箱の中 ―ある4人の場合―
河野章
第1話
(ど、どうしよう……)
藤山美紗希は茶色いランドセルにつけた鈴をりんっと鳴らした。
5年生のときのクラスメイトとお揃いで買った「友情の証」だ。横についた赤いアクリルのキーホルダーはもう色が剥げてしまって、描かれたキャラクターがなにかわからなくなってしまっている。外し時がわからずに、6年生の10月が来てしまった。
彼女の前には一抱えほどのダンボールがあった。
美紗希が住んでいるアパートの、「ササノパークサイドコーポⅡ」の駐輪場だった。コーポには建物の前に小さな庭が、裏には駐車場が、左右には駐輪場とごみ捨て場がそれぞれ設けてあった。
美紗希は、近道で駐輪場を通り抜けようとしていたところだった。そこは薄暗く、屋根があり、いつもじめじめしていた。人通りも少ないその端に、雑多に積み上げられたダンボール。視界の端でそれがごそっと動いた気がした。小さな声も。
近寄るのは実は怖かった。
けれど好奇心が勝った。子犬でもいたら良いなと思った。そういう話が大好きだった。優しい家族に拾われるかわいそうな子犬や子猫の話。救われる小さな動物たち。その主人公になれたら……。
美紗希は好奇心とちょっとの見栄と、そして僅かな恐怖で近寄った。
自分の背丈よりも少し低いくらいに積み上げられたダンボール。その上から2つ目がやはりごそごそ動いている。恐怖が少し大きくなる。震える手で、一番上の湿ったダンボールに触れた。ひしゃげたダンボールをそっと持ち上げ下ろす。
「……!」
声が聞こえた。聞いたことのない、小さくて、高い、か細い声。
美紗希は急いで2つ目の箱を開けた。背伸びして自分の肩の高さにあるダンボールを覗き込む。
いた。
ボロボロの布と新聞紙の切れ端、糞尿とよく分からない異臭が混じった中に黒い小さな子猫がいた。見上げてくる片目が目やにで潰れている。箱の底はすぐに抜けてしまいそうなほどに湿っている。ツンっとした臭いが立ち込めて、美紗希は思わず後ずさった。
(ど、)
背中を冷たい汗が流れた。口の中がカラカラに乾いて声が出ない。
(どうしよう……っ)
思ったとおり、願ったとおりの展開だった。可愛そうな子猫にそれを拾う優しい家族。けれど。
(無理、むりだよ……)
こんなに汚れて、爪が伸びていて、臭い。予想以上の臭気に美紗希は思わず後ず息を止めた。自分には無理だ。こんな大きな箱は持ち出せないし、家族を説得できる言葉もない。何よりこのコーポは動物禁止で、ウサギが飼いたかった美紗希は引っ越してきたときに涙をのんだのだ。
さらに後ずさると、とんっと背中に何かがあたった。
「どうしたの?」
お母さんくらいの年齢のスーツ姿の女性が立っていた。その後ろにはぶかぶかのジャンパー姿の若い男性。美紗希は口を開こうとして咳き込んだ。本当に臭い。猫って、動物ってこんなに臭うんだ。
「なんだよ、どうかしたのか」
ぶっきらぼうな声が反対側からした。ドカドカと偉そうに歩んできたのはセーター姿の初老の男性だった。彼女は半泣きで、彼らに訴えた。
「助けて!子猫がいるの。子猫が……!」
美紗希は本当に泣きそうだった。可愛そうな子猫だ。救ってやらなくては。けれど自分はできない。どうしてもできない。
だって、動物なんて、猫なんて大嫌いだから。
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