9 君主の資格
「……そういうわけでね。僕は人間族を殲滅するのではなく、自分の配下に迎え入れたいと願っているんだよ」
魔竜兵団の本拠に戻った僕は、暗黒神としての新しい方針をウロボロスたちに伝えることになった。
かつてガルムやナーガたちに伝えたのと、ほぼ同じ内容である。すべてを聞き終えたのち、「はん」と鼻を鳴らしたのはファフニールであった。
「ずいぶんとまあ、甘っちょろいことを言いたてるんだね! 確かにあんたはこれまでの記憶をみんな失っちまったみたいだな、暗黒神様!」
「うん。それは本当のことだから、否定はしないよ。それに、デイフォロスを支配したことで、僕は自分が正しいと確信することができたんだ」
僕は臆せず、そのように言ってみせた。
「人間の中で唾棄すべきは、王と一部の貴族だけだ。他の人間は、それらの食い物にされているに過ぎない。人間の王と、その王政に賛同する貴族たちと、そして魔術師たちさえ殲滅すれば、人間族は無害な存在に成り果てるはずだ」
「へん。だからって、殺さずに済ませる理由にはならないんじゃないのかね。あんなやつら、生かしておいたって意味はねえだろう?」
「いや。実のところ、僕は人間のこしらえる食事や酒というものに大きな興味を抱いていてね。それだけでも、人間には生かす価値があるんじゃないかと思い始めたところだよ」
それは、ケルベロスの従僕たる少年ハンスのおかげで獲得できた、新たな方針のひとつであった。
「何にせよ、人魔の術式さえ根絶できれば、人間を生かすも殺すもこちらの自由だ。それと同時に、裏切り者の魔神族たちから、戦力を削ぎ取るという結果にもなる。そのために、魔竜兵団にも力を貸してもらえないものかな?」
ファフニールは口をつぐみ、横目でウロボロスのほうを見やった。
ウロボロスは肘掛けに頬杖をついたまま、ずっと無言を保っている。その黒き唇が、ひさかたぶりに開かれた。
「気に食わねえな。……あんたはほんのひと月前まで、人間なんざ皆殺しにするべきだって言い張ってたはずだぜ、暗黒神様よ?」
「うん。その頃の記憶は、綺麗さっぱり失われてしまったからね。だから僕は、現在の僕が最善と思える道を考え抜いたつもりだよ」
「それで行きついたのが、人間どもを殺さずに酒や料理を作らせるっていう、きわめてみみっちい話であるわけだな」
それだけ言って、ウロボロスはまた口をつぐんでしまった。
すると今度は、副団長たるニーズヘッグが発言する。
「人魔の術式の根絶を最優先に考えるというのは、実に理にかなったお話であるかと思われます。ですが……それでしたら、我々にそのような命令を下すだけで事足りるのではないでしょうか? 何故にこのように、言葉を連ねる必要があるのでしょう?」
「それは、できるだけみんなに納得してもらいたいからだよ。なんべんも言っている通り、僕はすべての記憶を失ってしまっているんだからね。君たちとは、またイチから信頼関係を構築していきたいんだ」
「……そのお言葉をどのようにとらえるべきか、私は判断に苦しんでおります」
言葉づかいこそ丁寧であったものの、ニーズヘッグのエメラルドグリーンをした瞳には、不審の念が渦巻いているようだった。
「言うまでもなく、あなたは我々の君主であります。その力は強大無比であり、ウロボロス団長でさえあらがうすべはございません。……しかしあなたはその魔力ではなく弁舌でもって、我々を懐柔しようとされている。それは肉体のみならず、精神までをも屈服させようというお考えであるのでしょうか」
「そんなつもりは、毛頭ないよ。僕が望んでいるのは服従じゃなくて、理解と共感だ」
「理解と共感……それもまた、暗黒神様には不似合いな言葉でありますね」
ニーズヘッグは、神経質そうに自分の膝を指先で叩いた。
