灰の町〜奪った生贄を預けられても困ります

かみたか さち

前編 「えっと。手遅れ、てことかな」

 荘厳な門の上空には、どんよりとした灰色が広がっていた。重い空だ。おまけに、入口には厳しい竜の像があり、出入りする旅人を睨んでいた。

 シエロは、竪琴を抱える腕に力を込めた。


「なにこれ」

「火山灰だな」


 顔を顰め、鼻まで巻きつけた襟巻を締めなおす人狼女剣士レミの苦言に、魔導師のシドが同様に鼻を庇い、眉を潜めた。

 町を抜けて半日も歩けば、一年中灰を噴き上げる火山に通じるという。

 細かい火山灰は、幾重にも重ねた襟巻の奥にも入り込む。ざらついた空気に、シエロの喉が痛んだ。ひとつふたつ咳をすれば、たちまちファラが荷物を漁った。


「この空気は、シエロ様のお体に障ります。一刻も早く、立ち退きましょう」

「平気、じゃないけど、竜の痕跡を見つけなきゃ」


 健気に笑ってみせたところで、咳き込んだ。ファラは、残り少ない水袋を傾け、布を湿らせ、固く絞り、シエロに息を止めるよう命じ、口と鼻にあてがって襟巻で固定した。赤子のときから世話をしてくれているだけある。手際がいい。感謝しながらも、長寿種族の鳥人ファラから見れば、じきに十五歳になり成人の儀を迎える自分もまだ赤子同然なんだと、シエロは苦笑した。


「竜の痕跡、か」


 シドは低く呟き、鋭い切れ長の目で辺りを見回した。

 降りしきる灰で霞む町のここそこに、竜を模した金属像が置かれていた。どれも、今まで見た中でもっとも精密な造りをしていた。見開いた眼、大きく開けた口に並ぶ鋭い歯、くねる胴を覆う鱗。本物の竜を見て造ったように活き活きとしていた。

 ここなら、竜の居場所を知らずとも、目撃情報くらいは手に入るかもしれない。期待と共に、不安がシエロの胸を打った。


 この国の始祖王は、「操竜の乙女」と称される妃を迎え、竜を手懐け、国土を治めたと伝わっている。疫病に見舞われ、衰退の一途をたどる国を前に現王は、操竜の乙女の血を引く女を捧げることで、竜の力を得ようとしていた。

 シエロの母もその一人だった。今は城に拘束されている。今度の夏の建国祭。それまでに竜の居場所を突き止め報告すれば、母の命は助けてくれるというのだが。


 そもそも、竜は存在するのか。伝承の中の架空生物ではないのか。存在したとして、果たして、シエロの脚でたどり着ける範囲にいるのか。

 シエロは再度竪琴を抱きしめた。


 少なくとも、仲間には恵まれた。

 母が赤子の時から付き添ってくれる鳥人ファラ。この世界の知識を超えるものを持つが故にはみ出し者になった魔導師シド。男性優位の町の長の娘で優秀な剣士でありながら、認められないどころか処刑されそうになった人狼剣士レミ。

 喘息もちで成人目前の青年にしては線の細いシエロがこの仲間に恵まれなかったら、今頃は野ざらしの骸になっているだろう。

 成り行きで協力してくれる彼らの恩に報いるためにも、小さな手掛かりでいい、掴みたかった。


「門の飾りも、竜だったね」


 レミの指摘に、シエロも頷いた。外地と町を繋ぐトンネルの壁にも、重い金属の扉にも、その上にある透かし模様も、全てに竜の姿があった。


 これまでに、守護神として祭る町、害獣として駆除の対象となっている町、実在を認めていない町。様々な町があったが、これだけ身近に置いているということは、それなりに親しみをもって竜を扱っているのだろうか。

