第10話 世界中どこへだって10秒(これが縮地を超えた縮々地を超えた――縮々々地!)
幽霊少女――エリザとの同居を始めて、俺の日常は凄まじい変化を遂げた……なんてことはなく、フツーの日々が過ぎていった。
部屋に幽霊は増えようが、俺を取り巻くセカイは変わらない。
同居人が1人増えたくらいで、人生のレールが大きく変わることなんてないらしい。
そんなある日。
「ふんふんふふーん♪」
部屋で育てているカイワレ大根に水をあげている幽霊少女の背を見て、俺はあることに気付いた。
少女はふわふわと浮きながら、手作りの如雨露で水を降らせている。
俺は彼女を見て、このまま寝転がってテレビを見ているフリをして柔道の授業でさせられた運動(仰向けになって左右の足を交互に床を蹴って進むヤツ)で彼女の下まで行けばパンツが見れるんじゃないだろうかという画期的なアイデアを思いついたが、それとは別に彼女が着ている服を見て、あることに気付いたのだ。
今彼女の服は、どこぞの学園の制服。昨日はどこぞの学園のジャージ。
一昨日は制服、その前はジャージ、その前は制服、たまに上ジャージ下制服のスカート、以下ループ。
俺は思った。
あれ? それ以外の服、見たことないなぁって。
だから聞いてみた。
「なあ、エリザさあ」
「ん? なーに?」
「ジャージと制服以外の服ねーの?」
俺が聞くと、エリザは「あー」とちょっと気まずそうな顔でうなずいた。
「そうだねー。無いねー、でも別に大丈夫だよ。上手いことローテーションしてるし」
「二着でローテもなにもねーだろ」
組み合わせ4種類しかねーじゃねえか。
あ、いや、でも下をパンイチ(ウィッチスタイル)にすれば、もう少し増えるか?
ただパンイチだと恥ずかしがって料理作ってるときとか、俺の視線が気になってモジモジしちゃうんじゃ……それも含めてのファッションか。
ファッションって奥が深いな……。
ただファッション云々はおいといて、同居している人間の服が二着しかないのは由々しき事態だ。ひいてはこの家の主である俺の沽券に関わる。
「なんか服買いに行くか」
「い、いーよっ、大丈夫だよっ。 ……そ、そもそもそんなお金ないし」
「あのなぁ、そんな服の一着や二着買えないくらいの貧乏だと本気で――」
「はい」
少女は制服のスカートの中から何かを取り出した。
俺には見覚えのないそれは、世間一般でいう『通帳』というものだった。
エリザは通帳の中身を開き、パラパラと捲り、「ここ」とあるページを俺に見せた。
そのページに現れた現在の預金総額である数字は、何だか見ているだけで尿を我慢している時のようなもにょもにょした感覚に陥る、思わず「貧貧(ひんひん)」泣いちゃいそうな非常に心もとない数字であった。
この通帳の持ち主はさぞ幸薄い顔をしているのだろう。
エリザは俺が誰ぞの通帳を見たのを確認した後、俺に同意を求めるかのようにコクリと頷いた。
「ね?」
「いや『ね?』じゃねーよ。その尿もにょな数字がどうしたよ」
「尿もにょ?」と首を傾げるエリザ。
そのどこかの誰かさんの預金通帳が、俺に何の関係があるのか。
エリザは通帳を閉じ、俺に向けて表紙を見せてきた。
そこにある名前――『一ノ瀬辰巳』
へえ、あんたも一ノ瀬っていうんだ……?
「これ辰巳君の通帳だよ」
「は? 俺の……通帳? え、いや……え?」
その尿もにょな貯金額が……俺の?
あ、いや確かにそれくらいだろうとは思っていたけど、実際に目にすると……。
――うわっ、俺の貯金額、低すぎ……?
