2 城の秘密
オスヴァルドの尋問を終えた僕たちは急遽、『三つ首の凶犬と蛇女王の城』に帰還することになった。
メンバーは、僕、ルイ=レヴァナント、ファー・ジャルグ、ナナ=ハーピィ、ジェンヌ=ラミア――そしてオスヴァルドの、計6名である。夜襲に備えて、ケルベロスたちはガルムのもとに残ってもらったのだ。
僕が魔力を振り絞れば、城までは数時間の距離である。暗黒神たるもの、配下の魔物たちを運搬するような役目を負うものではないという話であったが、とにかく僕は可及的速やかに確かめたいことがあったのだった。
髑髏の甲冑に着替えた僕は、同行する5名をしっかりと魔力で包み込み、夜の空を横断する。そうして『三つ首の凶犬と蛇女王の城』に到着すると、こちらが声をかけるより早く、城門が開かれた。
僕はぞんぶんに魔力を解放していたので、その接近を感知することができたのだろう。城門の向こう側には、4名のリザードマンを控えさせたコカトリスが待ちかまえていた。
「おやおや、1日足らずで出戻ってくるとは想像していなかったわ。ケルベロスのやつは、人魔に噛み殺されてしまったのかしら?」
「いや、用事が済んだら向こうに戻るつもりだよ。ただその前に、確かめたいことがあってね」
「ふうん」と目を細めながら、コカトリスはオスヴァルドのほうに目をやった。
「で……そいつがお目当てであった、農園落ちした貴族というやつなのかしら?」
「うん。かつてのグラフィス領の男爵で、オスヴァルドというご老人だよ」
ルイ=レヴァナントの術式によって記憶をほじくり返されたオスヴァルドは、ぐったりと疲労をにじませていた。そんなオスヴァルドの姿を、コカトリスは艶のない黄色の瞳でねめつける。
「つまりあんたは、20年前にこの地で暴れていた上級人魔の1匹ということね。あの日は、300名もの魔族が塵に返ることになったのよ?」
「……その戦いで、儂は息子のひとりと姪を失った。おたがいに謝罪し合うべきじゃとでも抜かすつもりか?」
ぐっと頭をもたげて、オスヴァルドはコカトリスをにらみ返した。
コカトリスは、にいっと唇を吊り上げる。
「暗黒神様のご命令さえあれば、思うぞんぶん八つ裂きにしてあげるわよ。でもきっと、そんな用事で戻ってきたのではないのでしょうね」
「うん。このご老人の証言で、驚くべき事実が発覚したんだよ」
僕はいささかならず張り詰めた心地で、そのように答えてみせた。
「この、かつてのグラフィス公爵領であった場所では、いまだ人魔の術式が機能している。……オスヴァルドは、そう言っているんだ」
「何ですって?」と、コカトリスは目を細めた。
「以前にあなたも、その可能性は残されているなんて言っていたけれど……それが事実であったというの?」
「うん。どうやら、そうみたいなんだ」
僕が視線でうながすと、オスヴァルドは力のこもった声で言った。
「この地を捨てて逃走する際、魔術師どもの念話が聞こえたのじゃ。人魔の術式を解除すれば、この地から逃げることもかなわなくなる。ならば、このまま捨て置く他ない――とな」
すると、ルイ=レヴァナントがそれに補足をした。
「考えてみれば、不思議はありません。この地の貴族や市民たちは、人魔の姿で逃げ散ったのですからね。それらが他の領地に逃げ込むまで、人魔の術式を解除することなどできようはずもないのです。遠隔操作で解除するすべが存在しないのなら、この地に施された人魔の術式は今もなお発動された状態にあるのでしょう」
「でも……その老いぼれは、人魔に変化していないじゃない」
「この者には、デイフォロス公爵領の農奴たる烙印が捺されています。その時点で、グラフィス公爵領の貴族としての紋章は無効化されるのです」
コカトリスは、いっそう唇を吊り上げることになった。
