(9)
――「お試し妃」になって一番変わったことは?
……ララタが今、もし、なにかしらのインタビューを受けて投げかけられたら困る言葉だ。
一番を選ぶ必要すらない。……なにも変わっていないからだ。
いや、アルフレッドの態度はちょっとだけ、ほんのちょっとだけ変わった気がする。しかしそれは「気がする」だけなのかもしれない。その程度の変化しかないのだ。
「お試し」ゆえに外交や国内視察といった「これぞ王族」的なイベントには関われないし、ララタだって「お試し」の身でそれは荷が重い。
たまに王様やお后様と共に夕食を囲むことはあるが、それは「魔女様」であったときからたまにあったイベントである。
――なにも変わってなくない?
ララタは思わず心中でそうつぶやいた。
しかし一見、変わっていないようにみえてアルフレッドからすれば大いに変わっているのかもしれない――とララタは思い直す。
「お試し妃」なる奇習を敢行することになって、ヘタな相手を選んでは傷つけてしまうかもしれないし、あるいは勘違いされるかもしれない。そういうリスクを鑑みてアルフレッドはララタを選んだ……と、当初は思い込んでいた。
しかし王宮図書館でうっかり見てしまったアルフレッドの日記。そこには隠しようもないララタへの想いが綴られていた。
とすれば「お試し妃」はララタと――うぬぼれでなければ――接近するための方便にすぎないのだろう。客観的に考えれば、そういうことになる。
しかし普段真面目なアルフレッドが、いつでも会おうと思えば会えるララタと接近するために「お試し妃」などといった奇習を利用するだろうか?
そのあたりは、引っかかりを覚えているララタであった。
しかしそういった疑問点を真っ向からアルフレッドに聞けるハズもない。
第一に、アルフレッドの日記を事故とはいえララタが見てしまった事実を彼は知らない。
第二に、ララタは素直ではない。愚直の正反対を行くのがララタなのだ。
だから結局、胸に秘めておくしかないのだった。アルフレッドへの疑問も、彼への気持ちも。
「うわーっ」
ところかわって竜舎である。読んで字のごとくドラゴンを飼うための小屋――と言いたいところだが、実際はお屋敷といった風体――である。
日々をアルフレッドへの気持ちやらなんやらで悶々と過ごしていたララタであったが、このときばかりはその気持ちも夏空のように晴れやかとなる。
なにせ目の前に白銀の鱗を持つドラゴンがいるのだ。優美な流線を目でたどり、口からのぞくするどい牙に青い瞳を見れば、ララタは感動に頭がクラクラとした。
元の世界でもドラゴンは稀少であったから、ララタはこんなにも近くで見たことがなかった。祭典のパレードで沿道から遠い場所を飛行するドラゴンを、その堂々たる体躯を羨望の眼差しで見るしかなかったのである。
それはこちらの世界でもそう変わりはしなかった。元の世界に比べて、野生のドラゴンは多いようだったが、それらがいるのは魔法の残滓が残る危険な峡谷。おいそれと観光気分で見に行ける場所ではない。
しかし王宮の敷地内に設けられた竜舎には、ドラゴンがいる。太古から交配を繰り返し、イエイヌのように人に慣れたドラゴンだ。
昔は戦争にも使われたというが、平和な今の世の中では式典やら祭典やらの折々に庶民の目に触れるくらいである。
ドラゴンは強力な騎乗獣であると同時に王家のシンボルでもあった。王家の紋章には簡略化されたドラゴンが描かれている。
だから戦争がそう遠い話となった現代において、ドラゴンに騎乗できるのは王族とその配偶者のみと定められている。
昔から絵本などで慣れ親しんだドラゴンが、こちらの世界で「魔女様」となってからは多少身近な存在になったとはいえ、そういう決まりごとがあったため、ララタはドラゴンに乗ったことがなかった。
パレードで威風堂々とドラゴンに騎乗するアルフレッドを見ては、「いいなあ」と羨ましく思うしかなかったのである。
「ほんとにほんとに乗ってもいいの?!」
目をきらめかせて興奮するララタに、アルフレッドは微笑ましいものを見る目で「いいよ」と答える。普段であればアルフレッドから温かい眼差しをひとつちょうだいすれば、素直じゃない態度になってしまうララタも、今日ばかりは大人しい。
「お試し妃」になった割には、変わったことなんてひとつもない――。そう思っていたララタであったが、違った。
かりそめとは言えど、今のララタは王族の一員。アルフレッドの配偶者という扱いなのである。――つまり、ドラゴンに乗ってもだれにも文句を言われないのである。
