第9話 『サザンカ』

高校2年 10月

秒針が時を刻む音、筆が文字を刻む音、それとしばしば震える携帯電話の着信音が僕の部屋で静かに奏でている。


正確には奏でているのを聞いてしまっている、集中していない証拠だ。


ここ最近では文化祭もいよいよ間近となり

放課後には非日常の賑わいで溢れてきている。


僕自身も看板製作をしていることもあり放課後の学校での執筆ができず少々おろそかになっていた。


だから「自分の中で溜まった不満を発散するように書きなぐる」という自分を遠くから予測する自分がいたのだが実のところそれほど不満も溜まっていなければ発散したいとも思ってはいなかった。


単なるモチベーションの低下なのかどうかは分かりかねるがおそらくそれも違うような気がする。


「…ふぅ」


ため息をひとつ吐いて筆を置きそろそろ彼女の相手をしようかと携帯電話に手を伸ばした時、来客の知らせが部屋に静かに届いた。


控えめなノック、珍しい来客だ。


「入ってもいい?」


「どうぞ」


お盆を片手にした義母がゆっくりと部屋に入ってきた。


「お隣さんからね、美味しいくず餅をいただいたの。お茶も入れてきたからどうぞ」


「ありがとう義母さん。ちょうど一息入れようと思っていたところなんだ」


「そう、ならよかったわ」


義母からお盆ごとお茶とくず餅を受け取る。


その間にも僕の携帯が震える。


「随分とひっきりなしに連絡が来るわね。時期が時期だから文化祭の連絡か何かかしら?」


その通りだ、と誤魔化すことも考えたがわざわざ隠す意味も必要もないと思ったので僕は素直に彼女について話すことにした。


「義母さん」


「ん?」


「僕、その…彼女ができたんだ」


たったそれだけのことを伝えるだけなのに気恥ずかしさで体温が上昇するのがわかる。


「あら!もしかしてこの前に言ってた子?」


「うん…高嶺 華っていう子なんだ」


すると義母さんは目を見開いて両の手の指先を合わせ歓喜とも呼べる感情を表現した。


「おめでとう、遍くん!どっちから告白したの?」


「えっと…一応向こうからかな」


告白と呼ぶにはあまりにも激しいものではあったのだが。


「そう良かったわね…もし機会があったら会ってみたいな。それじゃあもしかしてさっきから連絡来てるのは華ちゃんからかな?」


「多分、というよりかは間違いなくそうだと思う」


「随分頻繁に連絡きて…愛されてるわねぇ」


茶化すような口調で僕をからかう。


「からかうのはよしておくれよ。かなり今羞恥で頭がいっぱいいっぱいなんだ」


「あら恥ずかしがることなんてないのに。でもごめんなさい、つい嬉しくなってね」


「僕に彼女が出来て嬉しいのかい?」


「嬉しいに決まってるじゃない。子供に恋人が出来て喜ばない親なんていないわ」


それにしても、と義母は付け足す。


「そんなに頻繁に連絡するのであればメールじゃ少し不便じゃないかしら。そろそろ遍くんもガラケーからスマホに変えてラインとか始めてみたらどう?」


ライン。


知らないだけで驚くほど驚かれたもの。


どうやら連絡手段の一つであることは分かったのだが。


「そう…かな。ラインってそんなに便利なものかな?」


「えぇ、そんなにメッセージが来るなら尚更よ。その携帯も使い始めて長いことだしそろそろ変えてきなさいな」


「義母さんがそう言うのであれば変えてみようかな。次の日曜日に一緒に買いに行くような感じでいいかな?」


義母は小さく笑った後、人差し指で僕の額を一度つつく。


「ダメよ遍くん。そういうのは私じゃなくて他に言う人がいるんじゃないの?」


「他の人?」


「ふふ鈍いわねぇ、彼女をデートに誘いなさいって私は言ったのよ」


「あっ…」


「お金なら心配しなくていいわ、後で渡してあげるから」


余分にね、と最後に加えながら義母は言った。



「さて、そろそろ私は出ましょうかね。遍くんが彼女の相手しないと向こうもいつ愛想つかすか分からないもの」


