第10話 命日または誕生日

 宮廷に着き、控室で待たされていた時のこと。近衛兵がやって来て、皇帝陛下の前では黒布を取れと命令した。私たちは「パフォーマンスの前には必ず覆面を外します。この覆面も不思議さを演出するための重要な小道具由」と言って、その場を切り抜けた。そして、いよいよ出番が回って来た。控室の扉が開き、皇帝の間に通される。私は不思議と緊張していなかった。ここ数年で最も体が軽いような気すらした。

「演者到着!!」

 目の前の大きな扉が開かれ、玉座まで続く真っ赤な絨毯が視界を埋め尽くした。両脇には貴族が大勢いた。皇帝の隣には皇妃、そして少し下がったところにまだ幼い男児、つまり第二皇子が椅子に座っているのが見えた。キラキラと輝く勲章をたくさん身につけている。そう、今宵は第二皇子の六歳の誕生日祝賀会である。私は貴族の中に懐かしい顔が二つあることに気がついた。養父母である。彼らは覆面のためにまだ私の存在には気がついていなかった。「そこで止まれ」と言われ、その言葉のままに止まって膝を折った。

「歌を歌うのはどの者か?と皇帝陛下は聞いておられる」

 皇帝の側にいる男が、皇帝から囁かれた言葉を代弁している。

「この者です」

 ベルを支えながら、レオンハルトが立った。

「この者は歌は歌えるのですが、話すことができません。それゆえ、私が話すことをお許しいただきたい」

「許す、と皇帝陛下は仰せになった」 

「は、ありがたきお言葉。して、何か御所望の歌はございますか?」

「『遠き日々』を皇帝陛下は御所望だ」

 その曲名に一瞬、レオンハルトの肩がびくりと動いた。私も非常に驚いた。レオンハルトの予想が的中したからだ。この『遠き日々』という曲は皇妃が最も好きな曲で、よく口遊んでいたらしい。

「わかりました。では、ベル。遠き日々をお願いします」

 ベルは小さく頷くと、歌い始めた。しかし、覆面を外さずに歌い始めたため、近衛兵たちが「話が違う」とざわつきだした。そこで、一度皇帝が制止の合図を出し、辺りは静まりかえった。

「今、純粋なる美しい調べを聞いている最中に口を開いた者はどの者か。名乗りを挙げよ。この場で処刑する、と皇帝陛下は仰せです」

 誰も名乗りを挙げる者はいなかった。

「そうか、次このようなことがあれば容赦無く処刑する。良いな?そこの歌手よ、自由に歌いなさいと皇帝陛下は仰せです」

「御心のままに」

 レオンハルトが応え終えると、ベルは再び冒頭から歌い始めた。恋焦がれる恋人が題材の曲だ。最終的に生き別れた恋人が、天国で再会することを願う歌である。ベルは全身を用いて、その曲を表現していた。勢いづいて、段々と玉座へ迫っていく。声量と表現力、そして彼女の魂を削るような歌声に誰しもが酔いしれた。本来であれば不敬に当たるその行為ですらも許されるほどに陶酔していたのだ。彼女が歌い終えると、辺りを静謐が支配した。そして、数秒遅れて割れんばかりの拍手と歓声が巻き起こった。ベルは玉座までの階段半ばに立っていたが、その場で深々とお辞儀した。それに対してさらに大きな拍手が送られる。レオンハルトと私は互いを黒布から見つめ合い、頷くとベルの場所まで一歩一歩近づいていった。まるで、彼女を階段から元の場所へ戻すかのように振る舞って。周囲は誰も私たちは疑っていなかった。あと五段、三段、一段……ベルと同じ位置に立った。そして、控室に入る前に取り上げられた剣とは別の隠しナイフを背から取り出し、一気に階段を駆け上がった。すべてがスローモーションに見えた。異変に気がついた近衛兵が皇帝を守ろうと左右から押し寄せる。皇帝も立ち上がり、自らの剣を引き抜こうとした。だが、時既に遅し。私はその頃には既に皇帝の間合いに入っていた。きらりと鈍く輝くナイフ。そして、それが皇帝の首筋に刺さった。鮮血が辺りを染めた。一瞬、私の脳裏に「死んで生きよ」という言葉が過ぎった。だが、それは一瞬のことですぐに近衛兵たちは固まっている姿に意識が持っていかれた。主人がたった今、目の前で殺害された事実が受け入れられないようだった。遅れて貴族たちの悲鳴が聞こえ、入り口付近の扉にどっと逃げ惑う人々が押し寄せた。第二皇子は椅子に座ったまま、ガタガタと震えていた。皇妃は目を瞑り、覚悟を決めた様子だった。レオンハルトはベルの肩を抱きながら「動くな!!」と声高に叫んだ。そして、覆面を勢いよく取り、彼の顔を認めた人々は驚きにたじろいだ。

「私は第一皇子、レオンハルト・デュ・セントリアである。これより、支配権は私に移った。皆の者、平伏せよ」

 その堂々たる言葉に、扉に押し寄せていた人々は次々とレオンハルトの方を向いて膝を折った。近衛兵も渋々といった形で首を垂れた。

「此度の最大の功労者レ……」

「やめてくれ!!」

 私は気がつくと叫んでいた。レオンハルトは心配そうに私を見つめた。だが、私は彼を黒布越しから乱心したわけではないことを訴えた。

「これは……第一王子のためであると同時に私自身のためでもあった……皇帝によって二度も死ぬ運命を辿ることになった男が、生を勝ち取るために行った行為だ。私は『最大の功労者』という名を汚す。失礼」

 私はそうして静まり返る広間を後にした。布越しに養父母が涙を浮かべているのを目にした瞬間、私は生まれ変わるのを感じた。まさに、私はこの日、三度目の死を迎え、生を勝ち取ったのだ。「死んで生きよ」。師匠の言葉の意味がようやく分かった。また、それと同時に忘れかけていた言葉が浮かんできた。「決して、違えるな。目標と目的は違う。お前のその胸のうちにあるものは人生の目標であり、目的であってはならん。」

 これの意味もようやく分かった。復讐だけでは人生の目的にはなり得ない。復讐を終えた後も人生は続いていく。そういうことだったのか、と復讐を終えた今、納得した。皇帝に傾倒していた数十名の追手が私の後を追って来たが、全て返り討ちにした。三年間の修行は伊達ではなかった。

 

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