第3話
店が終わった後皆で近くのラーメン屋に足を運んだ。
鷹松はとんこつラーメンを頼み、他の面々もそれぞれ食べたいものを頼んでいた。といってもほぼとんこつだ。醤油とんこつなのか、そのままなのか、チャーシューが乗っているか、その程度の違いだ。
ほこほことたつ湯気を見ているだけでもおいしそうだ。
クリーミーなスープにぽつぽつと油が浮かんでいる。それでいてこの店はくどくなく関東の生活しかしていない身としてはおいしく感じた。
麺の上に乗っている高菜を麺とともに箸で挟んで口に含む。濃いとんこつを高菜の酸味がさっぱりとした味に変え、それがおいしかった。
汁をず、とすすってから箸をいったん止める。
「なあ橋本。さっき新しいボーイにあったんだけど」
「ああ、あいつ? 今月初めから入ってきたんだけどさ、よく働いてくれてるよ。顔もいいし、あいつの顔につられて新しい女の子も入ってきたし」
「へえ」
ラーメンをすすりながら橋本は饒舌に語る。顔がいい男なんて敵だ、と常にぼやいている橋本にとっては珍しい。
橋本は麺をすすりつつ、話を続ける。
「かわいい子たまに紹介してくれるんだよ」
鷹松は思わず堀越と顔を見合わせた。堀越も苦笑している。やっぱりそこかという感じだ。村中も見たが、湯気でメガネが曇ってよくわからなかった。
ちなみに一緒についてきた速水は夢中でとんこつラーメンとチャーハンを交互にむさぼっていて会話に混ざる気もなさそうだった。おいおいお前の同僚だろうと突っ込みたかったが、別に速水の評価が聞きたかったわけでもなかったので、鷹松は放置することにした。美味しいものは美味しいときに食べるべきだとも思うわけで。
「あんまり無茶なことさせるなよ。大事に使っておけ」
しばらくすれば別の立場で会うのだ。あとでトラブルにならないように、ないとは思うが釘を刺しておく。
橋本は餃子で頬を膨らませながら不思議そうな顔をした。
「何?」
「いや、お前が特定の誰かをきにするなんて珍しいと思って」
「たいした事じゃねえよ。ただお前と気が合うなら大事にしろよってだけだ」
鷹松は自分の内に抱えた秘密を伝えることはせず、目の前のとんこつラーメンをすすった。
オーダーしていた幸内のスーツが出来上がったころ、幸内に連れられ再び加州が住むアパートへと鷹松は足を運んだ。
二度目の訪問ということもあり、幸内に気の迷いはもうないようだった。鷹松が車を降り周囲を確認した後、後部シートの扉を開ける。小さい自家用車で運転手がいるというのもなんとも滑稽なものだが、やってしまったものは仕方がない。
鷹松が思わず苦笑をすると、幸内が怪訝な顔をしたが理由を話したら同じように苦笑を浮かべた。
二人は以前に加州母から送られた封筒の住所をたよりに、階段を上がる。部屋は階段上がって右側の一番端にあった。南向きの角部屋、そこが加州の城だった。
幸内がインターフォンを押すと、以前に聞いたことのある声が対応に出た。幸内が名乗り、加州がドアを開け迎え入れる。加州は鷹松の顔をみると少し驚いたような顔をした。
バーであった時と立場が違う。今度は相手が上だ。鷹松は静かに会釈をする。
「俺はここで」
そういって中に入るのは辞退した。スーツ姿といってもその手の筋に見えないように気を使ったから外にいても問題はないはずだ。
鷹松は廊下の手すりに寄りかかり、周囲に目を向けた。
閑静な住宅街だ。ちかくにパチ屋もなければバーの一つもない。浮ついたことがないよう加州の母親は気を使ったに違いない。そういえば職業はなんだっただろうか。水商売だと思い込んでいたが、案外固い職なのかもしれない。
しばらくぼおっとしていると口元がさびしくなり、胸ポケットのあたりを探っていた。
——タバコ、吸っていいかな。
水色の都会の濁った青空に浮かぶ雲を眺めながら煙草のパッケージを取り出し、そしてふと視線を何気なくおとして一階の廊下を箒で掃いている中年の女性と目があった。
鷹松はひきつり顔で笑いながら煙草をしまう。
飴でも持ってくりゃよかった。確か車にはあったはず。車を止めてある位置から遠くない。ちょっと行くくらい、と鷹松がその場をはずそうと一歩踏み出したちょうどそのタイミングで後ろから怒鳴り声が聞こえた。
「今更何のつもりだよ!」
怒鳴り声はそう言った。
剣呑な声に鷹松はあわてて加州家のドアを開けようとしてノブを掴んだ。手首を返してノブをひねったところで手が止まる。
「母さんと俺がどれだけ苦労したかっ」
相手は親父の血を分けた本当の息子だ。
自分がいって何になる。散々苦労した子に何を自分はするつもりだ。
鷹松ははたと気が付いて、ゆっくりとノブを放した。
十何年前、鷹松は私立に通う高校生だった。親子仲も悪くなく今から考えると健全すぎるほど健全で未来は光にあふれていた気がする。
それが狂ったのは二年の夏。鷹松はバスケットボール部に所属しており、二年生ながらインターハイのレギュラーメンバーだった。インターハイ初戦で鷹松はパスミスをしチームは負けた。