「僭越ながら、ウロボロス団長の心情を代弁させていただいてもよろしいでしょうか?」
「うん。是非ともお願いしたいところだね」
「くそくらえ」と、ニーズヘッグはそのように言い放った。
思わず言葉を失う僕に、ニーズヘッグは淡々と言い継いでいく。
「配下の顔色をうかがうような態度は、君主に相応しからぬものであるかと存じます。暗黒神様は思いのままに、ご命令を下すべきなのではないでしょうか?」
「うん……まあ確かに、いきなり理解や共感を求めるっていうのは、おこがましい話なのかもしれないね」
僕は、そのように答えるしかなかった。
「それじゃあ、命令させてもらうよ。これから君たちには魔獣兵団や蛇神兵団とも協力し合って、僕の立案した作戦に従事してもらいたい。……これでいいのかな?」
ウロボロスは、答えようとしなかった。
その姿をちらりと見やってから、ニーズヘッグがまた発言する。
「具体的に、それはどのような作戦であるのでしょう? さきほどは、東方区域の領地を襲撃する、と仰っていたようですが」
「うん。魔神族たちがまだ北方区域に出向いているようだったら、東方区域の領地を制圧しようと考えている。もしも僕の憶測が外れていて、あちらが東方区域に帰還しているようだったら……西方、北方、南方の区域をひとつずつ制圧していくしかないだろうね」
「ふむ。中央区域は、あえて最後に回すということでしょうか?」
「うん。中央区域の王都なんかは、やっぱり人間族にとっても最大の戦力を有する拠点だろうからね。それに手こずっていたら、地方の領地を魔神族たちに奪取されてしまうかもしれない。そんなことになったら、尋常でない数の人魔が、あちらに戦力になってしまうからさ」
「なるほど……それは道理です」
「だろう? それで、もしも東方区域ががら空きで、首尾よく制圧することができれば、ずいぶん有利に戦いを進められると思うんだ。人魔の術式を破壊してしまえば、北方区域に出向いている人魔たちも、その場で人間に戻ってしまうんだからね」
「ふむ……それで叛逆者の一派が北方区域を制圧せしめたとしても、その後はうかうかと拠点を離れることも許されなくなる、ということでしょうか」
「そうそう。拠点を離れれば、またその間に人魔の術式を壊されてしまうわけだからね。少なくとも、今回みたいに総出で出撃することはできなくなるはずだ。そうして戦力を分散させることがかなえば、こちらに各個撃破の好機が生まれるというわけだね」
なんだか僕は、ルイ=レヴァナントを相手に軍議を進めているような心地であった。このニーズヘッグという魔竜族は、きっとルイ=レヴァナントに負けないぐらい理知的なタイプであるのだろう。
「まあ、どのような作戦であろうとも、我々は暗黒神様と団長の命令に従うだけですからな! 何も異存はございませんぞ!」
いっぽうヨルムンガンドなどは、ガルム顔負けの豪放さでそのように言ってくれている。そこに異を唱えたのは、やんちゃなファフニールであった。
「ああ、俺たちは暗黒神様と団長の命令に従うだけさ。……で、肝心の団長は、いったいどんな風に考えてるのかねえ?」
ウロボロスは頬杖をついたまま、「気に食わねえな」と繰り返した。
「すべての魔族の君主であるあなたがそんな小賢しい作戦を練りあげるのは、気に食わねえ。相手の出方をこそこそうかがうのも、人間族を殺さずに済まそうっていう甘っちょろさも、何もかもが気に食わねえよ」
ウロボロスの黒い双眸が、どろどろとした激情を渦巻かせながら、僕を見据えてくる。
「なあ……あなたは本当に、本物の暗黒神様なのか? 記憶なんざはどうでもいいが、あなたはまるで別人じゃねえか?」
「うん。これは他の団員たちにも告げていることだから、隠すつもりもないけれど……僕は、別人だよ。僕は完全に別の人格の暗黒神として、この世に生まれ落ちることになったんだ」
