稲葉山城狂詩曲(4)
少年忍者に自己紹介されて、天才軍師は慰めるべきか正直にすべきか、迷う。
竹中半兵衛の脳内では、武田は遠からず滅亡へと至る未来図しか浮かばない。
現時点で強大でも、旧態然とした戦国大名は、信長という革命児に喰われる未来しか、視えない。
「武田は、金銭で稲葉山城を買う用意があります」
「お断りします」
あまりにも平然と断るので、盛清は交渉の不成立を悟る。
この天才には、武田が眼中に入っていない。
先々が見通せるこの天才にとって、武田は今川と同様に、『もう気にしなくていい存在』なのだ。
(そん未来を信じてたまるか)
盛清は、諦めない。
「武田が美濃を得れば、京への近道が出来ます。三河で足止めを喰らわずに、中央へ進撃できます」
「ならば信玄公は、この稲葉山城を新しい本拠地に出来ますか?」
「…それは…城代を置けばいいだけでは?」
「織田上総介は、美濃を取るために、小牧山城に本拠地を移しました。次は、この稲葉山城を本拠地にするでしょう。京に進出すれば、更に京に近い場所へと本拠地を移すでしょう」
竹中半兵衛は、少年忍者に辛い現実を授業せねばならない。
納得させないと、この少年は暴れまくって自滅する。
「織田と武田の違いは、この一点によく現れています。織田信長は、本気で天下統一を目指している。その為に必要な事は、必ず遅滞なく実行する。狂気ではありますが、金と経済力があれば実現可能だと、彼は理解している。
対して信玄公は、躑躅ヶ崎館で快適に過ごせれば、満足してしまう方です。彼の半生に及ぶ膨張政策は、実の処、成功しようとしまいと何方でも構わない政策だった。甲斐が統一されて内紛が起きなければ、それでいい。それだけの政策です。だから、目先の領地争いに一喜一憂する『遊戯』に、家臣たちを集中させた。
全国規模の情報網を敷いたお方にしては、あまりにも効率が悪い。彼は、本気で中央に乗り出すつもりなどありません。君たち家臣が、同じ夢を共有して仲良くしてくれれば、それでいいのです」
顔面蒼白になる出浦盛清に回復する時間を与えるために、竹中半兵衛は服部半蔵に少し振る。
「松平様は、初めからその方針を明言された。過不足ない、良い国主です。家臣たちを団結させる為に、無用の嘘を吐いて戦を繰り返す羽目になった信玄公を、反面教師にしているのでしょう」
「はい。無用の戦は、絶対に許さない方です」
自分の主君を褒められて嬉しい反面、半蔵は盛清の反応が心配で心配で堪らない。
(俺が盛清の立場なら、この天才軍師を殺しているかも)
半蔵の見立てよりも、盛清は我慢強かった。
「…お屋形様は、竹中殿が如何なる返答をするのか、楽しみにしております。竹中殿の語る言葉そのものが、某がお屋形様に持ち帰る土産です」
押し殺した分、殺意が視線に乗って、天才軍師の全身を面で射抜く。
「そのままお伝えしますので、お屋形様の反応が楽しみデス」
竹中半兵衛は、顔に汗を数滴流しながら、ニッコリと結ぶ。
「いいですとも。信玄公が笑って許してくれない場合は、服部半蔵に守ってもらいますから」
(何、都合の良い事を言ってんの、こいつ)
鬼面になった半蔵にも睨まれているのに、天才軍師は爽やかスマイルを崩さずに、問題転嫁を果たす。
「私を殺したくなったら、まずは服部半蔵を倒すといい。私と半蔵殿は、舅を同じくする義理の兄弟。服部半蔵が、弟の危機を見逃すはずがない!」
盛清は、本気にして半蔵を見据える。
「ま、そうなるな」
「いや、直接こいつを狙えばいいじゃなイカ。今。今!」
半蔵の現実的でリーズナブルな主張にも拘わらず、盛清は半蔵だけを見据える。
「竹中半兵衛の口車に乗るのは癪だし、今直ぐ此奴の舌先を脊髄ごと引っこ抜いてやれたら痛快だろう。だが…我々は、どの道、戦う仲だ」
庭に、不自然に霧が満ちる。
霧に紛れて、出浦盛清は一瞬で姿を消す。
不自然な霧が晴れた時、出浦盛清は城壁の上に居た。
「服部半蔵」
出浦盛清は、手にした小柄から、誰かさんから剃った片眉を払う。
竹中半兵衛は、指で左眉の消失を確認する。
(ラッキー! これだけで済んだ)
片眉を気にするタマではなかった。
「お屋形様への礼儀と、俺への気遣いに免じて、お前が小牧山城に帰るまでは、一切手出しをしない。濃姫を届けて城外に出た途端、敵として最優先で処置する」
宣戦布告をすると、出浦盛清は城外に跳躍する。
半蔵が後を追って一飛びで城壁に上がると、簡易パラシュートで麓へと着地する出浦盛清が見えた。
「あー、やだ。霧隠れの相手なんかしたくない」
半蔵が、珍しく心底から愚痴った。
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