第25話縮地四天王第二の刺客――兎跳びの吾郎(吾郎は世界で唯一縮地ができる兎である。雅夫はオフの日にそんな吾郎を見に来たのだが、その途中車に轢かれて死んだ。……死んだのだ)


 朝。

 俺はエリザが作っている朝食の香りを楽しみながら、パソコンの前に陣どっていた。

 カタカタとキーボードを打つ。

 今は俺が1年近く書き続けている長編小説『イカ×オレ』の番外編を執筆中だ。

 番外編は主人公である俺とイカちゃんが艦○れの世界に迷い込んで、俺は提督にイカちゃんは艦娘になって過ごすといったほのぼの日常系の話だ。

 イカちゃんの艦種は『イカ釣り漁船』で全く戦力にはならないが、そこはまあ俺が愛を持って錬度を上げている。

 イカちゃんばかり贔屓する俺に他の艦娘が嫉妬しちゃうから、ほんともー提督って大変!

 今回の話は俺がどうにかして利根ちゃんの足の間を潜り抜けようと奔走する話なんだが……非常に難産だった。だがそれだけに完成した今の達成感は心地がいい。


「よし、投稿だ」


 ターンとエンターキーを押す。

 自分が書いた作品を投稿する瞬間は未だに緊張する。果たして読んだ人に楽しんでもらえるのか。感想は付くだろうか。前の更新で応援してくれた人が急に手のひらを反して来たりしないだろうか。

 そんな緊張感。だがその適度な緊張感が心地良い。


「……って、いつもの癖で更新しちゃったけど。……違うんだよ!」


 ツッコミを入れてくれる人がいなかったので、自分でツッコミを入れる。

 何で俺は朝から小説を書いてるんだよ。何が『作戦その2。居酒屋の暖簾と勘違いしてくぐろうとする』だよ。頭おかしいじゃないの?


 昨日のダイエット宣言から夜を跨ぎ、俺は朝からダイエット方法についてネットで調べていた。

 俺自身、今まで雪菜ちゃんが完璧にカロリー計算をした料理を食べてたので太った経験は無く、ダイエットなんてものに縁が無かった。 そうなれば現代っ子の俺はインターネットに頼らざるをえない。

 そうして朝からザブンザブンとネットの海を泳いでいたわけだが……。


 ダイエット情報多過ぎぃ!

 検索しただけでも何万とダイエットについてのサイトが出てきた。

 内容も「ダイエットに効く筋トレ」とか「私のダイエット記録」とか「〇〇堂のサプリだけ飲んでたら80kg以上あった私の体重が……!」とか「ダイエットをしたいそこのあなた。ここをクリックして下さい。いますぐナウ!」などなど。イカにも怪しいサイトから一見有用そうなサイト、その他諸々の情報に溺れてしまった。つまり情報の取捨選択に失敗してしまったのだ。

 ネットは便利だし、情報も溢れるほど手に入るけど、どれが正しいのか分かる能力がないと逆効果なんだよな。

 ダイエットについて調べようと思っていたのに、ダイエットの知識がないとまともな情報か判断できない……そんな矛盾。


 そんな矛盾に翻弄されていると、気づけばお気に入りの投稿SSサイトにアクセスしていた。完全な現実逃避だ。

 そうなれば後は野となれ山となれ。お気に入りのSSが更新されていたのでそれに触発されて俺も自分が手掛けている作品を更新してしまったのだ。


 つまり一言で言うなら……何の成果も得られませんでした!

 そういうわけだ。


「辰巳くーん。朝ごはん用意できたよー」


 エプロンを着けたエリザがおたまを片手に言ったので、朝食タイムだ。

 食事を食べていると、エリザが聞いてきた。


「あ、どうだった? ダイエットについて何か分かった?」


「いや、正直サッパリだな」


「そっかー。ごめんね、わたしも全然詳しくなくて……」

 

 申し訳なさそうに眉を下げるエリザ。

 エリザも生前はダイエットを意識したことがなく、幽霊になってからは全く体型が変わらないらしい。

 どうやら幽霊というのは、生前の姿のまま姿が固定されてしまうらしい。

 ずっと今のままの姿だ。そして怪我なんかもしない。

 言ってみれば不老不死みたいなもんなんだよな。いや、死んでるんだけど。 

 この事実を知った破滅型思考のロリコンが『じゃあ、今いるロリを全員アレしたらこの世界はロリ天国になるんじゃね?』と暴挙に走ることを避けるため、この秘密は墓の中まで持っていこうと思う。


