帰蝶の帰郷(1)

 小牧山城から稲葉山城まで、五里半(約二十二キロ)。美濃の領地は木曽川を渡ってからなので、実質三里弱(約十一キロ)。

 半蔵一行プラス木下藤吉郎with濃姫は、木曽川の浅瀬を渡る時以外に馬の足を緩めずに、駆けていく。

 今は織田信長の正室である濃姫が、少数の供を連れて稲葉山城を目指しているのである。

 一気に駆け抜けるのが、一番安全なのだ。

 日没までには、稲葉山城に入るはずだった。

 濃姫の地元人気が、計画を頓挫させた。


 美濃の領地に入るや、濃姫は街道沿いの民衆から諸手を挙げて迎えられた。

 こんなに美人で濃い人格の美姫を忘れられる訳もなく、祭の神輿のように拝んでお供え物を差し入れる。


「携帯食を買う必要がなかった」


 藤吉郎が、オコボレで貰った握り飯(塩味)を食いながら、ボヤく。

 更紗が、桶ごと手渡された鯉を馬具にぶら下げて迷惑がる。


「誰か、鯉なんか捌けた?」

「ああ、帰蝶が捌ける。夜は刺身にしよう」

「姉御! 愛してる!」

I knowだろうよ


 ロイヤルなスマイルを保ちつつ、濃姫の顔に苛立ちが貯まっていく。

 一般市民は濃姫に挨拶を返すが、武士は踵を返して逃げていく。濃姫の父・斎藤道三が討たれた時、美濃衆の九割は斎藤道三の敵に回ったのだ。

 濃姫に遭遇すれば何を為れるか、よく理解している。


「ったく。挨拶もロクに出来んのか、へたれ侍どもめ。この件が済んでも、まだ織田に靡かない美濃衆は、殺していいかな?」

「いいですねえ。美濃衆が減れば、その分、美濃の領地を多く貰えまっする! まっする!」


 濃姫の物騒な愚痴に、木下藤吉郎以外はコメントを控える。

 半蔵は、濃姫の反応を見て、作戦進行に修正を施す。


(濃姫の護衛というより、美濃を濃姫から守る羽目になりそうだ)


 やはり値切られたのは此方の方だと、半蔵は思ったりしちゃったりなんかして。



 落日の中に朱く沈む城下町を、濃姫は無言で進む。

 白日の下では賑やかに出迎えた民衆も、影に沈みつつある濃姫の顔に、鬼相を見付けて怖じる。

 時間よりも、濃姫の心情を慮り、半蔵が計画の変更を告げる。


「今夜は、城下町で宿を取ります」


 半蔵は告げると同時に、宿場のある通りへと進む。

 初めて来る城下町でも、おおよその地図は学習済み。

 これ、忍者の基本。

 濃姫が、進みながら初期案を繰り返す。


「帰蝶なら、夜間でも顔パスで稲葉山城に入れるぞ?」

「城下町で最新情報を集めてから、稲葉山城に乗り込みます。敵味方の精査をしてからでないと、城内での進退が危うい」


 濃姫は、食い下がる。


「今の稲葉山城を仕切っているのは、竹中半兵衛の舅・安藤守就あんどう・もとなりだろ。月乃の父親で、むっつり半蔵の舅。それだけで充分じゃないか。あいつを頼ろう」


 月乃が、渋い顔で濃姫に牽制の視線を入れる。


「ん? 仲悪いの? 疎遠? 風呂上がりに、ちょんまげされた?」


 濃姫に好きに喋らせておくと下品な方向に話が捻じ曲がるので、月乃は身の上話をキチンと伝える。


「まだ会った事もありません。父が伊賀の里に寄った時に、母が夜襲を仕掛けて子種を搾り取っただけの関係なので」


 伊賀守・安藤守就の子種をゲットしたので、月乃の母は毎年一定の生活費を仕送りされている。


「ああ、母上は一発で当てたのね。偉い! 見習えよ、むっつり半蔵」

「帰蝶様も、当たっていませんよね?」


 半蔵への飛び火に、月乃が強めの視線をぶつける。

 濃姫には子が授からなかったらしく、早期離縁説や早期死亡説まで後世に出ている。


「…月乃のブーメラン、マジ痛いです…って、話がズレてるよ! この調子で明日の朝まで時間を潰す気か? 忍者、マジで汚いわ」


 鬼面の忍者は、濃姫のペースに惑わされずに、今回の核心に言及する。


「はい。俺の舅を、濃姫様に斬らせる訳には、参りませんので。どんな手を使っても、安藤守就の所は避けます」


 濃姫は、舌打ちして半蔵を睨み付ける。

 父と弟達の仇ランキング一位は他界したが、西美濃三人衆筆頭・安藤守就はランキングの五位以内に入れていい大物である。

 と、濃姫が脳内ランキングを作成しても、半蔵のクライアントは織田信長。安藤守就は、既に織田への吸収合併に前向きな返事を寄越している。

 嫁の私怨で取引相手を殺させる信長ではない。

 濃姫も旦那の商魂は理解しているので、暴れたくても暴れられない。

 理性では。


(濃姫のストレス解消旅行だな、こりゃあ)


 半蔵は、鬼面で笑い返す。

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