8.約束と王妃
「はぁ……ごめんなさい、もう大丈夫です」
マナンティア国立公園にある"癒しの聖女"の像の前を通る遊歩道を挟んだ向かいに、鑑賞するために設置されている背もたれのない大理石でできたベンチでフラウが落ち着くまで待っていたところであった。
「本当に王妃殿下のこと大好きだったんですね」
「……わたし、5歳の時にお父さんが病気で亡くなって、寂しくて悲しくて、でもどうしようなくてただ毎日泣いてたんです……」
「……大変だったんですね」
「でも、そんな時に偶然マーレ王妃殿下がお忍びでうちの店を訪れて……とても綺麗で優しい人でした」
「王妃殿下……マーレ様とお話ししている時だけ、寂しさとか悲しさが無くなった気がしたんですけど……わたしったら、話している途中で泣き始めちゃって……」
「そうしたら、マーレ様がわたしの涙を拭きながら言ってくださったんです」
『大切な人が居なくっちゃうと寂しいですよね……でも、もう泣かないで?だって、きっとあなたは泣いているより笑顔のほうが素敵なのですから』
「マーレ様がそう言うと、拭いたわたしの涙をシャボン玉に変えて見せてくれました。あの時の綺麗なシャボン玉は今でも忘れられません」
フラウがまた泣きそうになるのを堪えるように自身が着ているフリルの付いたエプロンの裾を両手で必死に握りしめている。
その小さな肩は小刻みに震えていて、いつ泣いてしまうかわからない様子なのだとファイには見えた。
「……わたしその時マーレ様と約束したんです。いつかわたし達の笑顔で沢山の人の笑顔を結んで、きっとこの国を幸せいっぱいにするって」
「……だから、もう泣きません!」
フラウはベンチから勢いよく立ち上がった。その顔にもう涙はなく、とてもサッパリした表情で清々しささえ感じるほどであった。
「さて、気を取り直して次いきますよ。ファイさん!」
「はい!」
フラウは次の像のある方へと走り出した。先ほどの悲しみと涙をここに置いて、王妃と交わした約束と共に笑顔で前に進めるようにと。
「えっと、この像は”ヴォルト・ベースティア”様です。”
「戦闘狂……」
ツンツン頭で不敵な笑みを浮かべていて、左耳にはイヤリングのような装飾品を何個も着けている男性の像。動きやすそうな軽鎧を着ているのだが、右の肩当、腕当、手甲が着けられていなかったり、その右腕には幾つもの雷が交わるように複雑だが、とても鮮やかな模様が彫られている。
また、手のひらにはトゲがついた鉄球を鎖で繋いだ武器である”モーニングスター”の鉄球が
「さて、ファイさん。次がいよいよ最後の5大英雄である人の像ですよ」
「えっと、確か”
「その通りです、クロウ・シュヴァルツ様の像です。”
頭にフードを被っており僅かに口元しか見えないが、体付きからおそらく男性だと判断できる。その体には胸当や手甲、脛当など最低限の場所にしか鎧が着けられていない事から、身軽さを重視した格好なのだとわかった。
また、その背中には鳥のような翼が生えており、今にもその翼を羽ばたかせて夜の空に飛んでいってしまいそうな躍動感がある作品である。
「シュヴァルツ様が”魔族侵攻”の終結に誰よりも貢献したと記録されてるらしいです。何でも、敵の本陣に”
「……”
ファイは”
「どうでしたファイさん?わたしのオススメの場所は?」
「とても良かったです。明日からの学園生活を送るためにも、いい刺激になりました」
「ふふふ、じゃあ案内できて、わたしも良かったです♪」
「フラウさん、本当にありがとうございました。これからも色々な名所とか教えてくれると嬉しいです」
「もちろんです!この王都にはまだまだ沢山のオススメの場所とかあるので、楽しみにしててくださいね♪」
「さて、そろそろ戻りますか。あんまり遅いとお母さんが心配するので」
「そうですね、もう夜ですしね。帰りましょうか」
ファイとフラウは夜の誰もいない公園を後にした。その時、ファイは思ってもいなかっただろう。
まさか、自分自身がこの5大英雄と大きく、そして深く関わっていく事を知る由もなかったのである。
「……えっと、これは一体……」
今日から住むことになる下宿先の”燈のランプ亭”に戻ったファイに、今日これで何回目だったろうかわからないが、またしても驚くべき状況が待ち構えていた。
「おーい、こっちエール2つね」
「あ、注文いいですか?」
「はいはい、ただ今!」
「すみません、料理まだきてないんですけど」
「すみません!えっと、”燈サンドイッチ”3つですね」
夕方のガラガラだった様子とは全く違い、夜のランプ亭は満席御礼でかなりの人が食事をしたり酒を嗜んでいた。先ほど一緒に帰ってきたフラウも、この状況を見るや否や持っていた母親のカルラと同じ綺麗な刺繍が施されている黄緑色のスカーフを頭に着けて仕事モードになり、ごった返す”
「すまないねぇ、ファイ。こんな状況だからさ、ここが落ち着いたら何か食べるものを部屋に持ってくからそれまで待っててくれないかい」
「いえ、俺もなにか手伝いますよ!」
「えっ!?……いや、気持ちはありがたいんだけど疲れてるだろうし、それにアンタ明日から魔法学園に通うんだろ?」
「これくらい大丈夫です。それに、カルラさんやフラウさんが一生懸命働いてるのに1人だけ部屋で待ってるなんてできませんよ」
「……そうかい?じゃあ、とりあえず皿洗いだけでもお願いしちゃおうかしらね」
「任せてください!」
ファイはそう言うと急いで料理を作るカルラの隣でシンクに溜まっている、つい先ほど客が食べたであろう皿を1枚1枚丁寧に洗っていく。
