はちみつとトラバサミ 6

 夕方の応接間に二人。あまり遅くなってはいけないからとクロードに言われ、毎度恒例の「カウンセリング」は手短に済ますことになった。飲み物すら出さずに話をするのは何となく気が引けたが、クロードの言うことももっともだ。ジョゼは四季の小瓶を手早く机に並べ、さて、と居住まいを正す。


「クロードさん、うちの香水のことは……知らないわよね、多分」

「そうだね。詳しいことはあまり。この店のオーダーメイドは、先代のマダムにしか作れないだろうって言われていたのを小耳に挟んだくらいか」

「……そう言えばクロードさん、前にあたしのこと『先代の弟子』って言ってたっけ? おばあちゃんの調香の腕のことよく知ってるみたいだけど……もしかして、おばあちゃんと知り合いだったの?」


 それはもちろん、マダム・ルブランと「ルール・ブルーの香水」と言えば王都でも有名な調香師だったのだから、名前を知っていること自体は不思議ではないのだけれど。それにしては、言葉の前提が先代のマダムにある気がする。

 首を傾げたジョゼに、クロードはゆっくりと首を振った。


「いや、僕自身はご挨拶したことがあるだけだ。君も知っているだろうけど、亡くなられる前の年に、王都に来られたことがあって。その時に少しね」

「ああ、あの時……。おばあちゃん、何しに行くか教えてくれなかったのよね。結局何だったの? クロードさんに挨拶したってことは、王太子様のご依頼?」

「うん。『花の獣』の密偵を炙り出す手伝いを頼みたくて」

「……手伝い? おばあちゃんが?」


 目を丸くしたジョゼに、さもありなんといった様子で頷くクロードは、一旦言葉を探すよう灰色の瞳を天井へ向けて、それからジョゼの方に視線を戻すと、ぽつぽつと話し始めた。


「王家とマダムは、王都に『ルール・ブルー』があった頃からの付き合いなんだ。マダムは『親衛隊』設立時のメンバーの一人だったから、当時王太子だった陛下が即位された後も、何かあるたび時々力を貸してくれていたんだよ」

「え? ……え? おばあちゃん、軍人だったの?」

「ああ、いや。そうじゃないんだ。僕ら『親衛隊』は少し特殊だって言ったろう? 僕みたいに元から戦いを生業にしてた人間も勿論いるけど、普段は別の本業を持って暮らしてる人も多い。皆が皆『軍人』というわけではないんだ。どちらかと言えば、僕も軍属と親衛隊の一員を兼ねているような状態に近い」


 つまるところ、親衛隊という大げさな名の付いた、王太子直属の特殊部隊のようなものである。彼らの使命はもちろん王太子を、ひいては王家を守り、その敵を退けることだ。表の軍人や官僚には難しいような、いわゆる「グレー」な調査を行うこともあり、それゆえ「花の獣」をはじめとした敵対組織の関係者から、恨みを買うことも少なくない。クロードのように軍人として、初めから所属が明らかな者は別だけれど、市井で暮らすメンバーは身を守るためも兼ねて、有事を除いては「親衛隊員」を名乗ったりしないのだという。


「でも、おばあちゃんの遺品には、クロードさんの勲章と似たようなものは無かったわ」

「うん。王都を離れる際に、陛下に返して行かれたらしい。必要とあらばいつでも駆け付けるけれど、自分はもう年だから、早く本業を継いでくれる優秀な弟子を探さねばならないって。それに……」


 そこで言葉を切ったクロードが、躊躇うようにはくりと呼気を吐き出して、一旦口を噤む。じっと見つめていれば観念したのか、顔を顰めるように目を眇めて首を振った。


「理想の鼻を持った弟子を見つけたとして、老い先短い自分にゆっくりと調香を教える暇はないだろうし、厳しい修行の上に親衛隊の身分まで引き継がせるのは、あまりに酷だから。そんな風に話して、王都の店を畳んだって聞いているよ」

「おばあちゃん……」

「……だから、できることなら今回の件にも、君を巻き込みたくはなかったんだ。先代のマダムは、王都で言い置いて行ったとおり、親衛隊のことを君に教えなかっただろう?」

「それは……でも」


 起きてしまったものは仕方がない。そもそも、実際にクロードはジョゼのことを知っていて、だからこそ「追う側」として巻き込むまいと遠目から様子を見守ってくれていたのだ。それを誤解とはいえ追い掛け回して捕まえたのはジョゼの方である。

 はからずも育ての親の思いやりを台無しにしてしまったことに胸は痛むが、クロードが気にするようなことではない。そう告げようと口を開きかけたジョゼより先に、クロードが静かに言った。


「うん。巻き込むこと自体は、避けられなかった。だから僕がここにいる」

「……クロードさん」

「若輩の僕がこう言うのは、烏滸がましいことかもしれないけど……アンナ姫を守ることが殿下の意思であるように、君をこの事件から守ることは、かつての仲間の遺志だから。この島にいる間、僕は君のナイトでもある。頼ってくれると、嬉しい」


 それから、照れくさそうに少しだけ視線を外すと、クロードは机の上の小瓶をひとつ指先に浚う。迷いなく選ばれたのは、春の香りだった。ほころび始めた花の香りを微かに運ぶ、みどりの風。柔らかく肥沃な土と温かな日差しに、ほんの少しだけ、雪解けの水で湿った木の香りが混じる。

 ゆっくりとまどろむような優しい午睡の香りは、クロードの氷のような無表情には相応しくないと思う者もいるだろう。彼自身も「僕にはこんな穏やかなもの似合わないかもしれないけれど」と気後れしたように呟くほどだ。


 けれど、ジョゼはそうは思わない。だからこそ、力強く首を振って否を伝えた。


「クロードさんらしいわよ、とっても。……あのね、少し時間がかかるかもしれない。だけど、絶対に良いものを作ってみせるって約束するわ」

「……それはありがたいけど、やっぱり難しいのかな。もし君の負担になるようなら……」

「ならない! ただね、ちょっと燃えてるの!」


 だって、誰よりジョゼが「そうしたい」と思ったのだ。

 冷たく冴えた雪空のような目の奥に、繊細で温かな春の太陽を抱えたクロードという青年を、その誠実と優しさを皆に知ってもらえるように、全力を尽くしたい。

 顔面は仮面みたいに動かないくせに、意外と表情豊かな彼のことを、何だか可愛らしいと思ってしまったから。

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