その事実にララタは興奮した。そして「『お試し妃』を引きうけてよかった!」とまで思ったのであった。
ふわふわと夢見心地のララタに、「リル」という名の牡ドラゴンはスンスンと鼻を鳴らして顔を近づける。
「うわわわ」
「撫でてあげなよ」
「撫でる?! どこを?! どう?!」
「鼻筋の辺りを撫でてあげたら喜ぶよ。身づくろいでなかなか届かない場所だから」
「は、はなすじ……」
興奮しきりでわたわたとするララタであったが、覚悟を決めてリルの鼻筋をそっと撫でた。「キューン」とリルの喉から鳴き声が漏れる。青い瞳を細めて大人しく撫でられる姿を見ていると、ララタの中に「愛おしさ」があふれ出てきて止まらなかった。
元の世界にいたころから、常々「超大金持ちだったらドラゴンを一頭ぐらい飼えるのかな?」などと考えていたくらい、ドラゴンに気を惹かれていたララタである。それはもう、リルに触れただけで、心はノックアウト寸前だった。
いつになくはしゃいでいるララタを微笑ましく見つつ、アルフレッドは慣れた手つきでふたり乗り用の鞍をリルに取り付ける。リルは暴れることなく大人しくされるがままであった。
「やっぱり馴れてるんだね」
「リルは人懐こいから、慣れれば難しいことじゃないよ」
そうは言ってもドラゴンである。リルはまだ若いドラゴンであるから身の丈は控え目だが、鋭い牙や爪を見れば、尻込みしてしまう人間がいても不思議ではない。ドラゴンが好きなララタでも、やっぱりこの鋭い牙や爪は気になる。……「そこがいい」ともララタは思うのだが。
対するアルフレッドはリルへの恐れは感じられない。リルを信頼しているように、リルもアルフレッドならば妙なことはしまいと信じているようだった。
ドラゴンは頭がいいと言われる。ヘタな人間よりも頭脳は優秀ではないかと言われるくらい、ドラゴンはかしこい。
一説ではひとの心を読むとまで言われている。魔力を有する魔法生物であるから、人知を超えた不可思議な力が備わっていても不思議ではない。
「それじゃ、行こうか」
アルフレッドがリルの手綱を持って竜舎の外へと誘導する。リルはまるでアルフレッドの言葉がわかるかのように、素直に外へと歩いて行く。そんなひとりと一頭を見るだけで、ララタは感無量だった。
「うひゃーっ!」
アルフレッドに手を貸してもらってふたり乗り用の、うしろの鞍に乗ったララタは、リルの羽ばたきによって生じた風が頬を撫でただけで大騒ぎである。
「しっかりつかまっててね?」
「うん!」
興奮しっぱなしのララタは素直にアルフレッドの腰をつかんだ。平素のララタであれば、ここでたっぷり一〇秒くらいは悩むはずである。
素直じゃないララタを素直にさせる。ドラゴンはそれだけララタにとって魅力的な存在なのだ。
リルの翼が風をつかむ。助走をつけて地を蹴り上げ、リルは上空へと飛び上がった。空を飛ぶとき特有の浮遊感がララタの体を襲う。不快な感覚ではなかったし、ララタは魔法で空を飛ぶ。慣れていたハズだったが、しかしそれはいつもとは違う、新鮮な感覚に思えた。
正直に言って風はまだ冷たかったし、風圧もそれなりだ。目を開けているのも大変である。
しかしそれを補ってあり余るほどの感動があった。
「すごいすごい!」
幼子のようにはしゃぐララタを背に、アルフレッドは手綱を操作して王宮の周囲を旋回させる。地上にいる人間たちがゴマ粒に見えるくらいの高さであったが、普段から魔法で空を飛ぶララタが臆する様子はなかった。
「自力で飛ばないってのもたまにはいいものね!」
「はは。たしかに」
王宮の外縁をぐるりと何回か周回するだけのルートだったが、ララタはほくほく顔である。
そんなララタの顔を見られただけで、アルフレッドは今日の誘いを仕掛けてよかったと思ったのであった。
「王室の結婚パレードでは夫婦は車じゃなくてドラゴンに乗るんだよ。知ってた?」
「え? そうなの? やっぱり紋章に掲げてるだけあって特別なんだね」
「うん。そう」
ララタはなぜ急にアルフレッドがそのようなことを言い出したのか、考えるだけの余裕はなかった。なにせドラゴンに乗れた感動だけで、彼女はいっぱいだったからだ。
もちろんアルフレッドはそれに気づいている。けれども今はこれでいいと、彼はそう思ったのだった。
「キューン」とリルが鳴く。そこにはどこか呆れめいた空気があったが、それはリルだけが知るものであった。
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