第5話 標準作業
さて、シルビアに勝ってしまったわけだが、スターレットの説明によれば
冒険者の等級は
・白金
・金
・銀
・銅
・黄銅
・青銅
・鉄
・木
となっている。
等級の壁は絶対であるから、上の等級に勝つなど同じジョブではまずありえないという。
俺は木等級ですらないし、シルビアは銀等級だ。
これだけ離れていれば勝負になるはずもない。
更に、適性のないものが、適性ジョブの冒険者に勝つなど、天地がひっくり返ってもあり得ないという訳だ。
んー、天地無用?
あれ以来ずっとシルビアがふさぎ込んでいるのも頷ける。
車で例えるなら、無免許の初心者が、GT500のプロレーサーに勝ったようなもんだな。
俺はというと、あれ以来作業標準書作成に没頭している。
格闘家、癒し手、魔法使い、斥候など、ギルド長にお願いして、その道の高ランク冒険者から知識を吸い上げ、作業標準書に落とし込みをしているのだ。
作業の急所というのが作業標準書にはあるのだが、これは押さえておくべき注意点とでもいおうか。
高ランクになると、この急所というのをしっかり押さえているので、作業標準書もかなり出来が良くなる。
例えば両面テープで部品を張り付ける作業では、押す力に加えて、その時間も重要になってくる。
強く押しても、時間が短ければはがれやすくなるのだ。
単に「張り付ける」という表現では弱い。
「30秒両手でしっかりと押さえつける」となって、初めてベテランと同じ作業となるのだ。
作業分解をして、どこがその肝となるのかを把握できてないと、ランクが上がらないのはどこの世界も一緒だな。
「しかし、折角の作業標準書スキルなのに、製造業がないっていうのも変だよな。誰か製造業で知り合いはいないかな……」
そうだ。
作業標準書は本来製造業で使われるべきアイテムである。
それを冒険者としてのスキルを習得するために使ってはいるが、やはり本来の使い方をするべきだな。
この世界の製造というと手工業が殆どである。
手工業というのは、個人の技量が品質に影響する重要な要因だ。
そういったものを作業標準書にするのは非常に困難である。
先程の作業の急所が至る所に存在するからだ。
現在の日本であれば、治具なり生産設備なりでそういった部分を極力減らすようにしているのだが、それでもゼロにはならない。
切削加工一つとっても、材料のクランプの強さで、加工後の寸法が変わってしまうのだ。
強く締めすぎると、材料が両端からかかる力で沿ってしまい、本来平らなはずの場所が凸になっているので、そこを切削すれば、当然アンクランプすると形状は変わる。
□…材料
■…バイス
通常の力でクランプ
矢印の方向に締め付け
→ ←
■□□□□□□□□□□□■
■□□□□□□□□□□□■
■□□□□□□□□□□□■
強すぎる力でクランプ
→→ ←←
□
□□□□□
■□□□□□□□□□■
■□□□□ □□□□■
■□□ □□■
と、まあ、既に左右の長さが変わった状態で加工するので、この材料に穴を開けたとしても、当然同じ場所には穴は開かない。
じゃあ、強すぎないってどういうことというのが急所であり、コツになってくる。
数値化できないからね。
本来はこういった部分を数値化して、誰でも同じ作業ができるようにするのがいいのだが、一々締め付け力を測定しながらとなると、今度は生産性が落ちてしまう。
専用機であれば、全自動で加工させるので、クランプも機械が同じように行うが、汎用機ともなるとそうはいかない。
結局は教育が重要になってくるのだ。
人の手による作業はだからこそばらつきが大きい。
そんな作業しかないこの世界で、作業標準書がどこまで役に立つかだな。
冒険者の技術が完コピ出来たので、多分問題なくできるとは思うけど。
知っている職人というと、デボネアくらいなので、俺が休みの日に鍛冶を教えて欲しいとお願いする事にした。
そして休日。
俺はデボネアの店で頭を下げている。