具体的な数字は敢えて言わないけど、この数字だと初めてベジータ襲来してきた時、悟空負けちゃうな……。
そもそも俺、通帳作った覚えが無いんだけど。
「辰巳君いっつもお金とかその辺に放り出しとくでしょ? だからわたしが作ったの、ネット使って」
カチカチとエアマウスをエアクリックするエア少女。
我が家のマネー事情はこの女が掌握してたのか……。
いや、別にいいんですけどね。
害はないし。助かってるし。
「わたしも頑張って節約とかしてるんだけどねー、やっぱりカツカツなんですよ。カツカツ」
一丁前に主婦の様な口を聞きやがる。
節約か……。部屋でカイワレを育ててるのも、俺に大学帰り公園でペットボトルに水を入れるようにさせてるのも、食事後に『皿洗いのスピードが上がって水道代が減るから』って理由で頭を撫でさせるのも節約ってわけか……。
ほんまエリザちゃんの節約っぷりは心に染みるで……。
よーし、ここは俺も何か節約して家計の手助けをしよう!
んー、そうだな……よし! 自分のホームページを開設して、前々から脳内で進行してるイカ娘二次を掲載! アフィでボロ儲け! はいきたこれ!
「だから、わたしの服なんて買う余裕ないの。ただでさえ、わたしの分のご飯作るようになってから、カツカツ度が増したのに。ムリだよー」
にへらと笑いながら顔の前で手をぶんぶん振る少女。
そんな少女を見て、俺は自分が情けなくなった。
家事全般をさせている上に、服を買ってやる財力もない。
俺ってサイテーじゃないか? こんなんじゃ、イカちゃんにも嫌われちゃうよ……。『人間的にクズじゃなイカ?』とかタイトルコールみたいに言われちゃうよ! 嫌だぁー!
俺はスクリと立ち上がった。
「え? どこ行くの?」
「服を……用意してくる」
「え、でもお金が……。……っ! だ、駄目だよ辰巳君! いくらなんでもその辺を歩いている女の子から服を奪い取るなんて!」
「しねーよ。お前俺をなんだと思ってるの?」
んなコトしたら、速攻で豚箱インからのネックギルティ(絞首刑)のコンボだろうが。つーかそんなスキルあったら、アキバでトリップしてるわ。
「ち、違うの? そ、それじゃあ……命を引き換えに練成するの!? そ、その気持ちは嬉しいけど……やっぱりダメ!」
「だからちげーよ」
俺の命安すぎね? 何で女の服如きと等価交換なんだよ。
「いいから黙って待ってろ」
「で、でもぉ……」
女の感傷には付き合ってられないので、無視して部屋を出た。
向かう先は101号室。大家さんの部屋だ。
右手で三回ノックすると中から「どなたですかー?」と甘ったるい舌足らずなボイスが返ってきた。このままノックで『あ・い・し・て・る』ってモールス信号を送って大家さんルートに途中したい誘惑に駆られたが、大家さんにモールス信号解読技術が無ければ、ただ無言でノック音が続くホラー的空間が構築されそうなのでやめておいた。
普通に「ども、一ノ瀬です」と言い返す。
「あ、はーい。ちょこっと待ってくださいねー」
と言われ、10秒ほど待つと目の前のドアが開いて、その隙間からぴょこんと大家さんが体を出した。
大家さんの姿を見た瞬間、俺は衝撃に体を仰け反らせた。
「あははー。一ノ瀬さん、おこんばんはー」
大家さんが……眼鏡をかけている。
ちょっとやぼったい感じの縁が太く黒い眼鏡だ。
「お、大家さん、それは?」
「はい? ……あ! ちょ、ちょっ、これは、その……眼鏡、です」
「Exactly(その通りでございます)」
「……うぅ。うっかりかけたまま出てきちゃいました。……似合ってないですよね? あ、あの他の人には内緒にしてて下さいね?」
よーし! 大家さんのプライベートゲッツ! へぇ、普段は眼鏡かけてるんだぁ……。
いいじゃんいいじゃん。ぶっちゃけ小さなお顔に対して、眼鏡が大きすぎるせいで似合ってないけど、そこがギャップがあって、何か……いい。
俺のなんちゃって眼鏡じゃなくて、ちょっとかけ慣れてるのがまたよし! 眼鏡キャラ不人気の呪いは今打破された! み〇み先輩の時代は来た!