「ははは、ありがとう義母さん」


「いいのよ、ってそうだ。忘れるところだったわ」


急に何かを思い出したかのように一枚の用紙を僕に手渡してきた。


「なんだいこれは?」


「八文社がね、小説の公募をしてたから一応遍くんにも教えてあげようと思ってね」


内容を見てみると「ジャンルは問わない短編小説を募集」との旨の公募が書かれていた。


「八分社のホームページに載っていたんだけどね、遍くんインターネットとか疎いからもしかしたらこういうのも知らないんじゃないのかなーって思ってね」


なるほど確かにそうだ。


今はもう情報社会、文学の公募だってインターネットで行われるであろう。


義母の指摘通り、自分自身そういったインターネット等の類は苦手としていたからこのような公募を見落としていたわけだ。


「遍くん、もし本気で小説家への道を考えているんだったらまずはこういったことから挑戦していくべきなんじゃないかしら?…なんてお節介が過ぎたかな」


自嘲気味に笑みを浮かべる。


「ううん、助かったよ。義母さんの言う通りどうも僕はこういった情報収集が苦手だったからね」


「あまり苦手なことは咎めないけれどインターネット社会になってきてるから苦手が苦手なままだとこれから少し苦労すると思うわよ」


「…そうだね、克服の第一歩としてまずは華と携帯を買ってくるよ」


「そうね、それがいいと思うわ。じゃあ遍くん、頑張ってね」


「ありがとう、義母さん」


義母が部屋からでると僕はたった今まで書いていたノートを閉じ、机の中から原稿用紙を取り出した。


八文社の短編小説の公募。


一つ大きな目標ができた僕は先程まで燻っていたやる気が焚き火のように燃え上がるような感覚が湧いてきた。


「…よし」


結局その日彼女の連絡の返事を疎かにしてまでできた結果は8つほど丸められた原稿用紙だけだった。


ーーーーーーーーー

ーーーーーーー

ーーーーー

ーーー


「はいっ、あ〜〜ん」


「あ、あーん…」


甘い。


そう、甘い。so sweet


甘すぎる。


甘ったるいのが口の中に入れられたケーキなのかはたまた可憐な少女が僕の口の中にケーキを入れるという行為なのかは分かりかねる。


あるいは両方なのかもしれない。


「あなたたち、この間とは随分と変わった関係になったんじゃない?」

カタリ、と陽子さんは横から珈琲を机の上に乗せた。


いよいよ文化祭が1週間後に迫るという週末に僕と華は『歩絵夢』に訪れていた。


「えへへ、やっぱり分かっちゃうかなぁ」


「分かっちゃうもなにもバレバレよ。しかし随分小さい頃から華ちゃんを見てきてどんな男の子が恋人になるかと思ってたけど不知火くんみたいな男の子だとはねぇ」


「…ははは、僕なんかで恐縮です」


なんとも言えない居心地の悪さに乾いた笑いをすると、華からデコピンが飛んできた。


額に鈍痛が走る。


「またそーやって、自分のこと悪くゆうー」


「いたた、僕そんなこと言ったかい?」


「ゆったよ!『僕なんか』って」


「そういうつもりではなかったのだけれど無意識に出てしまったから性分ということで許してはくれないかな」


「いやよ。いくら遍でも私の好きな人の悪口は許さないんだから」


「あーあ見せつけてくれちゃって」


少々呆れたような表情で陽子さんはこちらを眺める。


「この子絶対モテるくせに男の影1つも見せないんだから。正直この間不知火くんを連れてくるまでレズかもしれないと思ってたくらいよ」


「え?僕が初めての男子だったんですか?」


「そうよ。だから私華ちゃんが男の子を連れてきたから嬉しかったのよ?」


「い、意外ですねぇ」


男子で初めて連れてこれたことが分かり口角が上がりそうになるのを珈琲を口にして抑える。


「なぁーに?不知火くんまだ私のこと尻軽女だと思ってるの?」


「ご、誤解だ。それは誤解だってば。そんなことは寸分にも思っていないさ」


「つまりあの時から脈アリだったってワケね」