ジャパニーズYA・KI・DO・GE・ZAまではしていないが。
俺がなんとなくクリステルならやっていたかもな。
いや、焼き土下座は日本の文化じゃないけど。
「お願いします。鍛冶を教えてください」
「そんなことを言われてもな。お前さんに限らずジョブが違う奴は鍛えたって駄目だ。時間の無駄だよ」
デボネアは腰に手を当て、困った顔で俺を見た。
言っていることは当然だな。
ほぼ職業選択の自由がない世界で、そんな事をしてどうなるというのだと、今までの俺なら思っていただろう。
「じゃあ、剣を作る所を見せてください。出来れば俺の質問に答えながら」
「まあ、それくらいならいいが、見ただけで出来るほど簡単なもんじゃないぞ」
「実は、自分にもスキルが取得できまして、他人の作業を自分でも出来るようになる奴なんですよ」
その言葉でデボネアの目つきが鋭くなる。
多分怒ったな……
「じゃあなにか、一回見ただけでワシが50年掛けて身に着けた技術を習得できるというのか?」
俺の胸倉をつかんで、ずいと顔を近づけてくる。
だが、俺もここで引くわけにはいかない。
「既に剣術ではギルド長と同じレベルまで到達しました。ヒールだって金等級の癒し手と同じ効果が出ます。だから鍛冶についても同じことが出来るのか試してみようと」
その言葉に半信半疑なデボネア。
実はこれは不具合の対策書を報告するときの常套句だったりする。
不具合が出るという事は、作業標準書に不備があり、それの改訂が必須なのだが、効果の確認として経験のない品質管理の自分も問題なく作業ができましたと報告するのだ。
誰がやっても同じ作業ができるのが建前だからね。
「まあ、そこまで言うなら一度だけならいいだろう」
デボネアが折れた。
やれやれといいながら工房の方に案内してくれる。
作り方は地球と変わらない。
熱した鉄を叩いて成形していく。
鍛造だな。
安物の剣は鋳造で作っているのだが、そちらは脆い。
鍛造機があれば、型に溶けた鉄を流し込んで、成形することも出来るのだけど、残念ながらそんなものがない。
機械がないなら、手で叩けばいいじゃない。
そんな感じで手で作っている訳だ。
焼入れをしているところを見ると、単純な鉄ではなくて鋼なのかな。
一通りの工程を見させてもらったうえで、勘コツの作業ばかりなので、作業の急所と思われるところを質問していく。
作業分解は前世の知識として持っているので、目の前で見せてもらえればそれなりの事はできるからね。
勿論【作業標準書】スキルは発動しているので、鍛冶の作業標準書がおおむね出来上がっている。
そこに急所を追記しているのだ。
「とまあ、こんな感じじゃが」
一本のショートソードが出来るのにかなりの時間が掛かってしまった。
これが普通なのだろうけど。
他の仕事もあるからというので、その日はそこで終了となった。
俺の鍛冶スキルを確認するのは次の休日だ。
そして、やっと次の休日、待ちに待った休日が来た。
昨夜は遠足の前の小学生みたいに、興奮していて中々寝付けなかった。
起きた今の時間も、約束まではかなりある。
品質管理的には、こういう寝不足で興奮していている状態での作業は、不良に繋がるのでよろしくない。
以前仕事で不具合の発生を調査していたら、作業者が前日に彼氏の浮気の証拠を見つけてしまい、当日の作業が上の空だったというのがあった。
やはり、心身ともに健康であることが、仕事をする上で重要なのだ。
顔を洗い、歯を磨いて身なりを整える。
鏡は高級品なので、寝癖は手で確認だ。
モーニングコーヒーを飲みながら、時間が経つのを待った。
ここでも作業標準書を読み返しておく。
約束の時間が迫り、俺は再びデボネアの店を訪れる。
デボネアもこの日を首を長くして待っていたようだ。
店の前で待ち構えていた。
「道具の使い方は一度見せたからわかるじゃろ」
「ええ」
この前と同じショートソードを作るので、新しい道具は必要ない。
インゴットを加熱するところから始める。