「大家さん顔小さいですから、眼鏡大きく見えますね」
「で、ですよね! だからイヤなんですよぉー。なんか眼鏡にかけられてる、みたいな感じがして」
『眼鏡にかけられる』という言葉に俺の性欲を司る部分が反応しちゃったが、オイオイ落ち着け。日常会話日常会話。。
「あ、それで私に何か用ですか? もしかして遊びに来てくれたんですかっ? だったらちょうどよかったですっ、『絶対包囲INF』手伝ってください! あれ、もー、昨日から50回くらいトライしてるんですけど、一向にクリアできなくて!」
じゃあー、俺、昔、蟻に酸かけられてその時に感じた不思議な刺激が忘れられずに今日も過酷な最前線で戦うって設定のペイルウイングしますねー――とノリノリで参加しようとしたが、脳内司書ちゃんが『服の件!』ってカンペを出してきたから、本来の目的を思い出した。
ああ、そうだった。俺は苦笑しつつ言った。
「あー、スイマセン。遊びに来たわけじゃないんですよ」
「え? あ、あー、そうなんですか? 残念です」
少ししょんぼりする大家さんに、罪悪感がちりちり。
「ちょっとお願いがあって」
「お願い、ですか? いーですよ、何でもお願いしちゃって下さい」
落ち込んでいた様子から一転、大家さんはパッと笑顔を浮かべた。大家さんって頼み事とかされるの好きなんだよね。
それはそれとしてさ……モー、大家さんすぐそうやって『何でも』とか言っちゃうー。俺はさ、紳士だから『何でも? だったら大家さんのさくらんぼが食べたい!』とかを妄想で済ましちゃうけどさ。世の中俺みたいな優しい賢狼だけじゃなくて、むしろ飢えてる狼、いわゆる餓狼の方が多いの。
そこんとこ大家さんは分かってない。男が持つ野生ってやつを知らない。そんなんじゃ、配達員を装った狼のぱっくんちょ(性的な意味で)されちゃうよ?
ここは、一つ俺が男の怖さってヤツを教えてあげないとな。一ノ瀬辰巳の人間試験、ここに開始!
「あの、実はウチの幽霊がちょっと……急に反抗してきて。恥ずかしながら追い出されてしまって……」
「ええ!? ホントですか!? わ、分かりましたっ、私が行って成敗を――」
「いえ大丈夫です。一晩立てば落ち着くでしょう」
「は、はあ……そういうものなんですか?」
「それで、今日、ちょっと寝る場所がなくて。もし良かったら……大家さんの部屋で、一晩明かせたらなあ、と」
さあどうだ?
ちょっと仲よくなったくらいで、男ってやつはすぐに調子に乗る。
一晩泊まるだけ? 何もしない? ただ寝るだけ? ――んなわけねーだろ! 一晩泊めたらもう既にコンバートしたも同然だろうが! 通信ケーブル直結確定だろうが! ユンゲラーがフーディンになっちゃうんだよ!
