くすんだのはいつなのか

 まだ私が小さかった頃の話。母の実家の近くでは、毎年四月にフリーマーケットが開かれていた。その品揃えは(当然ながら)ピンキリで、ポケモンのぬいぐるみ(プラスル、ヒトカゲ、ダークライ)からセシルマクビーのポーチ(500円)まであった(と記憶している)。本やアクセサリーといった普通のものもあったが、それらには全く興味を示せなかった。その時はとても輝いていた品々が徐々に色褪せていったのはいつだろう。日々ブックオフに通っているからというのもあるのかもしれない。

 ところ変わって現在。地元の神社では、骨董市が開かれていた。英語の本や、昔のおもちゃ(ヤッターマンのやつ?)、大半がしっかりしたものだったが、中にはガラクタとしか思えないようなおもちゃもあった。

 雨が降り始めていたというのもあるだろうが、ガラクタ同然のおもちゃ以外はくすんで見えていた。目当てのものがないのもあるだろう。私達は軽くお参りをしてからゲーセンに直行した。

 気のせいだろうか、外に構えられているフリーマーケットよりもブックオフや無印良品の方が今の私にとっては輝かしく見えて仕方ないのだ。関心が向く方向の問題なんだろうか。それとも、私の心が貧しくなったのだろうか。

 他にも、吉祥寺で開かれていたおもちゃ市場が大好きだった。その時に一度だけ「モノホンの」ビスクドールを見たことがある。あの時はお金がなくて、人形が買えなかったが今は買えない訳ではなくなった。だが、どこにあるのか分からないまま。他にもおもちゃ市場には面白いものが沢山あった(が、稀に思わずこちらが苦笑いしたくなるものもあった)。

 秋葉原や中野にあるショーケースとやらも、広義におけるフリーマーケットの一種だが、ぱっと見買いづらい。綺麗に並びすぎているせいだろうか。それでも、目当てのものが見つかった時はどんな形であっても嬉しいものだ。私は目当てのものを見つけることには自信があるから、比較的すぐに見つけられる(気づかずに通り過ぎかけたこともある)。まあ、途中で掘り出し物が見つかるとそっちへ行ってしまう時もあるが。

 結局、歳や環境が変わると自然にくすんでいってしまうのだろう。悲しいことに、この現象は一生ものである。だが、心の奥にある記憶はパステル調の色をして私を迎えてくれる。だから、決して色褪せることはないのだろう。

 世界を知ることは楽しいと同時に寂しいことだ。それでも私は続けてみたいことがあるから。

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