第25話 3日目...7
「やーやー、お疲れさま」
ニコルが伸びをしながら軽い足取りで工場の裏手まで回ってきた。一目で状況を理解して微笑むと、亮司とクローニンが立ちつくすなかクラッチの死体に近づこうとする。
「そのおっさんに触るな」
亮司は握り固めていた拳を開いて、横を素通りしようとしたニコルの肩を掴んだ。彼女はそれを予想していたようにすぐに振り返って亮司の方へ距離を詰める。
「殺されそうになったのに? それに、このひと嘘つきだよ?」
不意に近づいてくる顔に亮司は思わず後ずさった。「そういう、ゲームだろ」
「そうだね、そういうゲームだもんね」ニコルは両手を後ろで組んで、得意げな顔で亮司を見上げる。「はい、ここでひとつお知らせがあります」
亮司は追突事故の衝撃に備える気分で息を吸った。「なんだよ?」
「たったいま、私たちのチームを解散しました。これがどういう意味か分かる人は挙手をお願いしまーす」
頭痛がする。亮司は両手で頭を抱えてこめかみを押しつぶすように揉んだ。
「リョージくんはさ、このゲームがどうやって終わるか知ってる? もちろん知ってるよね?」
ナビゲーターの説明──参加者全員が勝利条件を満たしたその日の交戦時間の終わりをもってゲーム終了。最後のひとりだった自分が条件をクリアしたいま、今日のPM08:00でこのふざけた集まりは解散になる。
こいつの言いたいことはこうだ。ゲームはまだ続いている。
「なんで即座に終わりにしないのかっていうと、多分、高みの見物をしてる人たちは、強制されない状態でプレイヤーがどう出るか見たいんじゃないかなあ。欲の皮の突っ張った人たちはこの時間中に頑張って自分の取り分増やすんだろうし、何か因縁ができた人たちはそれを解消するために奔走するって感じ? だからさ、折角お膳立てされたんだし──」
私たちも初日の続きをしようよ、とニコルが笑う。
初日──あと少しで殺されそうになったところを、この女の気まぐれで命拾いした。あれの続き。意味のない行為であることは理解しつつも亮司は訊いた。
「このまま平和に終わるってのじゃ、駄目なのか?」
「あー、それねー。私もどうしようかなあって考えなくもなかったんだけど、ゲームが終わっても私の刑期は結構残ってるし、多分あと何回かは同じようなことやらなきゃならないと思うんだよね。そうなるとリョージくんにはしばらく会えないし、もしかすると、もう二度と会えなくなる可能性もあるかもしれないわけだし? そう考えるとこのまま別れるのはナシかなって。私が勝ったらリョージくんの首から上を貰ってもいいよね? 絶対に大事にするから。それと一つ謝りたいことがあるんだけど、いいかな? ほんとはね、リョージくんどこかで裏切るかなってちょっと疑ってて、もしそうなっても目を貰えばいいかなって考えてたんだけど、リョージくんって裏切るどころか危険を顧みずに私のために頑張ってくれて」
「分かった、もういい」
本当にうんざりする。やはり常識的な問いかけなどするだけ無駄だった。首を振る亮司にニコルが言った。
「リョージくんのライフっていまいくつ?」
「その質問に何か意味があるのか?」
「あるよー。いくつ?」
「4000と少し」
チームメンバーから借りて10000を超えるまで購入したライフは三人組に追い回されるうちに半分以下まで減ってしまった。
「じゃあ私も4000にしておくね」
言うが早いか、ニコルは自分の銃を自分に向けて親指でトリガーを引いた。みるみるうちにライフの緑のバーが減っていく。それでも最大値を超過した状態であるためかバーの空白はすぐに埋まる。もう質問するのも億劫だったが口を開かないわけにはいかなかった。
「……なんでだ?」
「えー? だって最初にケチがついた時の状況を考えると対等の立場でいきたいじゃない? ライフ4000同士でよーいドンって感じで始めようか?」
「俺がそれに応じないとは思わないのか? こっそりライフを買えば、そっちには分からない」
「思わないよ。リョージくんなんでもするって言ったし」
