11 忍び寄る我が魔王の影に怯えるがよい!
闇に包まれた川の中を歩き続け、俺とオズは地下廃城へと近づいていく。
浅いとはいえ膝まで浸かる歩みでは、あまり速くは進めない。バギーでの移動に慣れたせいか、ずいぶんとじれったく感じた。
また川は、真っ直ぐ地下廃城へと流れているわけではない。大きく曲がり、想定していたよりも無駄に時間がかかってしまう。
「さすがです魔王さま。このルートは大正解ですね! これだけ川がくねっていれば、闇夜に紛れてしまえば向こうから見つかることはまずないと、わたくしは考えます」
ついてくる従魔は相変わらずいいように取る。
小柄なぶん短いスカートの裾まで濡らしていたが、重いバックパックを背負っていても歩みはしっかりしたものだ。ふ、さすがは俺の従魔だな。
しかし、すっかり夜になり――空には二つ目の月が昇ったというのに、地下廃城には煌々と明かりが灯されていた。
かなり近づいたから見て取れるが、街の中では宴が催されているようだ。ヒトどもの下卑た喧噪がここにまで届いてくる。
……酒とやらか。まったく、魔族には理解できないな。わざわざ体に変調を来すものを取り込むなどと。
「呆れますね、ヒトというものには……。でもこれだけ騒がしいと、わたくしたちの潜入も容易そうではありますね」
「然り、だな」
確かにオズの言うとおり。後はどこから侵入するか、だが……地下廃城の街は倒れた遺跡を利用して、堅牢な壁をぐるりと形成していた。
先代魔王セプテムが砦として使っていた頃の名残でもある。川を進む俺たちの行く手に架けられた、立派な石橋が見えてきた。地下廃城に設けられた正規の出入り口だ。
石橋の欄干に取り付くのは簡単だった。橋の側に小さな塔がある。かつて魔族が使っていた、見張りのための物見の塔。
そこにはヒトの気配がないようだ。魔族から奪ったこの場所を襲撃してくる者などいない、ということだろう。
俺たちには好都合だ。そのまま石橋の側面によじ登り――。
「魔王さまっ」
小声でオズが警告した。俺も勘付き、従魔とともに頭を引っ込める。
夜に包まれた橋の向こうから、揺れる灯火が近づいてきた。
現れたのは幌馬車だ。青い魔法光の輝きを先頭に掲げ、二頭の馬が屋根付きの馬車を引いていた。冒険者一行が乗るものだろう。
細かく確認するより先に俺とオズは、石橋の真下に身を隠していた。
獣である馬に気取られるのはまずい。浅い川に身を沈め、できるだけ気配を断った。
馬車が石橋を通るとき、馬たちがいなないたが……。
「この駄馬ども! いくら暗くても、そこが街なのわかるでしょ。さっさと進め!」
ヒトの声と鞭打つ音がして、石橋に響く蹄のリズムを立て直した。
【駆け出し女商人 アンヌ Lv19】
【捕縛士見習い リードゥ Lv22】
【白鱗の用心棒 トロワガ Lv37】
オズが水中で胸元に、真上を通る冒険者どもの情報を表示する。
さっきのは女の声だ。女商人のものか?
「やれやれ、すっかりこんな時間だぜ!」
ぼやくしゃがれた声に、シーッという鋭い呼吸音が混ざる。
馬車の蹄の音に紛れながらも、俺にはしっかり聞き取れた。亜人種の中でもトカゲの頭をした、リザード族独特のものだろう。
「でもあんな場所で、最後にもう一匹捕獲できたのは幸運でしたよ!」
残る一人は若そうな少年の声をしていた。
「やっぱりうまく連携できたのがよかったですよね! トロワガさんが川の中に入ってまで追い込んで、僕がうまく捕縛して」
「フン、いつも言ってるとおりだ。酒とメシにありつければ何だってやるさ」
「トロワガ、リードゥ! 今夜はぱーっと豪遊だよ。こいつらをさっさと換金してね!」
……また魔族が捕獲されたのか。
俺は思わず水中でグロック18Cを抜いていた。濡れていても問題なく動作するだろう。冒険者三人ならすぐキルできる。
今飛び出して襲撃し、幌馬車にいる魔族たちを救出するか?
