第34話タイトル~ただいま~(信じて送りだした縮地が以下略)

 走りながら美咲ちゃんのお姉ちゃんに近づく悪い虫をどうにかする方法を話し合うつもりだったが、実際走りながら喋るのってって非常に疲れる。ジョギング歴の長いジョギングビッチの美咲ちゃんならともかく、ほぼジョギング童貞の俺には無理だ。

 といわけで走り終わってから話し合うことになった。

 1時間ほどかけて町内を1周するコースを走り、スタート地点でもあったアパート近くに公園にたどり着く俺たち。


「ゴール! あ、ダメダメ! 急に立ち止まっちゃダメだって! 歩く歩く! クールダウンクールダウン!」


 俺としては今すぐにでも地面に倒れ伏したかったが、鬼コーチである美咲ちゃんが背中をドンドン押すので仕方なく公園内を歩く。確かに遠藤寺著のジョギングノートにもジョギング後にすぐ立ち止まったら、急激な負荷が体に掛かったり、明日に疲労が残ったりするとか書いてあった。

 そういうわけで歩く。とぼとぼ歩く。

 極度の疲労に肩を落としながら公園内を練り歩く俺の姿は、餌を探し彷徨う熊のように見えたかもしれない。


「はい、オッケー! もういいよ!」


 暫らく歩いて美咲ちゃんの許可が出たので、ベンチに全体重を乗せる勢いで座り込んだ。


「やれやれ、疲れた……」


 ジョギングも3日目だが、走り終わった後のこの疲労がコンクリートのように固まって体に纏わりつく感覚は慣れない。

 今も「やれやれ」とか少し余裕ある感じで文字にしてみたけど、実際は


「ヅ、ヅガレ……ダハァ……ハァ……ドフゥ……エハァ、ガホゥ、フォカヌプゥ……ダディャーナザァーン……」


 こんな感じである。

 今も頭は酔拳2でジャッキーがやってた両手で輪っか作ってグルングルンするやつ(分かるかな?)をされてるみたいにフラフラだし、肩もちょっと軽めの力士が乗ってるみたいに重い。足なんか台風に弄ばれて今にも折れそうな小枝みたいにプルプルしてるし、喉もガラガラだ。喉から出る声も第四次変声期が来たかってくらい低い。デバフもりもりの状態だ。

 たぶん今だったら超過保護な親にクソ甘やかされて育った軟弱小学生の一撃でもKOされそうなくらい疲労困憊だ。


「ハァ……ヒィ……オエェ」


 汗が止まらない。体の内側からビュッビュッビュとあふれ出す。

 必死で息を整えようと頑張るが、自分の体から立ち昇ってきた汗の匂いにえづいてしまう。

 超臭い。走ってる時は必死で分からなかったけど、俺の汗臭い。例えるなら地上に出てきたモグラの臭いみたいな、そんな臭さ。

 最近、ジョギングから帰ってジャージ脱いだら、そのジャージをエリザがクンクンして「これすきー」とか言うんだけど、どうかしてると思う。多分あの子幽霊だから、嗅覚が人間とは違うんだと思う。


 次に一撃くらったら一発轟沈しそうなくらい疲労の溜まっている俺だが、一方の美咲ちゃんは。


「よし、よし……っと」


 特に疲れた様子もない。

 ピンピンした様子で軽く屈伸したり、アキレス腱を伸ばしたり、手ブラ(手をブラブラさせる行為。別のことを考えたあなたは間違いなくドスケベ)をしている。。

 そのまま俺と同じく休憩するのか、と思いきや。


「じゃ、辰巳は少し休憩しててね。あたしはさっきのコースをダッシュしてくるから」


 と敬礼するように手を上げ、全力ダッシュで公園から消えた。


「い、行って、らっしゃい……はぁはぁ。……はぁー、ふぅー」


 残されたのは、最近あんまりやらない『懐かしのアニメ名場面ランキング』常連の真っ白に燃え尽きたジョーを再現した俺。 

 暇なんで力石、ジョーを女体化して再構成した同人アニメを1話から妄想していると、第26話のジョー子がパンチラクロスカウンターを編み出した辺りで美咲ちゃんが公園に戻ってきた。現実時間にして15分の出来事である。


