第一章『七月六日(現実)』その2

 長い、長い話が終わった。

 小織は先に帰った。詳しい話はまたあとでね、なんて小織らしい気楽な調子で言い残すと、奢るのはまた今度にしようか、と肩を竦めて嘯いて。

「ちょっと、ナナさんと会う用があってね。こっちの用事が済んだら、また連絡するよ」

 引き留める言葉の持ち合わせはない。

 去っていく小織を見送ると、店内には再び三人が残された。

「あ、あとそうだ。──お誕生日おめでとう、伊織先輩」

 最後に耳打ちで、そんな言葉を残していったのはなんだったのか。

 黙って、僕はコーヒーを啜る。結露した水滴が、容器を持つ手を濡らした。濡れた手を揉むように乾かしていると、横合いで灯火が「ほうぅ」と息を吐いた。

「ちょっと冷房強いですねえ。まだ七月なのに」

 そういえば、寒がりなんて設定もあったか。

 ひとりだけホットを頼んでいた灯火は、その小さな両手で挟むみたいにカップを持っている。むずむずと、首を縮こまらせるような仕種が目についた。

「出るか? なんか、話も終わっちゃったし」

「出ませんよ」気遣っての問いは、一刀の下に両断される。「話も終わってないですし。むしろこれからです。勝手に巻こうとしないでください。今日はデートですよ?」

「……デートだとは聞いてなかった気がするけど。ていうか、」

 まなつもいるだろう、と視線を向けてみれば、じろりと不機嫌な視線で反撃される。

 いや、僕は攻撃していないのだから、これは一方的な暴力だと思うが。そんな不用意なことを言って、より機嫌を損ねるほうが馬鹿らしい。これぞ被暴力、全服従。

 不戦の構えを取る僕に、灯火はカップを置いて。

「まあ、この際、ダブルデートである事実は措きまして」

「ダブルじゃなくない? それなら四人でしょ。人数足りてないだろ」

「トリプルである事実は措きまして」

「人数減ってるのに数字は増えるのかよ」

「今のはトリプルブッキングって意味です」

「確かに最終的にはそんな感じになってたけど……それ、なんか僕が最低っぽいな」

 その通りだろう、と指摘されれば肯定してやる気でいたのだが、灯火は不満そうに鼻を鳴らすだけで、それ以上は責めてこなかった。

 自虐を読まれたのかもしれない。だとすれば、本当に最低の着地点だった。

「まあ、別に約束してたわけじゃないから、僕はまったく悪くないけど。今日は最初から小織に会いに行く予定で、勝手について来たのはお前らのほうだ。文句を聞く気はない」

 別に自虐が趣味でもない。不戦の信条を即座に破棄し、僕はしれっと開き直った。

「冗談はともかく。実際のところ、どうなんですか?」

 僕の抵抗を意に介さず、灯火はそんなふうに問う。

「どうなんですか、って……そんな漠然としたことを訊かれてもな」

「おっと。適当に漠然としたことを訊いて、雰囲気で全部ゲロってもらう作戦は失敗ですか。やりますね、伊織くんせんぱい」

「……、年頃の女の子がゲロってとか言うなよ」

「ツッコミ、そこなんですか? まあいいですけど、なら普通に訊きまして」

 一拍。間を空けて、それから灯火は。

「正直、話があんまり掴めてないんですよね。まなつちゃんは理解してるみたいですが、わたしはよく……ぶっちゃけ途中から、なるほどって顔だけしてました」

 灯火って、ときどきとんでもないことを言うよなあ……。

「まあ、お前はそもそも病院に連れてってないから、それもそうか」

「なんとなく察するに、どこかの病院に別の小織さんが入院している的な話っぽい、ってことですかね。変な日本語ではありますが」

「それだけわかってれば充分だよ。僕もそれくらいしか理解してないっちゃしてないし。むしろ、今のでよくわかったな」

「そりゃまあ、話自体は聞いてましたからね。前提を想像しただけです」

「…………」

 やっぱり、なんだかんだで頭の回転は速いよな、灯火。

 正直、その点では姉の流希に勝っている。別に意外な事実でもないはずなのに、なぜか意外な気がしてしまうのは、普段のキャラクターのせいだろうか。

「……小織と知り合ったのは、中三のときだったな。冬頃だったと思うが」

 ともあれ、僕は灯火からの質問に答える。

 もちろんこれは、僕の知っている小織という意味だ。

「へえ。思ったより最近なんですね」

「ナナさん……ってのは、あの露店の本当の店主なんだが、その人の紹介だった。いや、別に紹介されたわけでもないんだけど。まあ最初はあの店の客同士として知り合ったのがきっかけだよ。……実際、それ以上の関係は、あんまりないんだ」