しかし、俺は動かなかった。完全に馬車が石橋を渡りきってから、オズとともに川の中で立ち上がる。
頭の隅にちらついたのは、この街にいるだろう――魔竜を倒した英雄のこと。
今は思い出せないそいつの姿さえ、まだ確認していない。
「さすがです魔王さま、よくぞ堪えられました。馬もいましたし、ここで戦えばきっと他の冒険者どもに気取られていたでしょう」
「……うむ」
「大丈夫です。後で必ず、馬車にいた魔族も救いましょう。ヒトどもを一掃して」
従魔に言われるまでもない。下手をすれば千人近くいるだろう冒険者どもを片付けるのは、中に潜入してからだ。
「オズ」
「はい、すぐにご用意いたします」
他にヒトの気配がないことを確認してから、俺たちはようやく石橋の上によじ登った。
そこでオズが出してきたのは、これまでに回収したいくつかのアイテムだ。
川に身を沈めていたせいで、ずぶ濡れだからな。【獣の毛皮】で水気を拭い、俺は【白き加護のローブ】を纏った。
いつぞやの魔術師から回収したものだが、白い布地にあった血の跡は消えている。
おかげで安心して着こなせる。魔力で生み出した生地に比べて着心地はよくないが、ついていたフードを被れば、頭の黒いツノも隠せた。
ふ。これで魔族とはばれないだろう。
「では、わたくしはこの衣装で」
オズの方は自分のドレスを消失させ、裸体となった上から【魅惑の舞装束】を着る。
他にも【約束の髪飾り】や【羽根飾りのサンダル】といった装飾品も身につければ、
背負うバックパックが不釣り合いなのと、体型がずいぶん貧相だが……。
「最後にこちらですね、魔王さま」
オズが胸元に巻いたのは、複雑な模様の刻まれた胸飾り――。
否。魔法の術式が刻まれたそれは、キルした隻眼女の眼帯だ。
封印の魔術の力で、オズの胸に現れる
「これで、ヒトへの擬態は万全ですね」
「然りだ」
ローブの下で俺は、グロックの先に
だが潜入は正面から堂々と、だ。
「さすがは魔王さま、なんと大胆不敵な策なのでしょう! むしろこの格好では、こそこそする方が目立つという判断ですね?」
「オズ。俺のことは」
「失礼しました。街に入ればけっして、魔王さまとはお呼びしません」
それでいい。俺たちは冒険者になりきるのだ。
――無様に身をやつしてでも。
§
石橋を渡り、無人の物見の塔を通り過ぎて俺とオズは、ついに街の中に入った。
魔法光の街灯の下、最初に出迎えたのは『英雄ダンジョン』と文字が刻まれた立て札だ。
……ふん。これが街の名前というワケか。安易だな。
側には地下へと降りるダンジョンへの入り口もあった。しかし、かつての地下廃城への入り口は【×】印が記された、巨大な岩石で塞がれている。
表面には強固な封印式も刻まれており、イムの記憶を覗いたとおりだ。
魔族たちを地下から出さないためのもの――。
これを破壊してしまえば、囚われの下級魔族どもは救えるか?