「ふぃー……疲れたー」


 そういう美咲ちゃんはあまり疲れた様子はなく、何ならもう2.3周は行けるくらい余力を残しているように見えた。

 どうやら美咲ちゃんは相当なバイタルモンスターらしい。将来彼女の伴侶になる人は大変だ。夜の生活的な意味で。


 何はともあれ、今日のジョギングは終了。

 今にも倒れそうなくらい憑かれている俺だが、少しは体が慣れてきたようだ。最初の頃なんか実際に倒れてたし。


「お、つ、かー、れ!」


 美咲ちゃんが1歩ずつ近づいてきて『れ』の部分で、ストンと俺の隣に腰を落とした。

 美咲ちゃんが発する汗の匂いと、ジャージに染み付いた洗剤の匂いが混ざり合って何とも言えない不思議な香りを醸し出した。

 嫌いじゃない匂いだ。むしろ好きかも……。この香りを嗅ぎつつ執筆作業とかしたら、いい感じに傑作を書き上げることができそう。

 しかし不思議だ。同じ人間の筈なのに、俺と美咲ちゃんでどうしてこんなに汗の匂いに差が……? 慢心? 環境の違いか? 上澄みの薄いオイルで作られたのが俺で、濃いオイルで作られたのが美咲ちゃん? 

 何にせよ神様ってば不公平! もし神様に会ったら? モチのロン神殺しよ! チェーンソーが唸るぜ! え、ア○ア様みたいな駄女神だったら? ……馬小屋で一生アク○様の水芸(意味深)を見るだけの人生を送りたいですね。


「ああ、お疲れ美咲ちゃん」


 ともかく、こんなマイクソスメル(悪臭)を現役JKに至近距離で嗅がせてたら、どっかの団体から抗議が来そうなので、さりげなくベンチの端に寄る。自分の体温で温まってない部分に移動したので、尻が冷たい。


「あっ、また! 何でそうやってすぐに離れるの? もう!」


 が、すぐに美咲ちゃんに見つかってしまった。

 勢いよく距離を詰めて来て、何ならさっきより距離が近くなっている。俺が近距離パワー型のスタンドの持ち主だったら、今すぐに一発ぶちこめる位置だ。

 こんなに近いと左折で巻き込んじゃうよぉ……。


「いや、ほら。だ、だって俺汗臭いし」


「何言ってんの? 走ったんだから汗かくのあたり前じゃん。あたしだって汗臭いし」


 んー、どう説明しようか……。同じ汗でも俺と美咲ちゃんの間にある圧倒的な差……。

 スマホゲーに例えるならノーマルとウルトラレア、Zガンダムならカツとカミーユ、スタンドならサバイバーとザ・ワールド、アムロとヤムチャ、ラインハルトとスバル、千早ちゃんとあずささん……同じ存在だけど、そこにはマリアナ海溝よりも深い、圧倒的な隔絶があるのだ。

 それを美咲ちゃんに説明する方法を考えていると


「……すんすん。別に普通だけど。普通の汗の匂い。フツーフツー」


 とか言いながらいつの間にか、美咲ちゃんが俺の胸元辺りに顔を寄せてクンカクンカしてたので、冗談抜きで5秒ほど俺の時間は止まった。

 時間停止が解除された後「ほんと? じゃあ、俺もお返しに美咲ちゃんの匂いクンカクンカするねー」と臨機応変に対応できるくらいコミニュケーションレベルが高かったら、みんな幸せになれただろうけど、実際は


「あ、そう……あ、ありがとう……フヒヒ」


 みたいにぎこちなくなってしまって、すんごい恥ずかしかった。

 



■■■



「さて! じゃあ作戦でも話し合おうか!」


 恥ずかしさを振り切るように、ちょっと声を張り上げた俺。

 

「……作戦?」


 一方の美咲ちゃんは困惑した表情で首を傾げていた。


「いや、美咲ちゃんのお姉ちゃんの、ほら」


「お姉ちゃんの?」


「……最近お姉ちゃんに近づくムカツク男をどうにかする作戦」


「あっ、そうだった!」


 どうやら忘れていたらしい。つい1時間前の話なんだけど。

 全力疾走したせいでいい感じに汗と一緒に記憶も流しちゃったのか?