「よ、陽子さんは小さい頃から華を幼い頃から知っていると言ってましたけどお二人はどのくらいのお付き合いをしてるんですか?」


なんとも居心地の悪い空気になり始めたので話題を変えなくてはと意識を働かせる。


「んー、元々この子の両親が常連さんでね。初めて来たときはこの子が小学生高学年くらいだったかな。中学生になる頃にはもう一人でよく来てたわ」


「凄いですね。僕が中学生の頃はただただ本を読んでただけですよ」


「凄い…ね。でも遍くん、女子中学生が一人で喫茶店に通うのは凄いっていうんじゃなくてませてるっていうのよ」


すると華はまるで心外だと言わんばかりに目を見開いた。


「ひっどーい陽子さん!そんなこと思ってたの!?」


そんな様子の華を陽子さんは余裕の笑みで返す。


「ふふん、確かにあなたは可愛いけど私から見たらまだまだ子供ってことなのよ。これからもどんどん自分磨かないと遍くん目移りしちゃうかもよ?」


その余裕の笑みはどうやら僕にも向けられ始めたらしい。


「いやいやまさか、むしろ愛想尽かされるのは僕の方…」


口に出してからしまったと思った。


再三注意されているのにも関わらずもはや癖となってしまっている自虐はどうにも無意識のうちに出てしまった。


これはまた咎められると恐る恐る華の様子を見る。


「…さない」


「え?」


「遍は渡さない、そう言ったのよ。誰だろうと関係ないよ」


瞬間やや驚いたような表情を浮かべた陽子さんだったが一旦目を伏せ、ため息を一つ吐いた。


「…いい華ちゃん?遍くんも。あのね、束縛っていうのはしすぎてもしなさすぎてもどちらとも問題なものなのよ。さっきから薄々感じてたけど華ちゃんは前者だし遍くんは後者。良い塩梅っていうのがあるんだからお互い直していきなさいよ。これはあなたたち二人のためを思っていっているんだからね」


後は二人で話してみなさいと残し陽子さんは踵を翻し厨房へと戻っていった。


「…遍は私のことどう思ってるの?」


それは勿論


「好きだよ」


自分が思っているよりもすんなりと口から出たその言葉に自分自身が驚いた。


「私もね…遍が好き。でもきっと私の好きと遍の好きは違う」


彼女は僕ではないどこかを空虚な目で見つめながら僕へと告げてゆく。


「遍に触れたい。遍を抱きたい、抱きしめたい。遍とキスしたいし、その先だってそう。ううん、もういっそのこと遍を食べたいし、遍をこ…」


彼女は何かを言いかけた口を一旦閉じてまた開き直した。


「…とにかくそれぐらい好きなの、愛してるの。もうどうにかなっちゃいそう」


彼女はほんの少し寂しそうな笑いをしてもう一度僕に問うた。


「ねぇ、遍。私のこと"好き"?」


そして僕は同じ言葉をもう一度すんなり出すことはできなかった。


「…華はさ、どうして僕のことを好きになったんだい?君は以前言っていたよね、優しい人、かっこいい人はいくらでもいる、と。確かに僕よりかっこいい人はもとより僕より優しい人だっている。僕が特段優しい人間だと自負するつもりはないんだけどね。彼らではなく僕である理由がわからないんだ」


「…何度も何度も伝えてるつもりなんだけどなぁ。遍は私から愛されてる理由が欲しいんだね」


「理由…か。結局僕の人生で積み上げて来たものに自信がないんだろうね。だからこうして理由を求めているのかもしれない。不知火遍ってそういう弱い男なんだ」


なんとも情けない笑みを浮かべるしかない。


「じゃあはっきりと答えてあげる。私が遍を愛してる理由なんてないよ」


どうやら僕は求めていた答えにたどり着けないみたいだ。


喉から伸ばした手を舌の根に引っ込める僕を見て彼女はクスリと笑った。


「…遍、余計に私が分からなくなったって顔してるね。そうだよ、愛してる理由なんてない。ううん、理由がないから愛してるんだよ。好きな所を言えって言われたらいくらでも言ってあげるけど好きな所がなんで好きなのって聞くのってすごく野暮じゃない?だって好きなんだもの。これは頭で考えることじゃなくて思いがあふれるものなんだから」