 あの店には、稀に遠野もやって来る。

 ナナさんは遠野とも知り合いで、まあ怪しい露店の怪しい店主と、三人揃って知り合いで、歳も近かったから自然と話すようになった……思えば、その程度の関係でしかない。

 伊織先輩、と呼んでくれる不思議な少女との距離感が、単に心地よかっただけ。

「となると、なんですか。小織さんは──《生原小織》という人物は、ふたりいるということになるんですか? 病院で寝ているほうと、さきほどまでお話していたほうで」

「ん、……どう、だろうな。そう言われると難しいが、少なくとも現象としてはそうだ」

「星の涙の力で……ですか?」

「その点に関しちゃ、僕も懐疑的ではあるよ……」

 ──星の涙の現実改変機能は、あくまでも人間の《認識》に対してしか作用しない。

 それが前提で、星の涙の限界であるはずだった。星の涙は物理的な現象を起こすことはできない。小織の分身──そう呼ぶべきものを生み出すという現象は、あまりに埒外だ。

 ならばこいつは、その前提が間違っていたということになるのだろうか。

「……願望と対価は、いつだって等価でなくちゃいけない」

「とうか?」

 僕が呟いた言葉に、灯火がきょとんと目を見開く。

 いや、別に名前を呼んだわけではない。急な察しの悪さに苦笑しつつ、僕は続けて。

「あのとき、お前には言ったろ。星の涙には、物理的な意味での不可思議を起こす機能はない。だけどそれは、払う対価次第かもしれない──って」

「……はい」

「それで言うなら……小織が支払った対価は、僕が知る限り最も重い」

 もちろん代償の重さなんて一概には判断できない。少なくとも僕に、ほかが軽いなんて台詞はとても吐けない。

 けれど、二年にも及ぶ昏睡というのは、あまりに度が過ぎている。

 それだけの時間を代償として支払ったのなら、を生み出すことも、確かに可能なのかもしれない。そう思わせるだけの重みは存在していた。

 小織は実在している。物理的に。

 さきほどだって、彼女はこの店にやって来てコーヒーを注文しているし、それを実際に飲んでもいた。店番をやって商品を手に持っているし、スマホで僕に連絡することだってできている。彼女から届いたメッセージは、僕の手元にデータとして残っているはずだ。

「つまり伊織くんせんぱいは、小織さんが重い代償を支払ったから、その分だけ物理的に干渉するほどの願いが叶えられている……と考えているわけですか?」

「いや、……どうだろうな。僕は、それでも星の涙には、それはできないと思うべきだという気がしてる……やっぱり星の涙には、それほどの機能はないと」

「では……」

「ああ。結局これも、なのかもしれない」

 僕らは現実を、自分というフィルター越しにしか認識できない。五感を通じて知覚した影響を、現実世界というモノの形であると、勝手に判断しているだけに過ぎないのだ。

 小織の言葉も行動も全て、そこにそういうものがある、と脳が錯覚しているだけ。その可能性を否定しきることなんて、そもそも不可能なのかもしれない。

「では」と、灯火は言う。「伊織くんせんぱいは、つまり、わたしたちが話していた生原小織という人間は、だって考えてるんですか?」

「あ、えっと……いや」

 そういうことに、なるのか。

 ──だが、そんなふうにはとても思えない。

 とても思えない──なんて思いはなんの否定の材料にもならないのだろうが、それでもやはり、僕にはそうは思えない。

 そもそも、全てを錯覚かもしれないと言い出したら、どんな暴論だって通ってしまう。

 そんなもの、本当に現実に干渉できることと何が違うだろう?

「……っ、ああ……」

 ダメだ──思考の空転を、僕は自覚してしまった。

 灯火の願いを止めたときを思い出す。たとえ流希が生き返らないのだとしても、僕らが流希は生き返ったと認識できるなら……否、のなら、どちらも同じことなのではないか?