 薄々理解し始めてきたが、美咲ちゃんはVITとかSTRにばっかりステータスを振ってて、INTには殆ど手を付けていないらしい。

 ぶっちゃけ、かなりアホの子という説が俺の中で濃厚に……。

 

「そ、そうだった! 辰巳が手伝ってくれるんだよね! どんな作戦だっけ? えっと……あたしがそいつを空き地に呼び出して、辰巳が後ろからボコボコにする、んでダンボールに詰めてから川に流す……んだよね?」


「……」


 思わず絶句してしまう。

 何もかも違う。つーかまだ何の作戦も話し合ってないし、何かいろいろ混ざってるし、俺が主犯格になってるし。

 

「……」


「うぁ!? 何か凄い残念なものを見る目で見られてる!? ちょ、ちょっと待ってね! え、えっとえっと……あ、そうだ! ボコボコは駄目なんだっけ!?」


「そうだね。捕まっちゃうからね」


 よかった。それすら忘れていたら、さっきの俺の説得は全く無駄になっていたところだ。


「ということは……辰巳が後ろからアイツを捕まえてる間に、辰巳ごと袋に詰めて……ダンボールに入れて川に流す……で、いいんだっけ?」


「そんなに川に流したいの?」


 もしかすると俺が先ほどした例え話(ダンボールの猫)が、美咲ちゃんの中でかなりインパクトがあったのかもしれない。

 勿論、俺は身代わり(ピッコロさん)的行為もしないし、川に流したりも流されたりもしない。直接姿を現して暴力を振るうなんてもっての他だ。

 俺の作戦は可能な限り、相手の前に姿を現さないようにしつつ、地味だが確実に相手にダメージを与えていく方法だ。


「え? 直接アイツに会わないの?」


「ああ、会わない。相手がどんな男か知らないけど、報復とか怖いからね」


 美咲ちゃんのお姉ちゃんから引き離すことに成功はしたけど、逆恨みで美咲ちゃんが狙われる……なんてことは絶対に避けたい。

 確かに美咲ちゃんはかなり強いけど、いくら強くたって女の子であり、1人の人間だ。絶対なんてことはない。

 実際試合前からコールドゲームが発生するくらい強さに差がある俺でも、その気になれば美咲ちゃんを倒すこともできるだろう。え、方法? そりゃ、あれですよ。こっちは大人、あっちはまだ子供……ちょっと大人のテクでアレをアレすれば、ワンパンイチコロでメス顔カーニバル開催まったなしですよ。


 何はともあれ、まずは相手に自分が狙われているという危機感と若干の恐怖感を与えなければならない。

 幸い、相手が通う学校と下駄箱は分かっている。


「というわけでまずは手紙だ」


「手紙?」


 ぶっちゃけ不幸の手紙だ。相手に精神的なストレスを与えたい。『お前を見ている』とかそういうシンプルなものがいいかも。ちょっと飛躍して『俺を見ているお前を見ている』とか『その目誰の目』、『上野さんは不器用』とかそういう内容でもいいかな。あ、最後のは最近おすすめの漫画のタイトルだった。


 最初は悪戯にしか思われないだろうけど、徐々に本人しか知らない情報なんかを混ぜていって、身近にいる誰かの仕業だと思わせる。

 それを続ければ少しずつだが、周囲の人間に対する疑心暗鬼が膨らみ、相当なストレスになるだろう。

 同時に手紙以外にそいつの嫌いなものを下駄箱に入れたり、相手に気取られる程度に後をつけたり、ネットの掲示板に悪口を書いたり通ってる大学の男子トイレにそいつの電話番号を『誰でもいいから滅茶苦茶にして!』って文字と一緒に書いたり、相手の住所を調べて宅配テロしたり……まあ、そういう地味だけど陰湿な作戦を考えているわけだ。相手の周囲を包囲して徐々に殲滅していく――名付けて包囲殲滅作戦。