「覚えがない」
「言ったって。最初に会ったときに命乞いしながら言ったよ」
亮司はぎくりとなって体をこわばらせた。言われてはっきりと思い出した。床に引き倒され、銃を突き付けられた状態で情けなく命乞いをしたこと。それと、よりにもよってこの女に対して口を滑らせてしまったこと。
「リョージくんは約束を守るよね? あの三人もちゃんと殺してくれたし」
この女の勝手な思い込みを裏切ってやりたくて仕方がなかったが、本当に間の悪いことに、それが出来ない。たった今、これ以上の金は使わないとナビゲーターと約束したばかりだ。すがるような思いで自分の残高を確認してみたが、さっきから1円たりとも振り込まれた様子はない。
ニコルに見つめられる。汗がぬめる。自分とナビゲーターしか知り得ないはずの話を見透かされているような錯覚を覚える。
亮司は言った。「分かった、受けて立つ。ただ、条件をつけたい」
「どんな?」
ニコルが近寄る。亮司は下がって工場の壁に背中をぶつける。
「少し休憩したい。それから、このまま闇雲に戦うと横やりが入るかもしれないから、どこか他のプレイヤーの邪魔が入らない場所がいい」
ニコルが笑って快諾した。「ちょうどいい場所を私が探しておくよ。先に入って何か仕掛けておくとかはしないから安心してね。じゃ、また後で──」
「ちょっと待った」
手を振って走り去ろうとするセーラー服の後ろ姿を亮司は呼び止める。
「なーに?」
「はっきり言っておきたい。俺はな、あんたのことが本当に嫌いだ。世の中が自分の頭の中だけで完結してるところなんて特に。人の目玉を抉り抜いて集めるなんて喜色悪い趣味は最悪だと思ってるし、ちょくちょく俺の目をじっと眺めてくるところなんて──貞操を狙われてる女っていうのはこんな気分なのか? とにかく怖気がする。ところが、俺はあんたのお情けで命拾いしたし、その後についても、こうやって勝ち抜けたのはあんたの的確な判断やら作戦があってこそだと思ってる。つまり、これで貸し借りは無しってことだ」
亮司としては精一杯の悪罵を投げつけたつもりだった。ニコルは動じていないどころか無邪気に笑って姿を消した。別の惑星の生物とのコミュニケーションで精力を使い果たした亮司は、またしても日差しでホットプレートのように熱くなったアスファルトの上にへたり込んだ。
『すいません』
とても謝っているようとは思えない不貞腐れた声でナビゲーターが言った。亮司はそうだな、とも、そうじゃないとも言わなかった。
「はっきり言って足が限界にきてた。この場でいきなり殺しあっても勝算は薄かったし、だから時間を稼ぎたかった。そのために口でうまく丸め込んだんだ」
『プレイヤーの補佐として言いますが、いまの口約束なんか反故にするべきです。どうせこのゲームが終わったら二度と会うことはない相手なんですから』
「俺もそう思う」
だったら裏切るのか? 父を捨てて金を持ち逃げした母親のように? それが気に食わなくてここにやってきたのに? ニコル・ユアンは理解の及ばない狂人だが──自分は何のために金を必要としているのか──重要なのはそこだ。
尻が熱い。スニーカーで地面を踏んで両手で顔を覆う。「自分がここまで頭が悪いなんて思わなかった」
『残金でまだ1億あります。これで少しでも有利に立ち回れるようにしましょう』
「金が必要なんだろ?」
『誰だってそうでしょ? 多ければ多いほど生活に余裕ができるってものですし』
「いいのか? 本当に?」
たっぷり数秒は押し黙ったあと、ナビゲーターはしおらしい声ですいませんと言った。亮司は髪をかきあげる。汗が散ってアスファルトの黒い点になる。
「……謝るくらいならそっちの身の上話を聞かせてくれ。俺だけ知られてるのは不公平だ」
『別に大して珍しい話じゃないですよ。ちょっと厄介な病気で、臓器の移植手術が必要なんです。それで大金が手に入るからって秘密厳守を条件にこの仕事に誘われて──何回かゲームにナビとして参加したんですけど、うまくいかなかったってだけです』