 エリザと食事を食べながら、今後について考えることにした。

 本屋に行ってダイエット専門の書籍を購入する、または図書館に行って借りる。近所にダイエットコースがあるジムがあるからそれに体験入門してみる。

 色々考えてみたけど……面倒くせ。

 こういう時はあれだ。あいつに聞くに限る。

 

 困ったときの遠藤寺さんだ。




■■■




 食堂内は閑散としていた。

 現在時刻は午前10時。昼時ともなれば学生でごった返すこの食堂も、この時間は殆ど人がいない。

 友達同士で雑談してたり、1人で携帯を弄ってたり、机に突っ伏している生徒がいたり、そういう奴らがちらほら見えるくらいだ。

 食堂の奥、いつもの場所に向かう。

 いつも通り遠藤寺が席に座って――いなかった。


「あれ?」


 まあ、アポも取ってないし、いなくても当然なんだが。

 

「でも、まだ残り香を感じる」


 テーブルに近づくと遠藤寺特有の柑橘系の香りを感じた。

 ついでにいつも遠藤寺が座っている椅子に触れてみる。

 温かい……。まだ遠くには行っていないはず。

 よく見るとテーブルの上に遠藤寺のであろう単行本が置いてあった。

 席を外しているだけで、すぐに戻ってくるのだろう。


「よし、座って待つか」


 俺は遠藤寺を待つことにした。

 遠藤寺の体温が残る椅子に座る。

 普通、人が座って間もない生暖かい椅子ってのは気持ち悪いもんだけど、これが遠藤寺の温かさって感じると、こう……フフフ。未来永劫座っていたくなるよね。何ともいえない背徳感のある温かさ。この熱を利用した発電で一儲けできないだろうか、みたいなことを考えていると、後頭部を突かれた。若干湿り気のある感覚。

 振り返る。

 発電エネルギーの源たる遠藤寺がいつものジト目で人差し指を突き出していた。


「こら。人の席で一体何をしているのかな君は?」


「いや、別にお前の席じゃないだろ。ここ食堂だぞ? パブリックスペース、いわゆる公共の場だ」


「いいや、違うね。この席に限ってはボクの席だ。椅子の背もたれを見てみるといい」


 何言ってんだコイツ、と思いながら今座っている椅子の背もたれを見た。


『遠藤寺専用椅子。許可なく座ったものには罰金10万円を処す』


 と書かれていた。

 遠藤寺が指を引っ込め、胸の前で腕を組んだ。


「ボクは潔癖症だからね。他人が座った椅子は使いたくないのさ。だからその椅子の権利を買った。――お金でね」


 フフッと皮肉気な笑みを浮かべる遠藤寺。

 俺はコイツYTAO(やっぱりちょっと頭おかしい)だわと思いつつ、罰金払わされては適わんので、そそくさと正面の椅子に移動した。

 遠藤寺がゴスロリスカートの裾を抑えながら金で買った椅子に座る。


「……ん、椅子が温かいね。ボクは冷え性だから助かるよ。ありがとう」


「席暖めておきました……って誰が猿やねん」


 BASA○Aでの持ちキャラが秀吉な俺は即座に反応してのけた。

 しかし潔癖症の癖に、俺が座ったあとも普通に座るのな。いや、座る前にファブリーズとかで丹念に消毒されたら、ショックで吐くと思うけど。


「どこ行ってたんだ遠藤寺?」


「ん? いや、別に大した用事じゃないよ」


「じゃあ教えてくれていいじゃん」


「……花を摘みにね」


 へー、何それ。すっごい乙女っぽいじゃん。

 最近うっすら化粧とかするようになってきたし、遠藤寺さん女子力上がってるわ。

 でも自分磨きもほどほどにね。唯でさえ遠藤寺さんマジ美人なんだから、女子力上げすぎたら遠藤寺の魅力に気づいたナンパ男とか寄ってくるだろうし。俺、遠藤寺が見ず知らずのチャラ男と仲良さ気に歩いてるの見たら、間違いなく世を儚んだ辞世の句を読んでから命を絶つわ。

 

 花を愛でる趣味がバレたからか、ほんのり頬を赤く染めた遠藤寺が咳払いをしてから口を開いた。


「ところで……授業はないはずだけど、どうかしたのかい?」


「お前に会いに来たんだよ」


 言ってしまってから、やっちまったと後悔した。

 こんな胸キュン台詞お見舞いしちゃったら、男に免疫のない遠藤寺のことだ。勘違いして「嬉しい! 抱いて! 今すぐナウ!」みたいに発情する可能性もないとは言えない。

 いや、まず無いだろうけど確率は0ではない。0ではない限り発生しうるイベントだろう。

 宝くじの1等が当たるよりも低い確率だろうけど……やべーな、本当に起こっちゃったらどうしよう。

 今日は勝負下着じゃないし、できれば後日にして欲しいな。

 だが、どうしてもというのなら相手をしてもいい。でも初めてが食堂とかマニアックすぎるので、できれば高級ホテルの最上階でお願いしたい。あ、でも……橋の下とかも……ワイルドでいいかも。


「……はぁ」


 どうやら俺の心配は杞憂だったようだ。

 遠藤寺は俺の言葉に胸キュンして服に手をかけたりする様子も無く、それどころか露骨に嫌そうな表情でため息を吐いた。

 露骨と言ってもちょっと眉を寄せたくらいの些細な変化だが、3か月の付き合いがある俺にはしっかりと分かった。言葉にするなら「うわ、面倒くせ……」といった感じだろうか。


「お前、そんな露骨に嫌そうな顔しないでくれよ」


「顔に出ていたかい? それは申し訳ない。だけど、君の顔を見てこの後の展開が予測できてしまったものでね」


「予測?」 


「当てて見せよう。――君、また面倒な相談事を持って来ただろう?」


 俺も顔に出やすいタイプなんだろうか。


「よく分かったな」


「分かるよ、君の顔を見ればね。……はぁ、こういう時、自分の洞察力がイヤになるよ」


 やれやれとかぶりを振る遠藤寺。


「で、今度はなんだい? ……どうせまた君の家にいる幽霊関係のことだろうけど」


 相談する前から、目に見えて不満な表情を浮かべる遠藤寺。

 どうも遠藤寺にエリザ関係の相談をすると不満になる傾向がある。

 何でだろうかと考えるが、遠藤寺が幽霊に興味が無いからくらいしか思い当たらない。


 だが、今日の相談にエリザは関係ない。

 俺は今日の相談について遠藤寺に話した。


「ダイエット?」


「ああ、そうだ。ダイエットだ」


「ダイエットってのは世間一般でいう……あのダイエットかい?」


 俺からダイエットなんて言葉が出るとは思っていなかったのか、遠藤寺は少し驚いた顔をした。

 おっ、もしかして興味ひいちゃったかな?


「なるほどダイエットね。ふーん。少し興味が……ないね。驚くほど興味が湧かないよ。毎度の話だけど、ボクの興味が湧かない話題を持ってくることに関しては右に出るものがいないね」


 何かしらんが褒められたのか?


「……はぁ。しかし君ダイエットって。まだ幽霊に関する相談なら分かるよ。幽霊なんて常識外のものを普通の人間に相談したら頭がおかしいと思われるからね。でもダイエットって……これ、もうボクじゃなくてもよくないかい? こんな相談ボクじゃなくてもできるだろう?」


 確かに。言われて見ればそうだ。

 遠藤寺の言う通り、最近困ったら何でも遠藤寺に尋ねる癖がついてしまっている。よくない傾向だ。

 他に聞く人間はいくらでもいたはずだ。例えば大家さん……はないか。あの人もたいがいダイエットからほど遠いしな。となると先輩……も『ダイエット? はて? そんな儀式は存じ上げませんね』なんて言われそうだ。

 雪菜ちゃんは……いや、ないか。俺を実家に連れ戻そうとしている張本人だしな。

 じゃあ肉屋のオッサンだったら……『ほぉ? 痩せたいのかてめえ。だったら丁度いい、今店に出す肉が足りなくてなあ』みたいな怖いこと言われそう。

 他には……あれ、いないぞ。俺のコミニュティってこんなもん?


 じゃあ、やっぱり遠藤寺しかいないじゃん。

 だが当の遠藤寺は乗り気じゃない様子。

 どうにかして遠藤寺をその気にさせなくては。いや、その気にさせようがさせまいが、最終的には相談に乗ってくれるだろうけど、どうせならお互い気持ちよくいきたいしな。

 

 そういえば最近、遠藤寺って乙女度が増してきたし、女性扱いされると結構満更でもない感じなんだよな。

 そこを責めるか。


「ほら、遠藤寺ってダイエットに詳しそうじゃん」


 世間一般的にダイエットといえば女性が励んでるイメージがある。

 つまりダイエットに詳しい=女子力が高いということになるのではないだろうか。

 そう思っての発言だ。

 俺の予想では『……まあそうだね。ボクも生物学的には女性に分類されるし、一般的なダイエットの方法くらいは熟知している。そう女性だからね。仕方ない、女性として君に教えてあげるとしよう』そんな展開を期待していた。


「……」


 が、どうにも雲行きが怪しい。

 俺の言葉を受けた遠藤寺だが……サッと真顔になった。いつもの皮肉気な笑みも呆れるような視線もない、ゼロの状態。人形めいた表情と言えばいいのか。人形のように可愛らしいって言い方もあるけど、さっきまで普通に表情があった相手から急に表情が消えると実際コワイ!

 

「……へぇ、面白いことを言うね。ボクがダイエットに詳しそう、今そう言ったかな?」


「あ、うん。そう言ったけど」


 面白いと言う割りには、遠藤寺が面白がっている様子はない。


「つまり君はこう言いたいのかな? ボクにはダイエットの知識が必要。ボクにはダイエットが必要だと」


「いや、そういうこと言ってるわけじゃ」


「いいや、そうに決まってるね!」


 珍しく声を荒げた遠藤寺。その表情を見ることはできなかった。

 何故なら遠藤寺の右手が俺に伸びてきて、その手が俺の鼻の上から頭部までをガッシリ掴んだからだ。

 いわゆるアイアンクローだ。


「お、おい落ち着けよ遠藤寺。いったいどうしたんだよ?」


「ハハハハハ。ボクは落ち着いているよ。いつだったか君に言っただろう? 探偵はどんなときだって冷静でいなくちゃいけない。だからボクは冷静だ。いいかい?」


 冷静な人間はいきなり人にアイアンクローかまして来ないんですけどね。

 突然の奇行に俺は混乱した。

 一体先ほどの発言の何が遠藤寺をこの行動に走らせたのか。 


 しかし、このアイアンクローとやら、初めて食らったけど……なんだろう。凄いドキドキする。

 握られている皮膚のすぐ下に重要器官である脳が存在していて、命の危機を感じているからか、それとも単純に俺がMだからなのか……その答えを出すにはまだ足りない。さあ、遠藤寺よ、もっとギュッとするのだ! ああ、たまんねえ! たまねえたまんねえ!

 どうにかしてアイアンクローを行った原因を突き止めて、今後も遠藤寺からアイアンクローを戴きたくなった時にすぐさま発動できる安定したシステムを構築したい。

 

 アイアンクローに慣れたことで気づいたが、俺の頭を掴んでいる手が若干震えている。これは動揺だろうか。

 遠藤寺が動揺している……非常に珍しいことだ。

 俺はジッと待つことにした。

 待つこと3分。長いようで短い3分間。

 遠藤寺の手がゆっくりと俺の頭から離れた。

 遮られていた視界が開き、遠藤寺の苦虫を噛み潰したような表情が目に入った。


「……いきなりすまなかったね。痛くなかったかい?」


「いや、別に何とも無いけど。ていうか本当にどうしたよ?」


 俺の問いかけに、迷う素振りを見せる遠藤寺。

 ゆっくりと口を開いた。


「君の発言があまりに図星だったので、動揺してしまった」


「動揺?」


「まさか君に看破されるとは思っていなかったよ。どうしてボクが、その……太ったことに気づいたんだい?」


 太った? 遠藤寺が?

 いや……そう言われても、目の前にいる遠藤寺を見ても全く太ったようには見えない。

 それを確かめるためには、服の下の体を見ないといけないわけで……そういう方向に進めるにはどうすりゃいいんだ? 『じゃあ、ちょっと確認しますねー』って服の下に手を突っ込んでもいいのか?


「ああ、そうだ。君の言う通り、ボクは少し太った。確かに世間一般で言うダイエットが必要だ。だがね、それもこれも君のせいだぞ? 君とつるむようになってから、飲酒の機会が以前より明らかに増えた。君に会う前のボクはせいぜい週末に書庫に籠ってワインを1本開けるくらいだった。それが今となっちゃあ、週に5日は君と飲み歩いている。ボクは大学生か!」


「いや、大学生だろ」


 大学生は酒飲んでなんぼってところがあるからな。

 ていうか何だこの流れ? 何で俺が責められてるんだ?


「食事に関してもだ。ボクは元々少食でそこまで食べないのに、君が目の前でとてもいい顔をして食事をするから、ボクまで箸が進むんだ。その君の顔を肴にしてお酒が進むし。そりゃ太るよ。そりゃ太ってしまうよ! 太らざるをえないよ!」


 ドンと机を叩く遠藤寺。

 今までに見たことがない遠藤寺の剣幕に俺は「ひっ」と小さく悲鳴をあげた。


「家でもふと君の顔が浮かぶとそれが食事時なら、条件反射的に食が進む。……ボクは犬か!」


 なんだよ全部俺のせいかよ。もういいよ。そうやって世界中の悪いことは全部俺のせいにして、最終的に俺が死ぬことで怒りの矛先を霧散させる計画、タツミレクイエムが成功してから好きなだけ泣けよ。だが扇は許さん。決してな。


 しかし遠藤寺にもそんな悩みがあったとは。同じく体重を気にしている同志として親近感が沸く。


「じゃあ、ちょっと飲みに行くの控えるか。俺たち目的が同じみたいだし」


 俺がそう言うと遠藤寺は、テーブルをたたく手を止めた。

 そして何かを考え込むように顎に手を当てた。


「いや、それは軽率だ。問題を解決する際、問題そのものを潰す方法は誰にでもできる。だがボクは好きじゃないね。いいかい? ボク達は人間なんだ。人間は考える生き物。思考停止しちゃいけない。そうだね……よし、いいことを考えた。この間、駅の近くにサラダのBARが出来たんだ。あと、一駅離れた所に、豆腐料理の店があったはず。今後はそういった重くない食事を摂る場所でお酒を楽しむことにしよう。いいかい?」


「あ、はい」


 畳み掛けるような言葉を前に、反射的に頷いてしまった。


 俺は改めて、遠藤寺にダイエットについて尋ねた理由を伝えた。

 あくまで女性としての遠藤寺に尋ねたこと。

 別に遠藤寺が太って見えたことを遠まわしに伝えたわけではないこと。


「……つまり、ボクは自分で藪を突いて勝手に自爆したってわけか。ハハハ……滑稽だね。実に……滑稽だよ」


 力なく自嘲気味に笑う遠藤寺に、俺は声をかけることはできなかった。

 ここで『俺はムッチリした女の子も好きだよ』って声をかけてもいいが、だから何だよって切れられてることは明白だろう。


 しかし遠藤寺も体重とか気にするんだな。やはり遠藤寺も女の子ってわけか。

 これから遠藤寺に対して体重のことを聞くときは気をつけよう。タツミ覚えた。


 改めて遠藤寺にダイエットの方法について尋ねた。


「ボクからは一般的なダイエットの方法しか教えられないけど、それでいいのかい?」


「ああ、それでいいよ」


 遠藤寺の言葉は、ネットで転がっている有象無象のどの言葉よりも信じられる。


 そして遠藤寺から語られたのは、本人が言っていた通り、ダイエットの基本的なことだった。

 重要なのは2つ。


 食事制限と運動だ。


 食事制限については問題ないだろう。エリザに任せておけばいい。

 だから問題は運動だ。


「運動といっても色々あるけどね。効率的なのは水泳だと言われているよ。アレは体に負荷のかかる水中での全身運動だからね。近くに泳げる場所があるならオススメするよ」


 水泳できる場所か。

 つい最近大家さんが泳いでいたアパートの庭が思い浮かんだけど……あそこ、ヤバイ生き物たくさん住んでるんだよな。大家さんが言うのは、最初はメダカとかアメンボとか普通の生き物しかいなかったのに、気づけば訳の分からないカオスな状態になっていたとか。そんな所で平然と泳ぐ大家さんマジタイプワイルド。

 まあ、ないわな。リスクが高すぎる。あんな所で泳いだら脂肪を落とす前に命を落っことすわ。


「泳ぐ以外で何かないのか?」


「ふむ。だったらジョギングだね。最初はウォーキングから始めてもいいけど、手っ取り早く体重を落としたいなら、走ったほうがいい」


 走るか……。

 俺、走るのって苦手なんだよな。基本移動が徒歩のゲーム並みに日常生活でも極力走らないし。

学生時代でも走るのっていったら、授業が終わって夕方アニメに間に合うように走るくらいだったし。

 授業のマラソンとかも辛くて仕方がなかった。携帯ゲーのリセマラなら苦にならないんだけどな。


 しかしもっとこう……お手軽に行かないものだろうか。


「なんか、こう……飲むと痩せるお薬とか――」


「ないよ。そんな夢物語の産物が現実に存在するわけないだろう。少し考えれば分かるだろう」


 食い気味かつ若干キレ気味に言われた。

 飲むと都合よくお休みしちゃうお薬を常備していたとは思えない言葉だ。


 どうやら地道に走るしかないらしい。

 今日帰ってから……いや、明日の朝から始めることにしよう。


「しかし、いきなりダイエットなんて、どういう風の吹き回しだい?」


「あー……実はな」


 遠藤寺に説明した。

 妹と月に1回写真を送りあっていること。妹に体重が増えたことを指摘されたこと。

 1週間以内に体重を落とさなければ、実家に強制送還させられること。

 

 内容が内容だけにちょっと引かれるかと心配したが、遠藤寺の表情を見る限りその心配はないようだ。

 遠藤寺は俺の話を聞いて興味深そうに微笑んだ。


「ふぅん。妹、か。君、妹がいたんだね」


「あれ、言ってなかったっけ?」


「ああ、初耳だよ。しかし……ふふっ。3ヵ月目でようやく家族構成の一端を引き出せた、というわけだ。まだまだ君について、ボクが知らないことは山ほどあるんだろうね。焦れるような感情はあるけど……これがなかなか心地いい」


 遠藤寺はその辺にいる女の子みたいにくすぐったそうに笑い、鞄の中から手帳を取り出した。

 そしてペンで何やら手帳に書き込む。


「なにその手帳?」


「これかい? 今まで得た君についての情報をまとめている手帳さ」


「へー……え?」


 サラっと言ってのけたが、なに勝手に人の個人情報まとめてくれてんだコイツ。

 

「簡単な日記も兼ねていてね。えっと『今日、突然太っていると指摘された。衝撃の余り前頭葉の辺りを握りつぶしてしまいそうになったが、どうやら誤解だったようだ』と」


「心情を素直に書きすぎだろ。こえーよ」


 もし遠藤寺が何かしらの犯罪で捕まったとき、この手帳は間違いなく重要な証拠になるだろう。


「『どうやら彼には妹がいるらしい。実に興味深い情報だ。妹はどんな防寒着を身に着けているのだろうか』」


「いや、夏でもマフラーつけてるの俺だけだから。一族全員が着用強いられてるわけじゃないから」


 遠藤寺は一体俺を何だと思っているのだろうか。

 

 遠藤寺が手帳を鞄にしまった。


「しかし兄妹同士で身体情報を交換しあってるなんて、変わっているね」


 遠藤寺に変わっていると言われるとか遺憾の意以外の何物でもないけど、間違っていないから言い返せない。


「まあ、そういった変わったイベントなら我が家にもあったよ」


「へぇ。どんな?」


「毎年誕生日に、拉致されて見知らぬ場所で目を覚ますのさ。場所はその年によって様々で、廃屋、閉鎖された精神病院、どこぞの国にある古城の地下牢、今にも沈みそうな客船の一室……そこから自分の探偵としての力を駆使して脱出。見事脱出したら、そこにはクラッカーを構えた家族達が迎えてくれる……というサプライズイベントがあってね。毎年のことだから、もうサプライズでも何でもないけど、これが結構楽しみでね」


「お前よく人んちのイベントを変わってるとか言ってのけたな」


「フフフ。去年は毒ガスが充満する廃校から脱出するイベントだったが、これがまた冷静さを養ういい訓練になったよ」


 何かウチのイベントがすげえ大したこと無い気がしてきたわ。

 つかなにそのイベント。もしクリアできなかったらどうなっちゃうの? 毒ガスってマジな毒ガス? それとも毒ガスと偽った吸っちゃうと体がトロントロンになっちゃうガス?

 どっちにしろ正気とは思えんな。他所様の家族を悪くは言いたくないけど……俺遠藤寺の家に生まれなくてよかった。


 その後もどれだけ予算かけてるんだよとツッコミを入れたくなるサプライズイベントを聞いて食欲が無くなる俺。一方の遠藤寺はスペクタクルなイベントの思い出を語って空腹になったのか、席を立ってうどんを購入してきた。


 ツルツルとうどんを啜る遠藤寺。

 遠藤寺は肉うどんが好みのようだが、今日はワカメうどん。そういえばここ数日はワカメやら野菜うどんなどヘルシーな昼食だった気がする。

 体重を気にしているのは間違いないようだ。


 少し早いが俺も昼食を食べることにした。

 エリザが持たされてくれた弁当箱を取り出し開く。


 ヘルシーな食事にすると言われていたので、弁当箱いっぱいの野菜なんかも覚悟していたが……普通の弁当に見えた。

 米も入ってるし、ハンバーグ何かも入ってる。


「ふーん。玄米か。ちゃんと食事も考えているんだね。こっちは……おからのハンバーグか。相変わらず手の込んだ食事だ。……見ているだけで君への想いを感じるよ」


 遠藤寺がうどんを啜りながら、ジトッとした目で弁当の評論をしてきた。

 フハハ、羨ましかろう! しかもご飯の上に海苔でハートである!

 食べてみると……まあ、いつものことながら普通に美味かった。ありがとうねエリザちゃん。

 残さず召し上がり、早めの食事を終える。

 家にいるエリザに向けて、ご馳走様と頭を下げた。


 そういえば俺がいないときのエリザって何してんだろうな……。

 気になるからDLCで番外編を希望するわ。200円までなら払う。


 遠藤寺の食事風景を眺めていると、携帯が振動した。

 雪菜ちゃんからのメールだ。


『残り6日』


 とだけ書かれていた。

 こえーよ。シンプルさで恐怖と焦りを煽ってくるパティーンだ。

 俺が怖気づいているのを予想して、くすくす笑っている雪菜ちゃんが想像できる。

 くそっ、雪菜ちゃんなんかに絶対負けないんだから!


「メールかい?」


「ああ、妹から。ダイエット頑張れってさ」


 ワカメを箸で摘みながら首を傾げる遠藤寺に言った。


「ふぅん。仲がいいようで何よりだ。しかし君の妹か……個人的になかなか興味がある。君という面白い人間と血の繋がった存在に対する興味でもあるが……まあ、将来懇意にするかもしれない、という点でもどういう人間か知っておきたいね」


 あまり他人に関心を示さない遠藤寺にしては珍しい。

 百合の木はどこにでもニュキニョキ生えてくるし、遠藤寺と雪菜ちゃんが百合の木から舞い散る花の下でチュッチュする展開もありうる。大切な親友と妹が百合な関係になるとか……NTR要素も込み込みでお得じゃない? こりゃ見逃す手はねーぜ!


「写真あるけど見るか?」


「うん、見たいね」 


「可愛い写真と、凄い可愛い写真と、物凄い可愛い写真があるけど、どれにする?」


「……普通の写真はないのかな?」


「普通に可愛い写真ならあるけど」


「じゃあ、まあ……それで」


 何やら疑惑の視線を向けてくる遠藤寺。手帳を取り出し、サラサラと何かを書き加えている。「……シスターコンプレックスの気あり? 要観察継続」みたいなことを呟いている。

 誰がシスコンだよ全く。失礼しちゃうわ!

 だってどの写真も可愛いんだから、しょうがないだろ。

 まあ、遠藤寺も雪菜ちゃんの写真を見れば納得するだろう。驚く顔が楽しみだ。


 スマホを取り出し、ロックを外す。

 待ち受け画面が表示され、ポップアップしたメニューにタッチして写真が入ったフォルダを選択――


「ちょ、ちょっと待った」


 しようとしたところで、遠藤寺から待ったがかかった。

 遠藤寺が箸でうどんを掴んだまま、片方の手の平を俺に向けていた。


「なんだよ?」


「いや、今君のスマホの画面が目に入ってね。恐らくはボクの見間違いだろうけど、その画像が……ボクの写真だったように見えたんだ。いや、間違いなく見間違いだろうけど。君がボクの写真を待ちうけ画面にする理由がないしね。だけど少しでも疑問を持ってしまったらそれを解消するまで我慢できないのが、ボクの悪い癖でね」


「ははは、確かに遠藤寺ってそういうところあるよな」


「我ながら困った癖だよ。些細な疑問も見逃せなくてね」


 うどんを掴んだままやれやれとかぶりを振る遠藤寺。

 そんな遠藤寺を見て笑う俺。

 どこからどう見ても平和な普通の食堂の光景だ。


 俺は遠藤寺の疑問を解消するため、スマホの画面を遠藤寺に向けた。


「ほら、遠藤寺の写真だ。で、雪菜ちゃんの写真なんだけどな」


「待て待て待て待て。あまりの予想外な展開に、君の妹への興味なんか明後日の方向に飛んで行ったよ」


 じゃあ、明後日にまた聞かれるのか?

 そんなことを考えていると、遠藤寺が素早い動きで俺からスマホを奪い取った。

 は、早い……! 俺じゃなくても見逃しちゃうね。


 遠藤寺は奪い取ったスマホを食い入るように睨みつけた。


「……や、やっぱりボクの写真だ。とりあえず聞くけど……こ、これ、いつから待ち受けにしていたのかな?」


「1週間くらい前からかな」

 

 その前はスクール水着で戯れる大家さんを待ち受けにしていた。

 その前は編み物をするエリザ。

 

 遠藤寺は困惑と羞恥が混ざったような複雑な表情でスマホの画面を見ていた。


「……り、理由を聞かせてくれないかな? 何を思ってボクの写真を待ち受けに? いつどうやって撮ったのかはこの際どうでも……よくはないけど! まずは理由を。ボクを納得させる理由を聞かせてくれないかな?」