 相手のメンタルの強さによって方向性を考えていく必要はあるけど、これで大体なんとかなるはず。会ったこともない男子大学生相手に正直やりすぎだと思わなくもないけど、実際もし自分の家族、俺だったら雪菜ちゃんに悪い虫が近寄って2人っきりの部室でアレやコレをしてるなんてことになったら……よし、やっちまえ長門!ってなるよね(長門は関係ない)。完膚なきまでに追い詰めて、生きていることを後悔させたくなるよね。

 

 相手の男子大学生には悪いが、俺の作戦の犠牲の犠牲になってもらおう。なに、美咲ちゃんにボコボコにされて入院するより、軽い精神的ストレスで引き篭もりになる方が、ずっとマシだろう。美咲ちゃんも暴力行為で捕まらない、相手の男も怪我しない、美咲ちゃんのお姉ちゃん――1人の美少女大学生の貞操も守れる、俺は女子高生に感謝され自宅に招かれたり美咲ちゃんのお姉ちゃんと知り合ったりして最終的に姉妹丼ルートを開拓できる――WIN×WINだ。これ以上ないほどのWIN×WINだ。損した人は誰もいない、弱者など何処にもいない、俺たち全員が勝者なんだ。


「手紙って……こういうの?」


 俺が作戦の展開について考えていると、美咲ちゃんはジャージのポケットから何やら手紙を取り出した。

 なに? 作戦を説明する前から既に用意してるとか……美咲ちゃんってエスパーだったの? 美少女JKエスパー(空手部所属)とか、ちょっと盛りすぎじゃないですかね。


 いや……違うな。手紙に果たし状って書いてある。

 そういえば、今朝相手を呼び出す果たし状用意してるとか言ってたっけ。


「いや、こういうのじゃ無くて」


 違うけども、個人的に現役JKがどんな文章を書くのか気になったので読んでみる。やっぱり顔文字とかギャル語とか使ってたりするのだろうか。

 手紙の表紙にはこう書いてあった。


『県たし伏』


 ん?


『始めまして。あたしはお姉ちゃんの妹の美咲っていいます。いきなりですけど、あなたが凄くムカつくので、ボコボコにしたいと想います。理由は言いませんけど、すっごくボコボコにします。この手紙を読んだら、学校近くの空き地(手描きの地図)に来てください。そこでボコボコにします。多分病院に行かなきゃならないくらいボコボコにするので、出来たら人院の隼びをしておいてください。あたしの怒りレベル的に、金沿2ヶ月くらいボコボコにします。多分固い物も食べれないくらいボコボコにするので、ゼリーとかプリンもあったほうがいいと想います。来なかったらあなたの家族もボコボコにします。お母さんもお父さんも兄弟も姉妹も全員ボコボコにします。おじいちゃんとおばあちゃんはしません。あとペットがいたら犬はボコボコにします。可愛い犬種だったら見逃します。。猫は可愛がります。島は空に逃がします。魚系は近所の川に流します。虫は近所の森に逃がします。そのほかも基本的に森に逃がします。あと、絶対に1人で来てください。池の人も連れてきたら、その人もボコボコにします。その人の家族はボコボコにしませんけど、森に逃がします。そんな感じでよろしくお願いします――させこ』


 俺はなんとも言えない気持ちで手紙を折り畳んだ。


「うん。……うん」


「それちょっと修正したら、使えるかな」


「うん、それ無理」


 俺は素敵な笑顔でそう言いつつ、手紙をクシャクシャに丸めた。


「ひ、酷い! 辰巳酷い!」


「酷いのはこの手紙だよ」

 

 何が酷いって、もう全部酷い。

 とりあえず誤字が多い。池の人って誰だよ。島は空にってラピュタか?

