第二話 わたし、嵐を呼ぶ女になる

 変なものを裕美が見つけたのは畑の脇を歩いていたときだった。

 快晴の空の下、畑の真ん中で長靴を履き、黄色い雨ガッパを着た何かが、天に向かって右に左に白い雨がさを突き上げている。


「智子、あんた何やってんの?」裕美が声をかけた。「かかしでもはじめたの?」

「違うよぉ……」

 中学時代の級友の前まで歩いてくると、智子は開いた雨がさをぶらぶらと片手で揺らしながら、困ったような声で言った。

「最近、雨が降るんだよ……」

「何言ってんの? 最近、カラッカラじゃん」

「それがさぁ、わたしのところだけなんだよ。そしたらお母さんが、今年、水不足だから畑で立ってなさいって。降るまで帰ってこなくていいって」

「それ、体よく追い出されたって言うんじゃ……」

 裕美がつぶやきかけたそのとき、雲ひとつない快晴であるにも関わらず、どこか遠くからゴロゴロと雷の鳴る音が響いてきた。

 来た、と智子がつぶやく。

「そろそろ降りそう。行こう行こう」

 智子は空いた方の手で裕美の手を握ると、二人一緒に駆け出した。


「ほんとだ……」裕美がつぶやいた。

 寂れたバス停に設えられた、錆びたトタン屋根の下で二人は雨をやり過ごしていた。

 土砂降りだった。随所で稲光が輝き、視界を覆うほどの豪雨であるにも関わらず、雲の規模はとても小さく、数十メートルほど先では晴れ間が広がっている。

「ゴリラなんとかってやつかな」と智子。

「ゲリラ豪雨でしょ」

 呆れたように裕美が言った。

「でもさ、あんたこんな雨女だったっけ」

「そうじゃなかったんだけど」


 智子は山で見かけた祠について話をした。


「それからなんだよ」

 へぇ……と相槌を打つと、ふと思いついたように裕美は言った。

「でも、それすごくない? うちの果樹園も水不足なんだけど、立ってみてよ」

「いいよ、どうせひまだし」



 裕美の家の果樹園に着くや、智子は畑のときと同様、雨がさを突き出すと再び珍妙な動きを始めた。

「ねえ、その変な踊りなんなの?」と裕美。

「お祓い」雨がさを右に左に突き上げながら、智子が答える。

「神社でお祓いするときのフサフサあるでしょ。大幣(おおぬさ)っていうんだけど。傘はあれの代わり」

「ありがたみがないなぁ……」

 しかし、五分もしないうちに、再び雷鳴が轟いてきた。

「すごい! すごいじゃん! おかげで大助かりだよ!」裕美が飛び跳ねる。

「でしょ! でしょ!」智子も飛び跳ねながら応じる。「でも、これはわたしの力じゃないんだよ。きっと神さまの力なんだよ」

 智子の言葉を受けて、裕美はまじめに考えてしまう。

 しばしの時を経て、そっかぁ、と裕美はぽつりとつぶやいた。

「神さまに雨を降らしてもらったんだから、お礼しにいかないといけないよね」

「そうだね」智子は即答した。



                   *



「ねぇ、ちょっと怖いんだけど……」

 祠を目の当たりにするや、怯えた顔で裕美が言った。


 祠は以前よりいくらかまともになった。たびたび智子がきて周囲を掃除し、花を飾り、塩と水と米を供えたからだ。

 さすがに壊れた鳥居や祠の扉は直せないが、鳥居の貫を外したり、なくなった扉の代わりに清潔な白い布を垂らしたりすることで、多少は祠らしい見た目を取り戻している。

 それでもやはり古びて朽ちた祠は、人気のない山の雰囲気も相まって、言葉にできない不気味さを湛えていた。


「そんなことないよ」智子はきっぱり言い切る。「これは神さまだよ」

「どうして分かるの? なんの神さまかもわからないんでしょ?」

 当たり前のことを問われた智子は、やおら裕美に向き直った。いつになく真剣な面持ちだった。

「わたしは思うんだ。『それ』がどうであるかじゃないんだよ。大事なのは『それ』に対して自分がどうであるかなんだよ。石ころでも、お日さまでもお米つぶでも、ありがたい神さまだと思えばありがたい神さまなんだよ!」

 だから、と不遜にも智子は祠を指差した。

「これは神さまなの! 雨、降らせてくれたでしょ? 裕美のために!」

「うーん……」裕美は唸った。智子の言葉は確かに正論だ。

「だったら『ありがとうございます』って言わないと! そう思う心が大事なんだよ!」

 裕美は喉の奥で感服の声を上げる。「あんた、たまに深いよね」

 巫女ですから! 智子は胸を張った。


 二人並んで柏手を打つ。

 祈りの最中、ふと智子は思う。

 小さな頃、この山の崖から落ちかけたことがあった。

 そのとき、誰かが彼女の身体を支えてくれたのだ。誰もいないにも関わらず、確かにそういう感触がした。驚いてぺたんと地面に尻もちを突き、そうして辺りを見回したときの人気のない静寂すらも彼女はいまだに覚えていた。


 ……あのときの神さまなのかなぁ。



                   *



 ――守らねばならない。



 ――守らねばならない。



「守るって、なにを……」

 つぶやいた自分の声で目を覚ます。朝だった。


「ちょっと智子、お客さん来てるわよ」

 階下から母親の声が聞こえる。

 なんでこんな朝早くに……とぼやきつつ、智子は二階の自室の窓から庭を見下ろした。

「なにこれ!」

 途端、智子は目を丸くして叫んだ。

 村中の人たちが列をなして玄関の前に立っていたのだ。


「おぉ、智子ちゃんだ!」向かいの家の老人が窓辺にいる智子を指差して叫ぶ。

 すると、村人たちは智子に向かって口々に叫んだ。

「智子ちゃん、雨、降らしてくれるんだってなぁ!」

「智子ちゃん、うちの田んぼにちょっと立ってくれるかぁ?」

「智子ちゃん、うちの畑も頼むよ」

「智子ちゃん、うちも」

 そんな村人たちの列から少しはずれたところで、裕美が困ったような笑顔を浮かべて「ごめん」と手を合わせていた。



「もぉ、まいったよぉ」

 数日後、村の田畑のほとんどに雨を降らし終えた後、智子は実家の居間でぐったりと寝転んでいた。

「みんなお返しが野菜とかお米とかばっかだし……バイト代のがいいんですけど!」

 そう言ってはみたものの、そもそも智子は見返りを求めてはいなかった。村の人たちが喜んでくれることは彼女にとっても嬉しいことだし、それにもうひとつ、村の人々が祠の再建に協力してくれることになったからだ。

 まぁ、神さまが喜んでくれるならいいかぁ、と智子はつぶやいた。

「そうそう、智子、あんた新聞に出てるわよ」ふと思い出したように母親が言った。

 わぉ! と叫ぶや、智子は母親が差し出す地方新聞をひったくるように手に取った。


『謎の美女、嵐を呼ぶ』


 そんな見出しを胸に抱き、紙面に目を落としてみたものの、しかしそこには『謎のてるてる坊主出現!?』の見出しと、雨がさを掲げ、黄色い雨ガッパを着て珍妙な踊りをしている智子の写真が載っていた。

 智子は天を見上げて叫んだ。

「なんでよぉ!」



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