第26話 決戦

 抉れた道路から月光が差し込み、俺たちを照らす。結菜の足音も完全に聞こえなくなり、自分の息を吐く音のみが聞こえる。そして俺の目線の先には、憂鬱そうにこちらを見つめる天使・ザドキエル。


 ――――決戦だ。


 ザドキエルは何もない虚空から、一本のしゃくを取り出し――それを両手で持ち、その笏から霊力が溢れ出た。霊力は徐々にザドキエルの頭上に圧縮・凝縮。そしてどんどん集まり、巨大な力の塊へと変貌する。

 直ぐに分かる。あの光の塊で、俺達を攻撃し続けていたと……。そして、


 (あれで……皆をッ!)


 「来い、アスタロト」


 アスタロトは吸い込まれるように腕輪の中へと入っていく。感覚が更に広くなり、鋭くなる。そして身体を魔力が駆け巡り、俺とアスタロトは同化する。


 俺の背中から、右に漆黒と純白の翼が一枚ずつ、左に少し大きめの漆黒の翼が一枚――――三枚の翼、アシンメトリーの翼が生えて……。


 「さぁ、始めようか……ッ!!」



 ◈ ◈ ◈



 天使・ザドキエルは空中からそれを見下ろしていた。

 一人の少年と一つの悪魔。


 『過ちを繰り返す生き物達よ……』


 かつてイブが、禁断の果実を口にした時のように。また別の話では、パンドラが禁忌の箱を開けてしまった時のように。伊邪那岐イザナギ伊邪那美イザナミを見てしまった時のように。

 禁忌に触れる存在は、禁忌を犯してしまう生命体は、管理されなければならない。


 『だから我々は、お前たちに神罰を下す』

 

 反逆者クロムと堕天使アスタロト。

 その姿は一つとなり、クロムの背中には三枚のアシンメトリー翼が生え、左眼が赤色に発光する。


 奴らは罪を犯した。消さねばならない。殺さなければならない。神罰を下さなければならない。永遠と後悔と終焉を迎えさせなければならない。

 これは正義だ。

 我々はこの正義を護るために……。


 『消えろ……ッ!!』


 頭上の光の塊――凝縮された黄金の霊力を――。



 ◈ ◈ ◈



 先に仕掛けて来たのはザドキエルの方だ。手に持っていた笏をこちらに向け――頭上の霊力の球体が、更に恐ろしい勢いで圧縮され、


 『……【天裁光バベル】』


 巨大な光の柱が真っ直ぐこちらに、


 「飛べ、アスタロトッ!」

 『うんっ!』


 現在、俺の身体の殆どはアスタロトが支配していた。特に翼。この部位は人間にはない部位なので、いきなり俺だけで動かし、しかも飛ぶ事など不可能。なのでアスタロトに任せっぱなしだ。

 それに似たような理由だが、俺はまだこの感覚に、自分の身体に慣れていない。五感が有り得ないほど研ぎ澄まされ、全てを感じ取ってしまう。

 そして最悪の事態。もしアスタロトとのリンクが途切れる事があれば……。その時は万事休す。終わりと死だ。


 アスタロトは俺に従い、三枚の背中の翼を広げ、物凄いスピードで飛翔する。

 瞬間、光の柱が真横を通過して、


 ドガガガガガガォォオゴゴゴオオオッ――――。


 地面が抉れ、俺の元いた場所はもちろん、道路や住宅、アパート、コンビニ。何から何まで……。バゴォォンと光の一直線上で爆発音。ガソリンスタンドあった場所を中心に、火の海になっていた。


 (……身勝手に……色んな奴らが死んでる)

 

 瞬間、俺の脳裏に、結菜とミズチの後ろ姿がフラッシュバックして――。


 (結菜達も無事じゃ済まないッ!)