 つーか文字汚ねえ! 全体的に汚い! お手紙じゃなくて汚手紙だよ! 身近に先輩……同じくらい文字が汚い人がいるから、何とか読めたけど……その経験がなかったら、絶対読めてない。それくらい汚い。


「つーかこの紙……裏に何か書いてる。――卵1パック98円」


 チラシ! 近所のスーパーのチラシ! 俺とエリザがよく行ってるスーパーのチラシ!


「そ、そんなに酷いかな……」


「酷いね。酷い手紙オブジイヤーで金賞取るレベル」


「金賞? ……えへへ」


「えぇ……」


 金賞って部分だけ聞いて喜んでるよ……。

 他にもいろいろツッコミどころはあるけど……とりあえず近所の森が大変なことになってるな。

 ん? よく見たら隅の方に……動物の絵が。


「た……ぬき?」


「うん狸。ほら、本とか文字って読むのってすっごい疲れるでしょ? だからゲーム性を出して飽きないように、クイズにしようと思って。ほら、子供の頃あったじゃん。文字の中に『た』がいっぱいあって、たぬきがヒントで『た』を抜いて読むとちゃんと読める、みたいな」


「うん。……うん。でも文章中に余分な『た』無いよね」


「だって書き終わった後に思いついたし」


「そっか」


 ならしょうがないな。書き終わった後に思いついたならちかたない。


「そうそう」


「ははは」


「えへへ」


「フフフ」


 俺は丸めた手紙を丁寧に伸ばしてから、再びクシャクシャにした。


「もう1回酷い!? 何でこんな事するの!?」


「自分の胸に聞いてみるといいよ」


 ただ物理的に自分の胸の音を聞くのは難しいので、俺が聞いてやってもいいけどな。

 とりあえずこの手紙は無しだ。修正も何も無い。これは貴重な生女子高生の生手紙として、我が一ノ瀬ラボが接収する。これがあれば未知の部分が多い女子高生の生態についての研究が進むだろう。


「せっかく先輩に手伝ってもらって書いたのに……」


 果たしてどこまで手伝ってもらったのか、何割ほどが美咲ちゃんの手がけた部分なのか……俺は怖くて聞けなかった。

 結局手紙は俺が用意することにして、今後の作戦展開は俺から美咲ちゃんに連絡をするということで連絡先をゲットした。やったぜ。



■■■



 アパートに戻ってくると、出発した時にあったファンタズム一ノ瀬を捕えるトラップが消失していた。

 罠があった場所には、同じアパートに住む麦わら帽子の小学生がいてトラップ――鯖の塩焼きを食していた。

 トラップのパーツであるザルを頭に乗せたまま、パクパク頂いていた。 


「もぐもぐ、むぐむぐ」


 いつも持ち歩いているスケッチブックを地面に置き、その上に体育座りで座っている少女は、恐らく家から持ってきたであろうマイ箸(ウサギが跳ね回っている柄)を巧みに使い、鯖の身をほぐし次々に口に入れていた。

 この歳にしては随分箸の使い方が上手い。恐らく親の教育がなっているのだろう。こういう箸の使い方とかって子供のころからしっかり親が教えてないと大人になってから恥かくんだよね。

 俺? 自分で言うのもなんだけどかなり箸の使い方は上手い方だ。みっちり使い方を叩き込まれましたからね……雪菜ちゃんに。小さいサイコロをね、箸で積み上げるの。で、もし崩したらその時に出たサイコロの目の合計だけ……いや、やめておこう。もうアレは終わったことだ。俺の特訓は、とっくに終わってるんだ!(バトーさんっぽく)


 俺は未だに鯖を食べ続ける少女に接近した。足音に気付いたのか、少女の視線が俺を捉えた。


「……!」


 少女は口内の鯖を飲み下し、慌てて空になった皿を地面に置き、麦わら帽子の中からマイペン(ウサちゃんの顔シールが貼ってる)を取り出した。

 そして右手にペンを持ち、左手に――何も持っていないので、首を傾げる。左手にあるはずの何かがない、そんな困惑した表情だ。

 あるはずの物――ウッチャンに対するナンチャン、高森朝雄の原作に対するちばてつやの『あしたのジョー』、ウルゥルに対するサラァナ、ミナミィ……に対するなぁにアーニャちゃん♪ ではペンに対する何かは……何だ?