彼女は一旦紅茶に口をつける。


「じゃあ聞いてあげる。遍はなんで本が好きなの?」


思ってもみない質問だった。


「えっ…と、本を読むことで小説の中の世界を体感できるから、か…な」


「小説の中の世界が体感できるから本が好きになったの?」


そう言われると違うような気もする。


「遍それはね、遍にとって本の好きなところの一つであって遍が本が好きな理由ではないんだよ」


「そういうことに…なるのかな」


「ふふ、ほら、理由なんていらないじゃない。好きなものがなぜ好きかなんて。だって好きなんだもの。心がそう想っているの。遍を愛してるっていう気持ちはもう私の本能だよ」


「きっと遍は私のことを好きなところをいちいち理由をつけてるんだよ。アハハ、いいの大丈夫」


彼女はそっと席を立ち上がりそのまま僕の隣へと座りこう囁いた。


「理屈じゃない、本能で好きになるってこと、これからたっぷりと時間をかけて教えてあげる」


背筋を貫かれる、普段の明るい彼女からは想像も出来ないその底冷えするその声に。


「さっ、ケータイショップに行こっか。遍がガラケーからスマホに変えてくれるんだもんねっ。ラインの使い方とか教えたいし、せっかくのデートだもん。行きたいとこ山ほどあるんだから」


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ーーーーー

ーーー


「すごいや。僕のこの手には人類が積み重ねてきた研鑽の賜物が握り締められているんだね」


「あはは、大袈裟だなぁ遍は、ただのスマホだよ?」


「いやいや、いざ手にしてみると人類の進歩というのが文字通り肌から感じるよ」


「ああもう、いちいち反応が愛おしいなぁ」


「…あまりそうやって直情的に想いを伝えられると歯が浮くような気分になるなぁ」


「だって遍、こうやって伝えないとまだまだ分かってくれないみたいだからね、私の気持ち」


「…僕も努力するよ、華に愛想を尽かされてしまわないようにね」


「はいダメ〜。私が愛想尽かすことがありうるって考えてる時点ダメだよ、遍。うんでもいいの、今は。そういうのは愛する妻…じゃなくて恋人である私が教えて、支えて、染めてあげる」


