第20話 3日目...2

 食事を終えた亮司たちは念を入れて正門からではなく1階の客室の窓からホテルを抜け出した。庭園を横切り、植え込みのカレックスをまたいで敷地外へと出る。


「それで──」横に目を向けるとニコルがセーラー服のスカートをまくり上げて内股についた虫をつまみ上げていた。亮司は顔をしかめて視線を外す。「これからどうする?」

「えー? 今日も考えてない。どうしよっか。とりあえず食べ物は今日も集める必要があるけど、追いかけ回されながらやるのは面倒くさいなー」


 ニコルが背後を振り返る。監視者は追ってきている、ということなのだろう。


「あ、ねえ、あれって動かせる?」


 ホテルを取り囲む楕円状の道路の脇にバンが乗り捨てられていた。訊かれたクローニンが大仰に首を振ってみせる。


「おいおい、テロリストが全員トヨタに詳しいなんて思うなよ? 偏見ってやつだぜ」クローニンがバンの周りをうろつきながら窓越しに車内を何度ものぞき込む。

「何をやってるんだ?」亮司が言った。

「罠がないかとおもってね」


 クローニンがドアハンドルを引っ張っると、あっさりと運転席側のドアが開いた。バンには鍵が掛かっていなかった。空き家を見つけた泥棒のような手際の良さでクローニンが車内をくまなく漁る。ライトの点灯具合をみたあと運転席にあるレバーを引いてボンネットを上げる。その際、赤錆の欠片が飛んだのが遠目にも見えた。


「バッテリーが上がってるようだが、さっきのホテルの電気を使えば充電できるな」クローニンが給油口の蓋を開けてキャップを外して臭いを嗅ぐ。「ただ、燃料がほんの僅かだ。もし動かせたとしても10分走れるかどうか怪しいね」

「なに、ガソリンが残ってるのか?」


 亮司が意外だという声を上げると。クローニンは外したガソリンタンクのキャップを戻しながら付け加えた。


「ああ。だが、ほんのちょっとさ。何か悪さができるような量じゃない」


 クローニンの口ぶり──似たようなことは考えたというわけだ。それでも亮司は念のためにナビゲーターに文字で確認を行った。


≪このゲームにおいて禁止とされる行為は?≫


 反応は即座に返ってくる。


『ゲームのエリア外への脱出。それとインターバル中に他プレイヤーに対して危害を加えることです』

≪それだけか?≫

『明確に禁止されているのはこれだけです』


 つまり、これは運営の見落としではない──亮司はこの思い付きをそう解釈した。自分が気付くようなことを、もっと頭のいい他の連中が気付かないはずがない。何か有効活用できないかと考えてみたが、そういえば、いまのところ電気と水道だけしか動いているインフラを確認できていなかった。ホテルの調理器具も電気コンロのみだった。


「なあ、ちょっといいか」クラッチが手を上げた。「SNSなんだが、情報に金を出すと言ったのと同じIDから新しい発言があった。どういうわけか誰でもいいから殺してその画像をアップロードすれば300万ユーロ振り込むとある。この太っ腹な発言のせいで、どうにも他のスレッドでも俺たちの話題で持ちきりのようだ」


 亮司もSNSを確認した。前と同じく真偽の定かならない情報であふれている。あの賞金の発言は本当かどうかという疑問の声。真偽のほどを確かめるために連絡を取ったと吹聴する誰か。いま件の連中に張り付いていて隙を見て襲い掛かるつもりだという発言。


「そこで一つ提案なんだが、頃合いをみて俺たちの居場所をSNSに上げてやるというのはどうだろう?」

 ニコルが両手を頭の後ろに回した。「かみ砕いて言うと?」

「このゲームにおいてプレイヤーの生き残りを最も阻害している要因はなんだと思う? 当然、撃破数だ。むしろこの縛りがなければゲームとして成り立たない。例えばタイムアップまで生存すればいいなんて緩い条件だったら、プレイヤー間で談合が多発するとは思わないか? 見ている側としてはそういう展開になってはつまらないからこそ、この制限を設けたんだろうと思う。極限状態でなお金に目がくらむ人間、可能な限りプレイヤーの総数を減らして自分への割り当てを増やそうなんて守銭奴はそうそういない」


 昨日一人殺した亮司とニコル、合流前に一人殺していたクラッチは揃ってカウント1、あと二人分稼がなくてはならない。クローニンに関しては工場の銃撃戦で既に何人殺したか覚えていないらしく、とっくに条件は満たしているとのことだった。


 朝起きたらいつの間にか振り込まれていた5000万円のうちいくらか使って亮司は情報を購入した。


 現在のプレイヤーの総数は?