そんな男の恐ろしい欲望を前に大家さんは平然とした顔で言った。
「いいですよー。あ、パジャマだけは用意してて下さいね。私の服を貸してもいいんですけど、流石に大きさとか無理だと思いますし」
「ぶかぶかですよー」なんて言いながら割烹着の袖からちょこんと指の先を出しちゃう大家さん。
あ、ダメだわこの人。
防御力低すぎ、男舐めてんわ。いつか男関係で泣きを見るね。んで、乱れた服のまま俺の部屋にやってきて『え、えへへ……わ、私、汚れちゃいました……』的なNTR展開になるね。んで俺が『大家さんは汚れてませんよ。俺が全部……忘れさせてやんよ……』的なNTRゲーの純愛EDに突入しちゃうね。
でも見捨てることはできない。今まで色々とお世話になった人だ。この人のおかげで俺はこうして大学生活を送っていられる。
守りたい、この向日葵の様な笑顔。
次はこれだ。
俺は頭をカリカリ掻きつつ、明後日の方を向きながら、チラチラと大家さんを見つつ次の台詞を吐いた。
「あ、実はその、俺って……同じ布団に誰かいないと、眠れないんですよ。だから、その、えっと一緒の――や、やっぱり、な、なんでもないですっ。この話はノーゲーム(なかったこと)に!」
さて、さて。
ここまで来れば、もう分かるだろう。男はいつだってあんたを狙ってるんだよ。
だからさ、いつか現れる王子様が来るまでは防御力を高めてほしい。俺からの願いだ。
だが――
「お、同じお布団ですか……。えっと、あー……はい。わ、分かりました。そうですね……はい! いいでしょう。同じお布団で寝ましょう」
「しょうがないですねー、一ノ瀬さんってば。甘えたい年頃ですか? お家が寂しくなっちゃったんですか、ふふっ」なんて母性的な笑みを浮かべちゃう大家さん。
俺は戦慄した。
――なんて――ノーガード戦法――。
おい、なんだよこれ……。この大家さん、バケモノかよ……。
もうここまで言えば、男ってやつが分かるだろ!?
男はいつも牙を剥いてて、いつでもあんたの首に食らいつこうとしてんだよ!
何で分からないの? もしかして誘ってるの? まさか大家さんに限ってそんなことはあるまい……。
だとすると何で? こんな露骨に狼アピールしてるのに――も、もしかして。ただ単に俺が男と思われてないだけ? 生物学的にはそれなりに男なんすけど……。
でも、そう考えると辻褄が合うよな。俺の前で大家さんがやたら無防備なこととか……(胸チラの件)
普通ちょっと仲良くなったくらいで、男を部屋に上げないよな。
でも、それが全く異性として認識していないなら話は違う。
異性として認識されてない状態から始まる恋なんて……ないよ。
「で、でも私のお布団すっごい小さいですから……か、かなりくっつかないといけませんね! えへへっ」
「はい、そうっすね……」
「一緒にゲームしましょうね! こ、今夜は寝かせませんよ?……なんちゃって!」
「あ、スイマセン。俺やっぱり帰ります……」
「えぇ!? お、お泊りは!?」
「お泊りはない。いいね?」
「あ、はい」
俺は肩を落としながら、大家さんの前から去った。
辛いヨ……ちょっと気になってる女の子から『男として見てないから』って言われるのは、嫌いって言われるより辛い……。
俺のメンタル値はみるみる下がっていった。
もし眼の前に拳銃が落ちていたなら、即座にロシアンなルーレットに挑んでいただろう。そんなどん底メンタルのまま部屋に帰る。
部屋には両手を胸の前で組みながら、こちらを案じているエリザがいた。
「あっ、辰巳君おかえり。……え、えっと……どうだったの、かな?」
「すまない……俺、無力だ。女の子の服一つ用意できねえなんて……屑だ。……俺ってほんと屑」
ああ……気分がどん底まで沈んていく……。
こんなに落ち込んだのは、高校の時に好きだった女の子を映画に誘ったら『その日家の用事があるから』って断られて、仕方が無いから妹と映画行ったら、映画館でイケてる大学生風の男とイチャイチャしてるその子を見た時以来だわ。
その日の晩から、3日3晩相手の男がイ○ポになる呪いをかけ続けたのは、よく覚えている。
ちなみに俺の呪いは全くきかず、それどころか相手の男は精力絶倫になったらしい……(クラスでその子が話してるのを聞いた)
でも、最近テレビの『大家族スペシャル』でその子が9児を抱える肝ッタマ母さんになっているのを見て、何だか微笑ましい気持ちになった。
「だ、大丈夫だよっ。わたし服カワイイ服とかなくて全然大丈夫だし! ほ、ほらっ、幽霊だから他の人には見えないから……ねっ?」
エリザが俺の周囲を飛び回りながら、そんなことを言う。
俺の失敗をフォローしてのことだろうが、その健気な言葉の数々が逆に俺の精神にダメージを与えていることに気付いているのだろうか。
「ほ、ほらっ。辰巳君が行ってる間に、ドーナツ作ったのっ。お豆腐使っててヘルシーだよー。ねっ、一緒に食べよっ?」
それにしても優しい女の子だ、それに比べ俺のクズっぷりたるや……。
本当にこのままでいいんだろうか。俺の人生このままどん底街道まっしぐらでいいの? 魚でいったら海底を這うもの(ヒラメ)だぜ?
