3
昼すぎに部屋にやってきたリリックに連れ出され、遥香は彼と中庭を歩いていた。
リリックが面白おかしく教えてくれる留学先の話を聞きつつ、中庭に咲いた花を眺めながらゆっくりと散歩する。
「リリーは海を見たことがあるかい?」
「見たことないわ! 別荘の近くにある湖なら知ってるけど」
「湖とは全然ちがうよ。王家の別荘の近くの湖は向こう岸が見えるけど、海は反対側が見えないんだ。どこまでも真っ青に染まった水面が続いていくんだよ」
「すごいわ! 見てみたい!」
「うん、見せてあげたいな。僕は友人と船にも乗ったんだけど、とても楽しかったよ。長時間乗っていると船酔いしちゃうけどね」
リリックはくすくす笑いながら、中庭に咲いていたマーガレットを一輪手折った。それを遥香の耳のすぐ後ろに挿す。
「君はもう少し、自由に出歩いていいと思うよ」
「でも……」
「すぐ周りを気にしちゃうのは、リリーの美点でもあるけど、悪い癖でもあるね」
リリックは遥香の頭を撫でた。
「少し、ベンチで休もうか。歩き回って疲れただろう?」
遥香は一つ頷いて、リリックとともに噴水前のベンチに腰かけた。そのとき―――
「こんにちは、リリー」
聞こえてきた声に、遥香はぎくりと肩を強張らせた。
振り向くと、クロードがにこやかな笑顔を浮かべてこちらへ歩いてくるのが見える。猫をかぶっているときの表情だとわかるが、遥香はどうしても、彼の口から飛び出してくる意地悪な言葉の数々を警戒してしまい、緊張した表情で少しうつむいた。
「こんにちは、クロード王子」
小さな声であいさつを返すと、遥香の隣に座っていたリリックが立ち上がった。
「はじめまして、クロード王子。リリック・ランドレングと申します」
「ランドレング公爵家の。はじめまして」
握手を交わす二人を見ながら、クロードは何しに来たのだろうと遥香は考えた。昨日に引き続き今日も部屋にいなかったから探しに来たのだろうか―――、そこまで考えて、わざわざ探してまで遥香に会いに来る必要はないはずだと首を振る。
「リリー、中庭で何をしていたんですか?」
クロードに訊ねられて、顔も声も穏やかなのに、遥香はなんだか責められているような気になった。
散歩だと言えばいいだけのことだが、なかなか言葉が出てこない遥香にかわってリリックが答える。
「僕の散歩につきあってもらっていたんですよ。リリーに何かご用があったのですか?」
「いいえ、特には」
「そうですか。では、この後、図書室に向かおうと思っていたんですが、このままリリーをお借りしていてもかまいませんか」
「……もちろん、かまいませんよ」
クロードは遥香に一瞥を投げたが、遥香には何も言わず、リリックに答える。
リリックはにっこりと微笑むと、遥香に手を差し出した。
「ありがとうございます。じゃあ、リリー、行こうか」
遥香は戸惑いながらリリックの手に手を重ね、ベンチから立ち上がった。クロードを見上げて小さく会釈する。
「クロード王子、……では、また」
「ええ。また」
クロードに背を向けて、リリックとともに図書室に向かいかけた遥香だったが、ふと、リリックが何かを思い出したように足を止めた。
どうしたのだろうと思っていると、リリックはクロードを振り返った。
「そうそう、言い忘れていました。クロード王子、この度はリリーとの婚約おめでとうございます」
クロードは突然の謝辞に驚いたのか、目を丸くした。
「え、ええ、ありがとうございます」
「留学先で耳にしたときは驚いてしまいました。もともと、あなたの婚約者はリリーの予定ではなかったので」
「え?」
クロードが首をひねる。
遥香も唐突に事情を話しはじめたリリックを慌てて見上げた。秘密にしなければいけないことではないが、わざわざ言うことでもないからだ。
リリックはクロードに視線を向けたまま遥香の頭をぽんぽんと撫でる。
「ご存じありませんでしたか? もともとは第三王女アリスがあなたの婚約者になるはずだったんですよ」
クロードは怪訝そうな顔をして遥香を見た。遥香も戸惑いながら小さく首肯する。
クロードは一つ息を吐いた。
「そうですか。どういった経緯でリリーになったのかはわかりませんが、俺はそれについては何とも思いませんよ」
「リリーの婚約者候補が、僕だったと言っても?」
「―――え?」
遥香は瞠目してリリックの横顔を見つめた。
リリックが遥香に視線を向けて、困ったような顔をする。
「知らなかった? 結構前から、その話は出てたんだけど。僕が留学から戻って正式に話しを進めることになっていたんだ」
何も聞かされていなかった遥香は茫然としたが、リリックが冗談でこのようなことを言うことはないはずだ。
リリックはクロードに視線を戻す。
「どういういきさつでアリスからリリーにかわったのか、僕も知りません。ですけど、最初の予定通りに戻すのがいいと思っています。リリーは内気で、一国の王妃には向かないでしょう。心労ばかり増えて、いつしか彼女が押しつぶされてしまう」
そこでいったん言葉を区切って、リリックは深く頭を下げた。
「余計なことを言いました。ですが、婚約については考え直していただけるとありがたいです。それでは、僕たちはこれで」
リリックに手を引かれて、遥香は肩越しにクロードを振り返りながら、リリックについて歩いていく。
完全に二人の姿が中庭から消えると、クリードは顔をゆがめて舌打ちした。
「あの野郎、好きかって言いやがって……!」
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