第46話 失恋


 梅雨入り前だからだろうか。一切翳ることのない太陽が容赦なく全身を焦がす。気怠いせいで、気分は最悪だ。これからバイトというのも、なかなかしんどい。


 帰りだから下り坂とはいえ、転がらないようにバランスを取るのは本当に疲れる。


「はぁ、はぁ……」


 いつものことながら、体は疲労感を訴える。どうしてだろう。そこまで年を取った覚えはないし、中学まではこんなことなかったのに。


 そんなことを考えていると、坂のふもとに佐々木さんがいることに気づく。友達も3人いる。


 好きな人が視界にいるだけなのに、とても緊張してしまい、本格的に体温が上昇し始めた気がした。自然に。自然な形で駅まで歩く。そう暗示をかけても、僕の目は彼女を向いている。


 すると、僕の目線に気づいたのか、彼女はこちらを一瞥して僕に近づいてきた。


 汗が吹き出し、冷静ではいられなくなった。もしかしたら、見ていたのがバレたのかもしれない。それが気持ち悪くて文句を言いに近づいてるのか?


「あ、あの……和田さん」


 控えめで柔らかな声。その声が僕の名前を呼んだ。


「な、何ですか?」


 彼女は顔を真っ赤にさせて、もじもじしている。何かを躊躇うように。


 近くで見れば見るほど美しく整った美形。直視することが禁じられていてもおかしくない。そんな世界遺産といっても過言ではない彼女が目の前にいる。緊張で胸が張り裂けそうだ。


「その……」


 彼女はきっぱりと物を言わず、緊張している様子だった。ということは、僕を罵倒しようとしているのではないのだろうか。


 しばらく彼女が緊張と対峙しているのを眺める。


「私、和田さんのことがす、好きなんです」


 やっと彼女が口を開いたと思えば、思わず耳を疑うような言葉が出てきた。本当に聞き間違い? でも、今、しっかりと「好き」と言った。彼女が振り絞った勇気を無駄にするわけにはいかない。


「ぼ、僕も、佐々木さんのことが好きです。だから、付き合いませんか?」


 彼女の純粋な気持ちを悪い方向のものと勘違いするなんて、僕はどれだけ最低なんだろう。そう思ったのは一瞬だけ。次第に嬉しさが増し、自己嫌悪は消え去った。


 今までの人生で一番幸せを感じた瞬間だった。そして、僕が突き出した、震える右手が握られるはずだった。


「あはははっ!」


「ウケるんですけど!」


「やっぱり、不幸を運ぶっていう噂は本当だったみたいだね」


 佐々木さんの友達が爆笑しながらこちらへ近づく。


「まぁ、あれだね。最高に気味が悪い好意を向けられてるってことを知った分、フラれた方がマシだったかもね」


「あーあー。泣かないで。まさか、こいつがここまで空気の読めないバカ真面目だとは思わなかったんだよ」


「もしかして、自分がモテるほどのイケメンとでも思ってるのかな⁉︎ もしそうだとしたら大間違い。あんたに惚れるやつなんて到底いないよ」


 佐々木さんは目を赤くして涙を溜めていた。彼女を慰めるように、3人が囲って背中をさすったり、ハンカチを渡したりしている。


 何が起こっているのか理解できなかった。いや、理解したくなかった。


「もういいよ。行こ行こ」


 そう言い残し、3人は佐々木を連れてどこかへ行ってしまった。


 僕は1人取り残され、ただ呆然としていた。事実を受け入れたくなかった。現実から逃げたかった。自分の記憶を抹消してやりたかった。


 ただ、時間が過ぎ、絶望がゆっくりと僕を飲み込んでゆく。行き場を失った刃は僕の胸に刺さったまま。


 存在が押し潰されて消失してしまいそうだ。視界はぼやけて輪郭が揺らぎ、目からの情報を遮断したくなる。なのに、瞼も手も足も、心臓すらも動かせる気がしない。


 脱力感とは全くの別物。痛いを通り越して何も感じない。月が雲で隠れたなんてレベルじゃない。月が大爆発を起こした後の夜の地球。木っ端微塵に砕かれた幻想。


 自嘲なんて以ての外。ただでさえでも消えそうな存在価値を道端に落としてしまう。乾き切って皹の入った心。もう、当分立ち直れないだろう。


「ゴホッゴホッ!」


 息をすることも忘れていたらしい。苦しさに耐えれず咳き込んで、荒く息をした。もう、帰ろう。これからバイトもあるから。


 俯いて駅までのおよそ200メートルを進む。電車に乗り、揺られること15分。クーラーの効いた車内から出れば初夏の暑さがお出迎え。バイト先まではほとんど距離はないのに、怠くて仕方ない。


 あー。僕って何で生きているんだろう。


 そんなことを聞いても大空は頭上に広がるだけで、何も答えてくれない。


 痛くない。暑くない。歩いてない。動いてない。何も感じない。苦しい。息苦しい。もう死ぬの? まだ死なないの? 生きてる。起きてる。眠い。


 目の前に地面があり、自身が倒れたことに気づいた。それを最後に記憶は途絶えた。

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