ナビゲーターがつらつらと語る。妙に納得がいった──要は自分と同じだ。この女は単に口が悪いだけじゃなく、それに加えて自棄になっていたのだ。
「入院してなくていいのか?」
『別に問題ないですよ。頭を冷やして、何が自分にとってもっとも有益かを考えてください』
「そうする」
ナビゲーターが気ぜわしげな物音を立てながらため息をついた。亮司は悪いとは口にしなかった。本当に悪いと思っているのならそもそもやりはしない。
『……本当に今更ですけど、ついさっき思いついたんで伝えておきます。ミスターのスキルの発動条件の【死亡したプレイヤーのインナーに直接触れる】って部分ですけど、これって別に死体である必要ないんじゃないんですか?』
亮司は少し考えて腰を上げた。日陰で涼みながら今までのやり取りを見物していたクローニンのところへのそのそと歩く。
顔を上げたクローニンは悪びれた様子もなく言った。「うん? なんだよ。そっちの事情だろ? 手伝ってやる気はねーぞ」
亮司は頷いた。「まあ、そういうだろうと思ったよ。別に殺し合いに参加してくれってわけじゃない。それくらいなら、いいだろ?」
******
リョージ・マエシマがチームメイトだった男を殺す。拳を固め、やるせない顔で立ち尽くす。
その表情が琴線に触れる。顔を上気させてモニターを見つめるゼーラの背中を電流にも似た快感が駆け上がる。声を押し殺してデスクを叩き、同意を求めて男どもの顔を交互に見つめる。
ゲームのマネージャ補佐兼研究助手のロベルト・フーバー。空軍を退いて暇を持て余していたところをボディーガードとして雇ったジェフリー・クラーク。柔弱なインテリと見た目通りの硬骨漢という正反対の二人は、どちらも神妙な顔つきでモニタに映る相手に共感を示している。その様がたまらなくゼーラをくすぐる。
「おいおいおいおい、どうだ? 私の見る目は正しかっただろ!? いやー、眼福だな! これを拝めるなら20万ドルなんて安い買いものだった、そうじゃないか?」
感情を表に出すのを恥だとでも思っているように男たちは曖昧な表情で、頷いたようにも、首を横に振ったようにも見える仕草をとった。
「ふふん、まあいい。私はいま気分がいいからな。さて後は消化試合といったところだが──」
モニタの画面内にニコル・ユアンがやってくる。心身ともにくたびれきったという様子のリョージにひとつの提案をする。
≪初日の続きをしようよ≫
馬鹿げた提案──常識的に考えて受けるメリットなど無い。ゼーラは息を呑んで期待に胸を膨らませる。
≪分かった、受けて立つ。ただ、条件をつけたい≫
「あああああああああああああ!! すげええええええええええ!! こいつ承諾しやがったあああああああああ!!!」ゼーラが口元を隠して声を潜める。「いや、もしかしたら、もしかしたらとは思ってたけど、ほんとに受けるか? いや、すごい……すごいぞこれ、ちょっと尊敬の念が沸いてきちゃったぞ。現実にこんなことが起こるって──いやー、すごい、語彙が死にそう」
クラークがわざとらしい咳払いをして窘めるように言った。
「博士、お言葉ですが、彼の選択は理解できるものです。ひとかどの男は誰しもこういった矜持を持っているものでして──」
ゼーラの顔から表情が抜け落ちて床の上に散らばる。「えっ、何を言ってるんだ? リョージくんは素人だからいいが、きみはプロだろ? 流石に同じことをやられたら引くわ」
「あくまで理解できる、という話です。もちろん、同じ状況になったとしても私はやるべきことを優先します」
「ふーん」
すっかり気がそがれたゼーラは椅子に座って限界まで背もたれを軋ませた。
「まあいいや。はー、すっかりテンションが元に戻ってしまった。ああ、喉が乾いたからソーダ水を持ってきてくれ。レモンがいい」
「かしこまりました」
クラークは一礼して隣室の給湯室へ。冷蔵庫に入っていたレモン6つを全部取り出し、その果汁を最後の一滴まで搾り上げてタンブラーにぶち込んだ。
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