そこからデボネアと同じようにショートソードを作っていく。
鍛造なら任せろ。
五寸釘から日本刀だって作ったことがあるからな。
日本刀といえば、そういやデボネアは浸炭してないな。
浸炭っていうのは、炭素を鉄に浸透させて、焼き入れ出来る様にする事だ。
焼き入れして硬くする為には、炭素が必要なのだが、鉄には炭素が含まれていない。
だから後から炭素を混ぜてやるのだ。
だが、折れにくくするには炭素が邪魔になるので、硬ければいいというわけでもないけど。
硬度と靭性っていうのは相反する性質なので、それを併せ持つ日本刀っていうのは素晴らしい技術だ。
靭性っていうのは、言い換えると粘り強さってことね。
金属加工の職人なんかに言わせると、鉄は粘っこいそうだ。
だから炭素を含有した炭素鋼の方が、加工するにはいいのだという。
切削加工は材料または刃物が回転しているので、材料が粘ると、切粉が刃物にまとわりついてしまって、狙ったのと違う加工になってしまうのである。
旋盤でも、フライスでも35C~55Cくらいの鋼がいいのだ。
ここでの数字は%を表している。
35Cなら炭素含有量が0.35%ってことである。
それくらいでもかなり硬さは変わる。
因みに、日本刀の材料である玉鋼は炭素含有量が1.0~1.5くらいなので100Cとか150Cとかになるのだろう。
感覚的なものだが、多分今回使っている鉄は、炭素含有量がかなり少なそうだ。
焼き入れしても、そんなには効果を期待できないだろう。
おっと、余計なことを考えている場合じゃなかったな。
作業に集中しないと標準作業をこなせない。
作業時は余計なことを考えちゃダメだぞ。
まあ、スキルのお陰で、デボネアと寸分たがわぬ動作が出来るのだけど。
当然出来上がった製品も
「信じられん……」
俺の作ったショートソードを手に取って、デボネアが細部まで確認するが、自分が作ったものと全く同じ出来栄えなので、驚いて目を丸くしている。
「どうですか?」
「どうですかといわれたら、完璧だとしか言えんよ。こりゃあワシの作ったものと全く一緒の出来だ。これにケチをつけたら自分の店の商品を全部廃却しなきゃならん」
うむ、実に素晴らしいスキルを手に入れた。
これならどんな仕事でも、ジョブを持っている人と同じ事ができる。
残念ながら、それ以上の事は出来ないけど。
それが作業標準書だからね。
誰がやっても同じ作業であって、作業標準書よりも素晴らしい作業はやっちゃいけないから。
いや、作業標準書を改訂すればそれはアリなんだけど。
多分このスキルも、冒険者で言えば銅等級の冒険者に教えてもらったものを、銀等級の冒険者に見直してもらえば、上のランクに改定出来るのだろうけど。
実際に、前世でもよくあった。
作業標準書よりも、作業者の考えの方が優れており、何度も作業標準書を改訂していったものだ。
逆に、長年改定されていない作業標準書など、実作業とかけ離れたものになっていたりする。
5年も作業内容が更新されないなんてありえない。
そんなものは、作業観察をきちんとやっていないと考えるのが普通だ。
作業者は常に楽な方法を見つけていくからだ。
「折角だから、こいつに鞘と柄を用意する」
デボネアはショートソードを作業台の上に置いた。
きちんと完成させてくれるみたいだ。
「じゃあ、今から呑みに行くぞ」
「いや、意味がわからないんですが」
俺の袖を引っ張り、外へと連れ出そうとするデボネア。
「弟子が独り立ちする記念だ」
あれ、いつの間にか弟子になってる。
まあそんなようなもんだけど。
「馬鹿な事言ってないで仕事しな」
いつの間にか後ろに立っていた奥さんに後頭部を殴られ、頭を抱えて蹲るデボネア。
「お酒の誘いは夜にしましょう」
気まずい空気が流れたので、俺はデボネアの店を後にした。
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