 そう考えた時には身体が勝手に動いていた。指先にアスタロトの凝縮された魔力。俺はザドキエルに飛びかか――。

 刹那、ザドキエルが笏をこちらにかざして、


 『【天裁弾バベルガン】』


 ザドキエルの頭上の霊力の球体から、無数の光の弾幕が俺達目掛け襲い掛かる。


 「アスタロトッ!」

 『分かってるっ』


 アスタロトは物凄い速さで。ザドキエルの周りを大きく旋回。直ぐ後ろから、直径一センチほどの光の弾丸が、嵐のように飛んでくる。

 俺の思考が加速を開始した。ここからは俺の役目だ。それはアスタロトが頑張っている間に、天使・ザドキエルの隙を見つける事。


 (クソッこれじゃ、近づく事も――――ん!?)


 その瞬間とき俺は気付いた。奴の頭上にある大きな霊力の球体が――初めに比べて小さくなっている事に。

 そこである心残りの疑問が解消された。それはあの地下水道でザドキエルの攻撃が止んだ理由。

 一度目は結菜と別れた時。その間、明らかに攻撃が止まっていた。その時は痕跡がダミーであると、ザドキエルが考えたからと考察していたが……。実際その後も、その地点にアイツは攻撃を仕掛けていた。

 そして二度目はミズチがやられて、俺がアスタロトと契約した時。その間俺達は絶好の的だったはずだ。それなのにザドキエルは攻撃をして来なかった。

 いや、出来なかったッ!


 (ザドキエルの攻撃には回数制限があり、その間にはクールタイム存在する…)

 

 まだ仮説程度だが十分にあり得る話だ。それにその仮説が正しいのなら……。


 (地下施設にいた時に受けた攻撃は四回。そしてクールタイムからの、崩落の波から逃げ回っている時の攻撃回数も……四回)


 つまり――奴の攻撃は一度に四回まで。つまりそのクールタイムをつけば……っ! 一瞬ザドキエルの攻撃が止まり、隙が出来たと思ったが、それはフェイント。

 直ぐにこちらに笏をを突き出して、


 (――――?)


 そうだ、ザドキエルの攻撃は全て笏をこちらに向けている。今の攻撃、【天裁弾バベルガン】なんてそうだ。こっちは凄い勢いで右往左往と飛んでいると言うのに、ポインターのようにその笏をこちらに向け続けている。つまりあの笏は攻撃の座標、視点を司っている。


 (それに……確かあの光の球体は、頭上に……)

 

 『【天裁弾バベルガン】』


 ザドキエルの三回目の攻撃。


 「アスタロト、とにかく今はかわせッ。時が来たら一瞬で終わらせるッ!」

 『了解っ!』


 同時にアスタロトに考察と作戦を送る。

 そしてザドキエルの頭上の光の球体も小さくなり――後、一回。ザドキエルの攻撃はだいたい分かった。


 まずは【天裁光バベル】。

 この攻撃は何と言ってもその威力。地面を抉り、建物を破壊し、絶望を植え付ける。

 しかしそんな【天裁光バベル】にも弱点があった。それは一直線にしか攻撃出来ない事。その根拠に、俺とミズチが地下水道を逃げ回ってる際の、三発目。その時おそらくザドキエルは俺達の位置を何らかの方法で特定。そして【天裁光バベル】で直接狙って来たはずだ。だが結果は、ミズチが上手く十字路を曲がり当たらなかった。特定出来ていたのなら、少し【天裁光バベル】をずらせば、俺たちに当たっていたはず。しかしそれをしなかった。いや、出来なかった。【天裁光バベル】はその威力故、言わば固定砲台。よって一直線ににしか攻撃出来ないと言う事になる。


 次に【天裁弾バベルガン】。

 これは【天裁光バベル】のような威力は無いものの、固定されている攻撃ではなく、銃で言うミニガンに近い性能となっている。つまりは【天裁光バベル】のサポートのような攻撃。【天裁光バベル】で出来ない繊細な攻撃を、【天裁弾バベルガン】で補っているのだろう。