腕を後ろで組み、余裕のある笑みでそう宣言される。


「さ、まだお昼すぎだもんね。どこ行こっか?」


「さっき行きたいところは山ほどあるって行ってたよね。華はどこか行きたいところがあるんじゃあないのかい?」


「私?私は遍と一緒ならどこでもいいよ。たしかに色んなところに行きたいんだけど遍と一緒ならどこでもいいかなぁって思っちゃうんだよね、えへへ」


まいったな、そう思わざるを得ない。


義母に言われた通りに華をデートに誘うまでは良かったが、肝心の何をするかをあまり考えていなかった。


己の計画性のなさを少々呪ってしまう。


「ごめんね、せっかく華を誘ったのに考え無しだった」


「んーん。いいの遍と一緒に居られるだけで私は幸せだから。遍はどこか行きたい場所とかある?」


行きたい場所というと本屋だが、デートに行くしてはいかがなものかと考えてしまう。


公募の短編小説の参考にするために、様々な文学に触れておきたいのだが、きっと僕は一人で読み更けてしまうし彼女は待ちぼうけてしまうだろう。


「…行きたい所…あっ…」


あるではないか、文学も学べてかつデートにも最適な場所が。


「どっか思い当たった?」


「華、映画に行こうか」


「わぁ…映画かぁ…いいねぇ。デートみたい!」


「…みたいというか僕はもとよりそのつもりなんだけどな…」


少々照れ臭くなり、頰を二、三度掻いてしまう。


「ふふ、そーでしたっ。それじゃあ映画館にいこっか」


「提案しておいて申し訳ないんだけれども、僕あんまり映画館とか行かないから場所が分からないんだ」


「もう、しょうがないなぁ〜」


絹のように柔らかな肌触りが指先に伝わる。


彼女の右手と僕の左手が重なり、そして熱を帯びていく。


「私が連れて行ってあげる。まかせて、場所わかるから」


「あ…うん」


どうしても彼女と結ばれた先が気になってしまい情けない返事しかできなかった。


「そうと決まれば善は急げだね。早く着けば見れる映画の種類が増えるかもしれないしね」


彼女が思いを馳せるように映画館へと駆けていく。


そしてそれに釣られれるように僕の左手から自然と駆け足になる。


少しずつ、少しずつ。彼女と並行するように歩みを進める。


やがて並行となった僕らは銀杏が香るイチョウ並木と残暑が過ぎ去りすっかり秋となった空気を通り抜けて行く。


木々を抜け、道を抜け、街を抜け。


そうやって僕らが映画館に着く頃には季節外れの汗にまみれ、秋風がひやりと首筋を撫でていく。


「はぁ…はぁ…ふぅ、さて。今は何が上映中かなぁ」


息を整え、映画館の中へと踏み入れていく。


「普段僕は映画なんて見ないからどんなのをやってるかわかんないや」


「んー、友達とかから評判良かったのが確か2つくらいあった気がするん…ああー!!!」


突然、華が大きな声を出してしまったがために僕はびっくりしてしまった。


「わ、どうしたんだい」


「その2つともちょうど10分前に始まっちゃってるよぉ」


「それは…、」


なんとも悲運。


かえって走ってきた分、余計に損した気分になってしまう。


「どうしよう〜、冒頭見逃しちゃったけどまだ見れるかな。それとも別のやつを見る?」


「冒頭を逃してしまうとどうにも世界観に入り込み辛いよね。いまから見れそうなのは他に何があるかな?」


「あれとあれだね」


彼女は館内にある電光掲示板を指を指す。


ひとつは邦画、もうひとつはどうやら洋画のようだ。


「遍はどっちが見たい?」


「僕は…」


邦画の題名にちらと目をやる。


『夢少女』


見覚えのある題名だった。


「そうだ、池田秋信の原作の映画だ」


「池田秋信?」


「そっか、本の虫以外にはあまり知られない名前かもね。僕の好きな作家なんだ」


「ふぅん、他にはどんな本を書いているの」


「『王殺し』とか『顔が消えた世界で』とか書いてる人なんだけど、たぶん知らないよね」


「わかんないや、ごめんね…。んーっと、それじゃああの『夢少女』を見る?あ、それともひょっとして遍は原作読んでたりする?」


「いや好きな作家とか言っておいて恥ずかしいんだけれどもまだいくつか見てない作品があるんだ。『夢少女』もそのひとつだよ」


「じゃあそれ見よっか!」


「いいのかい?僕がいうのもあれだけど原作者は少し癖があると思うよ」


「いいの!遍が好きなものを私見てみたい!」


「それじゃあ、『夢少女』を見ようか」


僕ら二人で券売機の前まで行き、扱いがわかっていない僕に華が一つ一つ買い方を教えてくれる。


(映画館なんて久しぶりだなぁ)


