第36話 折原家で朝食を

 

 そして翌朝。


 チュチュチュン、チュチュチュン、チュチュチュン、チュン!


 と小鳥さん達がやけに軽快なリズムを紡ぎ。


「ふあー、いま何時だ?」


 時計を見ると、だいたい7時30分。まだ全然間に合うな、良かった。

 昨日はなんだかんだと疲れていたが、体力も精神力も大分回復できた。よし、今日は思いっきり羽を伸ばそう!


「真奈、起きてるのか?」


 と、声をかける。


「ん?」


 だが、人の気配がしない。


「入るぞー」


 と、カーテンを開けると、真奈はどこにもおらず、またベッドもきれいに整えられている。


「もう起きたのか、早いな」


 俺は結局設置してもらった洋間とダイニングキッチンを挟む襖を開ける。


「真奈、いるのか?」


 だが、真奈はどこにもいない。


「一体……風呂かトイレにいるのか?」


 と、ユニットバスを観に行く。が、電気はついておらずまたここにも人の気配がなかった。


「まさか、誘拐されたとかじゃ……流石にそんなわけはないか」


 だがどこに行ったのかは気になる。サッと顔を洗って服を着替え、部屋から出た。


 俺たちの部屋番号である206の表札を通り過ぎ、階段を降りる。そしてまずは管理人室へ向かう。


「もしかしたらお邪魔してるかもだし」


 と、チャイムを押し、数秒待つ。が、反応はない。


「やはり隣か」


 流湖は今日からここに住むと言っていたが、荷物は昨日運び入れはしていたけど流石に夜からの話なのだろう。


 念のための確認も終えた俺は、アパートに隣接する土地に建っている折原家へ向かう。


 チャイムを押す。と、扉が開き、ようやく人の顔を見ることができた。


「は〜い! あ、おはよう伊導くん」


「おはよう、流湖。すまんが真奈のやつ知らんか? どこにもいないんだが」


「ああー、うちにいるよ。ってか伊導くん、ズボンのチャックが……」


 と、顔を赤らめながらもまじまじと俺の股間を見つめる。


 おい、真奈といい流湖といい理瑠といい、俺の周りの女子には羞恥心というものはないのか! 唯一まとも? なのは霞くらいだ。


「す、すまん! 見ないでくれ」


「う、うん」


 と互いに後ろを向く。


「こほん、改めて。真奈に出かける準備をさせないといけないから探しているんだが、ここにいるんだな?」


「うん、そうだよ。だって真奈ちゃん、あんなんじゃ出かけられないよ〜」


「あんなの?」


 なんのことだろうか?


「私の方から言わせるつもり!?」


 と、流湖はギロリと睨んでくる。


「え?」


「だ・か・ら。それよ。さっき伊導くんが見せびらかしていたやつ!」


 と、俺のズボンを指さした。


「見せびらかして……? もしかして下着のことか?」


 ああ、そういえば全部洗濯してしまったとか言ってたっけ。

 それであのエッチなランジェリー姿を俺に見られてしまったわけだからな。


「そ、そうよ! 全くデリカシーのない。ほら、朝ごはんまだでしょ? ついでに食べて行ってよ。私も一緒に駅まで行くから」


「そうか? すまん、じゃあお邪魔します」


 そして折原家に上がる。


「あ、お兄ちゃん!」


「おう坊主、昨日はお疲れさんだな。よく眠れたか?」


 リビング兼ダイニングでは、勇二さんと真奈がテーブルに座って朝食を食べている。


「はい、色々とありがとうございます。改めてよろしくお願いします」


「うんうん、礼儀正しいな。社会ではそれが何よりも大事だ、今のうちから出来るに越したことはないぞ」


「お兄ちゃん、早くいただこっ。時間もだんだんなくなるよ?」


「ああ、そうだな」


 真奈は昨日の件をなかったことにしようとしてか、それか言うほどでもないというのか。普通に話しかけてくる。兄としては、もう少し恥じらいの心を持ってくれた方が助かるのだが。いつか悪い男に引っかかりそうだ……


