(3)

「うー食べたー」千緒が大きく伸びをする。

「ちょっと汗かいちゃったね」結実がハンカチで千緒の頬を拭いた。

「芳子さん、今日はありがとう。楽しかった」

「ううん、こっちこそ、うちの連中とはこういう店行かないからね」

 軽くニヤッとすると、横目で芳子の眼が鋭く光るのが見えたので、すぐに顔を整えた。

 夏季期間中、繁華街はイルミネーションや光広告が、あちらこちらに浮かんでおり、不夜城さながらの景色を作り出している。少し、奏と散歩したくなったが、彼女も今日はもう疲労してるだろう。このまま車を呼んで見送ろうか、と思ったが、


 今日は……今日もお泊りかな……?


 奏の様子を窺おうとした。

「奏、私たちこれからお泊りするの、私の部屋で。よかったら奏もどうかな……?」

 千緒が控えめな態度でそう提案していた。千緒の後ろに立っているので、彼女の視線は穂高を向いていないが、なんとなく気にしているのは伝わってくる。

 目くばせで奏に、それを勧めた。

「うん、お邪魔するね」

「着がえは私の使えば大丈夫だよ」結実もそれに気づいたようだ。

「よーし、今日は遊ぶぞー」大はしゃぎの千緒。


 まだ遊び足りないのか……?


 呆れつつ芳子の方に近づく。

「えーっと」

「なに……?」

「女子寮ではあまり暴れないように」

「あんた私をなんだと思ってんの⁉」

「じょ、冗談だって……。部長たちによろしく……」

「うん……。て言っても私も会う機会はあまりないだろうけど。こっちはたぶん休み中は知瀬にいるから。あんたも普通に夏休みを満喫しなさい、余計なことは考えなくていいから……」

「ああ……、ありがとう」

 穂高が真人たちと自分を比較して、思い悩んでいたことには彼女も察していたのだろう。少し救われた気分になった。

 近くの呼出機から、奏たちを送るためのUVを呼び出す。背後から千緒が近づいてきた。

「そんじゃ、今日はユアディアーな彼女借りちゃうねー」

「どうぞ」嘆息しつつ、なんの影響を受けたのだろうかと思う。

「混ざりたい? ねえ混ざりたい?」

「あーはいはい、お前のいびきなんか聞かされたりなんかしたら……」


 その時、呼出機側の反射イルミネーションに映ったものを見てしまった。

「……?」

 千緒の、寂しげな顔。

「どうした……?」振り返る。

「え……?」

 沈黙したまま、見つめ合う格好となった。

「……な、なに……?」

 千緒がわずかに口を開く。

「いや……」

 そこで会話は、終わった。奏がやって来る。

「穂高、ごめんね」

「え? ああ、別に、二日も空けて、ちょっと家も気になってたしね」


 あ……。


 千緒が目の前にいるのだと忘れていた。しかし、特に驚いている様子も、からかおうとする気配もなかった。

「と、ともかく、友達は……大事にしてよ」

「うん」

 奏が再び、芳子たちのところに戻るが千緒は動こうとはしない。彼女の側に向き直るのがどうにもためらわれる。


 どうして……?


「あの……」また千緒の声がした。

 一呼吸置いてから、振り向いた。

「すぐ来るよ」

「……」

 返事をしない。なにか、言いたそうにしているのを背中で感じる。

「……」

 穂高も押し黙ってしまった。

 千緒の言いたいこと、それは……聞いてはならない、ことだろう。 

 しばらくそのままでいるとUVがやって来た。

 女性陣が乗り込んでいく、千緒の背がまた小さくなって見えた。最後に奏が乗ろうとしたところで、

「ありがとう穂高、ゆっくり休んで」

「うん、奏も」

「暑くなってきたけど、エアコンつけっぱなしにして風邪ひかないようにね」

「大丈夫だよ」

 どうも年下の子供のように思われている時があるように感じる。

「旅行の件はまた明日、話そ」

「あ、ああ……」

 一瞬、なぜかドキッとしてしまった。千緒は奏のすぐ横にいるのである。穂高の位置からではその顔は見えない。なぜかそれを千緒には聞かれたくなかった。


「山家さん、今日はお疲れさまでした。奏ちゃんお借りしますね」

「夏ボケしないでよ」

 結実、芳子とも別れの挨拶。

「ああ、それじゃ」

 ドアが閉じられる、わずかな瞬間に、

「バイバイ……」

 千緒の口の動きがそう言ったように見えた。

 静かな音とともに、UVは去っていった。

「……」しばらく立ち尽くしてしまった。 


 少し距離があるけど、歩いて帰るか……。


 そんな気分になる。夜の繁華街を抜けて、寮がある第七区に入ると、酔っ払いが仲間の介添えを受けながら座り込んでいるのが見えた。市内の清掃マシンはこんな時でも、せわしなく歩道の洗浄を怠らない。