綾音と出かける時もあまり映画館に来た覚えはないように思える。


きっとこの可憐な少女に出会わなければ今頃、部屋に篭っては駄文を書き続けていただろうな。


ふと目を離した隙に、華はなにやら抱えていた。


「えへへ、ポップコーン買ってきちゃった!一緒に食べよ?」


「あはは、買いすぎだよ華」


「いやいや、絶対二人なら食べきれるよ!」


原作者が僕の好きな作家だからか、久方ぶり映画だからか、それとも彼女と観る映画だからか。


僕はワクワクしながら上映ルームへと足を運ばせていった。


…。

………。

……………。


「あはは、最後泣いちゃった」


「僕も泣きそうだったなぁ」


『夢少女』を見終わった僕らは黄昏に包まれた街の中で帰路についていた。


『夢少女』


ある日からとある一人の少女の夢を見始める男の物語。


毎晩眠りにつくたびに会える彼女に心惹かれていく主人公は、募りに募った想いを少女に打ち明けると次の日から夢を見なくなる。


やがて現実が夢だと思い込むようになり自暴自棄に堕ちていく主人公だが、もう一度だけ見た少女の夢により厳しい現実を乗り越えていく物語だった。


「ね…遍」


「ん?どうしたんだい」


「私たちは…夢じゃないよね?」


不安そうな表情で僕の頰に触れる彼女も、たったそれだけのことで頰を紅潮させる僕も、きっと


「夢じゃないよ」


「嬉しい。あのね遍、私幸せなんだ。好きだよ」


僕もだ、と返そうと開いた口は不意に近づいた彼女の唇によって塞がれた。


「えへへ、付き合ってからはじめてのキスだね」


告白の時のあの乱暴な接吻は彼女の中での「付き合ってから」の期間の中には含まれていないのだろうか。


少しそんな野暮な考えが浮かぶが、僕の目の前に居たのはあの時の暴力的な感じの彼女ではなく、間違いなく僕が以前から惹かれていた夕日に美しく可憐な彼女だった。


ーーーーーーーーー

ーーーーーーー

ーーーーー

ーーー


日々の学業に勤しみながら、否。


学業が疎かになっても仕方がない、そんな雰囲気があるのはあと五日で文化祭が始まるという差し迫った状況からだろう。


かく言う僕ら看板製作組もそんな慌ただしさを掻き立てる一員となっていた。


「ったくよぉ、チンタラやってたあいつらが悪いのに何で俺らが小物製作も分担しないといけないんだよ」


「ははは、仕方がないさ。メインの看板は大方終わりかけているし手伝ってあげれるのならそれに越したことはないさ」


「そうだよ〜。それに喫茶店はクラス全員の出し物だからね〜。わたしたちの仕事はみんなの仕事、みんなの仕事はわたしたちの仕事だよ〜」


「おまえら本当にいい子かよ。わーったよ、やるよやるさ!やりゃいいんだろ!」


文句こそ垂れど結局一番作業に力を入れてるのは桐生くんであり、彼こそ『いい子』に相当するだろうと考えると、なんだか滑稽に思えて来てしまう。


とはいえ少々憤慨しているのも事実らしく、養生テープを剥がす音がやけにけたたましく聞こえる。




「あー、このペースだとテープ無くなりそうだなぁ」


「確か用務員室に予備のテープがまだあったはずだけど」


「そっか。んじゃ俺、用務員室行ってくるから二人ともよろしくな」


「は〜い」


桐生くんがその場を離れると残された僕らふたりの間を沈黙が支配した。


それもそうだろう、僕はあまり積極的に話しかける性分でもないし、小岩井さんもどちらかといえばその通りだろう。


「不知火くん〜、ちょっとい〜い?」


「どうしたんだい小岩井さん?」


「不知火くんは文化祭誰と回るの〜?」


思っても見なかった質問だった。


看板製作の仲間として関わり始めてから今まで僕と小岩井さんの二人で他愛のない会話をした記憶がなかったのだ。


「僕か、あんまり考えてなかったなぁ。恐らく今年は妹と一緒に回ることになるんじゃあないかとは思っているんだけれどもね」


「じゃあ一緒に回ろ〜」


いつもと変わらない小岩井さんを象徴するかのようなのんびりとした言い方で、そんな穏やかで優しい言い方で。


「一緒にって僕とかい?」


「うん、そうだよ〜」


ああなんだ、看板製作を共にした誼みで僕を誘っているのか。


ならばと


「じゃあ、桐生くんは僕から誘おうか」


「ん〜ん、違うの。私二人で周りたいの」


文化祭まであと五日だ。


文化祭まで差し迫った状況だ。


「不知火くん、あのね」


だからいつもの放課後とは違う、クラスメイトたちの活気が溢れているこの教室で。


どうしてこうも喧騒から逃れたように彼女の声がはっきり聞こえるのだろうか。


「私、不知火くんのこと好きなんだぁ」


いつものように間延びしたような口調でそう告げた。