「……?」


 その何かを探すように視線をあちこちへ向けるが、どうやら目的の物は見つからないらしい。


「……!? ……!?」


 困ったような表情でワンピースのポケットに手を入れ、麦わら帽子をひっくり返す。

 だが見つからない。

 座ったままカルタ遊びのように、周囲の地面をバンバン叩く。


 そして最後にスカートを捲りあげてその中を覗き込もうと――


「あいや待たれよ!」


 探す前に俺がスカートの端を掴んで、ストップをかけた。

 危ない危ない。朝っぱらから女子小学生にスカート捲らせるとか、目撃されたら言い訳できない光景だ。

 少女が『なにするの?』みたいな抗議的な表情で見てきた。

 こっちが『なにするの?』だっつーの! 女の子が自らスカートを捲るのは、校舎裏か体育倉庫裏って決まってんでしょうが! あと処女だけど淫乱の気のある女の子との初夜! そんなん小学生だって知ってるわ!

 

「なに? なんなのなの? 一体何探してんの?」


 小学生が探す物といえば……妖怪かな? ポ○モンかな?

 どちらにしろスカートに中にはいないだろうよ。

 でも、もしスカートの中にいるんだったら……流行りに乗るようで癪だったポケモンG○を今すぐにでもやる。親を質に入れてでもやる。


「……っ、……っ」


 少女は身振り手振りで、探している物を俺に伝えようとする。

 だがどうにも要領をえない。

 ペンを片手に持って……それを何かに書く? その何かを探している。その何かは四角い物で? ペラペラと捲れる? ……捲れる? スカートの話か? わからん。リントの言葉で話せ。


 もっと分かりやすい方法はないだろうか。

 そうだ。


「ちょっと分かんないな。尻文字を使ってくれ」


「……?」


 首を傾げる少女。どうやら最近の小学生は尻文字という文化(文化か?)を知らないらしい。

 ので、説明する。


「……っ! ……っ!」


 顔を赤くした少女に腰の横ら辺にある骨が出っ張った部分を殴られた。結構痛い。

 ぷんすか怒った少女は、ハッと何かに気付いてペンの裏で地面に『スケッチブック』『わたしの宝物』『ないと困る』と書いた。最初からそうしろよ。なるほど、スケッチブックを探してたのか。

 つーかその宝物(スケッチブック)……


「さっきから座ってるじゃん」


「……!?」


 ギョッとした表情で立ち上がり、自分が尻に敷いていた物――スケッチブックを手に取る。

 パンパンと土を落とし、白紙のページにペンを走らせ、俺に見せてくる。


『そっか。本当に大切な物って、いつだってすぐ近くにあるんだ』


「宝物をレジャーシート代わりに使っといて、何言ってんだお前……」


『う、うっさいな!』


 顔を赤くしたまま、スケッチブックでポカポカ殴ってくる。宝物の扱いぞんざいすぎ。


「つーかさ、朝っぱらから何食ってんの?」


 俺は皮の一片まで食べ尽され、綺麗になった皿を指しながら言った。


『鯖』


「いや、それは分かってるんだけど」


『落ちてた鯖』


「落ちてる物食べるなよ」


 自分で言っておいてなんだが、凄くまともなことを言ってる気がする。


『だってちゃんとラップしてたし』


「ラップしてたら何でも食うのかよ」


 ん? 今、何でも食うって言ったよね?(俺が)

 だったらもし俺がラップに包まれてても食べてくれるの? ペロっといっちゃってくれんの? 

 もしそうなら、次回の誕生日で俺やるよ! 「プレゼントは……あ・た・し」――やっちゃうよ?

 あの箸捌きだ。さぞ綺麗に俺を召し上がってくれるだろう。身も心も残さず余さず。うーん、楽しみ!


