第17話

「服装で嫌われるのならばそのような格好をしなければいいだろう?」


「ストップ。確かに私は嫌われ者だと言いましたけど、別に嫌われるのが嫌だとは言っていませんわよ?」


グラスのワインを一気に飲み干して、更に語ります。


「私は人に嫌われるよりも、大好きなお洋服を着られなくなる方がずっと嫌なのです。私はね、初めてこのお洋服を見た時、私はこれを着る為に生まれたんだ!って思ったの。初めてこのお洋服に袖を通した時、まるで今までの人生の中でやっと本物の自分に出会えたような感激を覚えたわ。このお洋服は、私が私である事を証明してくれるような、そんな気がするのです。いくらこの格好を笑われようが他人に意地悪されようが、私にとっては大した障害じゃないの。好きな格好をしていられるなら、世界中の人間にそっぽ向かれたって構わないわ」


小夜子は真っ直ぐな瞳で話し続けました。とても力強く揺らぎのない瞳は、今までの飄々とした小夜子とは別人のようにも思えました。


「私って本当に嫌われ者なのよ。例えばね、大学の同級生は私のわざとらしいお嬢口調が鼻について気に入らないって言うの。むかつくんですって。それからこの黒髪も気に入らないみたい。今の日本人はね、全然似合わないくせに欧米人の真似をして頭髪を染色するのが流行りなのよ。おかしいでしょ?まるでお猿さんがかつらを被っているみたいに不格好なだけなのにね」


説明を聞いてかつらを被った猿を想像してしまった伯爵は、思わず吹き出してしまいました。


「ね、おかしいでしょ?だけどね、私の周りではみっともない言葉遣いをしてみっともない髪形や服装をした女の子の方が正しいと見なされているんです。だからそれに属さない私は異端者として嫌われているの。でもね、どんなに世間から嫌われようと、私は私の好きなものを信じていたい。例え皆が敬遠するものでも、私の心奥が、魂が好きだと感じたものは、正しいものであると信じていたいんです」


小夜子のお洋服論は随分と利己的なようですが、その中心には太く固い筋が通っているように感じられました。例え嫌われても自分の好きなものを信じたい。年若き少女にしては、筋の通った決意です。


決してぶれずに、誰にも媚びず、自分の有るが儘に生きているのです。彼女は伯爵の知る時代の女とは違いました。


伯爵がこれまでに見てきた女達は、皆時代に流され、俗世間に染まり、他者から与えられた価値観だけを信じてきた者達でした。

例え自己主張があったとしても、弱者である女が口答えをしたらそれだけで疎ましい存在と見做されるでしょう。


伯爵が知る女性像と言うものは、大人しく、常に世間から外れぬようひっそりと生きてきたものでした。

言ってしまえば男性に媚びを売り、俗世間から外れた個人の自己主張はしない生き物だと思っていたのです。


しかし小夜子は違います。

嫌われる事も世間からはみ出す事も恐れず、自分の信じる道だけを一人で突き進む、謂わばとても頑固な、それでいて果敢な精神の持ち主です。彼女は世間に合わせる道ではなく、自ら世間に属さない道を選んだのです。


「どうしたのです伯爵様?随分と真剣に考え込んでいるようですけど」


小夜子の思考に圧倒されていた伯爵は、思わず言葉を失ってしまいました。なんせ今ではすっかり絶滅危惧種である、従順で大人しいお淑やか女性像とはまるで違う価値観を持った少女が、目の前で自分の考えを主張しているのですもの。


軽くカルチャーショックを受けている伯爵ですが、小夜子の言葉は何か胸を打つものがあったようです。


「君は思った以上に強い女性のようだ」


「あらそう?」


「嫌われると判っていても自己を曲げぬ者はそうそう居ない。大抵の者は嫌われぬよう自己を偽り、媚を売って信頼を得るものだ。その方が余程生き易いからな」


「そうね。世間の型に嵌れば、それはとても生き易いものだわ。だけどそれって、生き易さと引き換えに凄くつまらない人生を約束するようなものなの」


小夜子の口元が悪戯っぽい少女のように緩みます。


「このお洋服――ゴシック&ロリータって言うのですけど。ロリータって言うのは永遠の少女性を表しているのよ。道徳に縛られない少女のような自由さ。それからゴシックって言うのは……。まあ幾つかの解釈があると思うけど、退廃的で病的で、生とは真逆に位置するものね。黒い服ってお葬式の時に着るでしょう?だからこの黒い、ゴスの要素の部分は、甘美なる死を表していると思うのです」