「すみません、お邪魔しますね」


「遠慮するな、ここは第三の家だと思ってくれて良いぞ。雄導の息子は俺の息子も同然だからな」


「恩に着ます」


 勇二さんはナッハッハ、と笑う。やはり勇二さんと父さんは旧友と言っても相当仲の良い関係らしいな。俺も、泰斗といつかはこうなれたら良いなと思う。


「はい、どうぞ〜」


 と、流湖が朝食をテーブルに配膳してくれる。


「ありがとう」


 メニューは、シャケに味噌汁やご飯などなど。皆が想像する日本的な和食の朝食だ。最近は創作物でもここまでテンプレートなものは中々見なくなってきたな。

 見た目通りな感じに勇二さんの趣味なのか、それとも流湖が選んだメニューなのか。


「いただきます」


「は〜い。じゃあそろそろ私も一緒に!」


 と、俺と真奈が横並びに。向こう側に、勇二さんと流湖が並ぶ。


「……そういえば、伊導くんがパパの息子なら、私は伊導くんのお姉ちゃんになるね〜」


「むぐっ」


 もぐもぐと静かに朝食をいただいていると流湖がいきなりそんなことを言うもんで咽せそうになる。


「な、何言ってんだよ?」


「そうですよ先輩! お兄ちゃんは私のお兄ちゃんなんですから。弟になんてなりません、お兄ちゃんであることが大事なんですっ」


「ごほっ」


 すると今度は真奈が訳のわからない援護射撃をしはじめる。

 それ、フレンドリーファイアっていうんですよ知ってましたか?


「真奈も何どさくさ紛れに願望を口にしてるんだよ……流湖も、どう考えても勇二さんはそういう気持ちだって話をしてくださってるだけだろ」


「でも、前にも言ったと思うが。流湖とお前さんが付き合ってくれたら、いずれ結婚すれば義理の息子ってことにはなるわな」


「ぶふぉお」


 ついに味噌汁を少し吹き出してしまった。俺はティッシュを拝借して慌ててそれを拭う。


「パパっ!?」


「勇二さんっ!」


 流湖と、それに真奈も怒ってしまう。


「なんだよ、前ここで話をした時は結構満更でもなさそうな顔してなかったか?」


 恐らく、父さんと呑んでいた時の与太話のことだろう。


「だから、そんなんじゃないし。私は私のペースでやるってその時も言ったでしょ!?」


 彼女は顔を真っ赤にしながら反論する。


「へえへえ、すまんこって」


 すました顔で、ズズズと味噌汁をすする。


「お兄ちゃんは私のものです、誰にも渡しません」


「ふう。真奈ちゃんもそうは言うけどよ。お兄さんの気持ちはどうなんだ?」


「え?」


 俺?


「例え真奈ちゃんがどれほど好きだったとしても、そっちの方は見ている限りでは到底妹に対する愛情という枠を超えそうにねえ。無理やり好きにさせたり、もしくは結婚するとしても、それで二人が幸せになれるのか?」


「……それは」


 勇二さんはコトリ、と茶碗をテーブルに置く。


「俺も、愛する人を失った。勿論、流湖にも散々辛い思いをさせた。だから思うんだよ。本当に好きな人と一生を添い遂げることが、どれほど難しく、どれほどかけがえのないもので……それが失われた時に絶望に突き落とされるのか、ということをな」


「…………パパ……」


「す、すみませんでした。軽はずみな発言をして」


「いいってことよ。ただな、お兄さんのことも考えて。そして自分の将来もいうものをもう一度きちんと設計してみればどうだ? もう来年には高校生なんだ。高校生なんてあっという間だぞ? 大学に行くかは知らねえが、そのあとは更にだ。歳を取れば取るほど時間が経つのは早くなる。いつのまにか取り返しのつかないことが起きないよう、予め何事にも準備をしておくことが必要なんだ。まあ、していてもどうしようもない状況に陥るのが、これまた人生っていうもんなんだがな」


 取り返しのつかないことが起きないよう、何事にも準備をしておく、か。

 俺も、まだまだ甘い考えが多いのかもな。


「だから、俺なりの準備として。流湖には好きな人と一生を添い遂げて欲しいと思ってこうしてお前さんたちに協力しているのもあるんだ。いくら親友の子供とはいえ、ほとんど無償でなんでも引き受けると思ったのか? "大人は汚い"ってことを理解しておくんだな」


「はあ」


 だがちょっと待って欲しい。俺や真奈をアパートに住まわせることと、流湖が結婚なりをして幸せになることにどういう関係があるのだろうか?

 もしかすると、大家さんの練習をするとこで生活基盤を確立させていくとか、入居者とあわよくばとか、そういうことなのか?


「パパったら、余計な気を回してくれちゃってさ」


「そう褒めるなよ、照れるぜ」


「褒ーめーてーなーいーでーす〜〜!」


「それにしても、お前さんはなかなか鈍感なようだな」


「え?」


「そうですね、お兄ちゃんは結構鈍感系主人公の素質があると思います」


 なんだそれ? どういう意味だ?


「その顔を見ていると、なるほどと思うわ〜……」


 なぜか呆れられる俺は、三方から見えない針で刺されているような気分になった。


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