第7章 評判

7-1

「町で誰に会ったと思う? あのイカれた女狐めぎつね、クロユリ・ゴールドだよ! あいつめ、『引越しの準備は進んでるざんすか?』ってぬかしやがった! それに『あんな事件があった後で堂々と町を歩けるなんて、面の皮が厚いとはこのことざんすね』とも言いやがった! 」


「あの人は他人をおとしいれておいて、どうして平気な顔でいられるのか理解できないわ。面の皮が厚いなんて、あの人の化粧の厚さに比べれば何でもないわよ。ヒックス、当然言い返したでしょ?」


 マトリはクロユリのことを聞いただけで胸がムカムカした。あまりにも腹が立ったので、テーブルに置いてあった鍋敷の模様もようがクロユリの顔に見えたほどだった。マトリは鍋敷に水差しをドンと叩きつけたので、水差しの水が半分もテーブルにあふれた。


「ふん、あのクソババア、ダイヤモンドも盗まれたってほざいてたくせに、今日も趣味の悪い宝石がゴテゴテだったぜ。それを指摘したら『盗まれた宝石はごく一部ざんす』だとさ。

 あんなに飾り立ててるのに、安っぽく見えるやつってなかなかいないよな。俺が思うに、あいつが持ってる宝石なんて全部週末のバサーで手に入れたやつだ。へん!」


 ヒックスはそう言ってラフィキが作ったウサギのシチューを一口食べたが、食べた途端に突然機嫌が良くなった。トマトで煮込んだウサギは良い味だった。


「何か情報は得られたのか?」


 ラフィキはマトリが貸した花柄のエプロンを外しながら言った。大きさもがらもどう考えてもラフィキに合っていないはずなのに、なぜかとても自然に見える。


「マトリと一緒にいた時に得た情報が一番の収穫だったな」


 ヒックスが言った。


「あの幸の薄いおっさん、すげー貴重な情報を落っことしてったぜ。十中八九、パーカー町長は税金をちょろまかしてる。しかも経費の帳簿を自分の部屋で管理させてる。会計課にもグルがいる。完全に黒だ」


 マトリにもそれは分かっていた。しかしマトリにはその先の策がどうしても思い浮かばなかった。パーカー町長の横領を暴けばプロックトンを解放できるのだろうか?


「もしも、もしもよ」


 マトリは身を乗り出した。


「町長がお金をちょろまかしてることを証明できたら、お父さんを解放することにつながるのかしら。つまり……」


「可能性はある……かもしれない」


 ヒックスはスプーンの裏に映った自分の顔を覗き込んで、まるで自分に言い聞かせるように言った。


「そう思う?」


 マトリはつい癖で手を揉み絞り始めた。


「それなら、お父さんを解放する希望は見えたってことよね? あんな殺風景な警察署にいると思うと……」


 そう言ってしまってからマトリは慌てて口を塞いだが、時すでに遅しだった。警察署にのこのこ出向いたことを認めてしまった。ヒックスは若干鼻にシワを寄せたが、何も言わなかった。


「強盗事件と横領を結びつけるのは難しい。おやじの無実をすぐに証明するなら、真犯人を捕まえるか、明後日にある取引とやらの現場を抑えるか、その取引をする人物を特定して警察に突き出すかだ。でもそのどれも現段階では無理だ。情報が少なすぎる。それでも町長の横領を暴ければ……」


「世論が変わるか」


 ラフィキが言った。シチューに一口も手をつけず、真剣に聞いている。


「世論が変わるって、えーっと……町の人たちの町長に対する見方が変わるってこと?」


「良くできたじゃん。マトリもようやく頭が回るようになってきたな」


 腹の立つような言い方だったが、マトリは少し嬉しかった。


「パーカー町長の評判は元々そんなに良くない。今では前の町長の方が良かったって言ってるやつも結構多い。それにフェツの大森林を更地にして、観光客を呼び込み町を完全に観光地化させる町長のプロジェクトも、乗り気じゃない町民の方が多い。

 おやじは町では変人扱いだったけど、だからって嫌われてたわけじゃない。おやじと話すのが楽しかったって人もいるし、大半の人はおやじが他人の物に手をつけるような人じゃないことは知ってる。

 町の人にいろいろ聞いて回ったんだけど、海岸でたむろしてた漁師の連中なんか、『プロックトンが強盗事件の犯人なら、俺だって逮捕されなくちゃなんねぇ。俺が競馬に誘っても、あいつは一度たりとも興味を示したことすらねぇ』って言ってたぜ」


 マトリはヒックスの説明を目の覚めるような思いで聞いていた。ヒックスは今日一日、情報を集めるために本当に走り回っていたのだ。それなのに自分は食料品店と警察署に行くだけで気が滅入めいっていたなんて。


 マトリは恥ずかしくなって少しうつむき、シチューに映るぼんやりとした自分の影を眺めた。


「そうか、ならば町長の不正を暴けば、当然町民は町長に不信感を持つ。そして師匠はもしかしたらパーカー町長におとしいれられたのではないか、という疑念を町民に生じさせることができる。そうすれば警察の動きも変わるかもしれない」


 ラフィキが言った。


「そうさ。なんなら、今の今でも町長に不信感を持ってる人は相当いるんじゃないかってのが俺の印象。でも俺たちには別の問題もあって、明日にはここを出て行かなきゃいけない。つまり……」


「証拠を集めるなら今夜しかないってことね」


 マトリがヒックスの言葉の最後を引き取った。


 三人は束の間、沈黙した。


 マトリは、この沈黙を自分が破れないことを悔やんだ。父親を助けたいと啖呵たんかを切ったのは自分なのに、自分はヒックスのように情報を集めて分析するような能力はない。ましてや分析した情報を組み立て直して、新たな策を考えることなどとてもできない。


 猟師であるラフィキのように、自分の持つ技ひとつで生きていくこともできない。

 

 本当に明日出ていくのかと思うと、これまで過ごした日々の記憶が浮かび上がってはまた沈んでいった。もらわれっ子と言われ、プロックトンがどれほど変人扱いされようとも、マトリはこの道場での暮らしが好きだった。


 プロックトンはいつでも真剣だった。マトリが何か話すと、博識なおとなたちの話を聞いているかのように真剣に耳を傾けた。マトリが作った料理をおいしそうに頬張り、失敗しても一度も怒ったことはない。


 いや、しかられた記憶も一度もない。マトリの成長を、目を細めて見守ってくれていた。


 自分にできることは、本当にもう何もないのだろうか。


「ヒックス……考えがあるんだろ」


 ラフィキが沈黙を破った。


「言いづらいことなのか?」


 ヒックスはマトリを真っ直ぐ見た。鳶色とびいろの目が、不安げに揺れている。いつもの冗談めいた雰囲気はなく、どのように話を切り出すか迷っているような、そんな表情だ。


「パントフィ先生の家に行ったんだ。横領事件について知っている事例を教えてもらってた。パントフィ先生が引退した会社で使ってた経費の書類とか、書類を使用する目的とかもだ。もちろん役所で使ってるやつは仕様が全然違うだろうけど、俺、多分見ればわかると思うんだ」


 マトリには、ヒックスの伝えたいことが見えたように思えた。「プロバドール」に忍び込む前のあの興奮が、また戻ってきたようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る