『すぐそこにある未来』近未来ショートショート集

坂井ひいろ

すぐそこにある待機児童問題

『働き方改革』がなかなか進まないことから、政府は企業の残業を強制的に禁止した。残業代をあてにしていた主婦達は、家計の破綻を恐れてパート先を求めた。待機児童が大量に発生し、保育士の労働環境はしれつなものとなった。


 待機児童の受け入れ先として、政府は老人ホームとの併設案を提案した。高級老人ホームには医者や看護師がいる上に、なにより子供たちの面倒を進んでかって出るお年寄りたちがいた。


「山本さん。最近は楽しそうですね」


私は今年、九十歳になったおばあちゃんに話しかけた。入所した当初は一言もしゃべらず、一日中テレビを見ているだけの人だった。


「ええ、ええ。孫が戻ってきたようで」


山本おばあちゃんは笑顔だ。


「こら、竜也君!ハサミを持って走らない!危ないでしょ」


山本おばあちゃんは今日も元気だ。末期ガンであることをちっとも感じさせない。私は周りを見渡した。どのおじいちゃんもおばあちゃんも、自分に割り当てられた子供と楽しそうに遊んでいる。ホームに活気が生まれ、保育士である私の仕事は過酷だった保育園時代とは見違えるほど楽になった。


「竜也。迎えにきたよ!」


パートを終えた竜也君の母親が玄関から叫ぶ。山本おばあちゃんは竜也君を連れて玄関に向かった。


「いつもありがとうございます。先日なんて五万円もお年玉をいただいて。ほら、竜也。お礼を言いなさい」


竜也君の母親は丁寧に頭を下げた。


「いえいえ。この子がとってもいい子だから。ね。気にしなくていいんだよ」


 ホーム内では日常的にかわされる会話だ。場所がらホームに入所するお年寄りは都心の一戸建で独居老人として暮らしていた人が多く、お金はタップリと持っている。家計の苦しい主婦にとって、このホームに子供を預けることは別の意味でもメリットがあった。


・・・・・・・・・


 ある日、山本おばあちゃんの容体が急変した。おばあちゃんの末期ガンが進行したのだ。竜也君が、おばあちゃんの枕もとで彼女の手を取る。


「おばあちゃん。死なないで」


竜也君は目に涙をいっぱいためている。


「おばあちゃんはね。竜也君と過ごせて幸せだったよ。もう、なーんにもいらない。竜也君が幸せなら・・・」


山本おばあちゃんは眠るように静かに息を引き取った。


「どういう事だ!」


玄関から騒々しい声が聞こえてきた。どうやら山本おばあちゃんの本当の息子夫婦が到着したらしい。入所の時から一度も顔を出したことがなかったくせに。二人はおばあちゃんのベッドまでやってくる。ベッドの横では弁護士をしていた飯島おじいちゃんが待ち構えていた。


「山本さんの全財産、十五億円は遺言により竜也君へと引き継がれました」


 私の勤める老人ホームは倍率30倍の待機児童をかかえる都内でも有数の高級老人ホームだった。






おしまい。

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