サクラ咲クトキ

公園

 彼と逢ったのは、暑さもようやく和らいだある秋のこと。


 高校に入学して半年。クラスの雰囲気からも初々しさが消え、年中行事の半分を終えて、出会った頃には赤の他人だったはずの生徒たちがクラスメイトとしてまとまり始めた時期。

 昔から人と会話することが苦手な私は、どうにもクラスの雰囲気に馴染むことができずクラスの片隅でいつもひとりぼっちだった。

 別にいじめられていたわけではない。無視されているわけでもない。ただ、コミュニケーションがうまくいかず、気付いた時には一人になっていた。

 家に帰れば心休まるかと言えば、そういうわけでもない。不仲の両親は些細なことでしょっちゅう喧嘩ばかりしている。機嫌の悪い両親の矛先はことあるごとに私に向けられ、もはや家庭崩壊寸前だ。家にも学校にも安らげる場所などありはしない。

 学校の授業が終わると帰り道の公園に寄り、遊具で楽しそうに遊ぶ子供たちをベンチに座ってぼんやりと眺めて時間を潰すのが日課だった。そうして、できるだけ家にいる時間を減らすのだ。まるでリストラを家族に隠すサラリーマンみたいだが、公園になんて知り合いは来ないから誰とも会うことがなくて気は楽だった。


 その日もいつものベンチで寛いでいると、唐突に頭上から声が降ってきた。

「――あとひとつきか……」

 気だるげな、静かに凪いだ声。見上げると、背後の木の上――落葉の季節を迎え黄色と緑の入り混じった葉に囲まれた太い枝に、少年が一人チェシャ猫みたいに寝そべっている。

 歳は私と同じ位だろうか。長くはないがさらさらの黒髪が後ろから風に吹かれ、顔にかかるのを少し鬱陶し気に何度か指で除けている。子どもっぽく丸い瞳には、しかし穏やかで優しい光を宿し、静かに遠くを眺めていた。

 儚い印象の、綺麗な少年だった。

 まさか頭上に人がいるだなんて思ってもいなかったのだが、ぎょっとする以前に思わず見入ってしまう。

 少年は不意に視線をこちらに落とした。

 目が合う。

 咄嗟に目をそらしてしまってから、今のはあからさまだったな、と僅かばかり後悔するが遅い。けれど彼は特に意に介した様子もなく、ぼんやりとした調子で呟いた。

「……今日も来たんだ。最近毎日来てるなぁ」

 その言葉が私のことを指しているのだと気付いて、ぎくりと肩を強張らせる。毎日来ているのを知っていたのだろうか。ということはつまり、彼は毎日こちらを見ていたということか。いったいいつから。どこから。

 頭の中でぐるぐると考えながらも、彼がこちらに話しかけているのか独り言なのか判断できなかったので思い切って無視を決め込むと、彼は今度はのそりと上体だけを起こして、確実にこちらに向けて言葉を発した。

「ねえ、君そこで何やってんの。誰か待ってるの」

 見知らぬ人からの唐突な問いかけに、コミュニケーションが苦手な私の中では警戒心が一気に膨れ上がった。なぜこちらに興味を持ったのだろう。まさかナンパだろうか。あのナリで、木の上から? 

「待ち合わせでもしてるのかな。でも誰かが来たところを見たことがないや。人間観察が趣味?」

 独り言ではなくこちらに向けているらしいと分かったので徹底的に無視してやることに決めたのだが、彼は構わずぽんぽんと質問を投げかけてくる。

「いつも一人のようだけど、お友達とか恋人は……」

「……ただの暇潰し、ですけど」

「あ、すごい。喋った」

 何がすごいのか。

 無言を貫くのを諦めて思わず口を挟むと、少年は何故か目を丸くしてこちらを見下ろした。話しかけてきたのはあちらのくせに、何を意外な顔をしているのか。

「……何か用ですか?」

「ふふ、なんでもない」

 眉を寄せてその視線を受け止めると、少年はどこかくすぐったそうに小さく笑って、再び太い枝の上に寝そべった。

 それきり彼が話しかけてくることは無くなったものの、相変わらず視線はこちらに注がれていて、どうにも居心地が悪い。いつもよりもだいぶ早い時間だったものの、居づらくなった私は挨拶すらなしに公園を後にした。


 翌日の放課後、いつもの癖で公園へ行くと、あの少年はまた木の上にいた。引き返そうかと思ったが、目が合ってしまったので今更引き返すわけにもいかず、ぎこちなく定位置のベンチに腰を落ち着ける。

「やあ。学校は楽しいかい?」

 木の上に寝そべったままの彼は、今度は気さくな親戚みたいな事を訊いてきた。やっぱり話しかけてくるのか……と思いながらも他に行くところもないので適当に返事をする。

「……別に」

「おや。友達は?」

「いません」

「そっかあ。僕もいない。お互い友達第一号だね」

 何故か嬉しそうに笑う少年。ふわりと花の咲くような笑みに思わず絆されそうになるが、見ず知らずの赤の他人からいきなり友達認定されて喜ぶほど友情に飢えてはいない。

「……友達になった覚えはないんですけど」

 そう言うと彼は、そうだね、と微笑んだ。その笑顔もやっぱり花のようだった。

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