キスはレモン味

「やぁ遥ちゃん。今日もかわいいね。たれ目がキュート。磨けば光る造形の良さ。まさにダイヤの原石」

「どうしたの小野くん。お昼休みに話しかけてくるなんて珍しいね」


 小野の口説き文句に眉一つ動かさず、ちゃんと口の中の食べ物を飲み下してから応対する遥。


「いやね、この舌男の弁当がいつもより豪華で、もしかして遥ちゃん作じゃね? と気になったもんでね」

「人を妖怪みたいに呼ぶな」


 小野と原田を野放しにするわけにはいかないため、しぶしぶ着いてきた。


「うん。そだよ。あっくんのご両親が一〇日間仕事で家空けちゃってるから、代わりに私が用意したんだ。幼なじみのよしみってやつかな」


 サラリとそう言ってのける。そこはごまかしてくれ遥よ。こいつらはそんなこと聞いたら発狂するってこと分かってるくせに。


「きゅあ~やっぱりかぁ。くぅ。いいなぁ。ね、遥ちゃん、俺にも作ってきてくれない? 一人分も二人分も変わらないっしょ?」

「小野くんにそこまでする義理はぬぁ~い! どうしてもと言うなら一食一万円ね~」


 びしぃと小野に人差し指を突きつけた後、人差し指と親指をすり合わせるマネージェスチャーをとった。


「くぅ、ならしゃーないなー」


 このノリの良さが好かれる要因なんだろうな、とつくづく思う。


「小野。見苦しい」


 差し込まれたセリフは短いながら鋭く小野に突き刺さる。


「おっと、これはこれは。我らが女神、甲斐様。ご機嫌うるわしゅう」

「あんたのそのわたしだけにする薄気味悪い態度なんなの」

「はっ。甲斐様には常日頃から我がサッカー部に多大なる貢献をしていただいておりますゆえ、失礼のないように、と」

「その言動がもう失礼なんだけど」

「はっ! 精進します!」

「もうダメだわこいつ」


 甲斐さんはショートカットの髪に触れながら足を組んだ。

 甲斐さんがマネージャーをするようになってからサッカー部の勝率が格段に上がったため、サッカー部員からは女神と崇められているらしい。


「どう、あっくん。今日の弁当は」

「美味い。特にからあげが」

「ん」


 遥は満足そうに頷いてから、からあげを頬張った。

 俺は釘付けになった。遥の箸の先に。

 うそ、だろ。朝、朔夜から多めに体液もらったから今日は大丈夫だと思ってたのに。 

 小野と甲斐さんは未だアホなやりとりを続けている。原田と加藤はギターやベースをアンプにつなげるケーブル、いわゆるシールドをひゅんひゅん振り回しながら一色触発の雰囲気。今なら、いける。

 遥に声をかけてから、合法的にいただこうかと思ったが。


 ぱくっ。

 発露した本能がそれを許さない。

 遥が口に運んでいた、食べかけのからあげを、本人の口に届く前に、食べた。

 からあげが目的ではない。弁当のにおいに微かに混じる唾液の香り。

 普通に食べたと見せかけて、舌で余さず箸先を舐める。

 くぅ! 汗より美味い! 

 汗はほんのりした甘みだが、唾液は酸味と甘味が組み合わさって、口当たり爽やか。清涼感がある。

 何かに似てるな、と思ったら、あれだ、レモンだ。そのままのレモンじゃなく、お菓子やスイーツが謳っているレモン味。


 そっかぁ。キスはレモン味ってそういうことかぁ。あれも吸血鬼発祥の言葉だったんだなぁ。

 もっと味わいたい。

 食欲がむくむくとせり上がってくる。

 俺は遥の口元に目が釘付けになった。

 動き出しそうになる身体を理性で必死に制動する。

 さすがに衆人環境でそれはマズい。てか衆人環境じゃなくてもマズい。だって唾液を飲むということは、大人なキスをするということだから。

 自分の頬を力一杯はたく。

 しょ、正気に戻れた!

 やった。やったぞ! はじめて暴走せずに済んだ! いや、遥の箸から食べたのはあるけど、それくらいだ! 被害は少ない!

 朝、濃いめの汗をくれた朔夜に感謝していると、周りからただならぬ視線を感じた。

 気づけば、小野と甲斐さんの会話も、原田と加藤のタイマンも終わっていて、俺の方を見ていた。


「あっくん? そんなにからあげ食べたかったの? 言ってくれればもっと増やしたのに」

「そ、そうなんだよ。食欲が抑えきれなくてさ。明日からはもっと肉系多めで頼むわ」

「おっけー」


 食欲が抑えきれなくて、の本当の意味は遥だけにしか伝わらないだろう。わざわざ言うまでもなく遥は分かってるっぽいけど。

 俺と遥のやりとり後、固まっていた場が急に動き出した。


「おい月瀬、いくら幼なじみだからってイチャイチャし過ぎだろ~。ってか遥ちゃんのからあげ食べた後、キスでもするのかと思ってマジでビビったわ~」

「ロ、ロック。オレもだ。あの熱っぽい瞳、ガチだった」

「キスなんてするわけないだろ。こんな場で。ってか二人きりでもしないから」

「つまら~ん」

「ロック。月瀬と陽向さん、お似合いだと思うが」

「ほら、もういいだろ。うちの親が遥に頼んだの。それだけ。野郎ども撤収~」


 小野と原田の首根っこをつかんで女子グループから離れる。

 どうやら女子側でも同じような会話がされているらしく、遥が何度も手をぱたぱた振っている。大方俺との関係性を突っ込まれ、否定しているのだろう。

 俺に引っ張られながら、小野が遥に声をかけた。


「遥ちゃ~ん。月瀬から遥ちゃん以外のおにゃのこのにおいがする気がするんだけど何か知らない~?」


 おっとぉ、遥さんの眉が動きましたよこれはいけなーい。今すぐ小野の口にアロンアルファしなきゃー。


「ううん。知らないよ。これっぽっちも。全く」

「そっかぁ。遥ちゃんでも知らないかー。遥ちゃん、注意しなよー。こいつ、彼女できた可能性あるから。多分年下」

「別に、私はあっくんが誰と付き合おうが関係ないから、注意する必要はないかなー」


 遥の笑みが深まる。これが怒りのサインだということはきっとこの場では俺だけが知っている。

 なんで遥が怒ってるんだ。朔夜のことだってことは察しがつくのに。付き合ってるわけじゃないことも。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る