自由意志を食らう化け物

■プロローグ


 季節は春である。大地には排泄物が敷き詰められており、そこから熱を持った腐臭が立ち上っている。その排泄物から産まれた子供達は、無垢な眼差しで辺りをキョロキョロと見渡している。咥えた指から肘に向かって涎が伝おうとも全く気にせず、時折充満している腐臭に気が付いて顔を真っ赤にして泣くことはあるが、直ぐに忘れて、大体の時間を自由気ままに楽しく過ごしている。

 子供達の年齢は様々だが、最年長は原則的に3歳である。それ以上の年齢の子供は基本的に大地にはいない。

 大地がそのような状況になっている原因を作った存在が、今年も地響きを上げて動き出した。その巨大な化け物は、普段は子供達の横で胡坐を掻いたまま石像のように固まっているが、一年に一度、4月の初めだけ動きを見せる。といっても運動は腕を上下させるだけだ。

 化け物は、だらりと降ろしていた腕を捻転させて、手の甲を地面に付け、掌を空に向けた。子供達は、その巨大な、というより広大な掌を、目を真ん丸にして眺めていた。中には恐怖で泣き出す子供もいた。少しして排泄物が動き出した。排泄物は自分が産んだ子供に纏わり付くと、その軽い体を化け物の掌の上に運んだ。子供達は排泄物の強烈な腐臭に大泣きしながらも、力に抵抗できずに、されるがまま化け物の掌に乗らされた。子供達には掌の上は沈まない泥のような、冷たく柔らかい場所に感じられ、その触れたことのない感覚がまた子供達の恐怖心を大きくした。

 100万人以上の、ほとんどの子供達が掌に乗ったのを見計らって、化け物は子供達を自分の顔の前まで持ち上げた。化け物にとっては普通の、寧ろ遅いくらいのスピードでその動作は行われたが、子供達にとっては途轍もない速さに感じられた。重力によって、子供達は掌に張り付いていた。衝撃が大き過ぎる余り、子供達には涙を流す余裕もなく、ただ耐え続けた。

 急に動きが止まったので、勢い余った子供達は掌の上で跳ねた。その時の衝撃を利用して子供達の体に付着していた排泄物は大体地面に帰って行った。空中に飛ばされた子供達の目には、空と化け物と大地の回転が、やけにゆっくりと映っていた。

 化け物の掌が緩衝材になったので、子供達に外傷はなかった。しかし動転した気は全く収まる様子はなかった。

 子供達は動物的に次に来る危機に対応しようと。化け物の動きを注視した。しかしその努力は無駄に終わった。化け物は口を大きく開けて、その中に子供達を放り込んだ。子供達はその底の見えない穴に成すすべなく吸い込まれていった。


■口幼稚園


 子供達は振り返ったが、既に口は閉じられていた。辺りに明かりはなく、子供達は闇の中で自分を含めた子供達の嗚咽を聞き、掌と同じような冷たく柔らかい地面の感触を覚えていた。

 地面には掌と違い、粘液が張られていた。それに触れた子供が悲鳴を上げ、その悲鳴と水の跳ねる音を聞いた他の子供達が悲鳴を上げた。

子供達の恐怖がピークに達したのは、化け物が舌を動かし始めた時だった。叫び声が個騙す中、化け物の舌は波打ち、子供達を口の隅に運んだ。そこには化け物の歯が整然と並べられており、子供達は歯の上に寝かされる格好になった。

 子供達は必死に逃げようとしたが、その前に化け物に噛み潰された。化け物は、一度脇に子供達を逃がした後、再び舌で歯に乗せて潰した。その一連の流れを子供達が歯に抵抗しない程柔らかくなる迄続けた。そしてその咀嚼は子供達にとって様々な規制だった。子供達は、まずは決まった服を着る。という咀嚼に遭い、黄色の帽子とゴミ袋のような水色の服を着させられる咀嚼に遭い、決まったバスに乗って、決まった教室に行く。という咀嚼に遭った。そして周囲にいる自分と同じ服装の子供達と、同じことをしなければならない。という咀嚼に遭った。

 この物語の主人公もその例外ではなく、化け物の口の中で窮屈さを強いられていた。しかし泣き喚きながらも、主人公達の心は挫けなかった。それは主人公達にはまだ排泄物が付いており、その温かみが主人公達を勇気付けたからだ。もう主人公達は排泄物の腐臭に傷付くことはなかった。それは化け物の口の中も同じ匂いがしていたからだ。対照的に化け物の体温の冷たさが排泄物の温かみを引き立たせた。

 挨拶、運動、昼寝、食事、紙芝居、その他の行事・・・主人公達はそのような咀嚼を経験するに従って、目が慣れて辺りの様子が分かるようになりつつ、自分が徐々に圧迫感を覚えなくなっていることに気が付いた。しかしその理由が、自分が固くなっているからなのか、それとも柔らかくなり過ぎているからなのかの判断は付かなかった。

 このことについて、周りの子供達の中でも主人公は特に興味を抱いていた。咀嚼は次から次に起こるので、大抵の子供はその忙しさによって問題を忘却せざるを得なかったが、主人公には自分の頭から問題がなくなりそうになると、恐怖を覚える性質があった。主人公は考えを放棄していることを自覚する度に、慌ててそれを引き戻した。やがてその工夫は主人公の癖となっていった。

 自分が明確な言葉によってではなく、感覚によって圧迫感を覚えなくなった原因は何なのかを考えていた頃、主人公は一学年上の子供に出会った。その子供とは行事の咀嚼の拍子に寄り合い、話すきっかけを得た。

 相手は目鼻立ちのはっきりとした女の子だった。主人公がどぎまぎしながら相手の名前を尋ねると、女の子は「持田百香」と名乗った。

 しばらく他愛もないお喋りをしたり、お店屋さんごっこをしたり等遊んだりして、主人公が女の子を「ももちゃん」とあだ名で呼び始めた頃、主人公は自分の疑問をももちゃんにぶつけた。

「なんでこんな決められた通りのことやらなくちゃいけないのかな?」

 ももちゃんは少しの間難しい表情をした後、答えた。

「そんなこと考えても仕方ないよ?」

「え?」

「だってそんな風に頭痛くしてたら、楽しくないじゃん」

「そっか・・・」と言うので精一杯だった。主人公は恋心から自分の性分について悩んだが、その悩み自体も悩みの対象となり、主人公はひたすら化け物の口の中で悶々とした日々を過ごした。そしてある時、問題は結論に至った。

 咀嚼に耐えられるようになったのは、咀嚼されるという現実を諦めているからだ。

 そう考え始めると、主人公は急に自分だけが周囲から浮いているような気持ちになった。楽し気な仲間達の輪を、頭を抱えた自分が外から見ていた。

 主人公にとって意外だったのは、自分がその気付きによって心底悲しい気持ちにはなっておらず、心のどこかに無知な者達に対する優越感があることだった。その密やかな幸せを、主人公は圧迫感を覚える度に感じた。

 ある時化け物の口が開けられたが、子供達はそこから出て行くことができなかった。それは同時に子供達が口の奥の方に流されていったからだ。外までの距離は、あっという間にそれを埋めるという発想を子供達にもたらさない程圧倒的に長くなった。表から差し込む光は、子供達にとって太陽のように背景の一部に見えた。

 他の子供達と違い、主人公は表に出て行くことを諦めていた訳ではなかったが、その足の歩幅は雀の涙で、流れには全く逆らえず、再び口が閉じられた。

 悔しがりながらも、主人公は別の解決策がある筈だと、また一人で頭を悩ませた。そして一年後、また口は開かれた。

 主人公はもう外に出て行くことを諦めていた。それは一年での成長分を嘲笑うかのように、化け物が主人公達を更に口の奥へと移動させたからだ。

 更に、ももちゃんが喉の奥に消えようとしていた。眼前の光景に早々に心を砕かれた主人公にとっては、そちらの方が重大な問題だった。

「怖いよ」とももちゃんは舌の壁の向こう側から主人公に手を伸ばした。主人公はその手を掴んだが、二人は化け物の力であっけなく引き離されてしまった。

 また辺りが暗くなった。悲しみに暮れた主人公は、涙で濡れた頬に排泄物に当てて寂しさを紛らわせた。そしてその後の一年間をまた咀嚼の苦しみを忘れないように心掛けながら過ごした。主人公にはそれ以外の楽しみがなかった。同学年の友達がいない訳ではなかったが、主人公は友達に心を許すことはなかった。しかしそのことによる優越感は、ももちゃんと一緒にいた時と比べて純度が高く、寂しさを誘発するものではなかった。

 主人公は意識しつつも、自分が柔らかくなってゆくことには抵抗できなかった。ただその速度は周囲の子供達と比べて遅かった。

 口に入ってから3年が経った頃、化け物が主人公達の学年を飲み込んだ。主人公にとって幸運だったのは、ももちゃんと会いたい気持ちが主人公に嚥下への抵抗をさせなかったことだった。もし主人公が化け物の内壁にしがみ付いたなら、化け物は主人公を徹底的に噛み潰し、主人公の幼い反骨精神を徹底的に破壊しただろう。しかしそうはならず、主人公は問題意識を持ったまま滑らかに喉の奥に流されていった。


■胃小学校


 長い落下の後、主人公達は胃に到達し、そこで溶かされた。それは咀嚼とは異なる感覚を主人公達に与えた。服装は自由だったが、主人公達には授業という溶解に遭った。それは主人公達の意識を空間に溶け出させていった。主人公達は永遠に続くのではないか。と感じられる程の長い授業の間、無意識になることがあった。新たな知識を与えられるに従って、その情報が頭の中を満杯にして、化け物の中にいる。という根本的な問題への思考を追い出した。

 主人公はそれに必死に抵抗していた。周囲の子供達の漫然とした調子を目の当たりにすることで、問題意識は大きくなった。そしてそれが最も大きくなったのは、ももちゃんに再開した時だった。

 ももちゃんは胃の底の方で漂っていた。その眼差しは風呂にでも浸かっている時のようにぼんやりとしていた。主人公が「ももちゃん」と呼びかけると、ももちゃんは穏やかな笑顔でそれに応えた。

「やっぱりここにいたんだ」

「そうだよ」

「大丈夫?」

「何が?」

「すっごく辛いじゃん。ももちゃん達はずっとこんな目に遭っていたんでしょ?」

 主人公が尋ねると、ももちゃんはまた「そうゆうもんだよ」と答えた。主人公は久しぶりに心底寂しい気持ちを味わった。

「それより遊ぼうよ」と言われて、主人公はそれに応じて、テレビゲームのコントローラーを握ったものの、それも問題意識を頭から放り出す時間を増やすだけで、主人公をむず痒い想いにさせるだけだった。

 しかししばらくして、主人公の孤独を癒す人物が現れた。その子供は、ももちゃんが紹介した遊び仲間の一人だった。

それは「権堂元太」という名前の恰幅のよい男の子だった。「ガンちゃん」とあだ名を付けられた、所謂ガキ大将のその子供は、仲間達のリーダーとして、余暇だけでなく、時には融解に遭っている最中に主人公達を様々な遊びに誘い出した。そのほとんどは化け物を内側から懲らしめる内容だった。主人公達はガンちゃんの先導で、校舎の屋上から子供の人形を落としてみたり、給食室の大鍋の中に虫を入れたり、校長室に点火させた爆竹を投げ入れたりした。

 主人公は胃の中でガンちゃん達と一緒に暴れながら、自分とガンちゃんが似た者同士だと思っていた。ようやく孤独を分け合える仲間が出来たと喜んでいた。しかし徐々にそれが杞憂だったことを理解していった。主人公は化け物から出る為に暴れる。しかしガンちゃんは化け物が嫌がる様を見る為に暴れる。二人の行動は動機を違えていた。

「これで自由になれると思う?」

 一度、自分の見出した結論が思い過ごしであることの証拠を欲して、廊下にサラダ油を撒いている時に、主人公はガンちゃんに尋ねた。しかしガンちゃんは、主人公が思い描いていた最悪の想像を現実のものとした。

「なれないでしょ。でもここにある全てのものがおもちゃだと思えばいいじゃん。そしたら楽しくない?」

 周りの仲間も「うんうん」と頷いた。

「そうだよね」と主人公が取り繕ったのは、皆と離れるのが嫌だったからだ。主人公は仲間達に対して、同じクラスの子供達のように内心で嘲笑する程薄情にはなれなかった。主人公は仲間達に、排泄物と同じような温かさを感じていた。その温もりは、主人公をそのコミュニティーに留め続けた。

 問題意識と仲間達の持つ引力の間で揺れながら、主人公は悶々とした日々を過ごしていたが、やがて全ての問題を解決する方法を思い付いた。それは仲間達をけしかけて、化け物に内側から穴を開けるという方法だった。そうすれば仲間達が楽しみながら、自分は化け物から出て行くことができる。主人公は心臓を高鳴らせながら、直ぐにアイディアを具体化させていった。

 計画を伝えると、ガンちゃんは二つ返事で乗った。計画はガンちゃんの口から皆に話され、仲間達は即座に計画の準備に取り掛かった。

 主人公達は夜中集まると、皆で校舎の窓ガラスを割って回った。なるべく教室の中に散乱し、授業ができなくなるように工夫しながら、ガラスを砕いていった。

 主人公達は校舎を通過して流れて来る風を浴びながら大笑いした。教室のガラス片に月が映っていた。

 しかし胃に付けた傷は浅かった。傷は直ぐに塞がり、授業は再開された。またガンちゃんがいなくなっていた。主人公達が探しても見つからず、リーダーを失った主人公達は過激な遊びをしなくなっていた。

「どこ行っちゃったんだろうね。ガンちゃん」

 仲間達全員にとって詰まらない日々を過ごしていた頃、主人公はももちゃんに言った。

「分からないけど、噂では他所にいっちゃったみたいだよ」

「他所って?」

 主人公は目を輝かせて聞いた。もしかしたらガンちゃんは本当は自分と同じように化け物から出たがっており、秘密裏に胃から出る術を見つけて外に出たのかも知れない。と主人公は思ったのだ。しかしももちゃんは「さあ・・・」と漫然と言っただけだった。主人公は様々な子供達にガンちゃんの行き場所について尋ねたが、噂の元には辿り着けなかった。

 仲間達は益々胃に溶かされていった。意識が薄まってゆくことに抵抗しない仲間達を見て、主人公は何度もまた大掛かりな計画を持ち掛けたが、皆ガンちゃんのように消えてしまうことを恐れて賛同せず、主にゲームに時間を費やした。

 部分的ではあるが幸せを共有していた仲間を失った反動で、主人公は以前にも増して孤独を感じるようになり、排他的になっていった。周囲と同じにはなるまいと自分から周囲の子供達に対する嫌悪感を露わにして、周囲の子供達と距離を置いていった。

 その対象にももちゃんも含まれていた。ももちゃんは露骨に態度を変えた主人公を心配して寄り添おうとしたが、主人公は特にももちゃんを忌避した。それは自分を他の子供達と同じような腑抜けた人間の輪に引き入れる力を最も持っていたのは、他ならぬももちゃんだったからだ。少しでも気を緩めれば、ももちゃんへの恋心が主人公の帰属欲求を否応なく高め、抵抗せずに意識を化け物の胃に完全に溶かされてしまいそうだった。

 主人公は胃の中で化け物からの出口を探していた。しかしそういったものはどこにもなく、主人公には溶かされながら問題意識を持ち続けるように頭を悩ませることしかできなかった。

 胃にやって来てから5年経った頃、ももちゃんは胃の底に消えていった。主人公は見送りには行かずに、ただ排泄物を握り絞めていた。


■十二指腸中学校


 一年後、主人公は胃の底から十二指腸に流れて行った。相変わらず友達はできず、主人公はももちゃんに会いに行くこともしなかった。主人公の目には最早、周囲の子供達が亡霊のように見えていた。彼等からは意思を感じることができなかった。それどころか、主人公は周囲の子供達から排泄物や化け物と同じような腐臭が漂い始めていることを感じていた。

 化け物の十二指腸の中で、階級が生まれいった。胃にいた時も学年によって威張っている子供がいたが、同じ学年の子供達の中で生じる様を見るのは主人公にとって初めてのことだった。階級が上の子供達は、自分の存在を周囲にアピールすることによって、自分の影の中に下の階級の子供達を追いやった。

 主人公は十二指腸の端の方からクラスメイト達を憐れんだ目で観察していたので、階級が出来ている理由を理解していた。それは異性に対してよく見られようとする気持ちの表れだった。

 主人公は自身にも異性に対する意識の変化を感じていた。それは胃にいた時の比ではなく、もっと肉体的な欲求だった。

 主人公は自分の下半身から上り始めた、排泄物や化け物や周囲の子供達に似た臭いに心底嫌な気持ちになっていた。主人公は異性への好奇心が自分をももちゃんを含めた異性に近付かせることを恐れていた。それはももちゃんを含めた異性は皆、意思を持たない奴等の構成員だからだ。

 主人公は生える度に陰毛を千切り取った。しかし陰毛は次々から次へと、本数を増やしながら生えて来るし、顔の輪郭は骨ばってゆくので、変化に抗うことはできなかった。主人公の身体は確実に大人の男に変貌しつつあった。

 十二指腸内のありとあらゆるところに、化け物が罠を張り巡らせていることを主人公は理解していた。異性への興味を抱かせることもその一つであるので、主人公を苦しめていたが、最も主人公の心を脅かしたのは、元々からある大多数の意志を奪われた者達の発する温かみだった。

 今や排泄物の発する温かみでさえ、主人公にとっては化け物による罠に思えていた。主人公は排泄物から離れようとしたが、排泄物は主人公に張り付いて離れなかった。それでも主人公は排泄物から、そして周囲の子供達から逃げ続けた。

 やがて主人公は、自分以外の全てが化け物である。と考えるようになった。ももちゃんもクラスメイト達も排泄物も全てが十二指腸の内壁に過ぎないと考えていた。

「この頃変だよ?大丈夫?」

 屋上からここじゃないどこか探していた時、主人公の背後にももちゃんがいた。心配そうな表情の仮面を付けて差し迫って来る肉壁に、主人公は「来るな」と言ったが、内壁は尚も差し迫って来た。

「私がついてるから。悩みを打ち明けて」

 主人公は化け物にやられる前に、自分から化け物に攻撃した。頬を思い切り張った。倒れ込むももちゃんを見た時、主人公はそこに化け物の出口を見つけた。

「やっと見つけたか」

 穴の向こうからガンちゃんが言った。ガンちゃんは以前よりずっと大人びていて、尚且つ元気そうだった。

「こうやって穴を開けて出ればよかったんだね」

 主人公が言うと、ガンちゃんはにっこりと笑って頷いた。自由になる為に、そしてなにより、ガンちゃんから感じる温かみに誘われて、主人公は化け物に向かって拳を振り上げた。

 しかしその後、十二指腸に穴が開くことはなかった。この物語の主人公はガンちゃんと同じ運命を辿った。即ち化け物から毒だと判断されて、肝臓で分解されてしまったのだ。


■小腸高校


 主人公を失ったこの物語は、その後本来の流れのままに進行していった。主人公とは流れに逆らう性質を持った人物のことなので、それが排除された世界では、つつがなく既存のシステムが作動するのだ。

 だからここから先はただありきたりな子供達の運命を辿ってゆく。その登場人物の中には「ももちゃん」という、唯一名前の付けられたキャラクターが存在するが、主人公がいなくなった時点で、その固有名詞は特別な意味を持たなくなった。

 受験勉強と、居場所に居続ける為の振る舞いという栄養の搾取によって、彼等は主人公という、問題意識の最後の頼りを忘却していった。

 彼等には自由意思が残されていなかった。ただ化け物によって搾りかすにされるのを受け入れていた。


■大腸大学


 最後の仕上げは緩慢に行われたので、彼等の中にはようやく自分の運命に疑問を持つ者が現れたが、既に彼等の姿は排泄物になっており、抵抗する力は残されていなかった。内壁にしがみつき移動しないように耐えることはあっても、それはもって数年の間だけで、やがて流されていった。自由意思を取り戻すにしては、彼等は化け物の中に長く居過ぎたのだ。

 そしてすっかり自由意思を失った彼等は、世の中に排泄された。22,3年ぶりに外に出た彼等の周囲に対する印象は、「以前とは違い、全く臭くない」だった。

 彼等は大地の一塊となり、完全に沈黙した。


■エピローグ


 今年も春がやって来た。排泄物のももちゃんは、システムの一部として機能した。ももちゃんは他の排泄物と同じように、自分の子供を少しの疑問を抱かないまま、化け物に食わせた。

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