それがウロボロスの逆鱗に触れないことを祈りながら、僕はそのように告げてみせた。
「それに僕は、前世の記憶というものを備え持っている。おそらく僕は……暗黒神が再生の儀式で生贄にした、異界の人間の人格であるんだよ。確証はないけれど、かつての僕がこことはまったく異なる異界で生まれ育った人間であったということだけは、間違いのないことだからね」
「……俺たちの君主が、ちっぽけな人間風情であると抜かすつもりか」
ウロボロスは、漆黒の唇をにたりと吊り上げた。
「俺たちは、人間なんぞを君主と認めるつもりはない。あなたは自分が本物の暗黒神であるということを、俺たちに証明してみせるべきだろうな」
「証明って? 僕はどうすればいいんだろう?」
「何も難しい話じゃない。その身の魔力を限界まで振り絞ってみせるだけでいいさ」
そのように語るウロボロスのほうこそ、こらえかねたように魔力をこぼし始めていた。
「かつてのあなたは、たったひとりで魔竜族の全員を相手取れるぐらいの魔力を持っていた。だから俺たちは、あなたを君主と認めたんだ。今のあなたにそれだけの力が残されていなかったら……俺たちは、偽りの君主をこの手で叩き潰すことにしよう」
「いや、ちょっと待っておくれよ。僕たちが相争ったら、どちらも無傷では済まないだろう? そんな真似をしたら、魔神族や人間族と戦うこともできなくなってしまうじゃないか?」
「あなたが君主に相応しい魔力を見せつけてくれたら、俺たちだってあらがったりはしないさ。だからその場で、その身の魔力を限界まで振り絞ってほしいと言っているんだ」
ウロボロスがゆらりと立ち上がると、他の面々もそれにならった。ニーズヘッグも、ヨルムンガンドも、ファフニールも――ずっと静かにしていたデルピュネまでもが、爛々と双眸を燃やしている。さらに僕は、洞穴の外に他の魔竜族たちも集結し始めている気配を感じた。
「あなたが君主に相応しい力を見せることができなかったならば、この場で決着をつけさせてもらおう。遊び心は抜きでお願いするぜ、暗黒神様よ」
どうやらウロボロスは徹頭徹尾、本気であるようだった。
そして他の団員たちも、ウロボロスの命令に準ずる覚悟を一瞬で固めてしまっている。血の気の多いヨルムンガンドなどは、すでに臨戦態勢にあるようだった。
そして僕の背後では、テューポーンたちが張り詰めた気配を発している。この場で魔竜族との戦いなどが生じてしまったら、彼らも巻き添えになってしまうのだ。
(……僕も、肚をくくるしかないか)
この場には、ナナ=ハーピィがいる。ルイ=レヴァナントもファー・ジャルグも、ジェンヌ=ラミアもいる。大事な仲間たちを守るためであれば、僕はどのような試練でも乗り越えてみせる覚悟であった。
(魔竜兵団の全団員の総力がどれだけのものであるかなんて、僕には想像もつかないけれど……とにかく、力を振り絞るしかない)
僕はゆっくりと立ち上がり、ウロボロスの歪んだ笑顔を真正面から見つめてみせた。
「それじゃあ、行くよ。ちょっと時間がかかるだろうから、早合点で襲いかかってこないようにお願いするね」
「ああ。こっちの我慢が切れる前に、お願いするぜ」
僕はひとつ深呼吸をしてから、すべての魔力を解放するための戦闘フォームを取った。
甲冑が、めきめきと変形していく。頭部には巨大な角が生え、山羊の頭骨めいた形状に変じ、手足の鉤爪はダガーナイフのように巨大化した。肩あてや胸甲もより鋭角的なデザインとなり、背中には、悪魔のような翼が生えのびる。
そして、本番はここからだ。
僕はおもいきり、腹の底から魔力を振り絞った。
全身が、漆黒の炎のごとき魔力の波動を噴きあげる。
それで体外にこぼれてしまった分は、すかさず大地から吸い上げた。