 回答:102人。


 そのうちカウントが必要数に達していない人数は?

 回答:54人。


 そう悠長に構えていられる数ではない。


「最悪の場合、賞金狙いのハイエナに追われ続けることになる。だったらそれを逆手に取ってみないか? 良くも悪くも俺たちはいま衆目を集めている。つまり──」

「ながーい」ニコルがクラッチの説明を遮る。「つまり、私たちを追ってくる人間の尻に別の誰か食いつかせようってことでしょ?」

「うまくいけばそうなるかもしれない、くらいの算段だが。ただ追われるよりはマシだと思うが、どうかな?」

「リョージくん、どう思う?」


 急に呼びかけられたせいで亮司の返答は喉に引っかかった。


「いきなりどうした」

「え? どう考えてるんだろうな、と思って」


 殊勝な態度、には見えない。この女は間違いなく他人の意見に耳を貸したり流されたりするタイプではない。飼い犬に食い物をちらつかせて寄ってくる様を楽しもうとしている──そういった雰囲気。ただ、組んでからというものニコルがここまで自分を引っ張ってきたようなものであり、重要な場面で決断や状況判断を下してきたのも彼女だった。自分の運命を他人に任せきりだというのも据わりが悪いものを感じて亮司は正直なところを口にした。


「人が集まってくるのは賛成だ。危険なのは分かってるが、俺も早くクリア条件を満たしておきたい」


 ニコルがにんまり笑う。それがどういう感情を表しているのか亮司にはさっぱり分からない。


「じゃあみんなで手分けして地図を買おうか。エリアG-4を私、G-5をリョージくん、F-4をクラッチ、F-5クローニンで。足りなかったら言ってね、結構余裕があるから」


 ゲームエリアは縦がAからI、横が1から9で区分けされている。ニコルが言ったのは、いま向かっている方向にある4区画にあたる。


「進入路が複数あって袋小路にならないで、入り組んでるいい感じの場所を探して」

 クローニンが口笛を吹いてステップを踏む。「やる気だな。好きか嫌いかでいえば断然俺好みだが、勝算はあるのか?」

「なんとかなるって。パパとママを素直にしてあげたあとLA市警から半年間逃げ続けた実力見せちゃうよ」


 時刻はもうすぐ9時になろうとしている。もう十分に暑い。亮司はジャージの上を脱いで肩にかけ、水を一口含んだ。今日は、昨日より汗をかくことになりそうだ。




「流石に露骨だな」クラッチは背後を振り返ってうんざりしたように首を撫でる。


 倒れた看板。へし曲がった日よけ。割れたガラス壁の奥に見える倒れた家具。もとは何かの店らしきものが立ち並んでいるメインストリートを歩く亮司たちの背後には、別のチームの連中が少し距離をおいてぞろぞろと付いて来ている。今日の戦場を探して4エリアを歩いて回っているうちに、前から後ろからいつの間にか合流してきた連中。獲物が弱るのを待っているサバンナの肉食獣。


「何人いるか分かるか?」

『静止画で確認したところざっと20人ほどですね。生存者のうち2割近いですよこれ』


 下手をすればもっと集まるでしょうねとナビゲーターが付け加えた。亮司は時刻を確認する。AM09:48。3日目の開始まであと少し。


「おい、いつ動き出すんだ?」


 亮司は道端の自動販売機を指さしてニコルに訊いた。ショーケースのカバーが曇り切って中のサンプルも日光で色落ちした年代物。中身が入っていたとしても飲もうとは思えない。この骨董品は十数分前にも見ており、いま渡ろうとしている信号が停止した交差点も同様だった。