 それは違う、それでも違うと、言い張るだけなら簡単だ。

 僕はそれでは納得しないし、そう言って灯火の邪魔もした。

 だが認識にしか干渉できないという制約が、それでも人間に対して及ぼす影響──その範囲を、その本当の意味を、僕は真には理解できていなかったのかもしれない。

 現実とは、世界とは、なぜなら人間にとって認識と同義なのだから。

 そこに違いがあったとしても、その違いを自覚できないのなら同じこと。そういう見方そのものを否定することは、おそらく誰にもできないのだ。

 生原小織は、そこに存在するものなのか、単なる架空の錯覚に過ぎないのか。

 あるいはそのいずれであったところで、そこにはいったい、なんの違いがあるのか。

 わからなくなってしまっている。

 僕にはもう、安易な否定などできなかった。かといって無条件に肯定もできない。

 もし認識より現実を取るのなら、僕は生原小織という友人を──彼女と築いてきたこれまでの時間を否定しなければならない。僕の知る小織は、存在しない架空の友人だと。

 だが現実より認識を取るのなら、それは灯火の願いを踏み躙り、流希が生き返る未来を否定したこと、そのものに対する裏切りになる。それほど罪深いことがあるだろうか。

 ──ああ、そうか……。

 と。このとき僕は、ようやく気づいた。自分の中にくすぶる違和感、わだかまる抵抗感が、果たして何に起因するものなのか。

 そうだ。いつもの──これまでの僕ならどうしていたか。

 灯火のときのように。まなつのときのように。今すぐにでも小織の提案に頷き、彼女の願いを否定するために動き出していたはずだ。去っていく小織を見送って、こんな場所でいつまでも座っていたはずがない。この時点で、僕はもう態度を変えてしまっている。

 ──それが、僕の知る生原小織という友人との関係、その全てを否定してしまうことと同じ行為だと悟っていたからだ。

 僕はきっと、それが嫌だったから、ここにいる。

 今ここにいること自体が、目の前のふたりに対する、手酷い裏切りであるというのに。

「小織さんは……ここにいる自分は、眠っている自分が切り捨てたもの、みたいに言っていましたけど。眠っている自分が本物で、今ここにいる自分は偽物だって……」

「…………」

「伊織くんせんぱいは、これからどうするんですか?」

 小織は、さきほど僕に言った。僕に頼んだ。

 ──生原小織の願いを否定して、夢を終わらせてほしい。

 その通りだ。それが星の涙によってもたらされた現象である以上、僕はそれを否定し、願いを捨てさせるために動かなければならない。今までそうであったように、今回も同じことをする。それがふゆつき伊織の当然に行うべき義務であると、誰もがそう言うだろう。