 街道沿いに開かれた市にも、至る所に竜の像や置物があった。いずれも黒ずんだ石の台座に載せられている。

 様々な角度から像を観察するシエロへ声をかけてきたのは、様々な彫り物を並べた店の主だった。彼の足元に、彫りかけの石と道具がある。


「見事だろ」

「大切に祭っておられるんですね」


 感嘆を込めると、店主は、そうだなと顎を撫でた。


「正しく生きていれば町を守ってくださるって、司祭は仰るな」

「これらは、あなたが彫ったのですか?」


 方々に飾られた像を示し問うと、店主は両手を広げて否定した。


「そいつは、北から買ったらしい。あそこは昔、竜と暮らしていたって話があるからな」


 シエロたちは、視線を交わして頷いた。

 不意にどこかで鐘が打ち鳴らされた。途端に、市のざわめきが引く。


「そういえば、今日だったな」


 大多数の人の足が、東へ流れていった。

 何があるのだろう。顔を見合わせ、シエロたちもついていくことにした。


 市が途切れるところまで歩くと、ひときわ堅牢な石造りの建物が現れた。前方へ目を眇めたシドが呟いた。


「教会だな」


 大口を開けた竜の彫り物が入り口だった。人々は、その前で一礼すると中へ進む。自ら竜に食われていくようで、シエロは身震いした。

 巨大な竜の口を潜り、建物の厚みを通り抜けると空が開けた。変わらず灰が太陽の光を遮っているが、心持ち明るい。幾重にもなった人垣の後ろで、シエロは可能な限り爪先立ちになった。


「肩車をしてやろうか」


 人より頭一つは突き出ているシドが、ニヤニヤと両脇に手をかけた。


「い、要らないよ」


 上手く人の頭の間を見つけ、そこにあるものを見ることができた。

 両翼を広げた形の建物と直線の低い塀に囲まれた半円状の広場があった。正面には、火口からたなびく薄い水蒸気が見える。塀の先は地面が落ち込んでいるのだろう。火口そのものは見えなかった。

 火口に向かって設けられた祭壇も、口を開けた竜を模していた。竜の前に石の供物台がある。今は、何も載っていない。

 全身を黒衣で包んだ十数名が、祭壇の前に並び、何かを低く唱え続けていた。時折、鐘が打ち鳴らされる。

 列の脇から女性の悲鳴が上がった。黒衣の者に両脇を押さえ込まれた若い女性が、悲痛な声で泣き叫んでいた。

 悪い予感に青ざめたシエロへ、ファラが表情を変えず囁いた。


「生贄の儀でしょうね」

「じゃあ、あの女性が」


 いや、と眉を顰めたのは、シドだった。

 一人の黒衣が石段の前に進み出た。小ぶりな布の包みを抱えている。シドが、吐き出すように呟いた。


「赤子だ」


 握り締めた拳には、汗で張り付いた砂がザラリと食い込んだ。

 いきり立つ肩へ、そっと手が置かれた。振り返ると、ファラが静かに首を横に振っていた。


 分かっている。

 ここには、ここのやり方がある。一介の旅人であるシエロが口出ししてはならない。


 赤子は石段に載せられた。低く細く、何かを唱える声は続く。それをかき消すような女性の叫び声も、次第にすすり泣きへと変わっていった。


「行こう。子供が見るもんじゃない」


 レミが促した。子供じゃない、と反論するも、弱々しい声は獣耳の先を揺るがす程度のものだった。

 人垣から離れ、俯き街道へ戻ろうとした背後でざわめきが起きた。


「なんだ、あれ」

「うわっ」


 高まる騒ぎに、シエロも足を止めた。祭儀の黒衣たちが右往左往していた。そして、騒ぎの中心に居たのは、どの黒衣よりも大きな獣だった。


「山猫か?」


 レミが鼻をひくつかせた。

 巨大な山猫は、口に赤子を咥えていた。女の悲鳴、男の怒鳴り声、振り上げられる杖。それらをものともせず、山猫はひらりと身を翻し、人々の頭上を華麗に跳び越えた。逃げ惑う人々に押され、ふらついたシエロをファラが腕を張り、懸命に守ってくれる。