 だがしかし聞こえは良いが、何よりも当たらなければ意味が無い。俺は銃口さえ見えれば、だいたいの着弾地点を予測できる。要するに、笏は俺にとっての銃口。笏が見える今、ザドキエルの【天裁弾バベルガン】の着弾地点は予測出来るのだ。


 俺達はザドキエルの周りの旋回を続ける。残る攻撃は後一回。【天裁光バベル】で来るか? それとも【天裁弾バベルガン】か? それともまた違った……。

 ザドキエルは笏を俺たちの進行方向にかざして、


 『【天裁光バベル】』


 瞬間、俺は叫んだ。


 「今だ、アスタロトッ!!」


 俺達は急停止、旋回を止め真っ直ぐ天使・ザドキエルに突っ込む。右手にアスタロトの猛毒を凝縮した爪の攻撃。コイツをザドキエルに……ッ!


 「『【毒魔爪デ・イズグロード】ッ!!」』


 ザドキエルは一直線にしか攻撃出来ない【天裁光バベル】を選んだ。そして、奴の攻撃回数は四回目。この攻撃が終わればザドキエルはクールタイムに入る。要するにカウンター攻撃を受ける心配はない。

 【天裁光バベル】は俺達の右隣を一直線に、


 ドガガォォオオオガガガガガォォゴゴゴ――――。


 空間が悲鳴を上げ、空気が揺れる。地面が抉れる音。マンションが倒壊する音。生命体の泣き声。死の鳴き声。生死の絶叫。


 『「うォオオオぉおオオッ!!』」


 だが、これで終わり……。


 

 (…………!?)



 それはゆっくりとした時間。

 とてもとても……永遠とも思える時間。



 (おぃ……何で……)



 その光景は意味が分からなかった。



 (何で……だよ……)



 全身が叫ぶ。



 (何でこっちに……笏を向けてるんだよ……っ!?)



 

 と言う事はこちらに攻撃を――。



 (四回目の攻撃だろ、何で……?)



 疑問は直ぐに解けた。



 (……頭上の球体がまだ消えてない? まさか【天裁光バベル】と【天裁弾バベルガン】で霊力の消費量が……違う……?)


 

 瞬間、ザドキエルが笑みを浮かべた。



 (まさかコイツ……この機を狙って……)



 もう、かわせな――――。



 『【天裁光バベル】』



 俺達は、絢爛けんらんたる光の柱を真っ正面から受けた。



 ◈ ◈ ◈



 音も無い。景色も無い。

 あるのは――痛み。

 俺達は【天裁光バベル】を受け、地面に押しつぶされる。


 (っ痛、熱い……ッ!)


 意識が飛ぶ。

 しかし直ぐに痛みでまた覚醒する。

 


 音も無い。景色も無い。

 あるのは――痛み。



 (ガッ……クソ……っ!)



 音も無い。景色も無い。

 あるのは――痛み。




 (俺はまだ……まだッ!)




 音も無い。景色も無い。

 あるのは――痛み。





 (俺は負けない……ッ!)




 

 音も無い。景色も無い。

 あるのは――痛み。





 

 (まだ……終わらないのかよ……)






 音も無い。景色も無い。

 あるのは――痛み。







 (っ……から……だが……)







 音も無い。景色も無い。

 あるのは――痛み。








 (負け……なぁ……)








 音も無い。景色も無い。

 あるのは――痛み。









 (……痛い……痛い)









 音も無い。景色も無い。

 あるのは――痛み。










 (まだ……負け……ぇ)










 音も無い。景色も無い。

 あるのは――痛み。











 (何で……俺が……)











 音も無い。景色も無い。

 あるのは――痛み。












 (何で……)












 音も無い。景色も無い。

 あるのは――痛み。













 (……助け……て)













 音も無い。景色も無い。

 あるのは――痛み。














 (……助け……くれ)














 音も無い。景色も無い。

 あるのは――痛み。















 (何で……っ……)















 音も無い。景色も無い。

 あるのは――痛み。
















 (痛い……助け……)
