 本物の生原小織は今もなお、あの病院で、醒めない眠りの中にいる。

 そう、本物だ。そちらが本物だとするのなら、本物に対する記憶のない僕が知っている小織は──星の涙が生み出した、の生原小織である。

 ──ならば、僕はそれを、否定しなければならないはずだった。

「決まってるだろ。さっき小織が言ってた通りだよ」

 だから、僕は灯火にそう伝える。

 ほかに選択肢はない。それが、これまで僕が知っていた小織に対する、あまりに救いのない否定なのだとしても。──思考を凍りつかせて、その先を考えないようにした。

「……伊織くんせんぱい」

「病院で眠ってる小織の昏睡が星の涙のせいだってんなら、やることはひとつ。これまでやってきたことと何も変わらない。また、同じことをするだけだ」

 灯火の瞳が、わずかに揺れた。そのそうぼうが、熱量をもって僕に突き刺さる。

 まなつは何も言わない。さきほどからずっと黙ったまま、ただ不機嫌そうに僕のことを睨みつけていた。そこにはやはり、火のような温度を僕は感じる。

 ……本当に優しい奴らだ、と僕は思った。

 これは、だって怒っていいところだ。きっとふたりとも、僕が迷っていることには気がついている。それを隠しきれたと自惚れるほど、僕も抜けているわけじゃない。

 なぜ迷うのかと。自分のときは一方的に否定しておきながら、例外を作るつもりなのかと、詰られたところで否定はできない。むしろそうあるべきだった。──だからこそ。

 僕は、少なくともこのふたりの前でだけは、そんな態度を取るべきではない。

 バレているのだとしても。熱を見抜かれているのだとしても。

 僕は、氷点下でなければならない。

「……本人もそう言ってるんだ。結論は決まってる。悪いがお前らは先に帰って──」

 そのときだった。

 固い音が、わずかに響いた。

 僕は思わず身を固くする。店内の喧騒の中で、それはことさら大きな音ではなかった。現に店の中に、こちらを気にしている客はひとりもいない。

 ただ目の前で僕を強く睨むまなつの表情が、あまりに鋭く感じられて。

「ねえ。それしか言うことないわけ?」

「…………」

 どうしてまなつが、僕に怒っているのか。

 ほんの少し前まではともかく、さすがに今は、それがわからないほど馬鹿じゃない。

 小織とほとんど接点のないまなつが、それでも怒っている時点で、僕が理由に決まっていた。もちろん、それは僕が迷っているから、なんて理由でもないのだろう。

 彼女は、ただ僕が全てを自分ひとりのうちに収めようとしていることに怒っていて。

「……悪いとは思うが。それでも、この件は僕ひとりで預かる」

 それでも僕は、自分の選択を変えない。

 初めから決めていたことだ。星の涙という奇跡を、自分ひとりで独占する不遜は。

 ただ、さすがにこの期に及んで、それを強気に言い張ることはできなくて。

「お前らを関わらせる気はない。できれば、今の話は忘れて帰れ……帰ってください」

 なんだか微妙に、語尾が弱くなってしまった。アホか僕。

 それくらい、こちらを睨むまなつが怖かったということなのだが。

「……へえ? 悪いとは、思ってるんだ」

「いや、まあ、一応……えっと、……いやその」

 悪いと思っていて、それでも対応を変えないのなら、よりタチが悪い気もする。

 まなつの視線が刺さって痛い。そっと目を逸らすと、やがて正面からは溜息の音。

「はあ……。わかった。まあ、悪いと思ってるなら、別にいい」

 予想外の発言に、僕は思わず顔を上げた。

「いいのか?」

「は? いいワケないんですけど?」

「えぇ……」

「だって結局、ぜんぶひとりで背負い込む気なんでしょ。私が言いたいのはそういうことじゃなくて、伊織はそれで……ったく、この……っ! ああもうっ! ばーかっ!!」

「いや、そんなこと言われてもだな──」

「あぁん!?」

「……なんでもないです」

 こっわ……。まなつ、怖ぇ……。

 んー。なんだか、つい昨日はもうちょっとこう、──いやそれはともかく。

 気圧されてばかりいるのも性に合わない。少し強気に僕は言った。

「実際、これは小織個人の事情だろ。無関係な人間が立ち入っていいことじゃない」

「なお自分は除く」

「……。いやまあ僕は本人に頼まれたし。そうでなくとも、あの石に関わる人間の数は、少なければ少ないほどいい。そういう対応は、決めてあったことであってだな?」

「なお自分は除く」

「…………。お前らには、星の涙を使った前科があるだろう。別に信用してないわけじゃないが、星の涙の使い方を知ってる人間は、初めから近づけないのがいちばん無難だ」

「そこまで言ったら突っ込まない」

「……………………。とにかくお前らをこの件に関わらせる気はありません以上です」

 最後に最大の《お前が言うな》案件を用意してみたのだが、流されてしまった。

 まあ、この態度に関しては最初から完全に自分を棚上げしていて、正当性がゼロだからな。そこを突っ込まれると、実は返せる論理がない。ぶっちゃけ開き直るしかなかった。

 頑なであり続ける僕に、まなつはまた大きく息をつき。

「いいけどね。実際、あの子の問題だって突っ撥ねられたら、何も言えないんだし」

「……その」

「一応、選択肢があって、それでも私を巻き込まないほうを選んだって言うなら、進歩はしてるって思うことにする。だからって、納得なんてしてあげる気ないけど。──バカ」

 その優しすぎる罵倒くらいは、甘んじて受けておくしかないだろう。

 まなつは目を細めたまま、その向く先を僕から逸らして。

「あんたは? これでいいわけ?」

 そんなことを、灯火に対して訊ねた。

 僕らのやり取りを座って聞いていた灯火は、そこでふっと顔を上げると。

「いいえ? ぜんぜんよくありませんね」

 と、静かに答えた。

 その様子に、少しだけまなつも落ち着いたように。

「……あんた……」

「まあ確かに? 何言ったところで伊織くんせんぱいは絶対態度変えませんし、わたしも今さらそこ突っ込む気はないですけど。でも納得はできません。本当、どうして手伝ってほしいとか、相談したいとか言わないのかなあ、この人は……」