「甘美なる死?随分と情緒的な事を言うのだな。死とは絶望と破滅。人間が最も恐れる物の一つであろう?」


「死を恐れるのは弱い人間の証拠ですわ。死ぬというのはこの世のしがらみから全て解放される事なの。それって凄く素敵だと思いません?肉体から切り離された魂は、きっと初めて本当の自由を手に出来るんです」


小夜子はレースたっぷりの黒いスカートをひらひらとさせながら、その姿を果敢に見せ付けてきます。


「このお洋服を着ると、自分がとても自由な存在になれた気がするんです。永遠の少女性と死への誘惑。どちらも社会から切り離された自由の象徴だと思います。お洋服を着る事で、私は一時的にだけでも社会から飛びぬけた自由さを手にしたと思えるんです」


人間は不自由な生き物です。自分達で考え自分達で決めた秩序に縛られ、本能より先に理性を働かせ、自らに足枷を付け生きているように感じられます。

しかしその人間が実はこのように自由を求めているなんて、伯爵にとって少し意外でした。


人間とは違い本能の赴くままに生きる魔族である伯爵ですが、実は時折人間を羨む事がありました。


彼らは不自由な存在でありながら、この地球上に圧倒的な支配者として君臨しています。まるでこの世界の所有者のように、人間は身勝手に世の中に手を加えていきます。


自分達こそ牛や豚を殺し食らう癖に、それと同じように人間を殺し食らうバンパイアを、彼らは差別し、忌み嫌い、攻撃するのです。


そんな人間による勝手な判断により、伯爵の同胞は根こそぎ退治され、伯爵自身も恐ろしい年月の封印を余儀なくされたのです。

人間がどれ程偉いんだちきしょーめ!伯爵を始め、多くのバンパイアが、魔族達がそう思った事でしょう。


それでも圧倒的個体数やその知能により地球の支配者となった人間達には、いくら魔力を持つバンパイアと言えと流石に太刀打ちできません。


伯爵は憎い存在でありながらも、人間に生まれたと言うだけで数ある生命体のヒエラルキーの頂点に位置する彼らを、どこか羨む存在として見ていたのです。


それだけ傲慢にこの世を支配する人間ですら、自由と言う形無きものは易々と手に入れられないのですから、不思議です。

思い出してみれば、かつて伯爵は何人もの自由を求める人間を見てきました。


バンパイアの狩りは魔力で魅了して誘い出す方法が一般的ですが、稀に自らの意志でバンパイアの元へやって来る人間が居ました。


それらは大抵人間社会にうんざりして、バンパイアとして新たな人生を歩もうと断を下した者達だったのです。


バンパイアには二通りの種類があります。一つは伯爵のように生まれつきバンパイアとして生きている者。そしてもう一つは、元は人間でバンパイアの魔力を受け継ぐ事でバンパイアに生まれ変わった者です。


伯爵の元へ来た女性には二つの選択肢が与えられます。全身の血を捧げ伯爵の糧となり死んでゆくか、伯爵から魔力を授かり、不老不死の魔族として生きるかです。


人間社会に嫌気がさした女は、皆バンパイアとして第二の人生を送る道を選びました。秩序も体裁も捨てて、本能のままに生きる夜の魔物に憧れを抱いた女は、伯爵と契りを交わし人間の魂を捨て、永遠の命と魔力を得たのです。


しかし、そうやって自らの意志によりバンパイアとなった女達は、皆揃って最期は絶望に暮れたものです。

どんなに自由な存在に憧れていても、本当の自由を手にすると人間は途端に自由の重みに潰されてしまいます。


例え不自由であっても、その方が人間として幸せである。そう気付いても、永遠の命を手に入れてからではもう遅いのです。


こうして一時の気の迷いにより人間を捨てバンパイアになった者達は、人間としてもバンパイアとしても生きる道を見付けられず、最終的には自らの胸に杭を打ち込んで絶命したのです。


自由を求めるが余りに、自由よりもっと大事なものを失ってしまった愚かな人間の末路を、伯爵は誰よりも多く見てきたのです。


そうか、この娘もくだらぬ自由に憧れる哀れな者だったか。伯爵は憐みにも似たような気持ちを、小夜子にぶつけました。


そんな伯爵の気持ちはつゆ知らず、小夜子は呑気にお喋りを続けます。


「人間はバンパイアさんみたいに長生きできないわ。どんなに頑張ったところで、せいぜい百年が限度。だったらつまらない人生より、出来るだけ自由で楽しい人生を送った方がずっと得だと思いません?」


楽しい人生――。伯爵はふと、自分の長い長い人生を振り返ってみました。


遠い昔はもう思い出せない程長い年月を過ごしてきました。しかし気がかりがあります。

伯爵はこの果てしない人生の中で、一体どれだけの幸福を感じてきたのでしょうか?