 混乱する人々を嘲笑うかのように、山猫は赤子を咥えたまま数名の頭を足がかりにして、身軽に教会の屋根まで上った。そこで一度振り返ると、尾の一振りを残してどこかへと姿をくらませた。


「ファラ!」

「かしこまりました」


 シエロの鋭い呼びかけに、ファラは即座に答えた。

 身体の輪郭が白銀に輝く。白い服の、旅装のマントに隠されていた大きく開いた背から光が伸び、翼となった。身体が縮んでいく。


「鳥人だ」


 誰かが叫び、周囲の者が身を引いた。僅かだが隙間ができる。その中で、折り重なるよう地面へ広がった服の隙間から純白の鳥が羽ばたいた。長い尾を翻し、風を掴んで高度を上げると、一目散に山猫が消えた方角へ飛んだ。


「いつ見ても、見事なもんだな」


 額に手を翳し、見送るシドが口笛を吹いた。


「しかし、あれに追わせてどうするつもり?」


 腰に手を当てたレミに問われ、シエロは口ごもった。人波に踏まれる前に、とファラの服を拾い上げ、灰を払いながら曖昧に微笑む。その様子に、レミは溜息を吐いた。


「特に考えはなし、ってことね」

「はい、ごめんなさい」

「ったく。お坊ちゃまの気まぐれには、毎度呆れるわ」


 ファラが戻るまでに、シエロたちは宿を探すことにした。幸い、この町は貿易商や旅人の中継地にもなっているとあって、宿は多かった。しかし、どの宿も古く、喘息もちのシエロがこの町で火山灰から逃れられる建物となると、なかなか見つからない。