 同じところをぐるぐる回っている。だが、当て所なくさまよっているのではないことくらい亮司にも分かる。この女がこの手の無駄足を踏むわけがない。


 ニコルが背中を向けたままチームチャットで疑問に答える。


≪ここにしようかなー、と思ってる≫


 地図が表示される。現在地からさほど離れていない通りに面した場所に建つビル。進入経路は正門、裏口、非常口、トラックの搬入路の四つで、そのうち最後の搬入路は画像で見る限りシャッターが下りていて開くかどうか分からない。どうやら隣のビルと連絡路でつながっているらしく、内部で建物間の移動ができるようだった。


≪次にビルの前に差し掛かったらダッシュで入ろう。それまではのんびりしてていいよ≫


 行き先を気取られないようにしているのだろう。敵に事前に準備をさせないために。今から気をもんでもしかないと、亮司は言われた通りに散歩でもするつもりで景色に目をやった。


 遠く左手には海と砂浜、そこに置かれた古びた木のベンチが見える。そこら中に充満する波の音と潮のにおいと海鳥の鳴き声。代謝が滞って荒廃した街並みと違って空も海も青く、美しい。日差しとべたつく肌のせいで思わず飛び込みたくなってくる。


「終わったら泳いでみる?」


 いつの間にか隣に立っていたニコルが言った。


「水着が無い」

「泳ぐのに服は関係ないよ。リョージくんは頭が固いなあ」

「そういう問題か? そもそも、このインナーは濡らしていいのか?」

「ゲームが終わったらすぐ脱いでもいいってルールに書いてあったよ」


 ニコルがインナーごとセーラー服の襟を引っ張って手で扇ぐ。亮司は隙間から見えた肌とブラの紐から海の方へと顔を向ける。このインナー、通気性は悪くないが、ただでさえ気温が高いのに1枚多く着こまされているせいで余計に暑く感じる。


『ま、ゲーム終了時点だと暗くなった後ですし、あんまりお勧めしませんけどね。夜になるとクラゲだらけになりますよ』

「別にいいさ。遊びに来たわけじゃない」


 亮司は視線をストリートに戻し、二人に向けて言った。先のことを考えても仕方がない。これからすぐ始まる3日目の勝負のことに集中した方が有意義だ。


≪悪いが少し先に出発させてもらうよ。私だけ体力が劣っているからな。後で会おう≫


 クラッチが小走りで移動し始める。そういうことならと気持ち歩調を緩めた亮司の隣で、ニコルは両手を後ろで組んで微笑む。


「リョージくんは本当に優しいねー」

「毎回毎回脈絡がないんだよあんたは」

「えー? だって、ばらけて敵の目を引きつける囮になろうってことなんでしょ?」

「まあ、そうなんだが……これは敵の目を分散させるためで、つまり勝つための行動だ。優しいかどうかってのは関係ないだろ」


 亮司は背後に親指を向けた。追ってきている4チームか5チームの連中はどうすべきか判断に迷っている。クラッチたちを追うべきか、それとも亮司たちに張り付くべきか。予想通り、彼らも全員が全員足並みを揃えているわけではないようだった。所属が違えば当然思惑も異なってくるというわけだ。


 クラッチとクローニンが直進した交差点を左折して亮司たちはルートを変える。追手がばらける。


「その人が優しいかどうかは他人が決めるんであって、その人がどう考えてるかは関係がないよ」


 この女は自分の頭の中で世界が完結している──話にならない。AM09:55。亮司は会話を打ち切ってペースを上げた。助走をつけ、右手にある自分の身長より高いブロック塀の凹凸に足をかけて一息に上りきった。同じようにして上ってくるニコルの腕を掴んで引っ張り上げる。


 塀の上で体が重なった瞬間、ニコルが耳打ちした。「でもね、あのおじさんはあんまり信用しない方がいいよ。目が嘘ついてたから。多分、殺してたのは一人じゃないんじゃないかな?」


 問いただそうとする前にニコルは塀から敷地内へと飛び降りてビルの裏口へと走っていった。亮司は舌打ちしてビル壁に設置された非常階段から上へと向かう。

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