命を繋ぐ為、そして欲望と嗜好を満たす為、伯爵は多くの女性をこの城に招きました。

そして仮初めのひとときを共にして寂しさを僅かに紛らわせた後、女性は神聖な生贄となりその生き血は伯爵の喉を潤したのです。


こうしてまた血が飢えれば、同じように狩りをして女性を仕留める……。


これが伯爵の主な人生でした。こうして振り返ると、なんだか自分の人生がとてつもなくくだらないものに思えてきました。

腹が減ったら餌を捕まえて食う。これではまるで、只の動物ではありませんか。


人間の血を求めるのは本能だとしても、それ以外に自らの意志で何かを求めた事があったでしょうか?

時々気紛れに一人の女を寵愛したとしても、それは只の暇潰しに過ぎません。


適当に可愛がり飽きたら生き血を頂戴してまた次の女を探す……。ひたすらその繰り返しでした。


伯爵の魔術にかかった女は、皆忠実に尽くしました。魔術により魂を抜き取られた者は、生き人形のように忠実な寵姫となります。


例えそれが魔術に踊らされた感情であっても、伯爵へ忠実な愛を示す女達は、それなりに愛おしかったものです。


それでも所詮それはまやかしの感情。魂を操られどんなに忠実な愛を誓っても、本心で忠誠を示す者は一人も居ませんでした。


勿論自らの意志でこの城に出向きバンパイアとしての生を選んだ者は、初めこそ忠誠を誓いました。

しかしバンパイアとして生きる道がどれ程愚かな選択だったかに気付いた時、最早伯爵は憎しみの対象でしかありませんでした。


お前さえ居なければ私はバンパイアなんかにならずに済んだのに!

こんな台詞、何度言われたでしょう。


まったく自らの意志で人間を捨てた癖に、その選択が過ちと気付いた時、何故人間は自分ではなく他者を憎むのでしょうか。


結局伯爵に魅入られて、若しくは自らの意志でこの城で暮らした女は数多く居れども、彼女達一人一人の顔や名前は一切記憶に残っていません。


何度も夜を共にし、同じ時を過ごした相手であっても、伯爵の記憶に刻まれる程の存在ではなかったのです。

伯爵の体に流れる何人もの女の血も、命を繋ぐ為の糧でしかなかったのでしょう。


「君、一つ訪ねたい。バンパイアに噛まれた者にはそのまま死するかバンパイアとして生まれ変わるかの選択肢が与えられる。仮に君がそれを選ぶ立場であったとしたら、君はバンパイアになる道を選ぶかね?」


突然の問いかけに小夜子は口を開けたまま硬直しています。


「私に噛みついてくださるの?」


小夜子の目がキラキラと光ります。


「例えばの話だ。真に受けるのではない」


「そうね。もしバンパイアの生活が人間の生活より面白いのなら考えてみてもいいけど、生憎私人間の生活にそこまで不便を感じていないのよね。そりゃ確かに不老不死なんて言ったら人類の夢ですけど、それが本当に幸せとは限らないわ。命が尽き、終わりが来るからこそ幸せを感じられるのかもしれないし。人間って終わりが来るのを判っているから、今を楽しもうと思うところがあるのよね。だから永遠に終わりの来ない人生を約束されると、きっと人生を楽しむ術を放棄しちゃうと思うの。だから……とりあえず今の私は、バンパイアになるよりもここで命を終わらせる方を選ぶと思いますわ。その方が潔く人生を終わらせそうですし」


ひとしきりの主張を聞き終え、伯爵は納得したように頷きました。


「成程な。確かに君ならそう答えるだろうな」


「判っているのならいちいち訊かないでくださいませ」


「ふん。生意気を言って。まあ良い。君、突然だが少し出掛けないかね?」


窓の外は見事な月夜。漆黒の空に満月が浮かんでいます。街灯もない外の景色は、僅かな月光で青白く光っていました。

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