『だって落ちてた物は1割貰えるって、テレビで言ってたもん。もんたさんが言ってたもん』


 ケンミンSH○Wか? つーか


「10割食ってんじゃねーか」


「……!?」


「いや、口を手で押さえてそんな今気づいたみたいな驚き顔されても……」


 可愛いとしか言えないでしょうが!


「そもそもその鯖、大家さんのなんだよ。大家さんがそこに置いてたの。だから落とし物じゃないんだよ」


『……何でおーやちゃんの鯖の塩焼きが、お皿に乗ってラップしてあって、庭のド真ん中に置いてあるの? 何の目的で? どんな意味があるの? どうして?』


 麦わら少女は心底不思議そうに尋ねてきた。その瞳には純粋に、わからないものに対する疑問が浮かんでいる。

 まるで赤ちゃんはどこからやってくるの? そう親に尋ねる子供のような純粋な瞳。

 その質問なら問題ない。どこからやってくるのか、その入り口から出口まで注釈付きで答えよう。

 ただ実際は大家さんが何故鯖を庭に仕掛けていたかを説明するわけで……そうなると必然的にファンタズム一ノ瀬とかいう大家さんが生んだ妄想の産物の話をしないといけないわけで。たぶんその説明をすると大家さん、そして下手すれば俺も頭のおかしい人扱いをされるわけで……。

 そういうわけでいろいろ面倒くさくなった俺は


「大人になればわかるよ」


 と投げやりに答えた。

 少女は腑に落ちない表情で『大人意味分からん。やっぱりわたし、大人になりたくない……』と力ない文字で書いたのだった。


 ところでこの少女は大家さんのことをおーやちゃんと呼んでいるが、ちょっと前までは普通に大家さんと呼んでいたはずだ。

 どうやら俺の知らないところで、2人の関係はほんの少し変わっていたらしい。

 自分が知らない場所で人間関係が変化するのは当たり前のことだけど、何だか少し寂しい気がした。




■■■



 少女と別れた後、俺の中には1つの疑問が残った。


「大家さんは?」


 この鯖トラップを仕掛けた本人である、大家さんの姿が見えない。

 外れとはいえ、罠に人がかかったんだから、ここにいてもおかしくないのに。

 ざるを支えていた棒に括りつけられた紐は、朝と同じく大家さんの家庭菜園に続いていた。

 朝の行動を繰り返すように、紐を伝って菜園に足を踏み入れる。


「大家さん?」


 返事はない。

 暫らく野菜やら何やらをかき分けて進むと、そこにいた。

 

 大家さんが――目を閉ざし、横たわっていた。


「――」


 あまりに神々しい光景に言葉も出なかった。

 太陽が少し上り暖かくなってきた空気の中、植物に囲まれ、地球というベッドに横たわる大家さんの姿は、虚飾抜きで神がかった美しさを感じた。

 あまりに現実離れした美しさに、今この瞬間に地球(ガイア)が人間との対話の為に作り出した星の代行者ではないかと……そんな突拍子もない考えが、割りとマジで浮かんでしまった。

 もしこの大家(ガイア)さんが「ちょっと最近の人間調子こいってから、滅ぼして来いや」って号令を発したら、vs地球全人類っていう無謀な戦いに喜んで挑んじゃいそう。世界を牛耳る2つの組織のどちらにも潜入して潰しあうようにスパイとかしちゃう。

 そんなアホなことを考えてしまう。

 和服を着た美少女が土の上で寝ているという現実感のない光景がそんなことを思わせたのかもしれない。


「アホなこと考えてないで、大家さん起こすか」


 しゃがみ込んで、大家さんの肩を揺する。

 大家さんの和服は、地面の湿気を吸い取ったのかほんのりと湿っていた。


「大家さん。こんなとこで寝てたら風邪ひきますよ」


 何度か揺すってみるが起きる気配はない。

 これはもう、うっかり手を滑らせて胸元に手がスルンと行っちゃう事故覚悟で、揺する力を強くしなければ起きないだろう。

 

「大家さん! 起きてください!」


 さっきよりチカラ強く揺する。大家さんの体はゆさゆさ揺れるが、大家さんの胸にあるお山は全く揺れない。このお山を動かすのは熱気バ○ラでも無理だろう。

 

 よし、それじゃあ事故を起こすとしよう。

 今です! パワーを右手に!


