踊る信長24(9)

 武力の津波となって駆け寄せる織田勢に、今川の大軍が崩れて四散する。


(何をしに来たのだ、此奴ら?)


 半蔵は、旗本や国人衆以外が潰走するのを見て、寄せ集めの兵卒だけは今後とも一切信用しまいと決める。

 二十年ぶりに弓矢の届く距離に身を置いた今川義元は、輿には乗らずに騎馬に乗る。旗本三百騎に守られながら、東の沓掛城へ戻ろうとする。

 判断力に、迷いも曇りもない。

 崩壊した兵力には、目もくれない。

 この場の負けを素直に認めて、全速力で退こうとしている。


「義元は、あれだ! あれに掛かれ!」


 信長の雄叫びと共に、織田二千が戦力を集中させる。

 混乱する兵達が邪魔で、義元が全力で馬を走らせる事が出来ないうちに、一つの影が浸透する。

 如何なる家紋も身に付けずに疾駆する漆黒の忍者が、義元の許へと駆け寄る。

 素手である。

 武器を一切、持っていない。

 全身黒い装束で覆い、顔まで覆っている。

 今川の旗本達は、正体不明の忍者に気付くと馬上から斬り捨てようとするが、どの槍も刀も身軽な影を止められない。半蔵を相手にしようとした瞬間に、織田勢に追い付かれて擦り潰される。

 今川義元は、背後から急接近する脅威に、太刀を抜く。

 服部半蔵は、今川義元の太刀の間合いには入らない。

 右腕を、神速で振り抜いた。

 袖口に隠してある手裏剣が放たれ、凶悪な速度で標的をぶち抜く。

 義元の乗る馬が、右後ろ脚の膝裏に手裏剣を喰らい、嘶きながら脚を折って倒れる。

 義元が必死の形相で受け身を取り、他の馬を探そうとするが、退却の速度は取り返しがつかない程に遅れてしまう。

 その間に、義元と旗本三百は、織田の軍勢二千に飲み込まれる。

 このチャンスを逃すまいと群がる信長の馬廻(親衛隊)と、義元を守ろうとする旗本の間で、凄まじい勢いで死傷者が発生する。

 三百騎の旗本が五十騎を切るまで討ち減らされても、今川義元は元気に太刀を振るっている。


「結構、強いな」


 服部半蔵は、義元が討たれるまでは見守る気でいたが、ここで嫌な可能性に気付く。

 一仕事終えて観客に回っている半蔵の許に、返り血を浴びた月乃が合流する。

「西に向かった旗本は、仕留めました」

「うん。お疲れ様」


 月乃は、悪い情報もそのまま伝える。


「しかし、方角の区別も付かないまま四方に逃げた者が多く、少なからぬ数が、西に逃げました。運の良い者は、大高城に辿り着くかと」


 そうなれば、朝比奈泰朝に桶狭間の様子を知られる。


「朝比奈が来るまで、早くて半刻(一時間)。早くしないと、全部ご破算だ」


 半蔵は、最後を見届けるまで、桶狭間から動けない。

 半蔵と月乃が焦れる中、最後の瞬間が訪れる。

 義元が、槍を付けた相手の膝を斬って返り討ちにした直後、毛利新介という馬廻に組み伏せられる。

 組み伏せた毛利新介と今川義元が、激しく攻防を繰り返す。


「その方が、都合良くないですか?」


 月乃が、半蔵だけに聞こえるように耳打ちする。


「いや、それだと、仇討ちに成功した朝比奈が今川の勢力を継いでしまうから、三河が独立し難くなる」


 半蔵も、声を顰める。

 半蔵・元康にとって最も望ましい結末は、信長が今川義元を討って、そのまま引き上げてくれる事。


「今川より、織田の方がマシなのでしょうか?」


 月乃には、今川と織田の違いが分からない。

 どちらも三河を侵略し、元康を人質として扱った。


「織田殿は、殿を見下しておらぬ。弟として可愛がっている」


 半蔵は、その一点で信長に協力する。 



 義元の首に、白刃が当てられる。

 義元は相手の指に噛み付いて抗うが、毛利新介は指を喰い千切られても白刃を止めなかった。

 日本史上、最も有名な逆転劇は、ここで完成する。

 それを見届けてから、服部半蔵は月乃と共に家康の元へと急ぐ。

 

 信長にとってはハッピーエンドでも、三河衆は、ここからが大変なのだ。

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