ヒラメとか……もし、海の中でイカちゃんに出会っても無視されちゃうよ……。
そんなのは嫌だ!
俺は、そう……イルカだ!
世界で二番目に知性溢れる生物、イルカでありたい!(ちなみに一番はネズミ、人間は三番目だって。映画で見た)
それで運命的にイカちゃんと出会って『お主、なかなか知性溢れる顔してるでゲソ。一緒に侵略活動しなイカ?』って誘われ鯛!
絶望的な状況にこそ光は現れる。
俺にとっての光――これが俺のイカちゃん攻略ルートだ! 俺は! 俺は――
「俺はイルカだ!」
「辰巳君!? ど、どうしたの? た、辰巳君はイルカじゃないよ?」
俺の海洋生物宣言に心底心配した様子で語りかけてくるエリザ。
何だか頭がパーになっちゃった子を心配するような接し方だが構うまい。とにかく今の俺はイルカだ。イルカになった青年だ。
俺は再び立ち上がり、玄関に向かった。体が軽い。こんなの初めて!
今の俺なら何だってできる気がする。大統領だってぶん殴ってみせらぁ!
部屋を出る前に、エリザへと振り返る。
「なあエリザ、俺の生き様、しっかりと目に焼き付けろよ?」
「え? あ、う、うん。……うん?」
俺は再び、大家さんの部屋の扉の前にいた。
そして力強くノック。
「はいはーい、どちら様ですかぁ……って、一ノ瀬さん? あ、やっぱりお泊りですかっ?」
「今夜はフィーバーですねっ」と両手を合わせながら満面の笑みを浮かべる大家さん。
俺は大家さんとお泊りという誘惑をつらぬき丸で貫き心の中のゴミ箱に放り投げた(ゴミ箱を空にはしなかった。いつか元に戻す予定)。
そしてイルカの様な流線的な動きで、頭を下げる。
「大家さんっ! ――服を下さい!」
■■■
俺の発言に何の誤解をしたのか、顔を真っ赤にして、随分長い沈黙の後、俯いたまま着ている服を脱ぎだした大家さん。
事情を説明し、今家にいる幽霊に着る服が無いことをしっかりと伝えた。
「ああ、はいはい! そーいうことですか! び、びっくりしましたよ……いきなりルートに入っちゃったかと……」とか意味不明なことを言う大家さん。
そして服を取りに部屋へ……と思いきや、足を止めた。
「……んー?」
何故か大家さんの反応はあまり芳しくない。
俺の予想では『あっ、そういうことですか! おっけーだにゃん!』とか快い返事を返してくれるものだと思っていたが。実際は顎に人差し指を当て、何やら思案顔をしている。
どうしたんだろうか?
「あの、俺、何か変なこと言いましたっけ?」
「いや、変なことというか……幽霊さんに服なんているんですか?」
ここでまさかの幽霊差別発言。
まさか大家さんの口から特定種族を蔑視する言葉が出るなんて思いもしなかった。いや、そりゃあ人間なんだがら、苦手や嫌いな相手がいるのは当然だけど。
大家さんだけは、全てを受け入れる母なる海のような人間であって欲しかった。
「い、いや幽霊っつても、ほら着るものないと裸なわけで……」
「裸だと何か問題あるんですか? 幽霊なのに?」
きょとんと童女のような仕草で首を傾げる大家さん。そんな愛らしい仕草とは裏腹に、言っていることは残酷この上なかった。
なんてナチュラルに幽霊を差別するんだ……!