この洞穴を囲っていた障壁が、限界を迎えて砕け散る。
それでもかまわずに、僕は魔力を絞り続けた。
甲冑の肉体はみしみしと軋み、周囲の空間も悲鳴をあげかけている。これだけの魔力を術式として放出せぬままに、体内に留めていることこそが、僕にとっては大きな苦痛であった。
「これで……全力かな」
魔力が暴発してしまわないように心を律しながら、僕はウロボロスたちを見回した。
デルピュネは、へたり込んでしまっている。ニーズヘッグは歯を食いしばり、ファフニールは驚愕に目を見開き、ヨルムンガンドさえもが呆然とした様子で後ずさっている。
その中で、ウロボロスだけが笑っていた。
瞳も白目も存在しない漆黒の目が、何か正体の知れない輝きを宿している。あえて言うならば――それは、賛嘆の思いであるようだった。
「……ああ、納得した。こいつらが小便を漏らさない内に、そいつをひっこめてやってくれ」
「そうしたとたんに、襲いかかってきたりはしないだろうね?」
「意地の悪いことを言うんじゃねえよ。ま、俺たちが全員でかかれば、あなたの身体の半分ぐらいは吹き飛ばせるんだろうが……そんな真似をする理由は、どこにもねえからな」
僕はウロボロスの目に浮かんでいる光を信じて、魔力を引っ込めることにした。
膨張していた甲冑が元のサイズに復元され、角や牙が引っ込んでいく。魔力を放出したりはしなかったので、軽く運動をこなしたような心地好い疲労感だけが残されていた。
「あなたはこれっぽっちも衰えていなかった。……いや、10年前よりも力が増したぐらいだな。あの頃は寿命が迫っていたんで、少しばかりは魔力も減退していたってわけか」
「そうなのかな。くどいようだけど、僕にはその頃の記憶もないもんでね」
「何にせよ、あなたが化け物だということは再確認できた。あなたの言い分は気に食わないが、生命を散らしたくはないんで従うことにしよう」
そう言って、ウロボロスはにやりと笑った。
「俺の最終目的は、あなたを上回る魔力を手に入れることだからな。ここで卵からやりなおす羽目になっちまったら、また何百年も我慢を強いられることになる。そんな遠回りは、まっぴらなんでね」
「そうか。とにかく、君たちがこちらに合流してくれるなら――」
そんな風に言いかけた僕の頭に、突如として念話の声が炸裂した。
『暗黒神様、敵襲よ! 魔神族どもが、デイフォロスに攻め込んできたわ!』
僕は、愕然と立ち尽くすことになった。
それを見て、ウロボロスがうろんげに眉をひそめる。
「どうしたんだい、暗黒神様よ。今、誰かの念話があなたの頭に割り込んだようだな」
「う、うん。中央区域の僕たちの拠点に……魔神族たちが、攻め込んできたらしい」
僕の背後で、ナナ=ハーピィたちが息を呑んでいた。
ウロボロスは「へえ?」と唇をねじ曲げる。
「そいつは、あなたの計画にはなかった話だな。あっちには、魔獣と蛇神どもを置いてきているんだろう? これから、どうするんだい?」
「も、もちろん帰還するよ。危うくなったら撤退するように言いつけてあるけど、放ってはおけないからね」
「ふうん? どんなに急いだって、中央区域までは1日がかりだ。何も慌てる必要はないように思うがね」
「それでも、帰還する! 君たちも準備をしてくれ!」
ウロボロスは高笑いをあげながら、逞しい右腕を振り払った。
「暗黒神様のご命令だ! 魔竜兵団は、全軍出撃する! 目標は、暗黒神様の本拠たる中央区域だ!」
洞穴の出口のほうから、怒号とも歓声ともつかない声が返ってきた。先刻より招集されていた、魔竜兵団の団員たちである。
かくして僕は当初の目的を達成しつつ、その余韻を噛みしめる間もなく中央区域への帰還を余儀なくされたのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます