蠅の一生
中邑宗近
第1話
——やくざものの一生は蠅のそれに似ている。
繁華街の一角に本条企画という、本条組の事務所の一つがあった。
本条組とは、神奈川一帯を縄張りとした指定暴力団の一つで、組長は幸内玄太という男だ。その下に若頭、
鷹松は、本条企画という事務所の中から繁華街の雑踏を見下ろす。夕方もまだ早い時間帯だというのにどこからくるのか、事務所下の通りは人でごった返していた。
世はクリスマスで、若者をはじめとして浮かれたやつらばかりだった。
「お盛んなことで」
紫煙をくゆらせながら鷹松はつぶやく。かくいう自分はとくにクリスマスを共に過ごす相手などいない。
日陰を歩くものに浮かれた明るい行事など、縁があるわけもなかった。とはいっても、下のものが浮かれるのに水を差すほど鷹松も非道ではない。
「兄貴、本当にいいんですか?」
古参の一人が気遣わしげに背後から尋ねてくる。
「今日はもうさっさと帰れ。かみさんも子供も待ってんだろう?」
「まあそうなんすけど」
独り身を気遣いながらも、本音は早く帰りたいのだろう。じゃあ付き合えと言ったらどういう顔をするのかと意地の悪い考えも浮かんでくる。
窓の外を見下ろしながら鷹松が口を開こうとしたタイミングで胸元のポケットに入れてあった携帯が震えた。
「おう、俺だ」
『あ、鷹松? 俺だけど』
電話から聞こえてきたのは騒々しい音楽と橋本の声だった。おそらく店からかけてきているのだろう。いつもは会話の邪魔にならない程度の音楽を流しているはずなのに、音楽も今日は浮かれているらしい。
背後に控えている気使いしい男を犬のように追い払うと、ようやく男は帰ることにしたらしく、パンチパーマが下がる。
男が出ていくのを横目で確認しながら鷹松は電話向こうの橋本に返事を返す。
「なんだ? トラブルか?」
『ちげーよ。今日お前一人だと思って、一緒に飲まないかって』
橋本は長い付き合いで、こうして舎弟や幸内がいないところではため口になる。鷹松も気にしていないし、むしろ昔からの友人が態度を変えたらつまらない。だから舎弟や幸内がいる時だけ、お互いに気を使っている。
「別に俺は一人でも構わねーよ」
おそらく橋本も一人なんだろう。知り合ってからずっと橋本に彼女ができたという事実はない。どうせ彼女ができたら紹介するくらい浮かれるだろうから、おそらく今回も一人だという事実は確度が高いはずだ。それをわかっていて鷹松は続ける。
「お前が一人で寂しいんだろ」
電話の向こうで橋本が一瞬詰まる。それを聞いて鷹松はおかしそうに喉を鳴らした。
別に飲みに行きたくないわけじゃない。たんにからかったわけだから返事は決まっていた。
『鷹松ぅ……』
情けない声の橋本に
「事務所閉めてからいくから九時ごろになるけどいいか」
と、返事をする。
『やった! それでこそ鷹松。あ、堀越もくるってさ。村中は後で合流だって』
村中、というのは堀越が何年か前に酔狂で拾ったやつだ。やくざの世界には足を踏み入れずサラリーマンになったとかなんとか。堀越の知り合いだから、だろうか、臆することなくしょっちゅう顔をだす。
やくざは怖くないのかと聞いたら、それだと堀越も怖いことになるでしょ、としれっと返すくらいに村中は豪胆だった。一応勤め先にはばれないようにしてはいるようだが、その先もずっとうまくいくかは二人次第だろう。
「わかった。じゃあ後でな」
鷹松は通話をきると、携帯を胸元にしまい席に戻った。
ちらりと壁掛けの時間を確認すると七時だった。移動の時間を考えれば一時間半程度しかない。その間に今日の仕事をしまいにしなければならなかった。
九時を少し回ったところで橋本の店にいく。おねえちゃんがいっぱいいるバーだ。女が苦手な鷹松としてはホストクラブの方が気が楽だったが、女から巻き上げるのはちょっとね、という橋本の意向でもっぱらおっさんから金を巻き上げている。
「いやいやでも暴対法とかあるからね、ぼったくりはしないよ」
とは橋本の談だ。ぼったくりはしないが、それなりに金を落とすように客層をあげていることで上がりはうまくやっているらしい。
鷹松はバーに入ると受付のボーイに声をかけそのまま奥へと歩いていく。いつもお決まりの席だから慣れたものだ。橋本が鷹松らを誘うときは必ず一番奥の席と決っていた。そこは他の席の影になっていて、他の客からは見えづらくなっていた。誰が来ているのかと興味を向ける客はほぼいないが、その客が連れてくる一見はそうでもない。
鷹松としても橋本としても、そういう無粋な輩の前には仕切りを立てたかった。
ふかふかの絨毯を踏みながら奥に進むと橋本と堀越がすでにボトルを開けていた。
「やあやあ独り身の会にようこそ」
頬を酒気で赤らめた橋本が両手を広げて鷹松を迎え入れた。
独り身なのは自分とお前だろと喉から出そうになったが、堀越は気にしていない様子なので「言ってろ」とぼやきながら鷹松はソファに腰を下ろした。
「鷹松さん! お久しぶりです!」
座るとすぐに大きな声が聞こえる。声のほうをみれば橋本の舎弟の速水だった。相変わらず早口でたまに何を言ってるのかわからなくなるが、やくざものとしてはすれてない愛すべき馬鹿だ。若干客商売は不得手なものでもっぱら自分らの酌につくことが多い。自分たちが来ない日はいろんな雑用をさせられていると聞いている。
それでも不満もこぼさず勤めているのだ、頭が下がる。
「おう。俺もこれ飲むからグラスと、あとつまみを適当に」
「ケーキありますよ! 鷹松さんいらっしゃるっていうから、用意してました!」
「気が利くな、じゃあそれも」
「はい! 少々お待ちを!」
元気にまくしたてた速水が去ると、橋本が「俺が用意したんだけど」とぼそりとつぶやいた。
「言えばいいじゃねえか、速水言った時に」
女々しいな、そんな顔でみると、堀越がとりなすように、まあまあと声をかけてきた。
「買ってきたのは速水だし、橋本もえらそうに言えなかったんだと思うよ」
態度は優しいが言ってることは多少の毒が見える。
鬼の鷹松、仏の堀越と内々で言われているらしいが、鷹松としてはよっぽど堀越のほうが鬼だと思っている。ちなみに橋本は道化の橋本だ。本人が知らずにいることが幸いしている。道化といわれてはいるが、舎弟から多く慕われているのは橋本だ。彼女ができないことくらい大した難ではない。
すぐに速水が用意したグラスに堀越がシャンパンを注ぎいれる。
「ピンクじゃねえの?」
「ピンドンも頼む?」
小さな気泡を立てながら注がれた黄金色の液体は、店のシャンデリアの光を反射してきらきらと輝いていた。
「ちなみにそれ、ピンドンよりたけーから」
「げっ」
「割り勘ね」
「……」
「いやだなんて若頭がけち臭いこと言わないよね」
「う、うん……」
堀越と橋本の口撃にさすがの鷹松も嫌だとは言えない。頷くと二人とも嬉しそうに笑った。
「カンパーイ」明るい声が交わされる。
仕方なしに鷹松はケーキを食べながらシャンパンを傾けた。
酒はそんなに得意な方ではないが、かといって下戸でもない。ある程度の量であればおいしくいただけた。
「最近どうだ?」
ケーキを口に運びながら世間話程度に近況を聞く。
「年末だからね、いろいろ回収してるけど今年はちょっと払いが悪いかな」
「俺のところも客はそんなに減ってないと思うけど、落とす金は減ったかもだな」
一応二人の声は低く小さい。
腐ってもやくざだ。過度にあくどくはないが、それでも泣く子が出ないわけじゃない。ここ数年は仏になったやつはいないが、なりかけているやつはごまんといた。
鷹松が、やくざの一生が蠅のようだというのは、こういうところにある。汚い金を扱うことから、汚物にたかる蠅のようだと思ったのだ。
「俺のところもそんなところかな」
数年前のリーマンショックほどではないが、少し下降傾向であった。円安で業績を上げる企業もあれば、逆もある。たまたま煽りをくらった企業が多かったという話だ。
「来年は景気よくなるといいねえ」
「どうでしょうね。まだ円安は続くみたいですよ」
「あ、慎弥」
「ども」
会話に横から入ってきたのはスーツ姿の村中慎弥だった。
「仕事お疲れ様」
真っ先に声をかけるのは堀越だ。
「篤志さんも、皆さんもお疲れ様です」
村中は軽く会釈を皆に向けると、堀越の隣に腰を下ろした。
「円高も困りますけれど、円安すぎても困りものですね。日本だけで商売しているわけではないですし」
「ちゃんとしているやつは一味違うねえ」
すかさず橋本がちゃかすが、
「ちゃんとしてないと篤志さん、怒るんで」
しれっと村中は返した。
男子高生のころに堀越に拾われた村中としては、堀越は恋人であり尊敬できる人生の先輩であり、親代わりでもあった。
「堀越の言うとおりにしときゃ間違いないわな」
鷹松はケーキをリスのように頬張りながらつぶやいた。
「俺自身は日向を歩いてないけれどね」