確かに誰だって妬み恨みの感情は持つよ。それでも大家さんにはそういう差別的発言はして欲しくなかった。俺みたいな奴に優しくしてくれる大家さんは全てを受け入れる広大で恒久的な優しさを持って欲しかった。
まあ、それはそれとして幽霊をディスるのはいただけませんな。
幽霊キャラの根強い人気を知らないのか? おキヌちゃん夕子さんとかひな子ちゃんとかぼたんちゃんとか……。あと夕暮れ……おっといかんいかん。幽霊キャラって紹介した時点でネタバレになる事案もあるからな、注意しないと。
とにかくそういう風潮の中で幽霊ちゃんディスっちゃうと、ファンからのバッシングが怖い……大家さんそれ理解してるのかな?
「んー、ちょっと待って下さいね」
大家さんはそう言うと、ぱたぱたと足音を立てながら部屋の中へと戻っていた。
一分もしない内に戻ってくる。その手にあるのは……スケッチブック?
「幽霊ちゃんっていうのは……」
大家さんがスケッチブックを胸の前で固定し、ペラリペラリとページを捲っていく。
大家さんは身長が低いので、俺の視点からだとページの中身、大家さんが書いたであろうイラストがちらちらと見えた。
大家さん絵上手いな……。
漫画とかアニメのキャラが、整合性のないパラパラ漫画の様にくるくると現れては消えていく。
限定的動体視力スキルB(アニメとかで主人公の部屋のフィギュアとか棚の漫画のタイトルを完璧に読み取ることができる)持ちの俺には、一瞬で過ぎさるそれらの絵をはっきりと観ることができた。
あ! キュアピースだ! お、次はアナスタシア(シャドハってゲームのキャラ)だ! 次は夕子さんか……相変わらずペロペロしたくなるソックスだ。そこからの――グリフィス! テーマ性を全く感じられない面子ですね。
と、それらのキャラの中で全く見たことのない、マフラーをつけた男のキャラが見えた。
そのマフラー男は結構描かれている頻度が多いようで、かなり枚数が多い。そして書き込みも他のキャラと比べるとかなり濃い。んー、一体何のキャラなんだ? 大家さんがここまで熱をあげるマフラー男……一体何者なんだ。
「こーいうのですよね?」
と、大家さんがこちらにページを見せてきた。
そこに書かれていたもの……幽霊。ただ幽霊って言っても、貞子ちゃんや夕子さんみたいな人間的な感じではなく、白い餅に目と口を付けたような……絵本の表紙を飾るような『オバケ』みたいな絵であった。
寝ない子誰だ?みたいな。申し訳程度についてるリボンが女の子を表しているっぽい。
「その、幽霊さんを差別するわけじゃないんですけど……私の服じゃ、幽霊さんにはフィットしないと思うんです。ほら幽霊さんの手って凄い短いですし。ズボンとかスカートも……履けないですよね?」
あー、そうか。大家さんって幽霊見えない人だったっけ。
そりゃ誤解するわな。
今まであの部屋で幽霊ちゃん見た奴らは、逃げ出すように部屋を出たみたいだし。大家さんが幽霊の姿について知る機会はなかったってわけか。
俺は大家さんの誤解を解いた。
幽霊ちゃんマジ銀髪洋ロリ美少女! ノットお餅お化け!
「えっ? と、ということは……普通に人間っぽい幽霊ちゃん、なんですか?」
「ぽいっつーか、まんま人間ですね。ご飯とか食べますし。夜は寝ますし」
「はー、なるほどー。それなら服もいりますねー。……ん?」
うんうんと頷いていた大家さんだが、ふと眉根を寄せて怪訝な表情を浮かべた。
「あ、あの……一ノ瀬さん?」
「はい一ノ瀬さんですけど、どうしました?」
「い、いや……一ノ瀬さんって、幽霊ちゃんと一緒に住んでるんですよね?」
何を今更……つーか、そもそも大家さんの広告トラップに引っかかって入居したんですけど……。え? 本当に何で今更?