潤んだ瞳、いつもと異なる口調、震えている指先。


そのどれもが彼女の緊張を僕に伝えるには十分なものだった。


いつも僕に付き纏うあの疑問が喉から這いずり出そうになるがそれよりも先に僕は伝えなければならないことがある。


僕の口はそれを一番よくわかっていた。


「ごめん。小岩井さん、僕にはそれができない、交際をしている女性がいるんだ。だから、ごめんなさい」


「…。そうなんだ〜。あはは、ごめんねぇ、ちょっとトイレに行ってくるね」


反射的に僕も立ち上がり付いていこうとするが他でもない僕自身が地面に足を縫い付けている。


彼女が用を足しにこの場を去ったわけではないということぐらい、さすがに僕でも分かる。


追う資格なんてないのに、付いて行ったってなにもできやしないのに。


許しを乞うてしまいたい。僕なんかを好きになってくれてありがとう。僕なんかが想いを断ってごめん。


あぁ、華はいったいどうやって彼らの想いを受け止めていたのだろうか。


この背負いきれない想いを。



ーーーーーーーーー

ーーーーーーー

ーーーーー

ーーー


「なんでかなぁ、ふふ、あはは、なんでかなぁ」


目を覚ますと後頭部に激しい痛み、脳が揺れる感覚、血脈が流れる鼓動を強く感じる。


吐き気もする。心も痛い。心身ともに衰弱しきっている。


自分が今どういう状況に陥ってるのかすら把握していない。


最早、夢か現実かも定かではなかった。


「あ、やっと目を覚ましたんだね、奏波」



(そうだ、私は不知火くんにフラれたんだ)


「ねぇ…知ってた?社会科教室って鍵は開きっぱなしだし放課後は全然人こないんだよ。告白に御誂え向きな場所だからよく呼ばれるんだぁ、ここ。アハッ、御誂え向きだなんて難しい言葉、遍の言葉遣いが移っちゃったかなぁ」


にわかには信じがたい様子のおかしい親友の姿も、今ここが現実であること認識することを難しくしていた。


夢を、悪夢を見ているのではないか。


そう思ってしまう。


「ねぇ奏波?なんで遍を好きになったのかな?ありえないよね?だって私と遍は運命の赤い糸で結ばれているんだもの。他人共が入る余地なんてない、そうよね?お姫様と王子様、二人は末永く愛し合いましたとさめでたしめでたし、物語はそこで終わるの、それ以上先に登場人物なんていらないし、増してやそれを邪魔するなんてありえないの。…まぁそれに関してはあなただけに限った話ではないんだけどね」


「文化祭かなんだか知らないけど浮かれた奴らが…いえ、そもそも登場なんてあってはいけない奴らが一人また一人と私に告白してくるのよ。私はもうすでに一人に愛を、人生を 、全てを!…捧げると誓った身なのに、その誓いをあいつらは破ろうとやってくるのよ?そうね、少し前までは煩わしいとくらいにしか思わなかったけれども今ではもう憎しみとも言える感情が湧いてくるのよ。腑が煮えくり返るとはよく言ったものね、今にも底から溢れる憎悪で内臓が爛れそうよ」


「遍がダメって言うから我慢してたけど…。…まだ私に来る分にはいいや…いいけどさ!!!遍にまで幸せをぶち壊す悪魔が忍び寄って来るのなら、あはは、もう我慢の限界だよ!!!!おかしいよ、おかしいよね?なんでわざわざ私達の愛を隠さないといけないのよ!!!」


遍といえば、確か想いを寄せた男子生徒の名がそれだった。


「じゃあ…」


「ん?」


「じゃあ不知火くんが言ってた恋人って…」


「そうよ?私よ、他に誰がいるのよ。いるわけがないでしょ。私と不知火遍は出会うべくしてこの世に生を授かって17年という時の障害を越えてやっと出会った真実の愛を誓い合う運命の恋人なんだから」


「そんな…私知ってたらちゃんと引いてたのに…」


こんな想いにならなかったのに。


同時にそう思う。


「だから言ってるじゃない、遍に口止めされているのよ。まぁ良き妻としては夫の望みをなんでも叶えてあげたいと思うけど、どうしたものかしら」


不知火くんはどうして交際を隠したがったんだろう。


いくつもわからない疑問が浮かんでくる。


しかしそのひとつひとつを解決する間も与えないように親友は続けた。


「ねぇ…奏波。あなた一体幾つの罪を犯したか自分で分かってる?」


「つ…み?」


いつもと違う様子の友人はいつもと変わらない笑みを浮かべる。


「遍と目を合わせた回数117回、遍と会話をした回数52回、遍に触れた回数12回、遍に告白した回数1回。これがあなたの罪の数よ、奏波。人はね、罪の数だけ罰を受けなきゃいけないの。だからね…」


歪なのにどこか美しさを感じるその笑みを浮かべる彼女は


「頑張ってね、かなみ?」


私には悪魔に見えた。

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