インターハイで優勝が狙えるといわれていたチームだったが、蓋を開けてみれば二年の選手のミスでなんとも不甲斐ない終わり方をした。
「あれ?」
人並み以上に後悔し悩みに悩んでいた鷹松の下駄箱にかわいらしい封筒が入れられていた。
こんな時期だったのに、と思いながらも胸がときめいたのは覚えている。女は何を考えているかわからないし、言葉荒く接すればすぐなく厄介な存在だったが嫌いだったわけじゃない。
手紙で指定された体育館裏の倉庫前に鷹松はのこのこと足を運んだ。それが間違いだった。
そこにいたのはレギュラーメンバーになれなかった三年のバスケ部員だった。
最初は罵りの言葉だった。次に暴力で、最後はレイプだった。
倉庫の中に連れ込まれ、何人もの男に囲まれた。
『お前男でも勃つのかよ』
『変態だなテメーは』
性的な興奮を覚えた記憶はない。ただ恐怖と痛みで支配された時間だった。何度もケツの孔に精液を流し込まれ、無理やりくわえさせられ喉の奥を突き破るほどに押し込まれたちんぽの臭さにえづき、戻したゲロは口からでなく鼻から噴き出した。
『ぎゃはははは、こいつきたねえ』
男たちの嘲笑が耳にこびりつく。
男たちが満足して鷹松を解放したのはとっぷりと夜が暮れた後だった。
『男のケツって案外きもちーもんだな』
『何、お前ホモになったの?』
『ばぁか、んなわけあるかよ。ただのダッチだよダッチワイフ。ガキも孕まねーし、後処理もいらねえし』
『なあ鷹松、また相手してくれよな。卒業までずーっと、てめえは俺たちの奴隷だ』
倉庫から出ていく男たちの黒い影が長く長く伸び、鷹松に絡みつくようだった。
そのあと鷹松は幾度となく呼び出され辱められ、やがて高校にいけなくなった。親は理由を尋ねたが鷹松はがんとして理由を答えることはなく、親子仲も悪くなっていった。最終的に決裂したのはちょうど弟の一人が超難関校に受かった時期だった。
スポーツマンで成績のそこそこよい長兄はいないものとされた。
鷹松は家を出て繁華街をさまよっていた時に、受験が終わり浮かれていた三年部員と出くわした。
『よう鷹松。お前なんで学校やめちゃったんだよ。俺らお前がいなくてつまんなかったんだぜ。なあまた遊ぼうや。お前、アレ好きだっただろう』
『今度は小遣いもかせがせりゃよくね?』
『お前悪党だな』
下卑た笑いを浮かべながら男は鷹松のケツを撫で繰り回した。
もう限界だった。
こいつらに会わないようにするために学校をやめ、壮絶な親子喧嘩を繰り返したというのに。
ふつふつとわき起こった怒りの虫が鷹松をけしかけた。学校はやめているしもうバスケ部に迷惑がかかることもないだろう。拳を固く握りしめ、目の前の男たちの顔面を殴りつけた。
『てめえ、何すんだ』
『ぶっ殺すぞ!』
自分たちの奴隷が武器を振り上げたことに男たちは一瞬ひるんだが、すぐに我を取戻し攻撃をしてきた鷹松に反撃した。鷹松もやられっぱなしではなかった。素早い動作で男たちの拳を何度もよけながら、蹴りを、パンチを繰り出した。
殴られて盛大に暴れて、肺は激しく痛み、奥歯が何個も砕かれた。何度も殴られ鼻血で鼻はふさがるし、目は大きく腫れた瞼のせいで視界を狭めた。
やがて体力が限界を見せ始め、鷹松は路地裏に逃げ込む。
ゴミ箱をいくつも蹴飛ばし、鼻がもげるような臭い路地を逃げ、喉から血を吐きそうなほどになってようやく逃げきれた。
「やってやった」
鷹松はゴミ置き場と駐車場の金網に体をもらせかけながら笑った。殴られて切れた唇が痛かったが、誇らしかった。
そのあと体が動かなくなり、うずくまっているところを幸内に拾われた。
「もうちょっとやりようがあっただろ」
と今になれば思うが、あのころは若かった。幸内に拾われ、暖かい飯を食わせてもらいなんだかんだ世話になって、今こうしている。
しばらく過去に思いをはせている間に、中での親子喧嘩は終わったらしく静かになっていた。ややあってからドアが開かれ幸内が出てきた。
「ちゃんと約束守ってよ」
「わかってる」
幸内が出ると加州は鷹松に軽く会釈をして扉を閉めた。
約束とは、と鷹松は問いたげな視線を向けたが、聞くなというかのように幸内は頭を左右に振った。
「親父……どうでした?」
車に戻ってから鷹松が問うと、幸内は
「春から組の一員だ。鷹松、あいつはこの世界のことはなんも知らねえ。けつに殻をつけたひよっこだ。世話、頼むぞ」
と答えた。
「……はい」
「苦労、かけるな」
「いえ、でっけえ弟ができたと思うことにしときます」
鷹松はシートベルトをし、車のエンジンをかけた。重低音がケツの下で響く。
ちらりと窓の外を見ると加州が外に出て車を見下ろしていた。
「親父もちゃんとシートベルト締めてくださいよ。若頭が同乗者がシートベルトしてなくてしょっ引かれたら恥ですわ」
「そしたら死ぬまで笑ってやるわ」
二人でワハハと大口を開けて笑いながら、車はその場を後にした。
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