第27話 後ろ髪の証跡
先に言い訳をしておこう。俺は、今日一日でだいぶ疲れていた。
結局空振りに終わったけれど、菘と香澄に埴輪ちゃんと恋人になったという嘘をついた。
その精神的な疲弊は中々なものだった。
だから、寝落ちてしまったもの無理はないというものなのだ。
……仮に、菘が身体の上に乗ったままであったとしても。
目覚めた俺がまず初めに感じたのは、息苦しさだった。
胸から下半身にかけて圧迫感があった。それもちょうど、俺の身体にフィットするような重さだ。
次に脳へ届いたのは、それが柔らかいという情報。そして、温かいということ。
俺は以前にもこの感触を味わったような気がする。微睡の中、そんなことを思っていた。
……ああ、これ菘だ。
過去の記憶から一致するのは、菘ぐらいしかいない。だから、機械的にそう判断した。
「……んん」
菘が苦しそうに息を漏らした。
それもそのはずで、菘は器用にも仰向けになった俺の上に、うつ伏せで寝ている。寝返りを打とうものなら、ベッドに顔を打ち付けて床に転げ落ちてしまう。
更に言えば、俺が動いても菘は落ちるだろう。つまり、とにもかくにも菘に起きてもらわないといけない。
「菘、起きてくれ」
幸い腕は自由なので、菘が驚かないように優しく揺すった。
ついでに、菘が目覚めた拍子に俺から落ちてしまわないように、もう片方の腕で抱き留めておいた。これは致し方無い処置だ。
しかし、刺激が緩いからか菘が目を覚ます気配はない。
……まあ、可及的速やかにこの状況を脱する必要があるかと言われれば、そんなこともない。強いて言えば、菘の母親――葵さんの襲来があったら困るぐらい。
それに、前は登校前ともあって時間的制約があったが今はそれもない。
だから、この程よい重量感と体温に浸っているのもありだ。
身体を揺するのはやめて、空いた手で菘の髪を梳いた。
濡れ羽色のしなやかな繊維が、指を突っかかりの一つもなくするりと抜けていく。
菘は、学校の女子と比べても明らかに髪が長い。
日頃のトリートメントも大変そうだし、日常生活においても邪魔な場面もあるはずだ。
なのに、どうして菘はここまで長髪を維持しているのだろうか。
昔、と言っても小学校低学年ぐらいの話だが、それまでは比較的短めのボーイッシュな髪型をしていたはずだ。
「んん……。涼?」
引き続き菘の髪で遊んでいると、しばらくしてから菘が目を覚ました。
「おはよう」
「うん、おはよう」
菘は自分が今どこにいるのかわかっていないのか、身体をよじった。
必然、俺という対して大きくもない不安定な面にその身を委ねているので、菘は簡単に落ちてしまいそうになる。
だから、その身体を抱きしめた。決してやましくはない。転げ落ちて菘が怪我でもしたら大変だ。
「……私、すごいところで寝てたのね」
俺に抱かれても驚きもせず、菘は自分の置かれている状況を確認していた。
「ようやく気づいたか」
「ええ、ごめんなさい。大人しくしとくわね」
そう言ってから菘は体勢を変えようとするのを辞めた。
いや、起きたなら俺から降りたらいいのに。
どうも、幼馴染は俺の上に覆い被さるのが好きなようだ。
俺も乗られるの好きだしウィンウィンだな!
「……涼は、私の髪が好きなの?」
寝起きだからか、いつにもましてとろけた声で菘は言った。
菘が目を覚ました瞬間まで、ずっと触っていたからバレているのだろう。
「まあな。綺麗だし、触り心地もいいからつい」
「ふふ、ちゃんと手入れしてるから」
菘は玩具を自慢する子供のような、幼い笑みを浮かべる。
俺はついさっき浮かび上がった疑問を菘に直接聞いてみることにした。
「それで思ったんだけどさ、菘はどうしてこんなに髪伸ばしてるんだ?」
「……それ、涼が言うの?」
「俺が聞くと何かまずいのか」
「別に、そういうことじゃないけど……」
言いづらそうに菘は目をそらした。
「逆に聞きたいんだけど、涼は覚えてないの?」
「えっと、なにが?」
「……忘れちゃったならいい。自分で思い出して」
むくれたように素っ気なく菘は言った。
どういうことだろう。
髪を伸ばしている理由を聞いたら、自分で思い出せと言われてしまった。
菘がそう言うのだから、俺が関係しているのだろう。しかし、記憶に検索をかけてもヒットしない。
今のところ、皆目見当もつかないのだけど、いつか思い出せる日が来るのだろうか。
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