第八話 見習い神子

 あれから仙狐様に巫女服の着方を教えてもらい、無事に裸体状態から脱することが出来た。巫女服なんて着たことないから歩きにくかったりと不便さはあるが、まあこの辺りは慣れればなんとかなるだろう。


 そして、今は少し遅めのお昼ご飯を食べようとしている。


「わしが絶品料理を作っちょるぞ!」


 仙狐様はそう言って、自信満々になりながら家のダイニングで何かを作っていた。途中きつねうどんのような匂いが漂ってきた。だから僕は、きっときつねうどんを作っているんだなーと思った。


 そしてしばらくし、僕の前にある座敷机に仙狐様が大きめのお椀を置いた。その中に入っているものからは湯気が出ており、かなり熱い料理なのだとわかる。

 そのお椀の中には何があるのかと覗き込む。そして、そこに入っていたのは……、


「……あの、これは?」

「わし特製の油揚げ特盛うどんじゃ。うどんは市場で買ってきたものを使っておる。あ、それとも出汁だしの成分の方が気になっとるのか?」

「いや、えっと……そこじゃあないんです」

「うむ?」


 話を聞く限りではただのきつねうどんだ。しかし、実際に見てみると明らかにおかしい所がある。

 それはきつね──つまり油揚げの数だ。僕が知るきつねうどんに入る油揚げの枚数は少なくて半分、多くて二枚だ。しかしこの、仙狐様特性油揚げ特盛うどんに入っている油揚げの枚数ははっきり言って数え切れない。


 いやだって、油揚げが多すぎて下の麺とか出汁とかが全く見えない。油揚げ以外で伝わってくるのは出汁の熱さだけだ。

 狐は油揚げが好物だとよく聞くが、少なくとも、元人間の僕からしたらここまで好物だとは思わない。それに、実際の狐は特別油揚げが好物という訳でもない。


 では何んで仙狐様はここまで油揚げが好物なのか。それは恐らく、仙狐様が単に好きなだけだろう。とても単純な答えだ。


「ほれどうした。はよ食わんと下の麺が伸びるぞ?」

「目視できないですけどね」


 しかし、折角時間を消費してまで作ってくれたきつねうどんだ。食べなければ失礼極まりない。それに、僕自身もあの日の夜以降に何も食べていないのでかなりお腹減っている。

 一体、あの日から何日が経過しているんだろうか。昨日か、いやもしかしたら一昨日かそれ以上かもしれない。

 まあそんなことは後で考えるとして、早くこのきつねうどんを食べるとしよう。


 僕はうどんのお椀付近に置かれた箸を持ち、まずはこの大量の油揚げをどうにかしようと油揚げを一枚摘む。そして、口の中を火傷しないように息を吹きかけてからひとかじりする。


「…………!?」


 その瞬間、口の中に食べたことのない程の美味しさが広がった。


 僕には好物と言える程の料理はない。だがそれでも、美味しいものは少なからず食べているつもりだった。

 だがしかし、この油揚げはなんだ。もう一度言うけど、今までに食べたことの無い美味しさがある。それも、僕が知っている油揚げの味ではない。いや、全体的な食感と味は一緒だ。だが、今食べた油揚げにはそれとはまた違う、言えば油揚げの奥底に眠っていた美味さがあった。


 ──なんだこれ、美味しすぎる。


「そんなに美味かったか。いつも客にそれを出すと引きつったような表情をしながら食いおるんじゃが、おぬしのその顔は本当の意味で美味さを感じている顔じゃ」

「なんですかこれ。食べた瞬間に電撃が走ったように一気に美味しさが伝わってきました……」

「まあ、ゆっくり食え。その方がよりその美味さを味わえるからの」


 知ってはいけないことを知ってしまったような気分だ。


 僕はそのとにかく美味しい油揚げをどんどん食べていく。少し落ち着こうと箸を止めるが、五秒もしないうちに食べたい欲が爆発し再び食べ始める。それ程に病みつきになる美味さだ。


 そしてある程度油揚げがなくなった頃に麺の存在を思い出し、数枚だけ油揚げを残して麺を食べた。麺を食べ終えた後に出汁を飲み干し、最後に残しておいた油揚げを食べた。


「……幸せ……」


 初めてこんな気持ちになった。初めてここまで食事というものに感謝した。

 そして、同時に涙が流れてきた。最近の食事は全て嫌がらせなどによる食欲低下から、全くと言っていいほど美味しく感じなかった。それ以前も、食事なんて楽しみにする価値もないと思っていた。


「……ご馳走……様でした……」

「泣くほど美味いのじゃな。わしは嬉しいぞ」


 無事に完食する。いや、こんなにも美味な料理を完食しないなんて勿体ない。


 ところで、何で今までは特に好きでもなかった油揚げがここまで美味しく感じたのか。やはりこの姿になったことが関係しているのだろうか。


「何故ここまで美味しく感じたのか、なんて考えておるじゃろ」

「そりゃ……そうですよ。一体何を入れたんですか?」

「何も入れておらん。ごく普通の油揚げじゃよ」

「嘘つかないでください」

「んー、やっぱり話さないとわからんか」

「……?」

「その味覚やらのことじゃ」


 仙狐様がその事を知っているということは、やはりこの姿と何か関係があるのだろう。それと、今の僕の姿が仙狐様そっくりな点もできれば説明して欲しいところだ。


「簡単に説明するとじゃな……」

「はい」

「おぬしのモデルはわしじゃ」

「はい」

「つまり、わしの好物はおぬしも好物ということじゃ。元からおぬしの好物だったものはそのままじゃがの」

「……仙狐様よりも胸が大きいのは?」

「誤差じゃ」

「あ、そうですか」


 つまり、この姿のモデルは仙狐様だから仙狐様が好きな物は自然と僕も好きになるということらしい。少し例外もあるらしいが、それは僕自身が仙狐様ではないからだろう。あくまでモデル、双子に近い存在ということだ。