 音も無い。景色も無い。

 あるのは――痛み。

















 (……殺し……て)

















 音も無い。景色も無い。

 あるのは――痛み。


















 (俺……を……)


















 音も無い。景色も無い。

 あるのは――痛み。


 

















 (……あ……ぁ)



















 音も無い。景色も無い。

 あるのは――痛み。




















 (…………っ……)




















 音も無い。景色も無い。

 あるのは――痛み。





















 …………。


 


















 音も無い。景色も無い。

 あるのは――痛み。






















 ――――。






















 音も無い。景色も無い。

 あるのは――痛み。























 ――――。
























 音も無い。景色も無い。

 あるのは――痛み。


 























 ――――。

























 音も無い。景色も無い。

 あるのは――痛み。







































































































          ――ユル――サナイ。









































        奴らを俺を否定した。































   奴らは俺の大切な人を破壊した。




















           喰らってやるッ。





















   苦しみに悶えろ……。





            悶え続けろ。





























    俺がお前らを。






























































        殺しつくすまで……ッ!!

















 『――なッ、ぐッ、グガァアアアァアアああアアああッ!!』


 天使・ザドキエルは絶叫を上げる。その夜空の彼方に迸る爽快な音色は、空間を振動させ、天の使いは極限に達する。身体中から血飛沫を上げてッ!


 『……ぅ……え、【瘴神気ミアズマ】っ!? 何でクロムが使えて……っ』


 アスタロトが何か言っている。だが聞こえない。聞く事は出来ない。興味はない。俺はただ眼前にいる天使に憎悪する。純白だった身体は、一瞬で微塵も消え失せ、皮膚が破れ血を噴き出し、紅く染まっていく。

 そして現れた。俺のあおぐろい憎悪が、

 

 「許さない」


 瞬間、俺を中心に――月光をも通さない黝い力が周辺を浸食。そして瘴気に悶絶しているザドキエルを捕らえて、


 グチュュッ――。


 捥ぎ喰らう。

 真っ紅な翼が一枚千切れ落ち、ザドキエルは深紅の歌声。紅い羽根が宙を舞い、この大空の舞台を更に可憐に彩る。


 「逆襲だ……足りねぇよ」


 ブチュゥッ――。


 ザドキエルの翼がまた一枚引き千切られる。白目を剥き出し、その頃には美しかった原型は残っておらず、ただの紅色の塊と化していた。

 だがまだ足りない。

 すると急に目が熱くなり――そして涙が溢れ出した。感情が高ぶり過ぎて、記憶が甦って、憎悪が止まらなくて、正義が許せなくて、


 「歌え……」


 お前を許せなくて、コイツを許せなくて、奴を許せなくて、ザドキエルを許せなくて――憎悪する。


 「舞えッ……」


 黝い力の瘴気の濃度が更に凝縮され、空間の風化が始まる。ザドキエルはそれをも諸に受け、身体中から血飛沫のみならず内臓が飛び出し始める。


 「踊れェ……ッ!」

 

 だが絶命は許さない。死ぬ事も許さない。声帯は嗄らせない。永遠に、永遠に歌って貰うために……そして絶望も終わらせない。

 ザドキエルから内臓が飛び出る度に、身体が揺れ舞い踊る。絶叫は終焉を知らず、無限の断末魔を奏でる。

 深紅と絶望に染まる正義は、俺の憎悪に喰らい尽くされ、


 「まだだ、終曲フィナーレは迎えさせねぇよ……。もっと歌え、もっと叫べ、もっと足掻け、もっと苦しめ、もっと嘆け、もっと噛みしめ、もっと舞え、もっと嗤え、もっと楽しめ、もっと踊れ。残酷に、冷酷に、苛酷に、厳酷に、峻酷に……。むごく、酷たらしく、酷たらしめるために……ッ」


 紅い天使は夜空で舞い踊り、



 「俺は叛逆者リベリオン。正義のアンチテーゼだ」



 俺はこの大舞台で、血飛沫の夜空に指揮を振る。

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