 スマホを持った手を震わせながら問いかけてくる遠藤寺。額には汗が浮かんでいる。

 確かに……納得は全てにおいて優先するもんな。

 しかし遠藤寺を納得させる理由か。


「理由って言われてもな」


 待ち受けにしている写真は遠藤寺がこの席に座って、読書をしている写真だ。

 空調の風が当たってなびいた髪をかきあげる仕草を奇跡的に撮ることができた。


「綺麗だと思ったからやった。反省はしていない」


「きっ!?」


 遠藤寺が普段あげないタイプの声を出しながら席を立った。

 テーブルを押しのけながら勢いよく立ち上がったので、勢いよく移動してきたテーブルが俺の鳩尾に直撃した。


 遠藤寺の動揺が伝わっているのかテーブルがカタカタ揺れている。

 遠藤寺は深く息を吸い、大きく吐いてから席に着いた。


「……綺麗って君、そういう冗談は笑えないな」


「い、いや冗談とかじゃなくて。ほら、例えばさ、道を歩いててふと虹が見えたら写真撮ったりするだろ? で、上手く撮れたら何回も見たくなるじゃん。そしたら待ちうけにするだろ? そんな感じで遠藤寺の写真を待ち受けにしたんですけど……」


 最後の方の声は遠藤寺の顔がこちらを探るような疑惑の表情になっていたので、小さくなってしまった。


「……嘘は言っていないようだね。その……つまり、ボクの写真が君にとって何度も見たくなるような価値があった、と。そういうことかい?」


「あ、ああ。そうなんだけど……え、もしかしてマズかった?」


「当たり前だろう。勝手に写真を撮った上に、それを待ち受け画像にしていたとか、常識的に考えて普通はマズいに決まっているだろう? まあ、気づかなかったボクもボクだけど……」


 遠藤寺から常識について諭されてしまった。

 そ、そうだったのか……。これってマズいことだったのか。

 実家にいた頃、雪菜ちゃんに同じことして注意されるどころか『待ち受け画像にするならこちらにしてください』って指示されたくらいだから、問題ないと思ってた。大家さんも『特別に一ノ瀬さんだけは著作権フリーですよー』みたいに自画撮りの写真くれたし。

 うっわ、遠藤寺のこと常識ないと思ってたけど、俺も人のこと言えんな……。


「ごめん。えっと……全部消した方がいいかな?」


 そう言うと遠藤寺は、深くため息を吐いた。

 俺の顔を見ずに、自分の髪を弄りながら言う。


「まあ……いいさ。ああは言ったけど、ボク自身君に対して怒りやそれに近い感情は抱いていないし、戸惑いはしたけど、どちらかというと嬉しいという想いの方がある。自分でも不思議だけどね。君にとって価値のある存在であるということが分かったからかな」


「そ、そうか……」


 よく分からんが許してもらえたようだ。


「ただ、今後写真を撮るなら一声かけてからにして欲しい」


 何言ってんだこいつ。被写体がカメラ意識しちゃったら、自然な写真なんて撮れないでしょうが!

 これだから素人は困る。

 ん? でもカメラを意識して不自然な挙動になる遠藤寺も……アリだー!

 今後はカメラを意識した被写体という素材も考慮しつつ、より素晴らしい写真を撮って至福を肥やすことを誓いまーす。


「ん。全部ってことは……他にもボクの写真が?」


 遠藤寺は何気に隙が多いからな。シャッターチャンスも多い多い。

 まあ、隙が多いって言っても周りに他人がいないって時限定だけどな。

 

 スマホを操作して遠藤寺フォルダを開く。


「……いつの間にこんな量を。君、盗撮の才能があるね」


「いらねーよそんな才能」


「しかしなかなか上手く撮っているね。自分で言うのも何だけど、被写体が綺麗に映っている」


「遠藤寺って写真映りいいからな。俺みたいな素人が撮ってもいい絵になるんだよ」


 お陰で撮影スキルが低い俺でも、かなりペロペロしたくなる写真が簡単に撮れる。

 遠藤寺は俺の発言に対して、肩をすくめた。

 おどけたような仕草だが、その頬は仄かに紅潮していた。 

 

「しかし撮られっぱなしってのもシャクだね」


 遠藤寺がいつもの皮肉気な笑みを浮かべて、思いついたとばかりに言った。


「そうだ。君の写真を撮らせてもらおうか。そしてボクの携帯の待ち受けも君にしよう。これで手打ちということにしようと思うが……どうかな?」


「え、嫌だけど。俺写真撮られるのってあんまり好きじゃないし」


 遠藤寺は美少女可愛いからこの世界にいくらでも写真っていう痕跡を残してもいいだろうけど、俺なんかの痕跡残してもしょうがないだろ。


 俺の発言に遠藤寺は笑顔を浮かべた。

 普段浮かべる皮肉気な笑みではなく、童女のような純真な笑み。

 

 その笑みを浮かべたまま、右手で俺の顎を掴み固定し、左手で構えたスマホでぐにゃりと変顔になった俺を撮影した。

 そのままスマホの待ち受けにされる俺の変顔。

 「何か文句でも?」と言いたげな顔の遠藤寺に、当然文句はあったがそのまま顔をトマトみたいに潰される危険があったので泣き寝入りするしかなかった。








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