 寮に着くと、駐車場隣の庭で寮生たちが花火を楽しんでいた。エントランスに入ると、

「君、夏祭りの案内なんだけど、よかったらどうぞ!」

「え、ええ、ありがとうございます」

 なにかの広告ポスターを受け取る。一瞬、怪しいイベントかと思ったが、ここの生徒でそんなことする、できる人間はそうそういない。そのあたりはかなり学校が厳しい。単なる花火大会の案内だった。穂高もこれは既に予定に入れてある。ちょっとしたコンパにしたいようで星緑港だけではなく、近隣の女子高からも参加者を呼びかけているようだ。このひと夏にアバンチュールでも狙っているのかもしれない。


 うちの生徒はモテるらしいからな、俺には関係ないけど……。


 知瀬屈指のエリートの卵である星緑港の男子は周辺の女子高生から人気があるらしいことは知っていた。校内のこましゃくれてて、プライドの高い同級生よりも交際相手は外部に求める男子生徒は多い。他校から食い気を持って接近してくる女子もいるが、それを食い物にしているという悪評もある。


 みんなにはそういう雰囲気はないけどな……。


 工科の芳子は元より、文科の奏たちも控えめで良識をわきまえた女子生徒であることはひしひしと感じている。そういう性質であるから、よき友人となれたのかもしれない。

 部屋に入ると、もわっとした生暖かさを全身で感じた。たった数日以内だけで、やはりずいぶん空気が澱んでいた。窓を開けて、空調もきかせる。シャワーをあびてから、机の前の椅子にすわるとパソコンを起動させた。パソコンといっても、この時代のものは小さなブロック状のものでしかなく、実物のモニターも用いない。本体から投射される電子モニターは好きなように画面を拡縮したり、分割することができる。RCをはじめとする小型の情報媒体を持っていれば必要ですらないが、精緻な作業をする時はやはり有用である。

 さっそく、旅行の予定地の絞り込みに入る。現地の自治体が観光案内用に設置してあるリアルタイムモニターでライトアップされた夜の高原や山道を眺めつつ、ここにしようと決めた。   


 反対はしないと思うし、早い方がいい部屋が取れるからな。ペンションは避けて、旅館タイプのものにしよう、奏とのんびり過ごしたい……。予定は、無難に二泊三日でいいだろう。初めての二人きりの旅行だしな。


 宿の仮予約を済ませると、今度は帰省の事が気になってきた。


 やはり行くか、ほんの二、三日でも……。お盆には奏も一度帰省するだろう。その時にするか……。


 そこで気になることが生まれた。


 どれにするか……。


 どのお金を使うかである。穂高には今、三つの口座がある。ベーシックインカム(BI)や簡単なバイト代の振込先となっている口座、父が渡してくれたカードの口座、そして……母が遺してくれた遺産の口座である。


 俺はもう、母さんの遺産を、節度を持って使える年だろうとは思う。だけど……、


 今まで使ったことは中学のあの時以来、一度もない。まだどこかで自分には資格がないという思いがあるのかもしれない。


 うん、今回はBIの口座を使おう、そして父さんの口座をどこまでなら、なにになら使っていいのか帰った時に話し合ってみるか……。


 それを帰省の理由と思うことにした。

 作業を終えると、いつもの癖で奏に通信しようとしたが、やめておいた。今頃、女子寮でみんなと遊んでいるだろう。メッセージだけ送っておいた。


 今は杉岡の部屋だったな……。杉岡……千緒……。


 別れ際の千緒の孤影が脳裏をかすめる。机から離れて、ベッドに腰かけた。するといつか千緒がこの部屋に来て、このベッドに座っていた時の事を思い出してしまった。

「……どうしようもないだろ」

 口に出た言葉は、自分自身に言い聞かせるもの、千緒の好意には薄々気づいてはいた。伊達に、奏への恋患いで悩み続けた穂高ではないのだ。だが、今言って見せたように、どうしようもないもの、としか考えることができない。

 だがそれでも、なにか罪悪感めいたものを感じてしまう。


 下手なやさしさはあの娘をかえって傷つけるだけだ……。そうだ……余計なことは考えないようにしないと……。


 部屋を出てテラスに向かう、少し夜風にあたりたかった。

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