1-3

 ジャドソンとプロックトンが土間で向かい合った。猫背でO脚のジャドソンは、人を馬鹿にしたようにクックと笑った。


「ジャドソン、立ち退きの件ならはっきり断ったはずじゃ。少なくとも今は応じられん。フェツの大森林を切り開いてリゾート施設にしようなど、町民の誰からも了解を得られていない話じゃろ。わしも同意できん。

 フェツの大森林は貴重なカウリのが生えている森じゃ。この道場を引き払う気は毛頭ない。話はそれだけじゃ。帰るがよい」


「おやおや、いいんですかねぇ。そのような無礼な言い方で私を追い返そうというのですか。いいですか、私は説得に来たわけではないのですよ。警告に来たのです。

 今日が最終警告ですよ。1週間以内に荷物をまとめて出て行ってください。大森林の開発、リゾート施設の誘致は町議会でも決まったことです。決定事項です、あなたの意思は関係ない」


 ジャドソンは黄色い歯を見せ、ねっとりとした嫌味な声で続ける。


「今すぐ立ち退けば、少しは立ち退き料をもらえるかもしれませんねぇ。それで新しい商売を始めたほうが賢明と言えるものでしょう? こんなカビの生えたような道場なんか誰も欲しがりませんよ。ねぇ?」


「てめえ! カビが生えたってなんだよ!」


 ヒックスがジャドソンにつかみかかろうとするのをラフィキが止める。マトリも勢いでヒックスの前に出た。


「この家は私たち家族にとってなくてはならない場所です! あなたには価値なんかなく思えるかもしれないけど、私にとって、ここは唯一の帰ってくる場所なんです!」


 ジャドソンはフンと鼻を鳴らした。


「哀れな孤児たちからしてみれば、こんな場所でも天国に思えるのでしょうねぇ」


 ジャドソンの失礼極まりない発言に、マトリは頭がカッカと熱くなってきた。


 ジャドソンに何か言い返してやりたい。ぐうの音も出ないような言葉をぶつけてやりたい。マトリは逡巡しゅんじゅんしたが、ぴったりの言葉がなかなか思い浮かばなかった。マトリは元々、それほど雄弁ではなかった。


「わ、私たちだけじゃないですよ! 家の裏から続く森は、たくさんの動物や鳥たちの家です。町民のみんなも、森の開発には反対なはずです。さあ、帰ってください!」


 マトリは土間にあったほうきをつかんで構え、ここからは一歩も通すまいとを突き出した。


 その様子がかんに障ったらしい。ジャドソンは片方の頬をひくっとさせてマトリに近づく。


「お前たちのことは調べましたよ。特にお前に関しては」


 ジャドソンはさらに顔をマトリに近づけて、ねちっこく続けた。


「両親が誰かも、生まれた場所も記録がなかったですからねぇ……。自分の正確な誕生日すら知らないのだろう? どこの馬の骨とも知れないとはまさしくこのことですね。知りたいものだ、いったい誰の子どもが、そのような目になるのか……」


 ジャドソンはマトリのすみれ色の目を、腰をかがめてわざとのぞき込んだ。マトリは背中にぞわっと寒気を感じて、ほうきを抱えたまま一歩後ずさりした。


「お前! このクサレちょび髭野郎め!」


 ヒックスはラフィキを振り切ろうとしたが、ラフィキはヒックスをより強く抑えた。


「……よせ、ヒックス。この男を傷つければ、僕たちを立ち退かせる口実を与えてしまうだけだ」


「おやおや、お仲間はそこの低能な孤児と違って賢くいらっしゃるようですね」


 ラフィキは深緑色の目を細めてジャドソンをにらんだ。


 ヒックスはラフィキを振り切ると、ジャドソンに向かって吠えた。


「誰の差し金なんだ! 町議会の決定だけが理由じゃないだろう。この場所を押さえれば、お前が本当に媚びてるやつにどんなご褒美がもらえるんだ!」


 ジャドソンの顔からニヤニヤ笑いが吹き飛んだ。


「帰るが良い」


 プロックトンが言った。


「何度来ても無駄だ。わしはそちのような下劣げれつな男の脅しに乗るような男ではないのだ。町議会の意向が町民の意思に沿うもので、どうしても森の開発が必要不可欠だと言うのであらば、わしとて必要以上にこの場所にこだわりはせぬ」


「お父さん!」


 マトリはプロックトンを見た。プロックトンがこんなことを言ったのは初めてだ。


「マトリよ、お前の気持ちは分かる。お前は森の動物たちと特に仲が良いからな。しかしこの場所が無くなっても、お前の帰ってくる場所がなくなるわけではないのじゃぞ」


「お父さん……」


 プロックトンは目を閉じて深呼吸をしたかのように見えた。目を閉じたプロックトンの眉毛はいつもより垂れ下がって見え、開いた引き戸の隙間かられる太陽の光に照らされた姿は、悟りの境地に至った仙人のようだ。


「しかしじゃ、この森林は今破壊される必要はないはずじゃ。森林の開発で得るものよりも、失うものの方が遥かに大きかろ。話はこれまでじゃ。さらばだ、ジャドソンよ」


 プロックトンの言い方は落ち着いていたが、話はこれで終わりという響きが確かにあった。


「後悔しますよ。これが最終警告ですからね。私は確かに伝えましたからねぇ。さて、また来るとしましょう。私だって、こんな埃っぽいところにいるのはごめんですからね」


 ジャドソンは再びせせら笑うと、引き戸を開けて出て行った。




 ヒックスは急いで台所から塩を持ってくると、土間と、玄関の外にまで丹念に撒いた。


「あんな胸が悪くようなやつって見たことあるかよ。いくらお役所が決めたことだからって、言い方ってものがあるだろ。おいじじい、絶対にこの道場明け渡すんじゃないぞ」


 ラフィキも眉をしかめて玄関を睨んでいたが、マトリをチラッと見た。


「マトリの誕生日って……先日過ぎたばかりじゃ……」


「あれ? ラフィキは知らなかったっけ?」


 塩を撒き終わったヒックスが言った。


「三月十五日はおやじがマトリを見つけた日だよな。生まれたばかりのマトリを」

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