 賑やかな街道沿いの宿は全て当たり、いよいよ裏通りに入った。


「ねえぇ。もう、さっきンとこにしちゃおうよぉ」


 疲れたレミがごねた。


「僕も、それでいいよ。部屋の中でも襟巻を巻いておけばいい……けほ」


 言っている端から咳き込んでしまう。脆弱さに苦笑すると、シドが苦い顔をした。


「最善を尽くさないと、ファラの逆鱗の触れるじゃないか」


「でも」

 と、シエロが口を開いたときだ。

 側の屋根から目の前へ、音もなく大きな影が落ちた。すぐさま、剣の柄に手をかけたレミが前に出て、シドは呪術具である杖を構える。

 ぐる、と喉を鳴らしたのは、レミではなかった。先程の山猫が、細い裏道に立ちはだかっていた。口には、布にくるまれた赤子を咥えたままだ。

 至近距離で対峙したレミが、目を見開く。


「え」


 ぽってりとした唇から声が漏れた瞬間、山猫は身軽に跳躍するとシエロに飛びかかった。シドの低い詠唱に、レミの鋭い制止が重なる。


「ひゃ」


 避ける間もなく、山猫の顔が迫る。観念して目を閉じた。腕に重みがかかり、ぽろん、と抱えていた竪琴の弦が震えた。

 生臭い息が顔に吹きかかり、シエロの黒い前髪を撥ね上げる。

 一瞬の出来事だった。

 目を開けると、山猫の姿は既に消えていた。残されたのは、腕の中の赤子だった。


「え。えぇっ」


 赤子なんて、抱いたこともない。ふにゃりと、頼りない抱き心地にシエロは慌てた。


「なんだ?」


 訝しむシドに、レミも怪訝な顔で首を傾げた。


「よろしく頼むって、言われちゃったんだけど」

「言われた? あいつと意思疎通できんのか」

「ま、あたしも半分獣だからね」

「て、なんで僕に」

「さあ」


 肩をすくめたレミの足元へ、純白の鳥が舞い降りた。ファラだ。レミが広げた服に入ると、眩い光と共に人の形へと戻る。


「ファラ。この子、どうしたらいい?」


 おろおろと腕の赤子を差し出すシエロに、ファラはいつもの表情に乏しい顔で首を傾げた。顎のラインで切りそろえた真っ直ぐな黒髪が、さらりと頬にかかった。


「面倒をみるしかありませんね」


 あっさりと告げ、シエロの腕から赤子を抱きとる。シエロと母を育て上げただけあって、手馴れたものだった。

 ようやくファラも妥協できる宿が見つかり、レミとシドが買出しついでに、赤子と関わりがあると考えられるあの女性を探しに行くことになった。


「連れて旅をするわけにもいかないだろう。それに、教会ってのはどこでも一番の権力だ。逆らえば碌なことにならん」


 仲間内で最も見識のあるシドに言われ、反論するものは誰もいなかった。

 時折、足元が揺れ、曇った窓硝子がカタカタ鳴る。階下で誰かが大声をあげ、薄い壁の向こうで扉の蝶番が軋む。それでも、寝台に寝かせた赤子は、よく眠っていた。


「薬か呪術で眠らされているのかもしれませんね」


 覗きこんだファラの声音には、微かな優しさが含まれていた。

 生まれてそんなに経っていないだろう。正に純粋無垢の象徴だ。それなのに生贄にされるなんて。

 胸の痛みに耐えかね、シエロは竪琴を手にした。ぽろん、と爪弾く。弾ける中で最も静かな曲を選び、奏で始めた。

 また、窓が鳴る。

 曲が終わる頃、赤子が身じろぎをした。小さな口で欠伸をし、柔らかな拳で瞼を擦る。丁度そのとき、シドが戻ってきた。


「見つけた。さっさと返して、ずらかろうぜ」


 途端に赤子が泣き出した。


「ああ、おじさんが怖かったのね」


 よしよしと宥めるファラに、シドがむっとした。


「なんだと」

「し、シド。買い物ありがとう。ずらかるって、どうして?」


 おどおど仲裁に入るシエロに、シドは窓の外、水蒸気を噴き上げる火口へ視線を流した。


「さっきから、揺れてばかりだ。火山性微動じゃないかな」

「ビドー?」

「町の人にも聞いてみたが、火口から水蒸気が上がり始めたのも、揺れを体感するようになったのも、最近のことらしい。一昨日は、礫も降った。それで、あの祭儀となったって話だが」


 苦々しく舌打ちをする。


「生贄なんか捧げたところで、火山活動が収まるわけないだろうに。いつ噴火するか分からない火口近くに、長く留まっちゃ危険だ」

「噴火しそうなの? あの山」


 シエロの問いに、シドは益々顔を顰めた。


「そんなもん、常識……じゃないんだよな、ここじゃ」


 後半は太い溜息をつき、短く刈り揃えた髪へ指を通す。灰が零れた。


 シドは時折、シエロやこの世界が知らない話を口にする。彼に言わせれば「こーこーせいでも分かる常識」らしいが、シエロたちには初めて耳にする話ばかりだ。そもそも、「こーこーせい」とは何か。こうして苛立ちと寂しさを堪えたシドを見ていると、彼が遠い世界から来たと言っていた意味がぼんやりと分かってくる。


「レミは?」


 話題を変えた。ああ、と短く頷き、シドは荷物からおむつを出した。


「あっちの家を見張っている。途中、赤子を探しているらしい黒衣を見たからな。女性も見張られているようだった」

「疑われなかった?」

「俺たちは直接彼女に会ったわけじゃない」


 ニヤリと、シドは自分の鼻を人差し指で押し上げた。レミの嗅覚で女性の居場所を突き止め、手前で引き返してきたのだろう。

 窓が揺れる。

 おむつを替えてもらった赤子は、ファラの腕でご機嫌だった。


「でも、今行くと、僕たちも尋問されるかもしれないよね」


 顎に手を当て、考えるシエロに、ファラが小首を傾げた。


「変わらないでしょう」


 聞き返す前に、幾つもの足音が近付いた。扉が乱暴に開け放たれる。

 黒衣の者がなだれこんだ。


「えっと。手遅れ、てことかな」

「はい」


 ファラの答えは、いつものことながら静かだった。

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