夢の中の殺人 ~アリスは誰かを殺したか?~
館西夕木
プロローグ ありすの日常 その1
気持ちのいい朝だ。
カーテンの隙間から暖かい朝日が差し込み、室内の空気はほがらかで、春を思わせるような心地だった。
本来、九月も下旬になれば気温は下がって、朝の空気は冷たくなってくるのだ。ひとたびベッドから出れば、暖房の効いたリビングまでの道のりがとても長く感じてしまう。しかし、今日に限ってその心配は無用のようだ。
毛布にくるまったまま、私はまずスマホを手に取った。
時刻は六時二十五分。あと五分で設定していたアラームが鳴る。そのさらに五分後に母が私を起こしに来るだろう。
画面が発する人工的な光が、まだ頭の中にかすかに残っていた眠気をかき消し、気分をしゃっきりさせてくれた。
夢を見ていたような気もするが、起きて五分と経たぬうちに忘れてしまった。どうせたいした夢ではないだろう。
ベッドから出た。身支度を整え、一階のリビングへ。
「おはよう」
「あら、今日は自分で起きたの? 偉いわねぇ。おはよう」
母がフライパンを片手に台所から声を投げた。もう高校二年生なのだから、早起きを褒められても全然うれしくない。ダイニングテーブルにはすでに父が座っており、いつものような渋面でトーストをかじっていた。
「おはよう」
私が言うと、父は律儀に咀嚼していたものを飲み込んでから「おはよう」と返した。卓上には山盛りのサラダとベーコンエッグが並んでいる。これは父の分だろう。「今、あんたの作ってるから」と母が忙しそうに言った。
私は冷蔵庫から飲みかけのジュースを取って食卓についた。
それを直に飲みながらテレビに目を向ける。見慣れたニュース番組だが、今日はどこかいつもと様子が違う。
私のお気に入りの可愛い系イケメンニュースキャスターが、普段のさわやかな笑顔でなく、落ち着きのない顔つきになっていたのだ。
『それでは改めて、昨夜午後十一時頃に発表されました、J**国の突然の声明についてお伝えします』
そう前置きをして、キャスターは話し始めた。やがて映像がJ**国の最高指導者の演説に切り替わる。父はじっとテレビを注視していた。
ややあって、私の分の朝食が運ばれてきた。政治などどうでもいい私は、すぐにそちらに目を奪われた。バターをたっぷり塗ったトーストを耳からかじり、黄身をくずしたベーコンエッグを口に運ぶ。
なんという幸せだろう。
私は美味しいものを食べるために生まれてきたのかもしれない。少しこってりした口内を甘酸っぱいジュースで中和する。
(ああ、幸せ)
いつもの朝のいつもの風景。そんな私のすこやかな朝をぶち壊したのは、テレビから流れてきた不穏な単語だった。
『我々はすでに、核ミサイル発射の準備を完了している――』
「核ミサイル?」
思わず首をテレビの方へ曲げた。粛々と行われている演説の通訳がいかにも尊大な調子で流れているのだ。
耳を傾けてみると、どうやらJ**国はP国に対して核の攻撃を宣言しているらしい。私は震えあがった。
「核ミサイルって、もしかして戦争するの?」
第三次世界大戦という言葉が私の脳裏をよぎった。
「落ち着きなさい。そんなわけないだろう」
父はそう言うが、私はとても落ち着いてなんかいられない。
「でも今テレビで」
「あんなものはただのでまかせだよ。J**国にそんな技術力はない。P**国の大統領が交代してからというもの、F**国とP**国の貿易戦争が激化してきて、F**国からJ**国に対するあたりが強くなってきたんだ。J**国は結局のところF**国の傀儡に過ぎないからな。訳の判らん迷走を続けるB**国はカードとして使えんからJ**国を動かすほかない。P**国をけん制するために駄々をこねているふりをさせられてるんだ。ただまあ、ここまで対立関係を明確にしてしまっては、どちらも後に引けなくなるだろうが」
「やっぱり戦争になる?」
「いや、P**国もF**国の魂胆は見抜いているだろうし、直接手を出すことはないだろう。P**国とF**国がより険悪な関係になって終わりだ。日本は関係ない」
「じゃあ安心してもいいの?」
ようやく恐怖心が薄らいだと思ったら、父はくいっと眼鏡の縁を指で押し上げ、不敵な笑みを浮かべる。
「いいや、今回のことは別としても、この世界に核の脅威が存在することは事実だ。全世界にある核爆弾は地球を何回破壊したってお釣りがくるほどあるんだぞ」
父は私を安心させたいのか、それとも怖がらせたいのか。
「
「藤子不二雄って『ドラえもん』の?」
「そう。四人のアマチュア映像クリエイターたちがそれぞれの作品を持ち寄って上映会を始める話だ。上映会は順調に進み、最後の一人の番になる。彼は先の三作を『つまらん』と切り捨てるんだ。そうしてその彼の作品が上映されるわけだが……」
「どんな作品だったの?」
「日常の風景が淡々と流れ、突然ぷつりと映像が終わってしまう。それだけだ。それを批評する三人相手に、彼は自作について論じていく。その矢先に彼の作品と同じように漫画もぷつりと終わってしまう。核による平穏な日常の消滅を表しているわけだな。冷戦下にあった核の脅威を見事に表現した漫画作品だ」
「うーん、それって面白いの?」
「面白い面白くないで語る作品ではない。当たり前に存在する世界の崩壊。それはいつ起こってもおかしくないという問題提起なんだ。我々の存在するこの世界がどれだけ不安定なバランスの上に成り立っているのかを改めて認識できる。『ある日』は今日やってきてもおかしくないんだ」
話を聞いた限りではあまり興味をそそられない。そんな感情が顔に出たのか、父は眼鏡の奥の瞳をギロリと光らせた。
「ありすはもっとニュースを見なさい。J**国がこんなふうに問題を起こすのは今に始まったことではないぞ。好きなことばかりではなく、もっと勉強をして、広い視野で物事を見るようにしなさい。昨日も遅くまで起きていたな? だいたいお前は――」
朝っぱらから説教が始まりそうだったので、私はすばやく朝食の残りを胃に収め、自室へ戻った。
「ごちそうさま」
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