否、多くの冒険者どもが街にいる状況では時期尚早。ことは慎重に進めるべきだ。
通りを進んでいけば、山の上から見下ろした、英雄ダンジョンの街の造りがよくわかった。石畳で舗装されたこの道が一本あるだけの、貧相な街並みだ。
「建物はどれもそれなりの大きさですが……木でできた、背の低いものばかりですね」
オズが気付いたとおり、通りの左右に並び立つ家屋は二階建てがせいぜいだ。
そのほとんどに寝床を模した看板が出ている。冒険者どもが安全に休息を取るための、宿屋という施設か。
そこには今、ヒトはいないようだ。
ヒトが眠るには早い時間というのもあるか、どこの部屋にも気配がない。
代わりに喧噪が渦巻くのは、通りの奥――幌馬車が向かった街の中心部に見えた、大きなテントだ。
円形をした布張りの屋根の下で、大勢のヒトどもが騒いでいた。
「あそこにまとめてヒトがいる、というわけか」
「いかがしますか?」
「仕掛けるなら寝静まったところを潰していくのがいい」
宿屋を一つずつ襲撃すれば、こちらの存在を気付かせず、
ふ、目処はついたな。ヒトが寝入るまでどこかに隠れて待てばいい。
しかし……俺はテントが気になった。せっかく冒険者に扮装したのだ。もう少し探りを入れてもいいだろう。
それに、さっきの幌馬車も気になる。テントの方に行ったのなら、捉えた魔族もそこで取引するということか?
「オズ」
「さすがです。臆することなく、さらにヒトどもに近づこうというのですね?」
「然りだ。ばれるなよ」
「はい。魔お……ん、ん! アハトさま」
さっそく失言するところだったが、オズは急にもじもじした。
「ああ、よもやこのわたくしが、主の御名をこうも軽々しく口にできるなんて」
恍惚の表情さえ浮かべている。まったく、困った従魔だな。
――ともかく俺たちは通りを進み、大型テントへと近づいた。
「ほう」
「これは……!」
俺とオズは同時に舌を巻いていた。
テントはテントだが、あまりに巨大なものだった。俺が知るのは冒険者どもが野営時に設営する、せいぜい四、五人用のタイプだが……天幕だけとはいえ、さっきの宿屋が十はすっぽり入ってしまう規模だ。
それでいて天幕を支える柱は一本も見られない。代わりに天幕の一枚布は、地下廃城のあちこちに倒れ込んだ、遺跡の残骸に結びつけられていた。
なるほど、柱を組むよりよほど頑丈に支えられるわけだ。だからこその、これだけの大きさのテントなのだろう。
しかしなによりも俺たちの目を引いたのは、集まって飲み食いしているヒトどもだ。
どいつもこいつもテーブルを囲み、椅子代わりの樽に座って赤ら顔で談笑したり、カードを並べて騒いでいたりするが……なんという数か!
「五百人より多く、いそうですね……!」
オズがざっと数えて、背伸びしながら耳打ちしてくる。
そのすべてがやはり冒険者だ。剣や盾は
「おうよ! このオレたちが、新しい魔王をぶっ倒してやるぜえ!!」
「八番目の英雄になるチャンスだっての! ひゃはははは!」
「フヒヒ! おめーらには無理だよ、無ー理!」
「手がかりは今日もギルドに上がってきてないんだろ? 復活したばかりだからか……」
「どこにいるンだよ、魔王ウゥーー!」
「にしてもアタシらの時代に新たな魔王が現れるなんて、冒険者冥利に尽きるわね~」
冒険者どもは木製のジョッキを叩きつけ、盛り上がっていた。
俺の話か。……すべてが魔王の敵というわけだ。俺はローブの下で、握るグロックについ力を込める。
しかし
暴れるにはまだ早い――。
それに、やはり数が多かった。すべてをキルするには明らかに弾が足りない。俺はローブの下で、ベルトのポーチに収めてある予備
4本――17×4発だ。グロックにも17発を装填してあるが、合計しても100に届かない。オズのバックパックに預けてあるぶんを入れても、500発には足りないはずだ。つまりは、戦いながら弾を生成していくしかないだろう。
幸いMPはもう完全に回復しているから、どうにかなるが……。
「オズ」
「はい。戻られますか?」
「……違うな。少し時間を潰してからだ」
襲撃はやはり宿で行うのがいいだろう。しかし今、テントに足を踏み入れたばかりで引き返すのも目立つかもしれない。
「いらっしゃーい! 空いてる席に二名さまどうぞぉ!」
現に、席と席との間をせわしなく移動する、給仕役の一人に声をかけられた。
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