ、ついでにもう一個だけ。

 あのさ。


 あんた、明日病院行きなよ。


【了】

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