 願いを潰した相手に、別の奴の願いも潰すから手伝ってくれとか頼むのも、おかしい話ではあるだろう。そんなふうに言ってくれるこのふたりが、変わっているだけの話だ。

 一切、まったく、微塵も、絶対に──僕はそれに甘える気がない。断固拒否する。

「わたしは、やっぱり伊織くんせんぱいひとりに、負担をかけるのは嫌ですよ」

 そう、灯火は言った。

 けれどそれは、何度も言うが間違いだ。

「別に負担とかじゃない。僕が、自分でやると決めたことを、ただやるってだけの話で」

「じゃあ訂正します。──伊織くんせんぱいひとりに任せるとか、信用できません」

「…………」

 それを言われたらお終いだよ……。

 どうしよう。何も反論できなくなっちゃう。いや、するんだけど。

「ほら、僕はあれだ。一応、二件の解決実績はあるわけ、でしてね……?」

 それを、よりにもよってこのふたりに言うのは、だいぶアレな気がしてしまうが。

 いやでも、もう押し通すしかない。

「ていうかお前らだって、別に何ができるってわけでもないだろ。どうする気だよ?」

 灯火はあっさり。

「さあ?」

「さあ!?」

「その辺はまなつちゃんが考えてくれますよ」

「私!?」

 僕だけではなく、まなつまで灯火の放言に目を見開く。

 灯火はわずかに笑って、けれどすぐに真面目な表情になると。

「でも伊織くんせんぱいだけに任せておくのは、──わたしは不安です」

「いや、……んなこと言われても」

「そうですね。それでもこれは、言っておこうと思ったので」

 灯火はまっすぐに僕を見ていた。

 その目から視線を逸らせない。

「わたしは、そういうことはちゃんと、相談してほしいんです」

「……灯火……」

「頼ってほしいし、力になりたい。小織さんのためじゃなく、伊織くんせんぱいのことを助けてあげたい。もしかしたら伊織くんせんぱいひとりが、全部をしょい込まなくて済むかもしれない。少なくとも、わたしがそう思ってるってこと、せんぱいの頭に叩き込んでおきますからっ! せいぜいこのことを思い出して、あとで苦しめばいいです。ばか」

 この短時間で、二度も馬鹿と言われてしまった。けれど反論はできそうにない。

 僕はただ、表情を動かさないようにするだけで精いっぱいだったから。

「まなつちゃんだって、それは同じでしょう?」

 と、灯火はまなつに笑みを向ける。

 まなつは視線を遠くに向けて、そっと吐息を零しながら。

「……なんか、この流れで答えると負けた気分がするから嫌」

「フッ」

「……えーいっ♪」

「あ痛ったぁ!? 蹴りましたね!? 蹴りましたよね今、わたしの足ぃ!!」

「やっだなあー☆ わたしー、そんなことしないよぉー? 人を鼻で笑うからぁ、バチが当たったんじゃなーい?」

「どのマウスでぇ!? むしろどのレッグでぇ!」

「何言ってるのか、まなつ、わかんなーい」

「ぶってんじゃねーですよ! 小悪魔の座は渡しませんからね!」

「……いいけど、それ自分はぶってるって言ったも同然じゃない……?」

「しまった誘導尋問!」

「してねえー……」

「というかかわいこぶってるとか以前に普通に足をぶってる件について!」

「ごめんごめん、わざとじゃないのぉ。許してぇ?」

「いけしゃあしゃあ!」

「ほらー、わたしー、これでもモデルだからぁー。足がー、人より長くってー」

「うっざー!! それ過去一うっざあ──っ!! 嫌われる女の典型──!」

「あ、そっかそっかー。ごめんねー。そうだよねー。……灯火ちゃんじゃ、足が届かないもんねー? ぶつけちゃう気持ちとか、わっかんないよねー? ……フッ」

「──ッ!!」

「さすが小悪魔(笑)。小さいだけのことは(失笑)、ありますね(嘲笑)」

「それは、背が小さくて足が短い的な意味じゃ、ぬぇ──っ!」

 ぎゃいぎゃいと喚き合う灯火とまなつ。

 このふたりは、果たしてこんなに仲がよかっただろうか。……いや、そんなことを気にしてしまった時点で、僕はもうふたりのペースに乗せられているのかもしれない。

 ぽかんと目を見開いてしまった間抜けな僕に、ふっと笑って灯火は言った。

「で、どうですか。伊織くんせんぱい?」

 その言葉に、少しだけ思考する。

 ──相談してほしかった、と灯火は言った。まなつが不機嫌になっていたのも、たぶん同じ理由なのだろう。蚊帳の外に置こうとするなよ、と。ふたりは言ってくれている。

 ならば、やはり僕は、こう言おう。

「断る」

 一切の遠慮なく。何ひとつ態度を変えず。

 その傲慢は初めから決めていたことで、灯火も驚きはしなかった。

 ただなぜか、どこか嬉しそうにも見える表情で。

「でーすよねー」

 と、灯火は笑った。

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