「それで……今からこの地の人魔の術式を、解除しようというわけね?」
「うん。誰の邪魔も入らないところで人魔の術式の解除に取り組めるなんて、こんなありがたい話はないからね。それに……これで少しは、大地の魔力の無駄遣いを抑制できるはずだしさ」
髑髏の甲冑姿でなければ、僕はコカトリスに微笑みかけたいところであった。
「それじゃあ、さっそく取りかかろう。オスヴァルド、案内をお願いいたします」
オスヴァルドは無言のまま、かつて自分の暮らしていた城に足を踏み入れた。
城内は、鬼火の光でぼんやりと照らし出されている。オスヴァルドは迷いのない足取りで回廊を進み、やがて2階へと通じる階段に足をかけた。
その末に到着したのは、大きな扉の前である。
これは、僕が最初に足を踏み入れることになった、あの広間に通ずる扉であった。
「……この場所に、人魔の術式の触媒か何かが隠されているというの? わたしたちは、1日のほとんどをこの場所で過ごしているのよ?」
「人魔の術式は、その地においてもっとも神聖なる場所に施されていた。城においてもっとも神聖であるのは、この謁見の間であるのじゃ」
追従していたリザードマンたちが、コカトリスの許しを得てから、扉を引き開けた。
室内は、闇に閉ざされている。コカトリスが荒っぽく手を振ると、壁や天井に設置されていた燭台にオレンジ色の炎が灯された。
「どこよ? どこに人魔の術式が隠されているというの?」
「儂も、この目で確かめたわけではない。というか、それは人間の目で確かめられるような存在ではないという話であったのじゃ」
硬い声音で説明しながら、オスヴァルドは真っ直ぐ歩を進めていった。
突き当たりには、座具の置かれた壇が待ちかまえている。そこに登ったオスヴァルドは、左右の座具をうろんげに見回した。
「この場所には、公爵家の当主のための座具が準備されていたはずじゃが……」
「あんなものは、粉々にしてやったわよ。わたしの伴侶を奪った仇の座具なのだからね」
「そうか。何にせよ、それはこの壇の中央に据えられておったはずじゃな」
オスヴァルドはその場所まで進み出ると、自分の足もとを指し示した。
「ならば、おおそよこの位置じゃろう。魔術師たちは年に1度、この場所で祈りを捧げていた。あれは、人魔の術式に不備がないか、確認するための儀式であったはずじゃ」
「なるほど。それでは、調べさせていただきますね」
オスヴァルドに場所を空けてもらい、僕は石の床に膝をついた。
退屈そうにしていたナナ=ハーピィが、「ねえねえ」と声をかけてくる。
「どうしてベルゼ様は、その老いぼれに丁寧な言葉づかいなの? 人間相手に、おかしくない?」
「え? いや、まあ……僕も異界で、人間として生きていた身だからさ。人間のご老人を相手に、失礼な言葉を使う気にはなれないんだよ」
「変なのー! ま、ベルゼ様がそうしたいなら、好きにすればいいと思うけどさー」
すると、コカトリスが妖しく微笑みながらナナ=ハーピィをねめつけた。
「暗黒神様は、大事な仕事に励んでいるのよ。邪魔をするなら、その口を縫いつけてあげようかしら?」
「へーんだ! ベルゼ様だったら、こんなおしゃべりが邪魔になったりはしないよーだ!」
そんな風に言ってから、ナナ=ハーピィはいくぶん表情を改めた。
「だから、そんなに心配しなくても大丈夫だよ。これできっと、バジリスクも生まれてこられるようになるからさ!」
「……魔獣族のあんたに、そんな憐みの目を向けられる筋合いはないわよ」
「いいじゃん、別に! あたしだって蛇どもは気にくわないけど、それでもおんなじ魔族なんだからさ!」
両名の会話にこっそり心を和まされつつ、僕は「うーん」と首を傾げることになった。
