(7)
二台目のUVはすぐに来た。奏を先に乗せて、穂高もすぐに乗る。
いつものようにおしゃべりをする気にはなれない。それは奏も同じようで、しばらく沈黙していたが奏の方から口を開いた。
「……さっきはありがとう」
「え?」
「だから、千緒を助けてくれて……」
「ああ……」
俺が、助けた……のか……?
なぜか、自分がやったことではない気がしている。
「あいつ、ショック受けてないといいけど……」
「うん、心配……。ああ見えて繊細な子だから」
前席のモニターをつけて天気を確認、明日も曇りのようだ。
「そういえば、明日は朝練だっけ?」
「あ……うん、だからね……」
「わかってる。俺のことは気にしないでクラブを優先して」
「ありがとう、ごめんね……。木曜は一緒に行けるから、それまで……」
安心させるように微笑んで見せたが、なにか閑寂としたものを感じる。昨日からぽっかり穴が空いている気がする上、奏との時間が少なくなればそれが拡大していくように思えるのだ。
朝もしばらく一人になるな……。
大きな流れに自分一人が取り残されているような気がしてならない。なんでそんなことを思うのか思案してみたところ、
「あ……!」
「どうしたの?」
奏が不安そうにこちらを見る。
「自転車……学校に置きっぱなしにしちゃった……」
「あ……そうだね」
沈黙。自然と二人で吹きだしてしまった。
奏の部屋に着くころには完全に日は沈んでいた。
「ふぅ……」
気が抜けたようにソファに座り込む。大した運動はしていないのにひどく消耗していると感じる。
「大丈夫? すぐにご飯用意するね」
「いや、奏も疲れてるだろ、今日はなにか注文しよう」
「わかった、そうしよ」
このマンションの一階では調理サービスをやっており、注文すればルームサービスとして料理を持ってきてくれる。出入りしているだけの身でそんなことを頼むのは気が引けるが、奏もさっきのことでやや気が沈んでいるだろう。明日からの朝練のことも考えて、ここは楽をしてもらいたかった。
それにしても……。
久々に再発したあの超感覚に思いを巡らせる。
ほんとになんなんだあれは……。
久しくなかったので、一過性的なものではないかと自分の中で結論をほぼ出していた矢先に再び訪れたのである。
呪われてる……わけがない。もしそうなら……。
千緒を助けてなどはくれなかったはず。なにか他にも思い当たることがないかと思索を続ける。
俺は一体いつから……。そうだ夏休み最初の日に、いやもっと前にマシン展で……。
〈死ねるのだな〉
ハッとして立ち上がる。あの不気味なガスマスクの言葉が脳裏をよぎった。
「そんな……あいつは一体……! ……⁉」
目線を感じた方向に目をやると、奏が硬直した表情でこちらを見ていた。手にが紅茶のカップが乗ったトレーが握られている。考え込み過ぎて彼女の接近に気づけなかった。
「どうしたの……?」
「あ、ああ……ちょっと考え事……」
奏はまだ動く気配がない。彼女のもとに近づく。
「俺がやるから……」
トレーを手に持つ。テーブルまで持っていこうとした時、
「あ……」奏にシャツの裾をつかまれた。
「穂高、私怖い……。嫌なことばかり起って……」
「偶然だよ……」
そう思うほかないだろう。少なくとも、あの怪現象はいくら考えても答えを出せそうにない。出せるようになるのは、再びあの男とまみえた時、なのかもしれない。
テーブルにトレーを置いても、奏はシャツをつかんだままでいる。
「私、やっぱり、土日の遠征は……」
「大丈夫……」
もう何度目の大丈夫、なのだろうか。手を広げて、彼女を包むように抱いた。
壁にかかった時計が秒針を刻む音を立てる。といっても実在する秒針ではない。デジタル映像が現出させている電子のそれであり、針が頂点に達するとオルゴールがなった。二一時を知らせるものである。
ぼんやりと時刻が到来したことを理解した。手に持った櫛で、抱いたままの状態になっている奏の髪をすいていた。食事を終えてからは、ずっと密着していたので、不器用な手つきながらもやってあげたくなった。
さらさらした奏の髪に魅了されながらも、腕の動きを止めた。
「もう帰らなきゃ……」
「……だめ?」
泊っていっては、という意味だろう。
「そうしたいけど……」
奏は明日早い、自分に気をつかって練習に遅れてしまうかもしれない。それに男連れで来たところを他の部員に見られてもよくないだろう。
「日曜に駅まで迎えに行くからさ」
「……うん」
奏がようやく体を離して、顔を上げた。
「いつも引き止めちゃうね……」
「いいんだ……」
立ち上がり、鞄を持つと玄関まで二人で向かう。
「明日もお昼は穂高と一緒にするから、中央テラスで」
「うん、ありがとう」
靴を目の前にすると揺らぎそうになり、一旦振り向いた。
「日曜までは、お泊りは我慢しよう」
「そう……だね」
「今日はここまででいいから、奏はお風呂入って早めに寝ちゃって」
「そうするね」
靴を履く。
「それじゃあ……」
「うん……」
ドアを開ける。自動ドアは静かに閉じられた。
エレベーターに乗り込んだところで、髪をくしゃくしゃにした。
奏はこんなにも自分を想ってくれているのに、なにか距離感ができただのくだらないことを感じた自分にいらついてくる。
根っこが弱いんだ俺は……。人を信じる心を養ってこなかったから……。
エントランスに出ると、
「あ、こんばんは、土谷さん」
「はい、こんばんは」
コンシェルジュの土谷氏に挨拶する。こんな時間でもまだ、せわしなく働いているようだ。いつ休んでいるのかわからず少し心配になる。
「お車を用意しておりますので」
「すみません……ありがとうございます」
奏の彼氏というだけで部外者の自分なんかのために、そんなことをしてもらうのは心苦しいと、いつも思う。
「もう夜も更けておりますのでお気をつけて」
「はい、土谷さんもお体はお大事に」
一礼して出ようとしたところ、
「ああ、そういえば、あなたのクラブの……」
「はい?」
振り返った。
「葛飾斎さん、でしたか」
「え、ええ……」
「お父様が今、大変な状態ということで気にかけております。私も、昔お世話になった方なんですが……」
「え? そうだったんですか?」
意外過ぎた。彼と斎の父に面識があったなどまったくの予想外である。
「はい、もうずいぶん前の話ですが、奏さんのおじい様にお仕えしていた時に、彼とも会ったことがあるんです。息子さんがいらしたとは知りませんでしたが」
「そうでしたか……」
「ご快復をお祈り申し上げていると……」
「はい、伝えておきます」
そう言うと、マンションを出た。
奏のおじいさん、知瀬の建設に関与したって言ってたな……。部長のお父さんも、世間って意外と狭いのか、あるいは……。
またくだらないことを考えたと思い、頭を振ってUVに乗り込んだ。
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