苦笑気味の堀越に、まあそりゃそうだと同じ身分の二人はそれこそ苦笑した。
三人ともこの道に入ったのは対して違いがあるわけじゃない。ちょっとしたことで道を踏み外したもの、親との関係がこじれて飛び出してきたもの、それぞれだ。幸いにも路頭に迷うよりも前に幸内に拾われた。
やくざだが、攻撃的な暴力団でもなく三人は一様に幸内に感謝していた。
「まあ来年も慎ましい生活をしなくちゃだめだね」
と、お高いシャンパンを傾けながら堀越が言うものだから、同意したものか、つっこんでいいものか鷹松は橋本と顔を見合わせた。村中は慣れたものなのか同じような考えの持ち主なのか、「そうですね」と短く同意した。
「ところで俺も少し飲んでいいですか?」
「ご飯は?」
「まだですけれど、ここで食べると高くつきますし」
大変ごもっともなことをあっさりという村中に、鷹松も頷いた。
「そういや俺も食ってねえわ」
「軽く飲んだら外行く?」
「俺とんこつラーメンか牛丼くいてえ」
「え! せっかくのクリスマスなのにおしゃれじゃない」
「この時間じゃどこもあいてねーだろうが」
「まあそうなんだけどさあ……だったら俺の店で食べていけば」
「橋本のおごりなら」
「あ、俺牛丼食べたくなってきたなあー……」
自腹でおごるには少々値が張りすぎる。橋本はうなだれながらつまみのアーモンドを口に放り込んだ。
「男同士面倒くさくなくていいじゃねえか」
鷹松はそういって慰めるように橋本の肩をたたくと立ち上がった。
やっぱり酒飲むとトイレが近くなるな。
鷹松は男子トイレでハンカチを咥えながらいたしていた。
トイレもきれいに調度品でかざられていて、橋本のこだわりがみえる。きらっきらしていてと若干落ち着かないが、生理現象は止まらない。
来てからそんなに飲んでないはずなのだが、一度はこの店でしたくなる。橋本に言ったら犬かよ、とつっこまれたことがあった。別にきらきらしたものが見たいわけでもないのに不思議なものだ。
用をすませ、ものをしまうと洗面台の前に立った。
酒気に少し顔が赤くなっている。ダサいなと思ったこともあったが、顔が赤くなればそれ以上を勧めてくるやつも少なくて助かっていた。何十年も前ならそうもいかないだろうが、よい時代になったものだ。
俺は飲みすぎたからお前ら存分に残りを飲めよと舎弟にスムーズに勧められるのもいい。たんに飲めないだけなのに、太っ腹のように見えるからお得だ。
「失礼しまーす」
手を洗っている後ろを掃除に来た従業員が通る。
金髪の片耳ピアスの背の高い男。モデルでもしていたかのような体躯に、女がほうっておかなさそうな美貌。
鷹松は口に咥えたハンカチを手に取り水気をぬぐいながら掃除の邪魔にならぬように横によった。
「新しくはいったの?」
鷹松は何気なさを装って尋ねた。若干口調が柔らかいのは相手が一般人だからだ。
「そうなんですよ。よろしくお願いします」
その男はぺこり、と会釈をすると笑った。
「一か月前くらいからお世話になってます」
「へえ。一か月前。なんでここに? 君の顔ならホストでもいけたんじゃない?」
「いやー……、女の子をちやほやするのめんどくさいんで」
飽きちゃったし、と続いたが嫌味にも聞こえないのは相手の顔のつくりがよすぎるせいか。橋本あたりならハンカチかみながら、キーキー言ってそうなものだが、続いているということはホステスにも同じ態度なのだろう。
「もてるって大変だな」
鷹松は心にも思ってないことを言うと、男は不思議そうな顔をした。
「お客様も背が高いし、顔整っているしもてるんじゃないですか?」
「は? ないない」
平均よりはるかに整った顔立ちの男に言われると、鷹松は思い切り噴き出した。女が苦手なのもあるが、手紙の一つももらったこともない。年齢イコール彼女いない歴は伊達ではない。不細工だとは思ったことはないが、女が好むタイプでもないのはわかっていた。
「そうですか? うーん」
「チップ弾みたくなっちゃうな。いや久しぶりに盛大に笑わせてもらったわ」
「からかったわけじゃないですよ」
「わーてるよ」
逆にからかわれたと、少し膨れ面をした青年に鷹松は財布を取り出し、札を一枚抜くと、青年の胸元のポケットにねじ込む。
「え?」
「気分良くしてくれたお礼」
鷹松はそういうと、トイレから出て行った。
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