「なんの気配も感じられないね。まあ、そんな簡単に見つけられるようなものだったら、コカトリスたちがとっくに気づいていただろうけどさ」
「……すべては、その老いぼれの虚言なのじゃないかしら?」
ふつふつと激情をたぎらせるコカトリスを、オスヴァルドは毅然と見つめ返した。
「そのように思うのなら、この皺首を刎ねるがいい。儂に惜しむものはない」
「あなたの首を刎ねても、何も始まりませんからね。何か、手掛かりなんかはないものでしょうか?」
「ない。儂が目にしたのは、魔術師どもがその場所で祈りを捧げる姿のみじゃ」
「祈り」と、ルイ=レヴァナントが反復した。
「それは、魔術を行使するための呪文なのではないでしょうか? 貴方は、それを耳にしているのですね?」
「うむ。しかし、儂にとっては意味を為さぬ言葉の羅列じゃった。そのようなものは、一言たりとも覚えてはおらんぞ」
「ですが、貴方の脳にはその言葉が刻みつけられているはずです。それを読み取ればいいのではないでしょうか?」
ルイ=レヴァナントに目を向けられて、僕は頭を掻いてみせる。
「人の記憶を読み取るって、どうやればいいんだろう? 僕にも可能な術式なのかなあ?」
「……私に可能であることが、暗黒神様に不可能であるとお思いでしょうか?」
「でも、僕のほうこそ過去の記憶がないんだよ。自分に何ができるのか、その場その場で身体のほうが思い出してるような感覚なんだよね」
「……では、私が手助けをいたしましょう」
ルイ=レヴァナントは何の前置きもなくオスヴァルドの額に指先をあてがった。
そして、僕のほうに逆側の手を差しのべてくる。
「私の手をお取りください。私を介して、この者の記憶を読み取れるはずです」
僕はいくぶん迷ったが、オスヴァルドの決然とした面を見て、自分も覚悟を固めることにした。
オスヴァルドもまた、強い気持ちで人魔の術式を無効化したいと願っているのだ。そのためならば、魔族に利用されることも厭わない、と決心したのだろう。それは確かに、武人を名乗るのに相応しい覚悟であるように思えた。
(貴族の中にさえ、現在の法や社会が間違っていると考えている人間がいたんだ。僕にとっては、心強い話だ)
そんな風に考えながら、僕はルイ=レヴァナントの手を取った。
蛇神族と同じように、ひんやりとした手である。凶悪な鉤爪の生えた僕の指先に比べると、それは貴婦人のようにたおやかに感じられた。
と――僕の脳裏に、いきなり見知らぬ光景が浮かびあがる。
場所は、この謁見の間だ。その壇上で、5名の魔術師たちが輪を作っていた。
魔術師たちは、何か奇妙な詠唱を唱えている。
地を這うような、陰気な詠唱だ。最初はまったく意味がわからなかったが、ふいにレンズの焦点が合ったかのように、理解の光が差し込んできた。
「ああ、なるほど。魔術の呪文っていうのは、こういうものなのか」
僕がそのようにつぶやくと、ルイ=レヴァナントはいぶかしそうに眉をひそめた。
「我が君には、この呪文の意味がご理解できたのでしょうか?」
「うん。アニデャ・イフ・ドゥラーラ・ルィファソゥ・ミダキュラ・ダェリーリ・ナーキュフィア・マラザラ・ニム・キュアムハグ・タキュハァ……闇よりも昏き漆黒の円環よ、古の盟約に従い、大地の魔力を我々の手に授けたまえ……って感じかな?」
ナナ=ハーピィやリザードマンたちは、きょとんとしてしまっていた。
「何それ? 変なのー! いったい、どこの言葉なの?」
「いや、それは僕にもわからないけど、魔術の呪文ってこういうものなんじゃないのかい?」
「そんなの、知らないよー! どうして知らない言葉で呪文なんて唱えなきゃいけないのさ?」
ナナ=ハーピィはそのように言いたてるが、それらの言葉は僕の頭や舌にしっくりと馴染んでいた。いくつかの単語を聞いただけで、僕の肉体が思い出したようであるのだ。