「あっ、ミギー(右手のこと)が勝手に……! ……ん?」


 右手がうっかり滑って胸元にスルンと行く直前、今から右手が向かおうとしていた胸が……全く動いていないことに気が付いた。

 揺れないのは当たり前だが、いくらなんでも全く動かないのはおかしくないだろうか。呼吸をしている以上、多少は上下するはず。

 

「ん? んんん?」


 改めて大家さんの起伏のない胸を観察するが、その起伏のない胸が起伏する様子は全くない。

 右手を伸ばし、大家さんの口元に持っていく。

  

 大家さんは呼吸をしていなかった。


「え……嘘……だろ……」


 大家さんは。

 まるで眠るように。

 静かに。


 死んでいた。


 さっきまでうるさかった蝉の鳴き声が、聞こえなくなっていた。

 何も、聞こえない。


 何も。何も。

 自分の吐息すら、聞こえない。


 静寂だけが、ここにあった。


 そして次第に、俺の中で大きくなっていく音。


 それは――日常が壊れる音。




■■■



 

 あまりに衝撃的な展開過ぎて、衝動的にホームページを破いて俺に送りつけた人には悪いが、大家さん生きてた。

 胸が上下してなかったように見えたのも純粋に大家さんの胸が小さかったからだし、呼吸を感じなかったのは大家さんが寝るとき鼻呼吸をするタイプだったからだ。めっちゃ普通に生きてたよ。死んだように眠るってこういうことなんだね。ごめんニャン!

  

「ふわぁぁぁぁぁ~……あふぅ」


 と長い欠伸と共に起き上がった大家さんは、それはもうスッキリとした表情で3日寝ていない人間がマリアナ海溝より深く質の濃い睡眠をとったような……そんな表情だった。目の下にあった隈も消えてるし、心なしか肌がツヤツヤしている。

 

「うーん、よく寝ました。ほんと、こんなに気持ちよく眠れたのはひさしぶりですー。学生時代に自転車に乗って不眠不休で有明まで行ってアレコレした後、そのまま不眠不休で家に帰って布団に入った……あの時以来ですねー」  


 などと言いつつ、ぼんやりとした表情の大家さんと、俺の視線が交差する。


「あ、一ノ瀬さん、おはようございます! って、どうしたんですか一ノ瀬さん? そんな黄天化が背後から剣を刺された時みたいな顔して。……というか、何で穴掘ってるんですか? その穴なんです?」


 まさかあまりの事態に錯乱して『私が死んだらお庭の菜園に埋めてください。……私の体がお野菜ちゃんたちの栄養になる、えへへ、素敵ですよね』って大家さんが言った過去を捏造、その(捏造した)言葉通りに大家さんを埋める穴を掘っていたとは言えないので……


「いや……その……菜園の……お、お手伝いを……」


「え、本当ですか! わあ、嬉しい! ジャージまで着てやる気まんまんじゃないですかぁ! ……えへへ、ありがとうございます!」


 と心底嬉しそうに大家さんが言うので、ジョギングで疲れた体のまま手伝うことになってしまった。自業自得とも言う。


 ところで久しぶりの睡眠から目覚めた大家さんだが、自分が何故ここに眠っていて、何をしようとしていたかを全て忘れていた。

 鯖トラップを仕掛けていたことも、一ノ瀬ファントムを捕まえようとしていたことも、全てスッキリ忘れていた。

 長い徹夜から開放されたせいかもしれない。大家さんの目からは一ノ瀬ファントムに対する病じみた執念が消えていた。


 そう、一ノ瀬ファントムは……本当に幻想(ファントム)になったのだ。

 覚えているのは俺だけ。

 俺の心に中に眠る……ファントム。今度こそ俺の中だけで眠っていてくれ。

 そう思うのだった。


 いや、まあだから何だって話なんだけど。




 

 

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