お姉ちゃんの二度目の死 5

 遅刻のことは、寝坊を理由にした。いまとなっては、わざわざ取り繕う必要もないように思えたからだ。


 一時限目の先生に珍しいと言われ、なんだか可笑おかしくて、思わず鼻でわらってしまった。人生初のことだった。その後に呼び出され、態度のことでひどく怒られた。


幽月ゆづき、お前今日どうしたんだ? もしかして、なにかあったのか?」


「……知るか、バカ」


「まさか、お姉さんのことか? たしかに悲しいことだろうが、もう二年くらい経つだろう。いい加減、乗り越えないと」


「……うるさいな。そんなんじゃないし」


 自分でも驚くほど、わたしはおのずと口答えをしていた。そうしてその後に言い返され無神経なことさえ言われたが、たとえどのように怒られても、あの人につけられた心の傷のほうがよほど痛かった。


 それでも結局、途中で色々面倒くさい気持ちになってきて、とりあえず反省するフリをして開放してもらった。


 教室へと戻ると、クラスメイトたちの視線が痛かった。みんな、わたしの態度の変化に困惑している。


 一瞬だけ気圧けおされながらも、知らないふりをして自分の席に座る。


 もう優等生のわたしはいない。二度と戻れそうにもない。わたしのなかのお姉ちゃんは本当に死んでしまって、そうする意味がなくなってしまったから。


 静まりかえる空気のなか、それを無視するようにさっとわたしの机の前に現れるやつがいた。


 目の前のスポーツ刈りの男子は、下卑げひた顔でいてきた。


「どうしたリンリン、生理か?」


「…………」


「おい、どうなん?」


「……死ねサル」


 なんとなくムカついて、そいつの股間を思い切り蹴り上げる。デリカシーが死んだ口の男子は前の椅子の背もたれに後頭部をぶつけた。


 目の前の男子はわたしを見て、信じられないという風の顔をしていた。


 わたしがこんなことしないとでも思っていたのだろうか。そうナメきって話しかけてきたのなら、こうして急所を蹴ってやった甲斐かいがあると思う。これにりて、このまま二度としないでほしい。


 先ほどのそれで、わたしに優等生を期待していた不特定多数の夢を壊してしまったのかもしれない。そう思うとまたおかしくなってきて、こらえきれずふき出してしまった。


 口を押さえてけらけらと笑うわたしから、みんなが腫れ物を見るように離れていく。正直、どうでもよかった。


 いま目の前にあるなにもかもすべて、どうでもよくなっていた。




 その後の授業は特に聞いていなかった。


 どうにもやる気がしなくて、ただ時間を浪費しているようにしか思えなかった。あのまま学校サボればよかったなと思いながら、わたしはノートのまっさらなページに一切手をつけることなく授業を終えた。


 昼休みになる。いつもの癖で財布を出してはみたものの、購買こうばいに行くのがいつも以上にめんどくさかった。しかしそれでもお腹は空くため、仕方なくポケットに財布を入れて立ち上がる。


 席と席の間をだらだらと歩いていく途中、手の甲になにかが当たって落ちた。


「あっ、ごめ……」


 言いかけて、口をつぐむ。


 いい子ぶるな。お前のなかのあの人はもう死んだんだ。なんでこんなやつに謝らなきゃいけないんだ。


 そんな思いがわたしのなかで擦過さっかする。


 立ったまま、落ちて開いたノートをちらりと見る。すぐにそれが、どの授業の内容ともまったく違うものだと気づいた。


〈いないはずの猫の声が聞こえる化け猫道〉


〈聴くだけで死に至る呪いの音源〉


〈真夜中の中学校に現れるおぞましい立体の影〉


 それぞれの項目の詳細しょうさいを読もうとしたところで、横からノートがかすめ取られる。肩あたりの髪に銀縁眼鏡のその子は、すぐにノートをパタンと閉じて組んだ腕の中に隠す。彼女は顔を赤らめて、わたしを警戒していた。


 ノートの表紙には、「怪異調査ノート」と丸めの字で書かれている。


 いつものわたしならそこまで関わることのなかったような、日陰者ひかげものという感じの子。実際、彼女とはまだ一回話したきりだった気がする。


「なにそれ?」


「…………」


 その問いに対して、相手はただこちらを鋭く見つめて、息を飲むだけだった。


 まあ、当然だろう。そういうのは覚悟していたはずだ。


 それでも、そこまで露骨にそういう反応を取られると、ちょっとだけ寂しくなる。


「別に、笑いはしないよ」


「今朝のあれを見て、信用できると?」


「……信用してよ」


 驚くほど情けない声が漏れて、思わず口元を右手で押さえる。自分の隠していたものが晒されたようで、なんだか恥ずかしい。


 しかし、なぜわざわざそんな変なものを調べるのだろうか。やっぱり、思春期特有の奇行に走りたがる傾向みたいなものだろうか。


厨二病ちゅうにびょうではないです」


「まだなにも言ってないけど」


「そういう顔、してました」


「ごめん……」


 信用してと言った手前、本当に申し訳なくなって萎縮いしゅくする。


 その時、彼女は少しだけ表情を崩してくすっと笑った。


 その様子がいつか憧れた人の姿が重なって、いきなり目が離せなくなる。


「私、映画監督になりたいんです」


「……映画監督?」


「それで、カメラ撮る練習しようと思ってて。せっかくなら、なんかすごいもの撮りたいなと」


 そう語る彼女は、どこか楽しそうだった。


 それからわたしは、彼女との話を打ち切りたくはなくて、彼女の机に手を掛ける。


「撮ってどうするの?」


「いや別に……ただ、あくまで練習だから……」


「ネットに上げたりとかは?」


「し、しないよ! Wartuberやるんじゃないんだから……」


「ウォーチューバー……いいんじゃない、それ? 面白そう」


 いつもの癖で、適当に言う。


 われながら軽薄けいはくなやつだと思ったが、そんなことをおくびに出してもしょうがないと飲み込んだ。


「いやいやいや、いくらなんでもそれはナメすぎだよ……だいたい、本当に出るかどうかも分からないものでWartuberって……」


 手をぶんぶんあおいで遠慮される。そこらへんの事情はよく知らないが、まあ素人考えで口に出して簡単にいくものではないということだろう。


 わたしにも、なにか関われることはないだろうか。


 これっきりの会話で終わりたくなくて、話をつなぐための次の提案を考える。その間に彼女はノートを机にしまって、鞄から弁当を出して言った。


「それより、購買はいいんですか?」


「あっ……」


 いっそ昼抜きにしてやろうかとも思ったけれど、さすがにそれは耐えられそうもない。わたしは急いで教室を出る。


 このまま出るにはあまりに名残惜しくて、教室を出る直前で一度きびすを返す。


 あの人の真似をして良い子ぶっていたあの頃の努力のおかげで、わたしは彼女の名前をちゃんと覚えていた。


「それじゃ、また! 瓶井嵐かめいらんさん!」


「え、あ、うん……また……」


 小さく手を振ってそう言うと、瓶井さんも遠慮がちに手を振り返してくれた。ただそれだけで、なんだか今日一番で嬉しかった。


 廊下を走って、階段を駆け下りて、急いで購買へと向かう。


 いつの間にか口元に笑みが浮かんでいて、胸の内を暖かく感じていた。

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