「一緒に住んでる幽霊ちゃんは、『おばけなんてないさ』の幽霊みたいなお餅っぽい幽霊……じゃあない」
「違いますよ」
つーかそれだと今まで出ていった奴ら、何でそんなおばけにビビって逃げてったって話になるわけですけど。特にニックとか言う軍人。
「人間と変わらない、女の子と一緒に暮らしてる、わけですよね?」
「浮いたりすり抜けたりする以外は、まあ普通ですね」
「普通の女の子……同棲……」
大家さんはわなわな震えた。
「だ、だめですよっ!」
「え? な、何がですか?」
「お、女の子と一緒に同じ部屋で暮らすなんて駄目ですよ! そ、そんな羨まし――いや倫理的に! 倫理的に問題があります! けしからない! けしからんです!」
「い、いや……そう言われても……」
「親御さんから預かった大切なお子さんを、女の子と一つ屋根の下でなんて……駄目ですよっ! 羨ましい! けしからぬっ」
一体大家さんはどうしたんだ? 確かに女の子と一つ屋根の下で暮らすとか、一般的には問題あると思うけど……幽霊じゃん。
しかも、一緒に暮らすことになったのも大家さんの策略に引っかかったからなんだけど。
「駄目って言われても、どうすればいいんですか? 出て行けと? 行っておきますけど、俺ここ出ていったら行くとこないですよ?」
まあ最悪、遠藤寺ん家行くけど。それか部室で寝るか……どちらにしろまともな生活を送れそうはねえな。
「で、出て行けなんて言いませんよ。で、でも……女の子と一緒に……こ、困りましたよこれは! 一ノ瀬さんが出ていくのは問題外ですし、でも女の子と同棲……下手したら幽霊ちゃんのルートに……くっ、こうなったら仕方がありません!」
どうやら何かが決定したようだ。
「大家として、親御さんから預かった大切な子供さんが異性と一緒に暮らしているなんて認められません。しかし、一ノ瀬さんはあの部屋以外に行く場所がない」
まあ、あの世って場所ならいつでも行けますけどね(米笑)
「ですから、その……私が定期的に、一ノ瀬さんの部屋に行き、問題が無いか確かめます」
「問題? 問題ってなんですか?」
「それはその……こう……あれやこれが……なんやかんやで……ねえ?」
顔を赤くしてこちらに同意を求めてくる大家さんマジ大家さん。
あれやこれやについて具体的に説明を求めたいところではありますが、下手したらポリスメンがカミングスーンなので自重した。
「流石に大家として、越権行為なのは分かってます。住民のプライバシーを侵害するあってはならない行為……ですが、どうか分かって欲しいんです。これも一ノ瀬さんを想うが故の行為と! 一ノ瀬さんの部屋に行く為の理由が欲しいとかそういうのじゃないと!」
グっと力強く俺の手を握ってくる大家さん。
やっべ、何か知らないけど感動した! 俺のことをここまで想ってくれるなんて!
俺の中の冷静を司る部分(ローブを深く被った老人……に見せかけてローブを外すとマブい女の子)が『でも、それって大家がプライバシーを侵害する根本的な理由にはなってないですよね。そもそも幽霊が居るって知ってて住まわせたのはアナタですよね? 今さらどうこう言えるんですか?』とか囁くけど、その声は小さすぎて俺の耳には入ってこなかった。
「よく分かりませんが、分かりました。それなら好きな時に俺の部屋に来てください。別になんの問題もないことを見せてあげますよ」
ただ、たまにスカート履いてふわふわ浮いてるエリザの下をわざとらしく通って、上を見上げる的な行為に耽ってる時がありますが、その時以外に来て下さいね。
そんなこんなでこの日以来、俺の部屋に大家さんが訪ねてくることになった。
大家さんが訪ねてくる度に、部屋の中にいる何かを威嚇したりするけど、理由は分からない。
エリザは
「あ、キモノの人だ。あの人ここに住んでた人が出ていった後とか掃除に来るから、知ってるよ。たまにご飯とかとか持ってきてくれてたから、結構好きなんだっ」
大家さん曰く、お供え物を捧げることで、一刻も早く成仏してくれるようにとのことらしいが……まあ言わなくてもいいだろ。
こうしてエリザの服に、大家さんの私服が追加されることになった。
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