「それじゃあぬしの腹も膨れたことじゃし、改めて説明していくかの」


 仙狐様が僕が食べ終えて空になったお椀をシンクに置くと、そんなことを言いながら座敷机に再び座る。


「まず、儀式は成功。無事にぬしも神子になったということじゃ」

「とは言いますが、神子って一体何をするんですか? 仕事を手伝うと言ってどんな仕事なのかわかりませんし」

「当然じゃ。何も言っとらんからな」

「やっぱり仙狐様の世話とかでしょうか?」

「それもあるが、基本的には森の見回りにあやかしの退治じゃな」

「妖?」


 妖と言えば、よくテレビアニメなどでは化け物として表されている。仙狐様の言う妖と同じものなのだろうか。

 もしそうだとしたら、今のままでは無事死亡ルート確定だ。魔法は出来たとしてもあくまでコントロールだけ。それを攻撃魔法として派生するというのはまだしていない。


「妖は人間の悪性──つまり負の感情から生まれる化け物のことじゃ」

「……負の感情って、僕から出てませんでした?」

「それがの、何故か出ておらんかった。まあ、今も尚壊れかけているそのココロが原因じゃとは思うが」

「……その妖って、やっぱり強かったりします?」

「場合による、としか言えん。じゃが、生半端な覚悟で挑めば食われるぞ。それに、まだおぬしは弱い」

「………」


 確かに弱い。それも自分と同じだった人間に武力で負けるくらいに。人間に負けるのならば、単純な力では人間よりも遥かに強い妖に勝てるわけがない。


「だから、おぬしがある程度力をつけるまでは見回りだけでよい。それとわしの世話」

「魔法とか、その他色々教えてくれますか?」

「勿論そのつもりじゃ。その方が独学よりも早く力をつけられるからの」


 そう言うと、仙狐様は立ち上がり部屋を出ようとする。何か飲み物でも取りに行くのだろうか。


「何をしとる。おぬしも来い」

「え?」

「これ以上説明することはないんじゃ。だから、今からこの家の庭で魔法やら色々と教えてやる」

「庭って、そんなものは見かけませんでしたけど……」

「階段を上がってすぐに広いところがあったじゃろ」

「……あそこですか?」

「そうじゃ」

「流石に広すぎませんか?」


 仙狐様が言う庭とは、この家の周り一帯のことだ。

 この家の位置や階段の鳥居など、仙狐様が住むこの場所はどことなく神社に似ている。もしも家の前にお賽銭箱でもあれば、ここが神社だと言っても違和感はないくらいに。


 そしてその庭の広さをわかりやすく言うと、本殿以外に何も無いのに無駄に敷地が広い神社と言ったところだ。それも、本気になれば少し小さめの村を作れるんじゃないかと思う程の広さだ。


「ほれ、さっさと来んか」

「あ、はい」


 部屋から出て行く仙狐様に続いて僕も部屋から出ようとする。しかし、部屋から出ようとしたところで部屋の中に飾ってあった刀を見て僕は動きを止めた。

 何んでだかわからないが気になった。僕自身の男心が動きを止めたのか、それともまた別の理由で止たのか。


「おーい」

「……仙狐様、あの刀は?」


 質問したところで特に意味が無いとわかっていた。しかし、僕は知らず知らずのうちに仙狐様に質問していた。


「あの刀か。あれに目を奪われるとは、おぬしも中々わかっとるの」

「……?」

「あの刀は妖刀じゃ」

「妖刀!?」


 妖刀といえば、有名なものを挙げれば村正だ。その切れ味の良さと持ち主と周辺の人々に災いをもたらしたり、人を殺すまで止まらないと様々な説が有名な刀だ。

 それと同じ名を持つということは、かなりの業物なのだろう。


「いや、紛らわしいかもしれんが、『妖刀』というのが名前なだけで、使ったものに災いが降り注ぐなんてことは起きん」

「………」


 一瞬期待した僕の気持ちを返して欲しい。


「そうじゃ。おぬしあれを使ってみんか?」

「あれって、あの刀をですか?」

「それ以外に何があるというんじゃ」

「……でも、僕が扱えるとは到底思えません」


 だがしかし、男性ならともかく今の僕は女性だ。筋力もスタミナも男性の時よりかなり衰えている。それに、元々運動なんてあまりしなかった僕だ。走り始めて十秒もしないうちに息を切らすだろう。

 そんな僕が刀を使うと考えると、降っただけで体が持っていかれるイメージしか出来ない。


「物は試しじゃ」


 そう言って、仙狐様は部屋に飾ってあった妖刀を両手で重そうに持ちながら、家の玄関から外に出た。


 仙狐様であれだけ重そうに運んでいるのだから、僕も最低あれくらいの重さは感じるはずだ。物は試しと言っても、どうせ僕なんかが扱えるわけがない。そもそも持つこと自体に問題がありそうなのに。

 まあ元々接近戦が体力的にも苦手なんだ。だからこそ、とりあえず魔法の練習は頑張ろう。


 そして僕は、仙狐様に続いて玄関から家の外に出た。

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