「1000年を生きるベルゼビュート様は、我々の知らぬ叡智を備えておられるのでしょう。何も不思議はないかと思われます」
ルイ=レヴァナントがそのように見解を述べると、コカトリスが黄色い目を光らせた。
「でも、人間どもはどこでそんな叡智を授かったのかしらね。そもそも、どうして人間なんかが魔術を扱えるようになったのよ?」
「それもまた解明するべき謎であるのでしょうが、現在は人魔の術式の無効化を優先するべきではないでしょうか」
「もっともだね。とりあえず、これで人魔の術式の正体を僕たちの前に引っ張り出せそうだよ」
僕はルイ=レヴァナントの指先から手を離し、壇の中心に舞い戻った。
「いちおう、みんなは下がっておいておくれよ。何が飛び出すかわからないからね」
オスヴァルドは人間に過ぎないので、魔術師たちの詠唱によって何が生じたのかも見て取ることはできなかったのだ。オスヴァルドが知覚していない領域については、記憶を盗み見た僕たちにも知覚できなかったのだった。
全員が壇の下に降りたのを確認してから、僕は呪文を詠唱する。
「アニデャ・イフ・ドゥラーラ・ルィファソゥ・ミダキュラ・ダェリーリ・ナーキュフィア・マラザラ・ニム・キュアムハグ・タキュハァ」
とたんに、目の前の空間がぐにゃりと歪んだ。
僕が亜空間の衣装棚を開くときと同じように、世界に穴が穿たれたのだ。
それは、直径1メートルぐらいもありそうな、漆黒の円環であった。
円環の内側は、淡い灰色に塗りつぶされている。目だけを頼りに知覚するならば、黒い縁取りのされた灰色の円盤、と称するべきだろう。
しかし、暗黒神としての知覚能力を持つ僕には、これがそんな単純な存在でないことはすぐに理解できた。その証拠に、こいつはどのような角度から視認しても、常に「黒い縁取りのされた灰色の円盤」であったのだ。
上から見ても横から見ても、灰色の真円は常に同じ形状であり、そして輪郭線は黒色である。三次元の世界において、このようなものは存在し得ない。これはつまり、漆黒の円環が次元を超越した門であり、その内側に灰色の亜空間を覗かせている、という状態にあるのだった。
「……それが、人魔の術式の正体なの?」
壇の下から聞こえてくるコカトリスの声に、僕は「いや」と応じてみせる。
「これはあくまで、異なる空間への出入り口であるようだね。この向こう側に、人魔の術式の触媒か何かが――」
そのとき、漆黒の円環を中心として、空間が軋んだ。
僕はすかさず、壇の下に飛び降りる。
それと同時に、円環の向こう側から凄まじいエネルギーの奔流が繰り出された。
「これは……!」
壇の下に降りると同時に、僕はみんなを守るための障壁を生み出した。
しかし、このようなものを生み出すのは初めてであったので、手際が悪かったのだろう。荒ぶるエネルギーの暴風に巻き込まれて、リザードマンのひとりが黒い塵と化すことになってしまった。
「みんな、僕の後ろに固まって! これは、危険だ!」
広大なる広間の内部を駆け巡ったエネルギーの暴風が、再び壇上に集結した。
漆黒の、巨大な竜巻のごとき姿である。
そこから生み出される波動によって、コカトリスたちの座具は壁まで吹き飛ばされていた。
「……これはおそらく、人魔の術式を守るための備えであるのでしょう。術式に干渉する資格を持たない者が門を開いたため、発動されたのではないかと推測いたします」
こんな際でも感情の欠落した声音で、ルイ=レヴァナントはそのように評していた。
その間も、漆黒の竜巻は威嚇のうなり声をあげるかのように、轟々と渦を巻いていた。
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