第3章 ジャドソンの陰謀

3-1

「何か思いつくか?」


 ラフィキが聞いた。ヒックスはしばらく何も答えず、マトリが少し焦げた炒り卵を皿に盛ったときも眉を寄せたままだった。


「『もう厄介ごとに片足を突っ込んでいる状態』って誰かが言ってたな」


 ヒックスの言葉に、マトリはパンを切る手をはたと止めた。そうだ、ジャドソンがはっきりそう言っていた。それに町でサニラとクロユリも強盗事件の話をしていたじゃないか。


 三人はそのままの姿勢で数秒間固まった。皆考えていることは同じであった。


 その時、どこかに出かけていたプロックトンが勢いよく戻って来た。道着のまま外に出ていたようで、長いヒゲ、さらに長い白髪は風に吹き散らされてボサボサだった。手にはなぜか底の丸いフラスコを持っている。


「師匠」


 ラフィキは椅子から立ち上がった。


「おおラフィキ! 来ておったか午後から稽古をつけてやる。マトリ、飯はできとるか。食事は体づくりの基本じゃぞ! しっかり食すように」


 プロックトンはキーキーと叫ぶように言うと、フラスコでコーヒーを入れ始めた。コーヒーをラフィキの隣でカップに注ぐプロックトンは、背がラフィキの肩にもとどいていない。


「なあおやじ、今までどこ行ってたんだよ」


 ヒックスが神妙な顔で聞いた。


「ふぐあ」


 プロックトンは炒り卵を乗せたパンを口いっぱいに頬ばったばかりだった。


「……えへん。山の頂で瞑想したあと、新術の開発をしておった。プロックトン式格闘術は常に進化しておるのじゃ。新しい投げ技を考えておった。名付けてプロックトン式新型上受逆手投しんがたうえうけぎゃくてなげじゃ。走り込みの最中に考えついたのじゃ。


 この後すぐに試したいとこじゃが、明日からまた修行の旅に出なきゃならん。チュロスフォード市の昔の仲間と修行に励んでくるゆえ、また留守を頼む」


 ヒックスは何か言いかけたが、マトリがヒックスを押しのけてプロックトンの向かいに立った。


「お父さん!」


 マトリは鼻息を荒くして机をバンと叩いたので、ラフィキがまさに飲もうと手を伸ばしたコーヒーが三分の一もあふれてしまった。


「お父さん! その修行、明日と言わず今すぐに行って! ね、お願い! でないともしかしたら……」


「マトリ、そなたの心配は町の者たちの世間話のことかの?」


 プロックトンは、つい先ほど自分も世間話をしていたかのように軽い口調で答えた。


「おやじ、知ってたのかよ。分かってて逃げなかったのか?」


 ヒックスが聞いた。


「うむ、不思議なことじゃが、噂をされている張本人にまで世間話をしてくる親切な輩もおってな、その人物はわしの噂話をするだけで昼飯を食べなくとも腹が膨れるそうじゃ」


 ヒックスは笑ったが、マトリは気が気でなかった。自分がこんなにも焦燥感に駆られているというのに、目の前の小柄な老人は呑気にコーヒーをすすっている。


「お願いお父さん! 落ち着くまで身を隠して欲しいの! ね、お願い!」


 マトリは両手を合わせてプロックトンに懇願したが、プロックトンはホッホッホと笑うだけだった。コーヒーをもう一口飲み、足を優雅に組むような仕草を見せたが、足が短すぎて組みきれなかった。


「マトリよ、身を隠したりなどしたら、それこそ自分が犯人だと言っているようなものじゃよ」


「でもお父さん! もし……」


 その時玄関の扉がガタガタと音を立てた。プロックトン以外の全員が飛び上がった。何者かが玄関を激しく叩いている。


 マトリは震える手で引き戸に手を伸ばした。心臓が喉元まで移動してきたようにバクバクと脈打っているのを感じる。


 引き戸を引くと、屈強な男が五人も玄関の前に立っていた。うち四人は警察官の制服を着ている。残る一人は大男で、体にぴったりとフィットした黒いスーツを着ている。スーツを着ていても胸板の厚さを感じさせるほどの筋肉の持ち主のようだ。頬の右側に大きなみにくい傷があった。


「あ、あの……うちに何かご用でしょうか?」


 マトリは恐る恐る男たちを見上げた。男たちは眉一つ動かさず、いかめしい顔でマトリを見下ろしている。


「クククク……言われた通りさっさと立ち退けば家族と別れずに済んだものを」


 ねっとりした嫌味たらしい声がスーツの男の後ろから聞こえた。男の後ろからみすぼらしく痩せた、黒ずくめの男がヤギ髭を捻りながら出てきた。


「ジャドソンさん、やっぱりあなたが……」


 マトリは目の前に立つ猫背の男を睨みつけた。


 ジャドソンは今日は黒いマントを身につけており、本物のコウモリのように見える。


「帰って下さい。お父さんならいません!」


 マトリはそう言うとジャドソンの返事を待たず引き戸を思い切り引いて閉めようとしたが、引き戸が閉まりきる直前でスーツの男が扉に手をかけ、力尽くで扉を開いた。その反動でマトリは吹き飛ばされ、引き戸の上についているガラスが一枚落ちて、パリンと音をたてて割れた。


 外の男たちが道場に入って来た。全員ゴリラみたいな猛者もさばかりだ。手前にいた警官は警棒を腰から抜くと威嚇いかくするように手でもて遊びだし、その後ろにいる男は太い腕をぶらぶらさせ、ぽかんと口を開けながら道場内を見回している。


「マトリ! 大丈夫か!」


 ヒックスたちが走って来た。マトリはラフィキの手を借りて起き上がると、男たちと対峙した。


「グレイビアードを出してもらいましょうか。いるのはわかっていますよ」


 ジャドソンがマトリの鼻先まで顔を近づけた。ジャドソンの油っぽいヤギ髭の毛穴まではっきり見える。マトリたち三人はしっかり固まって、それ以上ジャドソンが道場に入れないよう足を踏ん張った。そのとき、後ろから声がした。


「ジャドソン、わしはここにおるぞ」


 警官たちはプロックトンがどこにいるのかわからずキョロキョロと辺りを見回した。プロックトンはマトリとヒックスの間を手でこじ開けると、ジャドソンの前に立った。


 プロックトンが出てくると、傷の男が威嚇するように胸をそらせた。マトリたちははらはらしてプロックトンを見守った。プロックトンはまだ昼食の卵を口の中でもぐもぐさせている。


 プロックトンはジャドソンと傷の男、間抜けづらで道場を見回している警官を目で追うと、口の中の卵をごくんと喉を鳴らして飲み込んだ。


「なんじゃ、ジャドソン。今日はえらく大人数じゃな。言うておくが、全員分の茶は出さぬぞ」


「長居するつもりはありませんよ、グレイビアード。あなたがおとなしくついてくればの話ですがねぇ」

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