「へぇ、結構手慣れたもんだ。アンタくらいの歳の子にしては珍しいね」
「家でのご飯は当番制だったので。母と姉よりは作る回数は少なかったですが、一応ある程度の料理も作れますよ」
「なるほどね。じゃあ、今度御馳走して貰っちゃおうかしら♪」
「お母さん、サンドイッチ4つ、野菜スープ2つ、エール5つ追加で!」
「あいよ!ファイ、悪いけどそこの棚から皿を取ってくれるかい?」
「はい!皿、ここに置いておきますね」
「すみませーん!注文いいですか〜?」
「は、はーい!ただいま〜」
時刻は夜の11時を過ぎたあたりであろうか。ランプ亭は先どの賑わいが嘘かのように静まりかえっていた。聞こえるのはシンクの蛇口から流れている水の音と、食べ終わった皿を洗うキュッキュッという音だけであった。
「ごめんなさい。まさか、今日来たばかりのファイさんに手伝ってもらうなんて……」
「いえ、俺が手伝いたいって言ったんです」
ファイが洗剤が染み込んだスポンジで皿を擦った後、水で泡を流す。その皿をフラウが受け取り、綺麗な布で皿についた水分を拭き取っていくという見事な連携プレーであっと言う間に皿洗いが終了していた。
「じゃあ、俺この皿しまっておきますね」
「あ、わたしがやりますから大丈夫で……あっ」
同時に皿に手を伸ばした二人の手が一瞬触れるが、フラウがすぐに引っ込めてしまう。
その一瞬だけ触れてしまったファイの手には優しい暖かさがあり、先ほどまで冷たい水で皿を洗っていたとは思えないほどであった。
「ご、ごめんなさいっ!」
「……?何がですか?」
「え?いや、さっき手が……」
「手?……まさか、皿の縁で切ったんですか!?」
ファイが皿をしまい終えると、フラウの手を両手で少し強く握って皿の縁で切ったとされる傷口がどこにあるのか探し始めた。
「ファ、ファ、ファイさんっ!?」
「……んんん?どうやら、切れてはいないようで良かったです」
「………あの、そろそろ離してくれないと、わたし……」
「……あっ、すみません……」
皿で切ってしまったと勘違いしたファイがお思わず掴んでしまったフラウの手は細く、そして柔らかく少しだけヒンヤリしていて、思えば母と姉以外の女性の手などあまり触れた事がなく、夕方に握手した時には意識していなかったその感触と温度は、ファイにとってはとても新鮮であった。
また2人の間に少しの沈黙が流れるが、夕方の時のそれとはまた違う、ファイにとってはよくわからない奇妙な感覚であった事は間違いなかった。
「なにやってんの、アンタ達?こんな所に突っ立って」
「!?……何でもないよ、お母さん」
「???……そうだ、ファイ。今日は色々あって疲れただろうしさ、アンタお風呂入ってきなよ?さっきお湯を張ったところだからさ」
「え、いや、お二人より先に頂くわけには……」
「わたし達は、まだ明日の仕込みとかあるからさ。ね?フラウ♪」
「……う、うん!だから、わたし達は気にせず、ファイさんはお風呂に入ってください」
「??……わかりました。では、お言葉甘えて先にお風呂を頂きますね」
「ふぅ……いよいよ明日から学園生活が始まるのか……なんか緊張するな」
ファイは今日1日の疲れを湯船に浸かり癒しながら、明日から始まる学園生活に期待に胸を膨らませると同時に緊張を隠し切れない様子であった。先生はどんな人なのだろうか、クラスメイトと上手くやっていけるだろうか、入学時の実力試験で失敗しないだろうかなど考えれば考えるほど、頭がぐちゃぐちゃになってしまっていた。
「あー、やめやめ!……俺らしくないよな、やる前からあーだこうだ考えるなんてさ」
ファイがお風呂から上がると厨房の方から、何かを焼くような香ばしくていい匂いが漂ってきた。きっと、さっきカルラさんが言ってた明日の仕込みをしているんだなと思い厨房に向かった。
「カルラさん、フラウさん。お風呂上がりましたよ」
「あ、ファイ。丁度いいタイミングだね」
「え、丁度いいって何が……」
「ファイさん、ようこそ“燈のランプ亭”へ。そして、リュミエール家へ」
「……え」
「さぁ、今日はわたし達が腕によりをかけて作ったんだから、いっぱい食べてちょうだいね」
「じゃ、じゃあ……明日の仕込みって言うのは……?」
「ファイさんを驚かせるための嘘だったんです。すみません……」
「な……」
「さぁさぁ、料理が冷めちゃう前に食べた食べた!」
「……はい!ありがとうございます!……いただきます」
ファイは感謝の気持ちでいっぱいになり、まだ始まってもいないことを考えていた杞憂が一瞬にして吹き飛んでしまった。
正直、王都での生活は、周囲には初めて会う赤の他人しか居らず、自分のことは何でも自分でしなくちゃいけないんだと思っていた。
村と違って広いし、誰も自分を知らない。困っても手を差し伸べてくれる保証はない。勝手にそう思い込んでいた。でも、違っていた。
村も王都も、何も変わらないんだと言うことに気が付いたのだ。
今日初めてくる自分のためにこんな豪華な料理を作ってくれた、カルラさん。
そして、何も知らない自分のために色々案内をしてくれた、フラウさん。
「今日からファイは、リュミエール家の“家族”さ!短い間かもしれないけど、よろしくね」
「改めてよろしくお願いしますね、ファイさん♪」
「……はい!こちらこそ……よろしくお願いします!そして、お世話になります!」
ファイは心の底からこう思った。
きっと、大丈夫。学園生活だってきっと、うまくいく。
だって、目の前にこんなにも暖かい”
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