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 午後になって、巷で人気という焼き菓子持参で、姉のコレットがやってきた。


 遥香が編んでいたレースのショールを覗き込んで、コレットは感嘆したように息を吐く。


「相変わらず、あなたは器用ねぇ。わたしではこうはいかないわ」


 遥香の手元には、細かな花模様のショールあった。もうほとんど仕上がっていて、あとは飾り紐をつけるだけで完成である。


 遥香は昔から手先だけは器用だった。王族として必要な社交性、華やかさ、その他の能力が備わってないかわりに、神様が手先だけは器用にしてくれたのかもしれない。


 コレットは侍女に紅茶を煎れさせると、持参した焼き菓子をテーブルの上に並べはじめた。


「この木の実の焼き菓子、城下町に最近できたお店らしいんだけど、いつも行列で買うのが大変なのよぉ」


「……まさか、お姉様。ご自分で買いに行かれたの?」


「まさか。スチュアートが持ってきてくれたのよ」


「スチュアートって、バーランド伯爵家の?」


「そ。彼ってまめよねぇ。何か目新しいものを見つけると必ず持ってくるのよ」


 それはスチュアートが密かにコレットに恋心を抱いているからだろう。


 コレットとスチュアートは同じ年ということもあり、幼いころからの顔見知りで仲がいい。スチュアートがコレットに花束やお菓子などを頻繁に贈っていることは遥香の耳にも届いていた。


 だが、気づいているのかいないのか、コレットは飄々とした態度でそれらのプレゼントを受け取るだけだ。


 最近は、月に一、二度、スチュアート主催の仮面舞踏会が開かれるようになったのだが、これも派手好きのコレットのためではないかと言われている。


 遥香は、どちらかと言えば無口な、けれども穏やかに微笑むスチュアートの顔を思い出した。スチュアートとコレットが並んでいるときは、ほとんどコレットがまくしたてるように話していることが多いのだが、彼はいつも優しくにこやかにその話に耳を傾けていて、少し破天荒なところのある姉には、落ち着いた彼がぴったりではないのかと思っている。


 王女と伯爵家の次男では、正直釣り合いが取れないというささやきも聞こえてくるが、コレットは長女とはいえ、上に兄も弟もいるので世継ぎではないし、それほど神経質に身分を言わなくてもいいのではないかと遥香は思っているのだが、国や大人の事情とは面倒なものらしい。


 コレットはスチュアートの貢ぎ物を、幸せそうに頬張った。


「んー! バターがきいていてとっても美味しいわ! ほら、リリーもお食べなさいな」


 コレットもまんざらではない気がするのだが、この姉はよくわからない。


 遥香は苦笑をかみ殺して、クルミやアーモンドがたくさん使われている焼き菓子に手を伸ばした。


「……ほんと。美味しいわ、これ。サクッとしているんだけど、口の中でふわっと崩れて溶けていくわ」


 感動に浸っていると、コレットが自分のことのように満足した表情を浮かべて「そうでしょう」と頷く。


「甘いものが苦手なくせに、こういうものを見つけてくるのが得意なのよねぇ。スチュアートってよくわかんないわ」


(それは、あなたが好きだからですよ、お姉様)


 スチュアートの見えない努力がまったく通じていないようなので、遥香はこっそり彼に同情した。


「それはそうと、お姉様、急にお茶しましょうって、どうしたの? アリスの誕生日のことで相談かしら?」


 遥香が問えば、コレットは途端に顔をしかめた。


「やめてよ。どうしてアリスの誕生日でわざわざ時間を取るのよ。あんなものケーキとプレゼントを用意して一言おめでとうと言っておけばいいのよ」


 文句を言う割には「おめでとう」は言うのだなと、素直でない姉に苦笑する。


「じゃあ、今日はどうしたの?」


 首を傾げる妹に、コレットは「ふふふ」といたずらを思いついた時のような笑みを浮かべて、焼き菓子と一緒に持ってきていた箱を取り出した。


 綺麗にラッピングされているので、中が何なのか想像もつかない。


「開けてみて!」


 もらった遥香よりもワクワクした表情でコレットが言う。


 プレゼントをもらうようなことがあったかしら、と首をひねりながら遥香がリボンをほどいて箱を開けると、中から出てきたのは、派手な仮面だった。


 目元と鼻の部分だけを覆う仮面で、羽や宝石で飾り付けられている。


「……お姉様?」


 遥香は口元を引きつらせながら姉を見た。


 これは、最近流行りの仮面舞踏会で身に着ける仮面だ。


「んふー、いいでしょう? なかなかの仕上がりだと思うわ! 赤や金色は嫌がると思って、ベースは黒にしたのよ」


「お姉様……」


「文句は聞かないわよ」


 コレットは姉特有の少し高圧的な表情で微笑んだ。


「今度こそ連れて行くんだから。大丈夫よ、顔を隠しているだけで、舞踏会と何ら変わらないわ」


 仮面舞踏会には絶対に行かないと言っていたのに、姉は意地でも遥香を連れて行きたいらしい。


 遥香は弱り果てて、手元の仮面に視線を落とした。


「わたしが出席して、場の空気を壊したりしたら、スチュアートに申し訳ないわ」


「くだらない心配をしないの! それに、あなたには気晴らしが必要だわ。最近落ち込んでいること、わたしが気づいていないとでも思って?」


 コレットは部屋の隅に控えている侍女たちに聞こえないように声を落として、遥香の耳元でささやいた。


「クロード王子のことで、悩んでいるんでしょう?」


 遥香はびっくりして姉を見た。


「お姉様を甘く見ないでほしいわね。あの彼、一見人当たりはよさそうなんだけど、胡散臭いのよ。いい人の仮面をかぶって人と接するのは王子としての処世術だけど、どうもあなたの様子がおかしいから。彼、あなたには違う顔を見せているでしょう?」


 遥香は曖昧に笑った。姉のことをすごいと思うのはこういう時だ。彼女は人の顔や行動をよく見ている。こういうところは、世継ぎの王子である兄よりも、コレットの方が王に向いている気がする。


「国同士の問題だもの、婚約をどうこうすることはできないけどね、あなたは気晴らしをするべきよ。このままでは心を病んでしまうわ。仮面をつけて、王女リリーじゃない自分になって、一時でも今を忘れてみなさいな」


 なるほど、姉の言うことはもっともなように聞こえる。しかし、舞踏会ですら気後れする遥香が、仮面をつけて、どこの誰とも知れないひとと踊ることなんてできるのだろうか。


 コレットは妹の葛藤を見抜いたかのように、ぽん、と遥香の肩を叩いた。


「大丈夫よ、わたしもスチュアートも見ているようにするから。あなたは何を考えず、自分じゃない自分になって舞踏会を楽しんでいればいいのよ」

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